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from: ぽっぽさん
2018年04月29日 16時29分46秒
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「サリバン」たちの奇跡!!
皆さん、こんにちは o(^-^)o
相変わらずNHKFMで「今日は一日”戦後歌謡”三昧」を聴いています。
懐かしい昭和時代の歌謡曲が・・・ o(^-^)o
(ぐっちゃんさんのブログに「29日は昭和の日」とあります、だから「昭和の懐かしい歌謡曲」が掛かっているのですね・・・午後6時までのようです)
さて、28日のトピックで書きました『「サリバン」たちの奇跡』のURLを再読しまた。
いささか長文になりましたが、URLの記述も引用しつつ改めまして感想などを書いてみますね。
URLの引用は『』のごとくですし、引用内の「<>」はぽっぽの補足などです。
なお、東京新聞のホームページでは、昨秋に「いのちの響き」として3回シリーズで載せられたようです。
「サリバン」たちの奇跡(1)・・・
新聞記者が三重苦の「男性の若者(26歳)」を記事にすべく取材した事が主ですので省略しますね。
「サリバン」たちの奇跡(2)・・・
『三重苦の男性は生後四カ月で、目が追視しないと分かり、その後、耳も聞こえない可能性があると診断された。 両親は病院を転々とした。』
『「残念ですが、今の医学では手だてがありません」。 わずかな希望も打ち砕く一言に両親は言葉を失い、涙に暮れた。
ただ、医師は二人を励ますように言い添えた。
「ちゃんと生きていけます。道はありますから」。その一言が救いとなった。』
とあります。
『偶然、リハビリ施設で耳にした一言が転機になった。
「目も耳も不自由な子を受け入れている施設があるそうよ」。
地元岐阜市にある難聴児通園施設「みやこ園」のことだった。
お母さんはすがる思いで入園を決めた。
<取材された男性の>二歳八カ月の春だった。』
その「みやこ園」の当時の園長は「母親の密着が成長を妨げる(困れば母が助けてくれる)」と、その男性(当時は2歳児:以降「園児」とします)に甘やかせることなく接した。
この時の「園長さん」の対応が偉かったと思いました。
これ以降、園児の成長に大きく影響と申しますか「貢献」されたと同時に、母親も大きく成長をされたと思います。
なかなか出来ることではありません!
「サリバン」たちの奇跡(3)・・・
当時の園長さんが「包丁を持たせた」事を書いています。
『園長先生はまな板にキュウリを載せ、包丁も握らせた。 「やめてー!」。
いつもおおらかな父親が、血相を変えて止めに入ってくる。
それでも、構わずに切らせた。
キュウリにぐさりと刺さり、園児はニヤリ。 両親もほっと胸をなでおろす。
でも、まだやめさせない。
キュウリに添えた左手もあわや、という近さで包丁が入っていく。
凍り付く両親をよそに、園長先生は当時の園児の手を取り、手話で「これが、切ること」と教えた。』
ここまでやるとは・・・なかなかできることではありませんよね。
これって、女性の母性本能なんでしょうか?
「映画:奇跡の人」のサリバン先生の行動でもよく似たシーンがあっとと思います。
日本にもこのような気骨のある先生がいるのかと・・・
さらに園長先生は
『別の日にはリンゴ。 キュウリより丸くて硬く、簡単には切れない。
力いっぱい包丁を入れようとしたところ、とうとう手元が狂って園児の指先が切れた。
園長先生は動じなかった。「これが血だよ。痛いよね」。
止血をする前に園児に血の臭いをかがせ、なめさせもした。
他人の血を見て覚えることができない園児には、アクシデントさえ貴重な学びのチャンスだった。』
『卒園までの四年間、園児の心に言葉を宿そうと積み重ねた試行錯誤の数々は、生きていくための血となり骨ともなっていた。
園長先生は、血の付いたリンゴを「臭いね」と苦笑いして食べた当時を振り返り、園児の母親と互いにこうねぎらったという。
「あのとき、血染めのリンゴを食べたおかげだね」』
「見えない・聴こえない・話せない」縁起が卒園するまでの4年間の園長先生の並々ならない努力にただただ頭が下がります。
「サリバン」たちの奇跡(4)・・・
『難聴児通園施設「みやこ園」を巣立った当時の小学生(以下、小学生と書きますね。 今は26歳の若者)が次に進んだのは、岐阜県立岐阜聾(ろう)学校小学部だった。
付き添い指導を担当したのは女性の教諭。
小学校入学時の語彙数は、一般的に、健常児は3000から7000語程度、聴覚障害児では2000から2500語程度、視覚障害児においては、健常児と大差はない」。
これに対し、小学生が理解できた語彙数は「200程度」。』
友達とのコミュニケーションの取り方について、先生は・・・
『先生は一つのルールを考え出した。
小学生に話しかけるときは必ず、彼の肩をトントンとたたくようにした。
すると、小学生も話したいときは、先生の肩をトントンとたたいてくる。
この方法が、まもなく知ることになる「友達」という存在との会話方法としても定着していく。』
ろう学校の女性の教論も上記の園長先生と同様に並々ならないご努力をされた事に感銘と申しますかもう溜息しか出ません。
「サリバン」たちの奇跡(5)・・・
『同級生にとっても、目の前で手話をしても伝わらない小学生は異質の存在だった。
先生は小学生との間で交わした約束事を、クラスみんなに広めた。
小学生に話しかけたいときは彼の肩をトントンとたたき、本人が気づいて手に触れてくれば、名前を名乗る。
給食でべたべたになった手で話しかけてくる小学生に手を焼いた先生が編み出した、あのルールだった。
手のひらを介したやりとりが始まり、「友達」の存在は徐々に輪郭を取るようになる。それに伴い、小学生の好奇心も一気に開花していく。
同級生は若者と外の世界との懸け橋でもあった。』
やはり同級生と申しますか友達の存在って大きいですよね。
それを可能にしたのが先生が考え出した「トントンと肩をたたく」で、これはすごい事だと思います。
一般にすごい事と申しますと政治家になるとか企業人として大成功をするなどを思い浮かべますが、先の「園長先生」や「ろう学校の先生」はすごい事をされたと思います。
「サリバン」たちの奇跡(6)・・・
シリーズ最後は同級生とのコミュニケーションやその若者が段々自己主張をしながら成長してゆく過程を書いていますが省略しますネ。
そして(6)の締めくくりは・・・
『時はたち、中学三年生になった同級生たちは、修学旅行を控えていた。 行き先は東京。
担任の先生が、東京で行きたい場所を尋ねると、一人の女子生徒から予想外の提案が出た。
「当時の小学生に会いたい」。 <素晴らしい子供ですよね、涙が出ました>
ほかの子たちも「うん、うん」とうなずいている。
その小学生は小学五年生のとき、東京にある筑波大付属盲学校に転校していた。
盲学校に打診すると快く応じてくれた。
迎えた当日。 同級生たちは盲学校で当時の小学生と再会を果たした。
「<小学生に>覚えてる? 会いたかったよ」「僕もだよ」。
久しぶりに触手話でやりとりするのが照れくさいのか、お互いもじもじしている。
先生にはほほ笑ましかった。』
という所で6回シリーズが終わっています。
私は下記の事を考えました。
まずは、「医師」がおっしゃった「ちゃんと生きていけます。道はありますから」からはじまりまして、「難聴児の園長先生」そして「ろう学校の先生」とリレーされました。
その「結実」としまして「生まれつきの盲ろう者では日本で初めての大学生、大学院生」として立派な若者に成長されました。
「ご本人」をはじめ「ご両親」そしてその若者を支えられた「施設・学校の先生方」「当時の学校の同級生」に深い感動を覚えました。
確か、人間の脳の「前頭葉」には「言語野」という領域があり、言語野は男性よりむしろ女性の方が発達している旨の事を本で読んだことがあります。
(ジジーなので記憶は「フワァ」ですが o(^-^)o)
ヘレン・ケラーのサリバン先生や、今回の「園長先生やろう学校の女性教論」が献身的なご努力をされた事は、「女性の言語野に関する感受性(感性)」「女性の本能(女性ホルモン)」などが大きく作用するのかなぁ?とぼんやりと考えてしまいました。
おそらく男性ではとても「できそうにない」「考え付かない」のではと思います。
先日TVで、もう死んでしまって何日も経っている我が子をいつまでも抱きしめている猿の母親を見まして「女性本能」かなぁと・・・
「女性は偉い!」の一言でございました。
かつて「ヴィクトル・ユーゴー(フランスの作家)」は「女は弱し されど母は強し」と申しました。
しかし近年の女性は「女は強し 母はさらに強し」でしょうか。
(水泳教室や健康体操のご婦人方は皆さん「たくましい」です o(^-^)o)
皆さん!
引用が長くて、とりとめのないトピックになってしまいました。
(ふーたん、元気かなぁ? 無事に帰国してね!)-
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