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  • from: ぽっぽさん

    2019年03月22日 06時35分02秒

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    新元号に関して! その2

    皆さん、おはようございます\(^o^)/
    やはり、昨日~夜・夜中~早朝と「ピチッ!」が元気でございます。
    お陰様(笑)でせっかく朝早く目が覚めたのですから、4時半過ぎから「録画:英雄達の選択・杉田玄白」を見ていましたヨ!

    マリナーズのイチロー選手が「現役引退」を表明されましたね(T-T )
    ネットには・・・
    『マリナーズのイチロー外野手が21日、現役引退を表明した。東京ドームで行われた「2019 MGM MLB日本開幕戦」第2戦の試合後にマリナーズが発表。その後、イチローが記者会見を行い「現役生活に終止符を打ち、引退することとなりました」と話した。

    日本での開幕シリーズを終えたイチローは試合後、記者会見を行い、「今日のゲームを最後に日本で9年、アメリカで19年目に突入したところだったんですけども、現役生活に終止符を打ち、引退することとなりました」と長いキャリアに区切りをつけることを明言。第一線を退くことを決断した。』
    とあります寂しいです。

    昨日の事をちょっと・・・
    どうも一昨日の夜から雨でした昨朝は土砂降りでした。
    昨朝も早朝に目が覚めましたので下に書きましたごとく、「新元号に関して その1」を作成してインした。

    散歩は止めにしましてふーたんと「録画:相棒最終回スペシャル」を見ていました。
    (起きてからは「可燃ごみ」を集積場に出して参りました)

    午後から雨が上がりましたのでソレッ!と花屋さんでお墓の花を買いまして墓参でございました。
    その後は「録画・相棒最終回スペシャル」を見ていましたヨ\(^o^)/

    【「新元号に関して」を書くきっかけ】  妄信(盲信)?・狂信?を払拭させたくて・・・
    下のemiyaponさんへのコメントへの返信で・・・
    >>凄い勉強家ですね。 勉強になりました。
    >実はこれには少々呆れますエピソードがありまして・・・後述としますネ!
    と書きました。
    その「少々呆れますエピソード」と申しますのは、友人の人は非常に暗示にかかりやすいと申しますか、物事に対して「妄信(盲信)?・狂信?」してしまう「非常に純粋なる性格」の女性がいます。

    その友人が会話の端々に「日本は建国2800年になる」「神武天皇から今の天皇までズーッと続いている’純粋の日本民族’です」などと申します。

    私は「その1」で4冊の拙ノートをご紹介いたしましたが、1975年ほどから「日本列島の成立・日本人はどこから来たの?」「邪馬台国はどこにあったの?卑弥呼とは?」に興味を持ちまして、関連する書物を読んで目に留まったものをメモったら4冊になってしまいました\(^o^)/

    私が書籍を詠んだり新聞やTV番組などで得た知識からしますと、その友人を「あれまぁ!」と思ってしまいました。
    そこで、その女性と同じような考えを持っておられる方へその考えを「払拭」してもらえれば・・・と書いてみることにしました。

    今朝、見ていました「録画:英雄達の選択・杉田玄白」では、杉田玄白の「解体新書」の事をやっていました。
    今までの日本では「漢方(中国)」が主流でしたので、人間の体も漢方の書物に掛かれたままを信じていました。
    しかし、「杉田玄白ら(3名)」は難解な「オランダの医学書(西洋医学)」の単語を丹念に拾って翻訳したようです。
    そして運よく幕府のお咎(とが)めなく、解体新書を発行し世に広めることが出来たようです。

    今、私が書いています事柄につきましても「既成概念(例えば古事記・日本書記を妄信するなど)」を払拭して、より正しいと思われる方向へと持って行きたいと思っております。

    さらに3月18日のトピックに書きました、
    >私は割と若い親子とちょっとお話を。 ← 内容は今まとめていますことと関連しますのでその時にネ!)
    も含めたいと思います。

    【紀元前800年頃の日本】 建国2800年はあり得ないようです。
    見ずらいとは思いますがまずは下の年表を・・・
    まずは「紀元前のアジアの年表」です。

    紀元前の日本の年表です。

    上記の年表は小さくて見ずらいですがご勘弁を・・・
    チョッと説明しますと・・・
     ・紀元前3万年前~1万年ごろ:先土器文化。
     ・紀元前1万年~3百年ごろ:縄文文化。
     ・紀元前3百年~紀元前後ごろ:弥生文化。
    のようです。
    そしてその後の「古墳文化」は紀元後の3世紀末頃からのようです。


    もし日本が建国後2800年経っているとしますと、「2800年-2000年(紀元後)=800年」ですよね。
    という事は「日本は紀元前800年にはもう建国されていた」という事になります。

    さて、上記の年表からその頃を見て見ますと・・・
    中国では紀元前1500年ごろに「殷(いん)」という国が出来て、紀元前770年ごろに「(しゅう)」が出来ています。
    しかしその頃の我が国は紀元前1000年以降やっと「縄文文化」で、紀元前300年頃に「弥生文化」となりました。

    後程詳しく書かせて頂きく予定ですが、中国の文献にやっと我が国が「倭(わ)」として載ったのは紀元後200年頃の中国の「後漢(かん)の時代」です。

    従いまして残念ながら「日本建国2800年は考えられない」ようです
    ネットなどでは「〇〇大社や△△神社が建立2600年」などと紹介されているものがありますが、これまた「!?」でございます。

    【日本の建国】 魏志倭人伝が手掛かりです。
    上記で日本の建国が2800年というのは考えられませんが、では「日本の建国」はいつかですがこの件につきましては「古事記や日本書記の記載」が元とされることがありますね。
    (両方とも歴史書などとされてはいますが、近年では「神話的」と・・・)

    まずは「古事記」をネットで見ますと・・・
    『古事記(こじき、ふることふみ、ふることぶみ)は、日本最古の歴史書である。
    その序によれば、和銅5年(712年)に太安万侶が編纂し、元明天皇に献上された。

    『古事記』の原本は現存せず、幾つかの写本が伝わる。
    成立年代は、写本の序に記された年月日(和銅5年正月28日(ユリウス暦712年3月9日))により、8世紀初めに措定される。

    内容は、神代における天地の始まりから推古天皇の時代に至るまでの様々な出来事(神話や伝説などを含む)が紀伝体で記載される。
    また、数多くの歌謡を含む。
    なお、『古事記』は「高天原」という語が多用される点でも特徴的な文書である[注釈 1]。
    『古事記』は『日本書紀』とともに後世では『記紀』と総称される。
    内容には一部に違いがあり、『日本書紀』のような勅撰の正史ではない。』
    などとあります。

    次に古事記の後に編纂されました「日本書記」は・・・
    『『日本書紀』(にほんしょき)は、奈良時代に成立した日本の歴史書。
    日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。

    舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。
    神代から持統天皇の時代までを扱う。
    漢文・編年体にて記述されている。 全30巻。 系図1巻が付属したが失われた。

    『古事記』と異なり、『日本書紀』にはその成立の経緯の記載が一切ない。
    しかし、後に成立した『続日本紀』の記述により成立の経緯を知ることができる。
    『続日本紀』の養老4年5月癸酉条には、
    「先是一品舎人親王奉勅修日本紀 至是功成奏上 紀卅卷系圖一卷」
    とある。その意味は
    「以前から、一品舎人親王、天皇の命を受けて『日本紀』の編纂に当たっていたが、この度完成し、紀三十巻と系図一巻を撰上した」

    ということである(ここに、『日本書紀』ではなく『日本紀』とあることについては書名を参照)。
    また、そもそもの編集開始の出発点は、天武天皇が川島皇子以下12人に対して、「帝紀」と「上古の諸事」の編纂を命じたことにあるとされる。 』
    とあります。

    しかしこの書物の信頼性をネットでは・・・
    『古事記の特徴 神代では一種類(伊勢の稗田阿礼が読み習ったもの)だけの文章が採られている。
    文学的な描写が多く、登場人物の感情をありのままに伝える歌物語が多い。
    継体以降は后妃や子供、宮の所在のみとなって推古天皇で終わります。
    推古までが古代と考えています。
    継体以降に増加した半島との外交記事も殆どなく、古事記の興味は専ら内政に向けられて書かれています。
    フィルターのかかった資料であることは確かです。
    個々の歌や祝詞などヨゴトの言い回しにはさらに太古からの言葉が残っているといえます。

    日本書紀の特徴 正式な国史を作るという目的にそって書かれています。
    大和朝廷の正当性を解き明かす目的の資料です。
    しかし神代ではたくさんの一書が紹介されているため、諸家のもつ記録をあつめて編纂した事が分かり、比較研究され価値が高いと言えます。

    雄略や仁徳の描き方には中国からの放伐禅譲の思想が影響し、そうあるべき歴史がかかれますので、信憑性の点ではもちろん割引かなくてはなりません。』
    という事で両方とも「!?」のようですね。

    何故、「古事記」や「日本書記」を上げたかと申しますと、次回に予定しています「天皇の系図」などにも影響されているからでございます。

    <日本の建国は?>  2月11日の建国記念日は?
    では「我が国の建国はいつか?」という事になりますがネットでは、
    『日本国の建国(にほんこくのけんこく)では、日本の伝説上の建国について解説する。
    日本国は、日本神話などの伝説上、西暦紀元前7世紀に神武天皇によって建国されたとされる。考古学的な建国の年代は西暦3世紀、5世紀、7世紀説が大多数に支持される[要出典]が、西暦前1世紀説なども存在する。

    神話、国史である日本書紀・古事記は、九州日向国に生まれた神日本磐余彦尊が東征を行い、大和国橿原宮で初代天皇(神武天皇)に即位した時を以て、日本国が建国されたとする。
    明治5年太政官布告第342号により法的にこの事績を日本国の建国とした。
    戦後においては、昭和四十一年十二月九日政令第三百七十六号(建国記念の日となる日を定める政令)にて改めて定められた。

    <建国年の問題>
    国家としての日本、日本の民族・文化は、有史以前からの長い年月を経て段階的に形成されて来ていて、明確な建国の時期を示す記録は存在しない
    建国記念の日(旧紀元節)は、記紀で神武天皇が即位したとされる日(紀元前660年1月1日〔旧暦〕、2月11日〔新暦〕)となっている。

    『日本書紀』神武紀に、カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)が辛酉年春正月庚辰朔(1月1日)に即位したとの記述があり、古代以来、これが日本建国の画期と広く考えられていた。
    建国の時期として、この他に「日本」国号が定められた時期(飛鳥浄御原令ないし大宝律令の成立)や大政奉還がなされて近代国家の建設が始まった明治維新の時期などが挙げられることもある。
    しかし、国家としての日本は、長い歴史的な経緯を経て形成され、明確な建国の画期を見出すこと自体が困難と言え、主観的なものとなりがちである。』

    『「建国記念日」ではなく「建国記念の日」とされたのにも理由があります。
    日本では実際の建国日が明確ではないため(!)、神話をもとに建国を祝う日として定められたのです。
    名称に「の」の字が入っているのは、この日が歴史的に建国された日ではなく、建国されたという事柄を記念する、という意味が反映されているのです。

    建国記念の日が制定されたのは、昭和41年(1966年)。
    「建国をしのび、国を愛する心を養う」というのがその趣旨です。
    世界の国々のように独立戦争や革命によって勝ちとった歴史的事実としての「建国を共に祝う」のではなく、日本という「国があることに感謝する」。
    そんな気持ちで心穏やかに過ごすのが、日本における建国記念の日なのかもしれません。

    実際に、現在は国の行事は行われてはおらず、各地の神社で「紀元節祭」として祭儀が催されているそうです。
    一方、明治時代の「紀元節」といえば、四方拝(元日)、天長節(天皇誕生日)、明治節(現在の文化の日)と並んで四大節(しだいせつ)と呼ばれ、最も重要な行事のひとつでした。
    このあたりに、戦前から戦後を経た日本の歴史観の転換や、生活スタイルの変化を垣間見ることができますね。

    建国記念の日のキーパーソン・神武天皇が登場する『古事記』と『日本書紀』は、共に天武天皇(てんむてんのう、生年不明〜686年10月1日)の命によって編纂された日本の歴史書。
    違いは、『古事記』(全3巻)は国内向けに書かれた天皇家にまつわる書物、『日本書紀』(全30巻)は海外に向けて発信された国の成立や歴史を示す書物であることです。

    神武天皇は『古事記』では127歳で、『日本書紀』では137歳の時に亡くなったと記されており、すでにこの時点で神話上の人物である要素が満載です。
    しかも、八百万の神のなかでも最も尊い神である太陽神・天照大神(あまてらすおおみかみ、あまてらすおおかみ)は、天皇の祖神とされているのです。

    皇室系図によると日本の初代天皇が神武天皇にあたり、その流れは現在まで引き継がれています。 <←後述しますが、天皇の系図については諸説がありますのでこの記述が正しいとは限りません! ぽっぽ>』
    など何だかややこしいですが「2月11日」の根拠は「?」ですね。

    <上記の年表より・・・>  
    上記の年表をアップしてみますと・・・

    ・「紀元前後に倭国(わこく)は百余国に分立(「漢書」地理志)
    ・紀元後57年 倭の奴国王(なこくおう)、後漢に朝貢し、光武帝より印綬を受く(「後漢書」建武中元2年)
    などとありまして、これらが「我が国(当時は「倭(わ)」)」が「外国(中国:当時は漢の時代)」の文献で紹介された初めての記載です。

    つまり、この頃にやっと日本が「国らしくなった」って事なんですネ。
    しかし「漢書」「後漢書」など中国の文献は「中華思想」で「おおげさ」なんです。
    学者などの意見では「倭国が百余国に分立」を「せいぜい、部落や集落があちらこちらに点在していた程度。 百余国は中華思想に基づく大げさなる表現だ」としています。

    ま~とにかくう「日本が国らしくなった」のは紀元前8~700年ではなくて、「紀元前後あたり(中国では「漢」の時代)」ようなんですが・・・
    日本人が中国の「氏姓制度を導入した国家体制を展開」するのはその後の4世紀頃なんです o(^-^)o
    (3世紀ごろについては三国志の中の「魏志倭人伝」で我が国の内乱とその後擁立されました「卑弥呼(ひみこ)」などの記述がありますが省略します)

    さて、この「新元号に関して! その2」で押さえておきたいことは「日本建国2800年は考えられない」ということでございます。

    さて、ちょっと長くなりましたし頭が痛くなってきましたよね?
    次回はやっと「天皇制・元号」を・・・\(^o^)/

    では皆さん!
    本日も「ドッコイショ!」と参りましょう。
    (私は午後から「登城」でございます)

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