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from: ぽっぽさん
2020年10月17日 11時05分52秒
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沖縄旅行その2
皆さん、こんにちは\(^_^)/
天気予報通り、昨夜は結構強い雨が降っていまして、朝までしとしとでしたが、今(午前11時過ぎ)は止んだように・・・!?
BGMは朝からズーッとネットラジオ「クラシック→オルガン」を。
(昨日の「クラシック倶楽部」と「美の壺」で取り上げていました「パイプオルガン」が気になりまして・・・ o(^-^)o)
お耳は昨日の健康体操が意外とハードでしたので「ピチッ」を覚悟をしていましたが、今のところ「虫の音」が多少大きいかな?と言うことでございます。
(と思っておりましたラァ! 録画を見ていました午後2時36分に「ピチッ!」と1発)
ふーたんは息子に頼まれた「振込(本物の息子に振込詐欺!? o(^-^)o)」に行きましたので、私は「沖縄旅行その2」を。。。
「その1」では沖縄の概要でしたが、「文字数オーバー」になってしまいましたので、残念ながら所々「カット」しました(/Д`)
さて、ここからは20度通った(笑)、「沖縄旅行」を載せますね o(^-^)o
【沖縄へのきっかけ】
たんぽぽの「水中散歩1」(2020年9月2日)に・・・
【ダイビングログNo.9~12】 沖縄本島 1999年6月19・20日
「いきなり沖縄!」でございます\(^_^)/
「どうして?」でしょうねぇ!
当時勤めていました会社(共稼ぎでした)の会社報に「ダイビングショップへの出向」の記事が目に留まりました。
彼は沖縄本島にあります拙社の沖縄支店に勤めていたのですが、支店が新たに「ダイビングショップ」をオープンすることになりまして、白羽の矢?が立ったようです。
沖縄と言えば私が中学生の時、大学生が「授業研修(1時間授業を受け持ちました)」に来ました。
大学生の自己紹介で、彼は黒板に「台湾」と「沖縄本島」を書きまして、本当より台湾に近い辺りに小さな島を書きました。
「私の出身は台湾に近い与那国島です」とおっしゃったのを覚えていました。
(「与那国島でのダイビング」は後ほど・・・お楽しみにネ o(^-^)o)
当時の大学生は沖縄本島の高校教師になってお見えでしたし、拙社のダイビングショップからも近いので、30年ぶりにお会いしたいなぁ~と思っておりました。
(その先生を「M先生」と表示させていただきます)
てなことで「沖縄へ行こう!」と夫婦で行って参りました。
先生とは30年ぶりにお会いしまして、アチラコチラご案内していただきました。 (当時、出来てまだ新しい「首里城」へも・・・
右の写真は以前にアルバムからデジカメでパチリしまして合成しました)
と書きました通り(笑)「沖縄大好き(フリーク)」となりまして1993年から2019年までに20度「訪沖」しましたヨ!
【首里城について】
上記に「当時、出来てまだ新しい「首里城」へも・・・」と書きましたので、首里城の事を少し。。。
本来は、450年続きました「琉球王朝」についてから書くべきですが、長くなってしまいますのでここでは「首里城」にスポットを当てますね。
(「琉球(沖縄)の歴史」や「琉球王朝の成立」につきましては、このシリーズの最後にでも書かせていただきますネ\(^_^)/)
2020年8月27日放映の「歴史秘話ヒストリア・あざやかなり首里城」を今日(10月17日)、録画で見ました。
番組によりますと明治政府が琉球王国に侵出しまして、沖縄県として琉球を支配し琉球王朝は滅亡してしまいました。
そして、「首里城」も荒れ果ててしまいまして、決定的なのが太平洋戦争で唯一の「地上戦」でありました「沖縄戦線」です。
米軍の艦砲射撃によりまして首里城はすっかり焼け野原となってしまいました。
沖縄県のシンボルであります首里城の「城復元プロジェクト」は1985年度に発足し、首里城正殿の復元は1992年11月に「正殿復元が終了」しました。
プロジェクトのリーダーは「高良倉吉氏(琉球大学名誉教授・沖縄歴史学者:沖縄旅行1では書籍をご紹介しましたネ)」でした。
という番組でした。
せっかく復元しました首里城ですが2019年(昨年)10月31日、首里城正殿などが焼失してしまいました (TωT)
原因をネットでは「火元は正殿北東部で、電気系統のトラブルが原因とみられるが、断定はできなかった。」とあります。
<電気の「配電盤」と言うことを聞いた気がします>
私共が「初訪沖」しました1993年は首里城復元の翌年でして、「TVドラマ・琉球の風」が放映されたばかりでした。
まだ「漆のにおい」がしていまして「真新しい」って感じでございました。
「琉球の風」をネットには・・・
『「琉球の風 DRAGON SPIRIT(りゅうきゅうのかぜ ドラゴン スピリット)」は、1993年1月10日から6月13日まで放送された第31作目のNHK大河ドラマ。
16世紀末〜17世紀初頭、琉球王国が薩摩藩島津氏により支配されていく時代の人々を描いた。』とあります。
と言うことで幸いなことに、まさに「首里城再建された翌年でしかも琉球の風放映直後」に訪沖したことになります。
【沖縄の場所と気候】
沖縄の位置と沖縄本島は下の地図のごとくです。
(後述します「訪沖1~5」は沖縄本島が主でした。
那覇市は下の右地図の沖縄本島の南部にあります)
沖縄那覇と各地からの距離は下の地図のごとくでございます。
那覇の緯度経度をネットで見ますと「経度:約26度21分 経度:約127度70分」と本土より南西にあります。
沖縄の気候をネットでは・・・
亜熱帯気候の沖縄は、高温多湿で年間の降雨量も2000ミリを超える。
常に青い海と青い空が広がっているイメージだが、海に囲まれているため天気は変わりやすく、実は最高気温が35℃を超える猛暑日になる日数は少ない。
加えて冬に10℃を下回ることがほとんどないため、年間を通して過ごしやすい。
とあります。
(下の写真は、私が持っています(古い)パンフです)
【沖縄の記録性】
初めての訪沖(1993年)~2000年過ぎ頃までは、「HISTORY(我が家の年表)」に行程を書いただけでございました。
(感想などの記録がありませヌ)
やがて「汚い下の写真」のごとくA4版の用紙を4つ切りして、そこに「旅行のメモ」を取り、HISTORYのその日付に張り付けました。
(字が下手ですのでメモした自分の字の判別が・・・ァ!)
しかし、HISTORYが段々分厚くなってきましたので、「メモ帳(A4版の1/4の大きさ)」にメモをして、別途保管とすることにしまして今に至っています。
下の表は「沖縄(ノートより)」内の20回の訪沖一覧でして、そのうち15回のダイビングを赤枠で表示しました。
てなわけでございまして、以降は「沖縄(ノート)」を主にアップしますネ!
20回の沖縄旅行を「訪沖1~20」と表示します。
(ダイビングについては既に「水中散歩」で載せましたので省略です)
【訪沖1】 1993(H5)年6月19日~21日 (沖縄本島:夫婦)
やっと(笑)第1回目の訪沖の事を・・・
=行程=
6/19 名古屋空港11:25→那覇空港13:35→タクシーで浦添・N'Sマリン(真栄田岬で沖縄での初ダイビング)・夕食はM先生宅にて→ホテル(宿泊)
6/20 伊江島沖で2ダイブ→夕食(レストラン宝楽?ちばな?)・「四つ竹」で「琉球舞踊」
6/21 M先生の車で「ひめゆりの塔・ひめゆり会館」・昼食(沖縄そば)・午後タクシーにて「首里城」「旧海軍跡」→那覇空港18:35→名古屋空港22:35
=感想など=
6/19
・30年ぶりの再会の「当時の大学生」は、那覇の高校で先生をされていましたので「M先生」と表示いたします。
・夕食はM先生宅で、色んな食材が出た中でふーたんが「ゴーヤって?」と聞いたら、先生が部屋の引き戸をあけましたたら・・・
「へちま」のようにぶら下がっているゴーヤが・・・
6/20
・「四つ竹」での「琉球舞踊(琉舞)」の色鮮やかさと「サンバ(竹の楽器)」のリズムが心地よかったですヨ o(^-^)o
(初めて目耳にする「沖縄の踊りとリズム」でした。
「サンバ」は下の写真の楽器ですが、フラメントのカスタネットの音をイメージしてください)
6/21
・M先生にご案内頂いた「ひめゆり会館」では「関口宏ショー」の生放送で、「ひめゆり隊」の生き残りの方が出演されていましたが、この頃の私にはまだ「沖縄戦線」の知識はほとんどありませんでした。
・M先生は「昼食(沖縄そば)」を食べた後、「ハイ、私のご案内はここまで」と帰ってしまわれましたので、私共夫婦はアッケラカーンとしました。
タクシーを拾いましたら運転手さんが「首里城」「旧海軍跡」を回ってくれました。
タクシー運転手から「沖縄ではe(え)がi(い)、o(お)がu(う)になる」「私の三線の弟子が民謡酒場(後年、「田舎乙女」と分かりました)」をやっている」など色々話を聞いた。
初めての沖縄でしたが我々夫婦はすっかり沖縄が気に入りましたヨ (☆▽☆)
【訪沖2】 1994(H6)年6月12日~14日 (沖縄本島:友人・夫婦)
今回は我々夫婦にダイビングCカード取得を勧めてくれました水泳教室・ダイビングの友人と私ども夫婦の3人でございます。
=行程=
6/12 名古屋14:00→那覇16:10→N'Sマリン17:00頃(砂辺でファンダイブ)・夕食は「知花」
6/13 午前・慶良間諸島黒島沖でボードダイブと昼食・午後慶良間諸島座間味沖でボートダイブ・ホテルにてログ付け・夕食「うらしま」、「エル・フラメンコ」
6/14 ホテルチェックアウト後、泊港の魚の水揚げを見て空港へ。 那覇12:00→名古屋14:00
=感想など=
6/12
・砂辺の浜からのダイビング(ファンダイブ)の時、「フィンを履いて海に入るには後ろ歩きが良い」と教えてもらいました。
(今でも、水泳教室でフィンを履いた時に利用していますヨ)
・夕食は昨年、N'Sマリンの課長が連れて行ってくれました「宝楽」と「ちばな」を混同していますのでどちらかだったかな?でございます。
(当時は記録性に乏しくてメモをしていなませんでした。
下は那覇市街でパチリしました「鳳凰木」です))
6/13
・夕食はN'Sマリンの課長が「うらしま(沖縄の味と踊り)」へ連れていってくれました。
・夕食後、友人が記憶していました「エル・フラメンコ(ギターラウンジの店)」へ入ってみましたがすっかり気に入りました。
6/14
・友人が港へ行ってみたいと申しましの出、泊港へ参りましたら水揚げされた「シイラ」を見ました。
【訪沖3】 1995(H7)年6月23日~25日 (沖縄本島:12名!)
今回は水泳仲間とその友人、私の会社後輩など12名となりました。
=行程=
6/23 名古屋15:10→那覇17:20→ホテルエッカ(チェックイン)→田舎乙女→エッカにて宿泊
6/24 泊港→座間味沖(我々はダイビング)→泊港・N'Sマリン→エッカ→夕食・宝楽→エッカ泊
6/25 ホテル→首里城→沖縄総合海産物店→空港12:10→名古屋14:10
=感想など=
6/23
・初めての訪沖(1993年)に乗ったタクシー運転手さんが「三線の教室をやっている」ということを思い出しまして、電話帳で運転手さんの苗字から電話をかけてみました。
運転手さんは我々夫婦を覚えてくれていまして「田舎乙女(民謡スナック)」を紹介してもらいました。
タクシー運転手さんと奥さんも店にやってきましたので、14名でわいわいがやがやと大フィーバー!
(左の写真のドラムを打っていますのが私、その右で楽器を弾いていますのが「運転手さん」です)
6/24
・慶良間諸島への船内は船酔い者で大変なことになっていましたが、我々夫婦は甲板に居たので全くその修羅場を気付きませんでした (TωT)
私がまだまだダイビングをしたいばかりだったので気づきませんでしたが、「ダイビンググループ」と「観光グループ」に分ければよかったと後悔でございます。
・夕食はN'Sマリンの課長の案内で「宝楽」へ、その後昨年友人が見つけました「エル・フラメンコ」で前日の「田舎乙女」と同様に大フィーバー!
6/25
・首里城(下の写真)を見学した後、沖縄総合海産物店へ寄っていますが写真も記録もありませヌ!
【訪沖4】 1996(H8)年6月27日~30日 (沖縄本島:4名+4名)
=行程=
6/27 名古屋14::20→那覇18:05→サザンパークホテル谷茶ベイ20:00
6/28 本部港→伊江島沖で2ダイブと昼食(本部港)→沖縄記念公園→ホテル散策と夕食・宿泊
6/29 浦添港→慶良間諸島渡嘉敷島沖でダイブと昼食・座間味島沖でダイブ→浦添港N'Sマリン→ホテル西武オリオンチェックイン→田舎乙女→オリオン泊
6/30 那覇09:00→名古屋12:40
=感想など=
6/27
・リザンシーパーク谷茶ベイホテルは大きなホテルで、屋内外プールがあり、800mのプライベートビーチもありました。
「アダン」がパイナップルのような実をつけていましたヨ! (o^-^o)
6/28
・「沖縄記念公園」は1975年開催の「海洋博跡」で、現在は「美ら海水族館」があります。
6/29
・ダイビングのための浦添港」で、後発の4名と合流して8名でのダイビングとなりました。
・今年も私は「田舎乙女」で太鼓を。。。
6/29
・帰りの那覇空港での写真以外は写真がありませんし、当日の「記憶・記録」もありませヌ !(TωT)
と言うことでございました (o^-^o)
(では、訪沖5~をお楽しみに・・・ネ!)-
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