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from: ぽっぽさん
2019年03月23日 05時57分20秒
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新元号に関して! その3
皆さん、おはようございます o(^-^)o
昨日もお耳は元気でした! 登城中もその後も時々「ピチッ!」と、さらに夕方ごろからは耳が「ずき~ん」と痛くて(T-T )
今朝は耳の痛みは和らぎましたが、でも耳奥にはまだ鈍痛が残っていますし、ピチッは相変わらずです o(TヘTo)
下のトピックに、
>しかし風が強くて寒かったです! ブルブルぅ~! o(TヘTo)
と書きました。
風が強い事は出勤前に分かっていましたので、ニット帽をかぶりましたがニット帽の下に、毛糸の耳当てをして2重に養生をしておけば耳の「ずき~ん」「鈍痛」がなかったかも・・・反省! o(TヘTo)
さて、今朝も5時頃には目を覚ましてしまいましたので、新元号の「最終回」・・・
(やっと核心に・・・今回で最終回としますので、かなりの長文ですがお許しを!\(^o^)/)
【天皇の系図】 実在しない天皇がいたようで「神武=崇神」が有力説!
まずは天皇系図を・・・
系図が長いので途中省略いたしますが、「神武(じんむ)天皇」から現在(平成)の「今上(きんじょう)天皇」までは125代とされています。
でも、「実在しなかった天皇」がいたようです。
下の天皇系図では「初代・神武~8代孝元」までの「8代が実在の可能性がうすい」としています。
次に天皇についての色々な説をネットでは・・・下記の4説があるようです。
『<初代神武天皇以降を実在とする説>
古代から第二次世界大戦中までは日本では神武天皇は実在したと考えられてきたが、戦後になるとGHQにより神武天皇の実在が否定された。
これに対し、初代神武天皇の実在性を唱える者は安本美典、森清人などが存在する。
古田武彦は神武天皇の大和朝廷を九州の邪馬台国の分家であると主張している。
<第10代崇神天皇以降を実在とする説>
第10代崇神天皇を実在可能性がある最初の天皇とする説がある。
日本史研究の立場からは和風諡号が同一であること、事跡の共通点などから、崇神天皇を初代天皇、あるいは神武天皇と同一人物であるとする主張が存在する。
なお、第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までは、『日本書紀』に『旧辞』的記述(事績等に関する記述)がないため、欠史八代(闕史八代)と呼ばれる。
<第15代応神天皇以降を実在とする説>
津田左右吉によって、3世紀後半から4世紀初めにかけて在位したと考えられる第15代応神天皇が初代天皇とみなされ、それ以前の天皇の実在を否定する学説が提示され、第二次世界大戦後、歴史学の主流となった(「欠史十三代」)。
GHQの指導の下で、津田の主張が採用され応神天皇以前の天皇の名前が歴史教科書から全て削除されたが、その後矛盾点が多数発見され、「欠史十三代」から「欠史八代」へと津田左右吉の説は変貌した。
<第26代継体天皇以降を実在とする説>
1970年代以降の歴史学界では、『古事記』や『日本書紀』における6世紀以前の記述は、不正確な伝説であると解されている。
このため、6世紀前半に在位したと考えられる第26代継体天皇の実在は確実と考えられるものの、それ以前の天皇については、第21代雄略天皇を別として、第25代武烈天皇までは実在の可能性が薄いという見解がある。
雄略天皇に関しては埼玉県行田市の稲荷山古墳の副室から出土した金錯銘鉄剣の「獲加多支鹵大王」を雄略天皇の名である「大泊瀬幼武」と解しその証とする説がある。
この説に則れば考古学的に実在が実証される最古の天皇である。』
私の邪馬台国メモでは・・・
「邪馬台国は沈んだ(大羽道弘・著)」
崇神(すじん)天皇は実在した。
和名を「ミマナイリヒコイニエ(古事記:御真杁日子印恵、日本書記:御聞城入彦五十瓊殖)」と言い「ミマナ(朝鮮半島南部)からイリ(渡来)した男王(彦)」で「北方騎馬民族」としています。
って事はいきなり「我が国の天皇が生粋の日本人である」と云うのは「否定」されています。
さらに著書には「神武の東征は崇神の反映である」とし、「伝説上の神武=崇神(実在)」としています。
「まぼろしの邪馬台国(宮崎康平・著」
「神武の東征は継体(天皇)の物語」としています。
「邪馬台国は沈まず(藤沢偉作・著」
「神武の東征の主人公は崇神天皇(御聞城入彦五十瓊殖」「神武天皇は架空の天皇である」としていまして、上記の「邪馬台国は沈んだ」と同じお考えのようです。
さて、多数決の原理ではありませんが・・・
どうも「神武=崇神」が有力のようですね、私もこの説を取っています。
(「天皇陛下万歳」のお考えの方々にはショックですよね、でもシッカリと事実を見つめることが肝要かと・・・)
またネットでは下記の事が載っていました。。。
『平成13(2001)年、今上天皇は天皇誕生日の記者会見で桓武天皇の母、高野新笠の名前を出され、皇族が百済渡来人の血を引いていると紹介されました。
サッカーワールドカップの日韓戦開催を祝う意味がこめられていましたが、日韓両国で大きな反響がありました。
一部の日本人は、万世一系の皇統に朝鮮半島の血が流れているとのご発言に強く反発しました。
また、韓国では大変な歓迎ムードが流れました。
今上は、日韓の不幸な歴史を認識されたうえで、この勇気ある発言をされたのだと思います。
近代的な意味での「国家」が成立していない古代の日本人にとって、
大陸からの渡来人は「外国人」ではなかったと思います。
文化、文明の進んだ土地から来た人々であり、言葉も異なったかもしれませんが、
大都会から田舎に人が引っ越してきたような感覚ではなかったでしょうか。』
とあります。
「万世一系の皇統」をネットでは・・・
『万世一系(ばんせいいっけい)は、永久に一つの系統が続くこと。多くは皇室・皇統(天皇の血筋)についていう。 <長いので以下省略します>』
とあります。
つまり「日本の天皇家は永久に純粋なる日本人が継いでいる」と云う事ですが、残念ながら考古学的・人類学的(DNAなど)・地理学的に見ましても、南海の孤島の日本が大陸との交流無しで単一民族として文明・文化を築いたという説は成り立ちません。
「その1」で書きましたごとく、日本人は元々大陸から移動した複数民族の混血であります。
「純粋な日本人を妄信」している方々が可哀そうと申しますか哀れと申しますか「もっと勉強しなさい!」と言いたいです。
ついでながら、「日本とユダヤの同祖」「皇室の六芒星(ろくぼうせい、りくぼうせい)」「かごめかごめの歌の裏」などなども信じている私共の友人の一人はなぜそんな説に感化されたのか? あきれてしまいます。
(ぜひ、「その1~3」をご覧いただき妄念を払拭してもらいたいものです)
【元号について】 元々は中国から使用許可をもらった!
やはりネットで見て見ますと・・・
『<中国の元号>
中国で元号が初めて使用されたのは、前漢の武帝の治世で紀元前115年頃のことです。このときの元号は「建元」で、統治の初めの年に遡ってのことでした。
明の時代に朱元璋(朱元璋=明の太祖)が一世一元の制(皇帝の即位によって改元する)を制定するなどし、元号は清の時代まで使用されていました。
<日本の元号の歴史>
【飛鳥時代】
『日本書紀』によると、645年に「大化」が使用されたのが元号の始まりで、7世紀には元号が断続的に用いられました。
この時代には元号よりも干支が主に使用されていたことがうかがえます。
701年に「大宝」と改元されてからは、元号の使用は継続的になりました。
【南北朝時代】
1331年から1392年までの期間は、一部共通する元号があるものの、南朝(大覚寺統:だいかくじとう)と北朝(持明院統:じみょういんとう)がそれぞれの元号を使用したため、二つの元号が並立していました。』
とあります。
我が国の「元号と云う制度」についてネットでは・・・
『元号という制度
天皇退位問題をめぐって、「平成」の次の元号のことが話題になっている。
すでに、幾つかの案が挙げられているとの報道もある。
現在、日本のように、西暦以外の暦を用いている国は少なくない。
イスラム暦や仏教暦はいうに及ばず、台湾では「民国」という年号を使用し(民国元年=1912年)、北朝鮮でも「主体」が西洋暦とともに用いられている(主体元年=1912年)。
東アジアでは、歴史的に、中国の暦を用いることが冊封(さくほう)を受けていることを意味しており、独自の年号を用いることはいわば独立の証でもあった。
<つまり当時の中国に貢物を持って行って「よし、国として認めてやる! 元号をつかってよろしい!」と許可を得て元号を使っていたようですので、「わが国独自のものではなかった」のが元号の始まりのようです。 ぽっぽ>
対内的には自らの年号を、対外的に中国の年号を用いる、ということもあった。
他方、江戸時代までの日本の元号は、天皇の代替わりごとに変えることもあったが、災害など、それ以外の要因で変えることもあった。
明治の前の年号である慶応については、その始まりと終わりは明治天皇とも、その前の孝明天皇の即位や退位と対応してはいない。
天皇の即位からその死までを一つの年号とする制度は明治時代に採用された。 一世一元制度などという。
これは天皇の存在と表裏一体であったので、天皇の「時間的支配」の象徴だとする見方もある(※1)。元号は天皇によって定められ、その死によって終わるものだった。それは、夏目漱石の『こころ』にあるように、元号は「(明治という)時代」の象徴であった。
戦後になって帝国憲法から新憲法に変わると、皇室典範も改められ、元号は法的な根拠が危うくなった。事実上、昭和という元号は「慣習」として用いられ続けられ、廃止論もしばしば生じた。
だが、最終的に「元号法」(1979年6月)、「元号選定手続要項」(1979年10月)が制定され、「昭和」という元号に法的な根拠が与えられるとともに、元号の選定方法も明確化された。
<以降は長くなりますので省略します>』
別の検索結果では・・・
『<元号とは>
元号(げんごう)とは、日本を含むアジア東部における紀年法の一種。
特定の年代に付けられる称号で、基本的に年を単位とするが、元号の変更(改元)は一年の途中でも行われ、一年未満で改元された元号もある。
日本においては年号(ねんごう)とも呼ばれることもある。
公称としては、江戸時代まで「年号」が多く使われ、明治以降は一世一元の制が<天皇が変わると元号も変わる。 ぽっぽ>が定着し、「元号」が法的用語となった。
現代では元号法が制度の裏付けとなっている。
紀年法のうち、西暦やイスラム紀元、皇紀(神武紀元)などが無限のシステム(紀元)であるのに対して、元号は有限のシステムである。
皇帝や王など君主の即位、また治世の途中にも行われる改元によって元年から再度数え直され(リセット)、名称も改められる。元号の元年は「1年目」に当たる。
英訳すると、元号は「regnal era name」などとなる。
<以下、中省略します>
<日本における元号>
元号を用いた日本独自の紀年法は、西暦に対して和暦(あるいは邦暦)と呼ばれることがある。
日本国内では今日においても西暦と共に広く使用されており、今年(西暦2019年)は平成31年に当たる。(4月30日までの予定。)
<日本の最初の元号=大化>
大化(たいか) 皇極天皇4年6月19日(645年7月17日)』
我が国の元号は元々は「中国から使ってよろしい」と許可をもらっていたのが、制度化されたようですね。
さて、この「その3」で押さえておきたいことは・・・
・日本の天皇は初代神武から125代今上の間に「架空の天皇がいた」という事。
・元号の使用の元は中国から許可されたもの。
【新元号に関して】
私共が取っています新聞に下記が・・・
私共が取っています新聞はやはり地方紙なので、朝日新聞のような「ズバッとしたキレ」がありません。
(ですからこのような記事が掲載されるのでしょうかねぇ~!?)
さて、皆さんはお祝いをされますか? 玄関に国旗を掲揚されますか?
私の勝手なる意見は・・・
・私は新元号に変わっても祝うつもりはありません。
・私は「西暦一本!」として「元号は廃止」と思っております。
・天皇制についてもいささか批判的でございますし、ましてや「一世一元制度は止めてはいかが」と思っております。
・「天皇制・元号の制定」につきましては「憲法で天皇は象徴・主権在民」としていますので、「国民投票」で決めては如何かと思います。
さて、その1~3まで長々と書かせて頂きましたが、まとめとしまして・・・
・大陸から移動してきました私共日本人のご先祖は「大陸の北方系・南方系の混血民族である」という事で「純粋なる日本人ではない!」という事。
・「日本建国2800年は考えられない」ということ。
・日本の天皇は初代神武から125代今上の間に「架空の天皇がいた」という事。
・天皇の中には渡来人(朝鮮半島)もいた。
・元号の使用の元は中国から許可されたもの。
だと思います。
【昭和天皇と太平洋戦争】 「謝罪すべきだった」と思います。
最後に昭和天皇と太平洋戦争について書きます。
3月18日のトピックでは・・・
>私は割と若い親子とちょっとお話を。 ← 内容は今まとめています事と関連しますのでその時にネ!)
と書きました。
この事について書きますね。
お城で「若い親子(お母さんと二人の男の子)」が来ていました。
春休みなんだなぁと思っておりました。
その男の子達は元気よく天守へ上って行きましたが、お母さんは椅子に座って二人の子供が戻ってくるの待っていましたのでその間にちょっとお話をすることが出来ました。
そのお母さんはいきなり「私たち、朝鮮人です」と。
「ん!」と言葉が出ませんでした。
恐る恐る「失礼ながらいじめとか差別には・・・?」と。
「今はありません」と。
私はここにも数度書かせて頂いた「太平洋戦争収束後の落ち着いた時期に昭和天皇がせめてお隣の韓国と中国へは謝罪に行くべきだった」と話してみました。
そうしますとお母さんは「今まで色々な日本人とお話をしましたが、貴方のようなお考えの方は初めてです。 私も同じ意見です!」と。。。
天皇と云えばやはり「日本の軍国化と太平洋戦争」は切り離せません。
改めまして太平洋戦争と昭和天皇についてちょっと書いてみます。
過去にココ(たんぽぽ)にアップしました「終戦記念日」などの記事から・・・
<2012年8月14日>
『明治以降の我が国の主な出来事』
1867年(慶応3年) 大政奉還、幕府が滅びる。
1868年(明治元年) 明治維新、日本は急速に近代化への道を辿る。
1894〜5年(明治27・28年) 日清戦争
1904〜5年(明治37・28年) 日露戦争
1910〜1945年(明治43年・昭和20年) 我が国は韓国を支配。(35年間)
1914年(大正3年) 第一次世界大戦に参戦。 (ドイツに宣戦)
1931年(昭和6年) 満州事件(柳条溝事件)
1932年(昭和7年) 上海事件。 満州国宣言。
1937年(昭和12年) 日華事変(盧溝橋事件)
1940年(昭和15年) 日独伊三国同盟調印
1941年(昭和16年) 12月8日、米英に宣戦(太平洋戦争)
1945年(昭和20年) 8月10日、ポツダム宣言受諾
8月15日、終戦
9月2日、ミズーリ号にて降伏文書に調印 (真の終戦)
<2015年8月15日>
=安倍が「積極的平和主義」という事を言いました=
この「積極的平和主義」と云うのは「集団的自衛権を行使するぞ!」と宣言してるだと思います。
つまり、安倍談話は決して「許される内容ではない!」と云う事でございます。
我が国を徐々に「軍事国家」と化し「徴兵制」をも実施しかねない勢いでございます。
さて、村山首相談話(戦後五十年)では、「~戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません」「~戦後処理問題についても~引き続き誠実に対応してまいります」
と大変謙虚冷静に戦後を見つめて誠実に語っております。
あの、小泉首相談話(戦後六十年)でさえ「~かつて植民地支配と侵略によって~痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明する~」「いかなる問題にも武力によらず平和的に解決するとの立場を貫き、政府開発支援(ODA)や国連平和維持活動(PKO)などを通じて~」「世界各地で青年海外協力隊など多くの日本人が平和と人道支援のために~」としていまして武力的な表現はありませんねぇ。
今の安倍政権下では、まずまず我が国が「軍国化」されて行く事に小生は「憂国の念」を抱いてなりませぬが皆さんは如何に?
<2016年8月5日>
さて、8月と言えば「太平洋戦争」ですよね o(TヘTo)
1941年(昭和16年) 12月 8日、米英に宣戦(太平洋戦争)
1945年(昭和20年) 8月 6日、広島に原爆投下
8月 9日、長崎に原爆投下
8月10日、ポツダム宣言受諾
8月15日、終戦
9月2日、ミズーリ号にて降伏文書に調印(真の終戦)
となります、終戦から今年で71年となります。
今年5月、オバマ米大統領が「広島平和記念公園」を訪れました。
ややもしますと「太平洋戦争「沖縄戦線」「原爆投下」「終戦」などが忘れがちになりますが、私どもは決して過去の過ちを2度と起こしてはなりません。
そのためにも「政府自民党」の動きをしっかり監視する必要があると思います。
<2017年8月16日>
さて、昨日は「終戦の日(最近は「終戦記念日」と言わないのでしょうか?)」でしたね。
今日の朝刊の一面の事を下に載せましたが、「国民の思いと政府の思惑」とは大きなずれがありますよね。
まだ新聞記事や昨日のTV番組録画はまだ読み見聞きしていませんが、新聞見出しの私が「赤枠」で囲いました「国はうそをつく あの時も 今も」「終戦72年追悼式 誓い新た」「日報、加計 大本営発表と二重写し」が目に留まりました。
<新聞記事のアップは省略します>
そして昨日、わざわざ!?「終戦の日」に「オスプレイの日米訓練に合意」を発表しました。
安倍政権はなぜ我が国を「軍国化」したいのでしょうか?
(アメリカから賄賂でも貰ってるんじゃ・・・?)
8月15日もさることながら、先の戦争は全く我が国が全国民を巻き込んだ「暴走」である事、その暴走により多くの犠牲者を出してしまったことを私どもは決して忘れてはならないと思います。
<2018年8月15日>
今朝の新聞の「平成のことば」には『なんで戦争するがやろね. (当時9歳・小4)』が載っていました。
新聞記事には、「この少年は2004年(平成16年)8月15日の「全国戦没者追悼式」に最年少で参列し、素朴な疑問を口にした」とあります。
重い言葉ですよね・・・安倍さん! 分かってるんかなぁ!?
と、過去のトピックから再掲致しました。
私はやはり、太平洋戦争の後始末がひと段落した段階で昭和天皇は最低限度、朝鮮・中国へは謝罪に行くべきだと負います。
当時の軍部は「天皇をかついで(利用して)太平洋戦争をしでかした」のですよね。
でも、当時の国民は「軍部の徹底的なる軍事強化(教育も)」によって「天皇のために」と我慢しましたし、戦争に批判的な者は投獄されてしまいました。
戦後処理で「天皇に対する処分問題」が特に中国などから提議されましたがアメリカの反対で反故になってしまいました。
あの時、天皇への処罰として「日本が占領した国々に謝罪すること」とでもなっていれば・・・
なぜならば「子供(軍部)の不祥事は親(天皇)が謝るべき!」でしょ?
そして最後に今の安倍政権のやっていることはまさしく上記の「戦時中の軍隊がやった」と同じようなものでございます。
我が国はれっきとした独立国家でございまして決してアメリカの一州ではありません!
私共の子供達・孫達、子々孫々まで我が国を「豊かなる自然環境を守り、平和・安全で豊かな生活を託す」ことが私共大人の務めと思っております。
(子供のいない安倍には分からないと思いますが・・・)
そして阿部が進めています「我が国の軍国化!」は絶対に許されるものではありません。
さらに、新元号になれば「過去の問題(森加、政府自治体の相次ぐ不祥事などなど)」事はチャラと云う短絡的な考えは絶対に阻止しなければなりません。
蛇足ではございますが「たんぽぽ」では概ね「西暦」を使用していますが、決して「元号に反対」してレジスタンスをしているわけではありません。 ハイ!\(^o^)/
新元号に関しまして最後に、どうしてもこの事は書きたいと思っておりました。
皆さん! 長々とお付き合いくださいましてありがとうございました。
退屈されましたか?
でも、池上彰ではありませんが「そうだったのか!」という事がお有りだったのでは?\(^▽^)/
(「新元号」に関しましては折に触れましてまた書かせて頂くつもりです)
次回は何のお勉強を?・・・邪馬台国? 卑弥呼?
それとも「もう、結構です!」でしょうかねぇ~!\(^o^)/
(下の写真は拙玄関のクリスマスローズです。 今頃咲いてもクリスマスなんですかねぇ~! o(^-^)o)-
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魔王、
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