新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

たんぽぽ

たんぽぽ>掲示板

公開 メンバー数:38人

チャットに入る

サークル内の発言を検索する

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: ぽっぽさん

    2024年03月28日 08時39分38秒

    icon

    アウシュビッツに潜入した男!

    皆さん、おはようございますゥ~!
    BGMは「FMラジオ」で今はクラシックカフェを。。。
    お外はどんよりと曇り空でございます・・・はて、お散歩は?

    さて、まずはお耳でございますが昨夜~今(午前8時30分)の「ピチピチ君・ピチッ!」発生はありませんし、「虫の音」も静かでございます。
    お目々・足腰も静かでして、歯もマーマーでございますので、久しぶりに「全て良し!」ってな感じでございますゥ~!\(^_^)/
    (でも、昨夜の入浴時にもかかさず「足・耳回り」のマッサージは欠かしていませんヨ!)

    【カラスの害ィ!】  ワタシを「狙い撃ち」でしょうかねぇ!?
    今日は木曜日でございますので、午前8時前に「可燃ゴミ」を出しに行きましたがァ!
    やはり「カラスの害(下の左写真の矢印)」が・・・私が当番の時を狙っているのかなァ! (TωT)
    (先回よりは被害は小さかったですが・・・
    P.S.:「お掃除当番」でございますので、午前11時過ぎに「生ごみ回収後の網の片付け」をしに行って参りましたが、その後のカラスの害はなさそうでございましたヨ\(^_^)/)

    【アウシュビッツに潜入した男!】 1カ月?程前に録画しましてやっと昨夜見ました!
    番組紹介をネットには・・・
    『第二次世界大戦の最中、ドイツ軍に捕らえられるよう画策し、アウシュビッツ強制収容所に送られたピレツキは、ポーランド政府などに収容所内の情報を送り続けた
    生き延びることさえ困難な状況下で内部組織を構築し、蜂起して収容者全員を解放する計画も抱いていたが、断念。
    2人の仲間とともにアウシュビッツからの脱走に成功する。
    原題:AUSCHWITZ:THE INSIDE MAN(フランス 2022年)』・・・とあります。

    番組では、「ヒトラーの人種差別は、アーリア人だけが優秀で、スラブ人→アジア人→黒人→ユダヤ人の順に人種差別をした」旨のことを言っていました。

    また、「アウシュビッツの監視には囚人などが当てられた」旨のことを言っていました。
    ロシアがウクライナに侵攻しましたがロシア兵はやはり犯罪人などが当てられたようですので、プーチンもヒトラーと変りない「ノーミソ」だと思いました。

    また、ピレツキ氏を題材とした書籍紹介には・・・
    『ポーランド軍人、ヴィトルト・ピレツキは1940年9月、自ら志願してアウシュヴィッツへ潜入し、収容所に反ナチ組織を築いたが、発覚寸前の948日目に脱走する。
    その後も抵抗を続けドイツ敗戦の45年、ピレツキは英雄として祖国に迎えられるはずだった
    しかし、ナチスに変わりポーランドを支配したのはソ連であり、彼は次なる敵に対峙するためワルシャワに潜伏する。
    <19>47年に逮捕。   拷問、裁判ののち、<19>48年死刑執行された。

    戦後70年である2015年は、アウシュヴィッツ解放70年でもある。
    1939年ナチス・ドイツに蹂躙されたポーランドは、その国内に絶滅収容所をつくられ、ユダヤ人とともにポーランド人もまた多く収容された。

    本書の主人公、ヴィトルト・ピレツキはドイツに占領されたのちロンドンに移ったポーランド亡命政権の騎兵士官で、収容所の実態を世界に知らしむため、かつその解放を目指し、自ら志願してアウシュヴィッツへ潜入した。  1940年9月21日のことだった。
    その後、収容所内に地下組織を築き、悲惨な状況を外部へ伝え、同胞のサポートに回った。
    しかし、ドイツ側の監視の目にその行動があぶりだされる寸前の1943年4月27日、947日間の潜伏から収容所を脱走する。
    その後もナチスへの抵抗は終わらず、44年8月のワルシャワ蜂起までゲリラ戦を挑む。
    蜂起の失敗後はナチスの手に落ちるが、翌年ドイツは敗戦を迎える。

    ナチスに対し勝利したことで、ピレツキは英雄として祖国に迎えいれられるはずだった
    しかし、ナチスに変わりポーランドを支配したのはソ連だった。
    <19>45年以降、ピレツキは亡命政権の一員として反共産主義の戦いを挑むようになる。
    ソ連の傀儡と化した革命政権下のワルシャワに潜入するも、47年に逮捕される。
    拷問、暗黒裁判ののち、死刑確定。  48年に処刑された。
    その後ピレツキの名は、ポーランド史から抹殺された。
    その名と功績が再評価されるのには世紀が変わるまで待たなければならなかった。』・・・とあります。

    ピレツキ氏はその「偉業」を称えられることなく、処刑されてしまったのですよね。
    でも、上記のTV番組や書籍で紹介される通り「英雄」であることには間違いないと思います。
    当時の戦況のさなか、命を投じてアウシュビッツに潜入し、情報を伝え続けたことに、ただただ頭が下がる思いであります。
    やはり「偉大なるポーランドの英雄」でございます!
    (下の写真は「無料イラスト」からでございます)

    今朝は大変重いトピックとなりました。
    皆さん! 本日も「エイヤー!」と参りましょうね。
    (今日は雨が降らないうちに「ノースポールの小さな苗」を移植しようかなあ)

    【ノースポール苗の植え替え・元肥・砂利の追加】 予定通りでございましたヨ!
    = ノースポール苗の植え替え =
    作業は午前9時45分頃から10時前頃でございましたが、苗が結構多かったのであちらこちらに植えましたヨ!\(^◇^)/

    まずは下の写真の上段は「ノースポールの苗」を抜く前と抜いた後のプランターです。
    (苗が結構多かったので、抜いた後もだいぶ残っておりますゥ~!)
    まずはプランター横にあります「植木鉢(先日「葉ボタン」を抜きました)」の葉ボタン後に植えました。
    (ちょっと少なかったかなぁ?)

    それでもまだ苗がありますので、玄関左にあります「金木犀(きんもくせい)の下」に下の上段写真のごとく「2か所」に植えました。
    まだまだありますので、庭に持って参りましてレンガの横に植えましたらァ~!
    カタツムリ」が・・・\(^_^)/

    そして残りは「ネギの横(下の左写真の矢印)」へ植えましたが、1本チョロリンとあまっていましたので、「ローズマリーのプランター(右写真)」の端っこへ。。。

    = 元肥ィ~! =  西の貝塚伊吹の下でございます。
    苗の受け変え後、今年は「元肥」がやっていないと気付きましたので、毎年のごとく我が家の「西の貝塚伊吹の花壇(かな?)」に施しましたヨ。
    ここには「貝塚伊吹」と共に「ノウゼンカズラ」もありますので・・・
    (元肥を施した後に「パン箱に入れてあった土」を掛けまして、パン箱は物置に・・・)

    = 砂利の追加ァ~! =  猫の額の水たまりでございますゥ~!
    先日の雨の時、ふーたんが「何とかしてよネ!」と申しました、猫の額の水たまりなんですが、既に「砂利」を敷いてはあるのですが敷いた横に藻水たまりができます。
    そこで、以前に撒きました「砂利の残り」と先日、元会社後輩の畑駐車場で頂きました「砂利(まだ一袋あります)」を小分けいたしまして撒きましたが・・・さて?

    お天気が怪しくなってまいりましたので、午後に予定を致しております「お散歩」・・・どうなりますやら、フッ!

    このトピックが長文になりましたので、「お散歩」以降は次のトピックで!

    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件