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  • from: ぽっぽさん

    2021年01月30日 09時23分39秒

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    3人の先覚者たち!

    皆さん、おはようございます\(^_^)/
    今朝はうっすらと積雪がありました。
    北海道から東北地方の日本海側は引き続き「雪模様」のようですね。
    おんさん、引き続きお気をつけくださいネ。

    私は既に1回目のアッシーを終えましたヨ!
    (朝8時半までに息子宅へ参りましたので、やはり「道路の凍結」に注意しました)

    お耳は昨日~今朝は随分と静かにしてくれて居ます\(^_^)/
    (いつも願っているのですが、このまま治まって欲しいです)

    今朝、起きましてPCを立ち上げ「メールチェック」をしました後、今日は大安ですので「確定申告」のフォルダーから「令和2年度」を作成しましたヨ o(^-^)o
    (確定申告者作成の開始! まぁ、ボチボチと参ります)

    【英雄たちの選択 衛生国家への挑戦〜3人の先覚者たち〜」】 良い内容でしたヨ!
    昨日のトピックに・・・
    >上記の「英雄たちの選択 衛生国家への挑戦〜3人の先覚者たち〜」は別トピックにて詳しく書かせていただきますが、3人の先覚者「緒方洪庵」「長与専斎」「後藤新平」は、江戸時代末期~明治初期の「蘭学(西洋医学)」を学び、日本の「衛生」に大きく貢献された方々です。
    >今の「新型コロナウイルス」の「水際作戦」のような対策は既に実施されていました。
    正に「古きを尋ね~」でございます。
    と書きました。

    江戸末期から明治初めの3人の先覚者の「感染症の取り組み」は、今回の「新型コロナウイルス感染症撲滅のヒント」になるのでは?

    まずはネットから番組紹介を・・・
    「衛生生国家への挑戦〜3人の先覚者たち〜」
    日本人は感染症とどう闘ってきたのか?  幕末から明治へ、日本人の衛生意識の向上に尽力した緒方洪庵、長与専斎、後藤新平
    3人の遺産は、今にどう受け継がれたのか。

    新型コロナウイルスに揺れる日本。
    日本人は世界規模の感染症とどう闘ってきたのか?
    第1回は、日本人の衛生意識の向上に尽力した3人の先覚者に着目する。

    幕末、天然痘の治療に革命を起こした緒方洪庵。
    その洪庵に学び、明治時代、コレラ撲滅の陣頭指揮をとった内務省初代衛生局長・長与専斎。
    日清戦争後、大陸帰還兵の大規模な検疫を成功させ、世界に日本の衛生力の高さを示した後藤新平。
    彼らは現代の危機に何を語りかけるのか?』
    とあります。

    番組で目につきました事などを書かせていただきますね。
    まずは「緒方洪庵」です。
    上記の番組紹介にありますごとく、江戸末期に「天然痘」が流行りました。
    当時は「三日コロリ」と言われた居たようです。

    特に子供に罹り皮膚が赤くなることから「赤色(痘)は赤色を好むだろうから」と言うことで病床の子どもの枕元などに赤い物をあれこれと並べたようです。
    西洋では「牛の膿(うみ)」を治療に使った「世界初のワクチン」、それを洪庵も試したようです。

    また洪庵は大阪に「適塾」という「蘭学」を教える私塾を作りまして、塾生には「大村益次郎」「橋本左内」「福沢諭吉」らがいました。
    緒方洪庵(蘭学者)は著書で「医は仁術」と書いています。

    次に「長与専斎」です。
    長与専斎も緒方洪庵の「適塾の熟生」でした。
    明治維新後の「岩倉使節団」の一員として各国を視察し、「土地の清潔」「品質管理」「貧民の救済」など学んでいます。

    帰国後、長与は文部省医務局に入りますが、当時は「コレラ」などが蔓延していましたので「日本の衛生事業」に携わり「生(命)を衛(まも)る」という意味の「衛生」という言葉を生み出しました。
    同時に「下水道」や「上水道」の整備をすすめます。
    (東京・神田に当時の下水道が残っています)

    その長与の文部省衛生局長の後任が「後藤新平」です。
    当時は、「日清戦争(1894年7月~1895年4月」があり、その戦時中「コレラなどの疫病」で死亡する兵士も大勢だったので、帰還兵が船で帰って来た時に「徹底した検疫(水際作戦)」を実施したのが後藤新平です。

    後藤新平が短期間で建設しました「検疫所」をTV画面をパチリ(「コロナ禍」につき、お許しを・・・)しまして下に載せます。
     ① 兵士たちは写真の左下から入りまして「荷物」を預けます。
     ② 服を脱ぎます。   ③ 入浴。   
     ④ 休憩室(預けた荷物や脱いだ服の検査・洗浄・消毒の間)

    どうでしょうか・・・!
    当時としましては、今の「新型コロナウイルス感染症」の水際作戦より「徹底」していたように思われます。
    新型コロナに対する「専門委員会(当時)」や「分科会(現在)」の面々はいったい何をしているのか?と「疑問だらけ」でございます!)

    緒方洪庵→長与専斎→後藤新平」と日本の衛生の取り組みは引き継がれていました。
    番組の「磯田道史氏」は「国民安全保障」という言葉で、番組を総括しました。
    大変勉強になりましたヨ!

    さて、昼食はデュ・マゴと、その後2度目のアッシーを。。。
    では皆さん、今日も「どっこいしょ!」と参りましょうね。

    【アッシーと昼食】
    まずは午前8時半前に息子宅へ着きまして、下の孫と同級生2名を乗せまして「学習塾」まで送りまして一旦帰宅しました。
    その間、ふーたんはデュ・マゴの昼食づくりに大忙しでしたヨ。

    ふーたんが作りました「昼食やコーヒーなど」を車に積みまして、今度は二人で息子宅へ。。。
    上の孫は起きていましたヨ o(^-^)o
    まずは上の孫と私が先に昼食を・・・
    (12時半前に下の孫が同級生のお母さんに送ってもらい帰宅しました)

    午後0時半になりましたので、今度は上の孫を乗せまして途中で同級生(下の孫の同級生の姉)を乗せ、学習塾まで送りました。
    (国道41号線との交差点にあります「マッキントッシュ」のテイクアウトは車でいっぱいでした)

    息子宅へ戻りまして、「麒麟がくる(再放送)」を見た後、「本能寺サミット」も。
    「麒麟がくる」を見ながら、お隣から頂く新聞記事を読んでいましたら、「Qアノン(アメリカの極右翼陰謀論)」の記事がありましたので、別トピックで・・・)

    退屈でしたので、ふーたんが下の孫に「トランプをする?」と聞きましたが「やらない」とそっけない返事!
    帰宅することにしました(/Д`)

    午後3時頃に帰宅しまして、ふーたんはコーヒーを入れてくれましたヨ。
    今日は寒いので「お散歩」は止めました。
    (昨日は「雪」でお散歩中止!)

    大事なお子さんを乗せましたのでやはり気疲れをしましたので、「確定申告」は後日としようと思います。
    ふーたん、今日も大張り切りでしたやはり疲れたようです。

    毎朝、ベッドを上げて風通しをしてありますので、そのベッドを戻しまして、お布団を敷き二人で「録画:新日本紀行・隠岐諸島」を見ました。
    (「隠岐」は確か「後鳥羽上皇」が流された島と記憶していますが?
    私共夫婦はお邪魔したことがありませんので興味がありましたヨ o(^-^)o)

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