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from: ぽっぽさん
2021年02月28日 10時15分34秒
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2回目のフランス旅行その1!
皆さん、こんにちは o(^-^)o
BGMはネットラジオで「ボサノヴァ」でございます。
お耳は「虫の音」が相変わらず元気ですが、残りの二人は静かにしてくれて居ますヨ\(^_^)/
【2回目のフランス旅行その1】 パリ市内とベルサイユ宮殿
今日の事は別トピックとしまして、「2度目のフランス旅行」を。。。
2度目の「渡仏」は鬼娘の結婚式のためでしたが、既に2020年7月にアップしてありますので、その時のトピックを元にちょっと編集しますネ!
長くなりますので2度に分けてアップします。
2020年7月にアップしました時は「鬼娘」としましたが、「結婚式」でございますので「娘」としますネ o(^-^)o
【準 備】
・フランスへの行程が9日間と長いし費用も掛かるので同行者が限定され、ふーたんの姉夫婦が同行してくれる事となった。
息子夫婦は2005年4月30日に長男が誕生したばかりなので、行けなかったのが残念でならない。
(下は我々の「初孫」。 今は中3で高校受験! ふわぁ~!)
・航空券は我が町のHISで2005年3月14日に下記日程で予約した。
6/18、10:10セントレア発AF295便、15:35パリ着。
6/25、13:05マルセイユ発AF7665便、14:35パリ着
6/25、18:15パリ発AF296便、6/26、13:10セントレア着 (パリ・セントレアの往復はJALとの共同となった)
・娘に我々が乗る便を伝えたら娘からはその便に合わせて、何度もパリやアプトでの見学場所などのスケジュールを下記のとおりメール添付して来た。 <シャルトルがベルサイユ宮殿に変更>
(個人名の箇所は編集しました)
・カメラは「初めてのフランス旅行」と同様、「アナログ(フィルム)一眼レフカメラ」と「コンパクトデジカメ(コンデジ)」ですので、写真で「アルバムより」などとありますのは一眼レフカメラのフィルムを写真にしてアルバムに収めたものをコンデジでパチリしました。
・なお、「一眼レフデジタルカメラ(NIKON-D80)」は2008年5月4日やっと買いました!
【自宅~パリ・ベルサイユ宮殿】
上記のスケジュールで6/18~6/21までをアップしますネ!
2005年6月18日
・我が町の名鉄でふーたんの姉夫婦と合流、中部国際空港(セントレア)へ。
・飛行機はJALとの共同のため便名はJL437便で、離陸は予定より20分程遅い10:30頃であった。 座席は各々窓側2席ずつである。
・パリへの到着は、フランス時間(3月中旬~10月中旬はサマータイムなので日本より7時間遅い)予定の15:35より5分早い15:30分頃である。 ちょうど12時間のフライトであった。
・入国審査でも人がほとんどいないので「ここで良いか?」と下手な英語で係官に聞いてみたら「良い」との事なので入国審査を受けたが、すんなりOK。
・到着ロビーをキョロキョロと荷物のターン・テーブルにたどり着き、娘と婿がガラス越しに笑顔を見せてくれたのでホッとした。
・「高速郊外地下鉄(RER:エール・ウーエール:Reseau Express RegionalのB線。 シャルルドゴール空港→パリ北駅)」に乗り込んだ。 エアコン無しと云う懐かしい?車両であった。
・パリ・北駅に着くと婿は両手に軽々とスーツケースを持ってタクシー乗り場へ急ぐ。 2台のタクシーに分乗して、快晴の「パリ・コンコルド広場」や「ルーブル美術館前」を通ってサン・ジェルマン通りを横切り「ホテル・セント・ペー(下の地図参照)」へ着いた。
・このホテルで3泊した。 パリは連日30度を越したが湿度が少ないので過ごし易かった。 夜は気温も下がりひんやりした。
(ホテルはセーヌ川やルーブル美術館・ノートルダム教会などに近くて便利)
・ホテルの部屋で一息ついた後、娘と婿の案内で「セーヌ川」辺りを散策した。 機内で貰った「JAL GUIDE PARIS」の地図が随分役立った。
・「サンジェルマン・デ・プレ教会」からセーヌ川に架かる若者達の溜まり場の橋を渡り、「PONT NEUF(ポン・ヌフ:パリ最古の橋)」で折り返して、「ビストロ(簡易食堂か居酒屋のような意味らしい)」で夕食を取った。
早速、ワインで乾杯。 まず一息着いた。 夜10時半を過ぎていてもほの明るい。 歩きつかれたのでホテルの部屋では早々に眠る事にした。
・パリの発祥地は「ノートルダム教会(寺院)」などがある「シテ島(セーヌ川の中島。紀元前3世紀頃、ケルト系パリシー族が住み着いたのでその名がパリの語源となった)」だ。
我々のホテルはシテ島の南西、パリ大学の南のサン・ペール通りにある。
6月19日 <日> 2日目
・午前中にスケジュール通りまず、ノートルダム教会へ行く事とした。 ホテルからサン・ジェルマン通の「サン・ジェルマン・デ・プレ教会(昨夜、通った)」を抜けて、セーヌ川のシテ島のサント・シャペルへ寄ってから、ノートルダム教会前の広場に出た。
・ノートルダム教会(寺院)は1163年から200年かけて建てられた、ゴシック建築の最高傑作の大聖堂であり、1804年にはナポレオンの戴冠式が行われた。
・婿は午後にアプトへ向かうのでノートルダム教会を一周し、セーヌ川の風物詩であるアコーデオン弾き(アコーデオン弾きとは別の場所で若者がテナーサックスを吹いていた)を見てからしばらして別れて、我々は娘の案内で昼食をする事にした。
・ロダン博物館(Musee Rodin)前ではチケット購入で列が出来ている、日本なら自販機があるのだが。 ロダン博物館はロダンが没するまでの9年間を過ごしたビロン邸だ。
・ロダンの「考える人」は屋外に雨ざらしになっていた。 博物館内を足早に見て周り、綺麗な庭のブロンズを見て、やはり雨ざらしの「カレーの市民」を見て、ふらふらと帰路をたどった。 ホテルでシャワーや仮眠をした。
・娘たちが予約してくれていたレストランで夕食をした後、「セーヌ川クルーズ」は時間がないので、レストランでタクシーを呼んで貰いシャンゼリゼ通りで降りて「凱旋門」へと向かったが、私が誰にも告げずにデジカメで凱旋門の遠望を撮っていて、皆とはぐれてしまったたので娘に叱られた。 <怖い! やはり「鬼娘」ェ! o(^-^)o>
・凱旋門(Atc de Triomhe)はナポレオンの勝利・栄光記念として1806年に建築を始め、1840年に完成。 ローマのコンスタンティヌス帝の凱旋門を手本としている。
・凱旋門は、幅45m・高さ50mととても大きな物だった。 一枚の門かと思っていたがサイコロの下部を4方向に出入り口用に切ったような四角だ。
・帰りはタクシー、ホテルへ着いたらぐったり疲れて早々に眠ってしまった。
6月20日(月)3日目
・05:30過ぎにホテルを出て(昨日、ドアの開け方を教えてもらった)セーヌ川のカルーゼル橋(ルーブル美術館前)で、ルーブル美術館からの日の出を待ったら、06:45頃太陽が顔を出した。 デジカメで撮ってみたがあまり良い出来栄えではなかった。
・朝食はホテル1Fのレストラン。
娘が「<ウエディング>ドレスの調節」をしに店に行くので、我々4人でルーブル美術館へ見学に行く事とした。
(下の写真はアルバムより)
・ルーブル美術館(Musee du Louvre)は、12世紀のパリの要塞として建てられ、19世紀・ナポレオン3世時代に宮殿として完成。
1793年に美術館として公開、当時は歴代国王のコレクション・ナポレオン1世の戦利品などを展示していた。 現在は30万点を超える作品を所蔵。
・我々は「サモトレケのニケ像」「モナ・リザ(ダ・ビンチ)」「ミロのビーナス」等を見学したが、1999年に行ったロンドンの大英博物館と同様、一日やそこらでは到底見学しきれるものではない。 2Fのコーヒーコーナーで休憩する事とした。
<写真は自由に撮っても良いとのこと・・・ o(^-^)o>
・地下鉄サン・ジェルマン駅から地下鉄4番線の3つ目のモンパルナス駅で降りて「モンパルナス・タワー(高さ209m」の展望台と屋上からパリの町を見下ろした。
・婿お勧めの「ナポレオンの墓(アンバリッド廃兵院のドーム教会地下の墓所にナポレオンの遺体が安置)」「エッフェル塔(1889年万博記念でエッフェルの設計で建設され、現在の高さは324m)」「凱旋門」、右手には「ルーブル美術館」などが確認出来たし、反対側は新しいパリ(ビジネス街)などが望めた。
・次に「ポン・ヌフ橋」の乗り場からセーヌ川クルーズを楽しむ事とした。 船は川上へ向かい、シテ島のノートルダム教会を回り対岸沿いに下り始めた。
「エッフェル塔」辺りでUターン、クルージングは約1時間。
(エッフェル塔の写真はアルバムより)
・夕食はイタリアンレストラン。 冗談を言いながらの楽しい夕食であった。
帰りはサン・ジェルマン・デ・プレ広場の有名な「レ・ドゥ・マゴ(Les Deux Magots:二匹の猿の意味。 サルトルやボーボワールなど文人が議論を交わした有名なカフェ)」を見ながらサン・ジェルマン通りからホテルへ戻った。 疲れたのですぐに眠ってしまった。
<「ドゥ・マゴ」へは、2014年8月13日にリベンジで「昼食」をしましたヨ\(^_^)/
我々の二人の孫を「デュ・マゴ」と呼ぶのはこのカフェの名をもじったものです o(^-^)o>
6月21日 (火)4日目
・朝食は1階レストラン。 食後、チェックアウトをして荷物をフロントに預けイザ!「ベルサイユ宮殿」へ!!!
当初は「シャルトル教会」を案内してもらう予定だったが、「ベルサイユ」という言葉の誘惑に勝てず変更して、ベルサイユ宮殿へ連れて行ってもらうこととした。
1時間弱位の乗車時間で終点のベルサイユ駅へ着いた。 徒歩15~20分位で広い宮殿前広場に出たが舗装はしてないので、大事な皮靴がホコリだらけになってしまった。
・ベルサイユ宮殿は17世紀初、ルイ13世が狩猟の館を建てたのが始まりで、太陽王ルイ14世が当時の最高技術を駆使して名だたる宮殿に仕上げた。
ルイ16世とマリー・アントワネットが挙式した「王室の間」や壁面に578面の鏡で作られた「鏡の間」などと、広大なフランス式庭園が圧巻だ。
・まだ混んでいないくてラッキー! 鬼娘が入場券を買いに行っている間に、日本語と英語の案内パンフレットを貰った。
・やはり「鏡の間」は大人気で混み合っていた。 カメラ禁止のはずだが皆(外人?も・・)撮っていたので私も鏡の間などを少し撮れせてもらった。
・広くて回り切れないので中庭へ出てみたが、庭も馬鹿広い。
日本人観光客に、デジカメの記念写真を頼んだが残念ながら電池が切れた。
・宮殿を後にする頃には入場者の長蛇の列! 早く来て良かった。
・予約時間の13:15、ホテルにタクシーが来て「リヨン駅」まで行った。
(娘たちの結婚式のため「パリ→アビニョン→アプト」へ)
リヨン駅構内で昼食を取ったが、私は食欲が無かったので構内の電光掲示板で我々が乗る「TGV(テージーべー:Train Grande Vitesse フランスの新幹線で300kmと世界一のスピード)」の乗り場を確認した。
14:20発マルセーユ行きはG番とある。
・TGVでアビニョンまで行くことにしたのは私のリクエストだ。
チケットは婿のお父さんが買いに行って呉れた。(感謝!)
・「線路が狭軌」なので車体は日本の新幹線より細い。(私どもの町に走っています私鉄みたい・・・)
2階の指定席で、車窓からどこまでも続く田園風景を見ているとウトウト眠ってしまった。
・下の写真は「一眼レフカメラ(アナログカメラ)」でガラス越しに取りました「TGV」です。
せっかく私のリスエストで新幹線に乗ったのですが、ベルサイユ宮殿で電池が切れてしまいましたので、TVGはたったこの1枚だけです・・・残念!
さて、次回は娘の結婚式を・・・ふわぁ~! o(^-^)o
(「ジュンブライド」でしたよ)-
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