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from: ぽっぽさん
2024年04月30日 13時54分10秒
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戦争の犠牲 目背けずに
皆さん、こんにちはァ~!
今日は午前中に少しだけ日差しがありましたが、その後「雨」でございますので、お散歩も諦めました。
まずはお耳でございますが、大平洋上に低気圧が通過している関係でしょうか?
昨夜から今(午後1時55分)の「虫の音」は「元気」でございます (TωT)
お目々・足腰は静かですし、歯は今日も「歯磨き時に多少違和感」を感じますがマーマーでありがたいです\(^_^)/
さて今日の出来事などは別のトピックといたしまして、登山リーダーから頂いた頂いた新聞記事の中から、「4月中旬の新聞記事」が目につきましたのでご紹介を。。。
(かなり難しい内容ですが・・・いささか「長文」でございます!)
【戦争の犠牲 目背けずに】 柳沢協二氏(元内閣官房副長官補:安全保障・危機管理担当)
ー 戦争が起きれば自衛隊員や住民の中に犠牲が出る。
その事実から政治家も国民も目を背けていないかと、「柳沢協二氏(元防衛官僚)は問う。 <Q&A> ー
= 戦地に「命」送る側 臆病であるべきだ イラク派遣の反省 =
▲<柳沢氏は>米国主導の戦争が起きていたイラクに自衛隊の部隊を派遣する政策を、2004~<20>09年の間、内閣官房副長官補として支えた。
近著で「戦死」というものを初めて身近に感じたと書いていますが?▼
・部隊派遣の決定は私が着任する直前に行われていたが、派遣延長を命じる閣議決定文書の起草者は私だった。
派遣を命じたのは首相だが、もし隊員に犠牲者が出たら、私も首相に進言する者としての責任を免れないと感じていた。
▲自衛隊は一人の死者も出さない形で、イラクの責務を<20>09年に終えたが。▼
・官僚としての達成感を抱いたが、「もし犠牲者が出たら隊員のご家族に何を言えるのか、どういう意味のある犠牲なのか」、その答えを見つけられない現実が自分の中にあったから、「誰も死ななかったから良かった」で終わっていいのかという疑問が残った。
・(20)15年には、イラクに派遣された延べ約1万人の自衛隊員のうち、「29名が在職中に自殺した」事実も明らかになった。
戦地にひとを送り出す人間として、当時考えていたのかと問われたら。。。正直、考えていなかった。
▲イラク戦争の大義は「イラクが保有する大量破壊兵器の脅威を除去する」ことだったが?▼
・米国が掲げた大義を支持していたが後になって、イラクには大量破壊兵器は存在しないことが明らかになったので、「必要のない戦争」「無駄な戦争」だった。
・退官後に組織の理論を離れて一人の人間として、私は「政策決定者は失われる命に対して臆病であるべきだ」という考えに至った。
失われるかもしれない若い人々の命に関しては、臆病であるべきだ。
人を戦地に行かせる側が勇敢であってはいけない。
▲「非戦」を掲げつつ戦争のリアリティーを知ろうと訴える活動を、元自衛隊幹部や安全保障研究者らとともに続けているが、非戦と戦争のリアルはっどうつながるのか?▼
・戦争は絶対にダメだと言っても現実に戦争は起きているし、戦争の原因になる対立も存在する。
・対立が厳しいからこそ、戦争という手段に訴えない形で対立をどう管理していくかを考えるべきだ。
<それが国連の「安保理」だと思うのですが?>
▲戦争ではなく「外交」をすればいいとよく聞くが?▼
・戦争を避けるための外交は嫌いな相手の言う理不尽な主張との間に折り合いをつけるということだ。
だから政治家も有権者も、戦争という政策を選んだ場合の犠牲を認識しておく必要がある。
・妥協によって生まれる損失の大きさと戦争によって生じる犠牲の大きさを比較したうえで、したくもない妥協の道を選べるかどうか。
非戦の成否はそこにかかっている。
= 非戦のための外交 想像力掛ければ誤る 人生は個人のもの =
▲いま日本の政権は、異次元の防衛費増大を目指したり、敵基地への攻撃能力を持とうとしたりしているが?▼
・エネルギーも食料も自給できず、政治が内向きで国民も現状維持に流れがちな日本は、そもそも戦争を得意とする国ではない。
・防衛費を増やして敵基地に届くミサイルを持つことで強くなれるかのような錯覚に陥ることは危険だ。
▲自民党の麻生太郎副総裁が昨年8月に台湾での講演で、中国の軍事的圧力を念頭に置いた発言で「日本と米国、台湾は戦う覚悟が求められている」と語ったが、柳沢氏は「腹立たしかった」とこの発言を批判したが▼
・「自衛隊員の命をどう考えているのだ」という怒りだった。
<麻生氏の発言は>「政治家による余計な挑発が実際の戦争の危険を招き寄せてしまう典型例だった」と思う。
▲麻生氏は戦争を起こさないためには抑止力が必要であり、それには戦う覚悟が不可欠だと言ったが?▼
・抑止力の一般的な説明としてはその通りだが、問題は誰にどのような犠牲についての覚悟を求めているのかを政治家が説明していないことだ。
・台湾の領土や政権を守るために自衛隊員や国民に犠牲が生じることを、日本の有権者として受け入れるのか否か。
そのことを国民は考える必要があると思う。
・政治家は国民が判断するための材料を明確に提供すべきだ。
犠牲への想像力を欠いた勇敢さは、国を誤らせるもとだからだ。
▲日本の政治家が戦争の犠牲の問題について具体的に語らないのは、国民から批判されると恐れてるからか?▼
・私は「思考停止の結果」だろうと思う。
「抑止力を整備すれば戦争にはならない」と語るところまでで思考が止まっていて、実は裏側に「だから戦争になった場合の犠牲を考える必要はない」という言葉が張り付いているという状態だ。
▲そもそも日本国民は万一の戦争の際、自分や家族が国家の犠牲になることを覚悟しなければいけないのか?▼
・そうではない。
戦前の国家総動員のように国民を強制的に戦争に動員することは、日本国憲法のもとでは認められない。
戦時に危険を伴い役割を担うかどうかは、一人ひとりが自分の胸に手をあてて考えるべきことになっている。
<果たしてそうでしょうか? もしそうだとすれば「益々右傾化の自民党」を支持するのは如何なものでしょうか?>
・だから、戦争と犠牲の問題を考える際の現実的な問いは、命を危険にさらしても守りたいと国民が思える社会かどうかだ。
寺山修司は「身捨(みす)つるほどの祖国はありや」と問うたが、「ひとは自分を守ってくれる社会を守るのだ」と私は思う。 <なるほど・・・!>
▲ウクライナや中東で戦争が広がり、市民の犠牲も増えれいるからこそ、日本で「戦う覚悟」を迫る政治家が台頭しているという面もありそうだが?▼
・こういうとき、気をつけなければいけないのは、英霊思想の台頭だ。
ロシアのプーチン大統領はウクライナ侵略で命を落とした兵士の母に「彼の人生は無駄ではなかった」と語った。
<これは>国家のために犠牲になることは有意義とする、英霊の思想だ。
そこには他者の人生を自分の道具と考える政治指導者のおごりがある。
<太平洋戦争時の「日本軍部」みたいですねぇ>
▲権力者に道具として利用されず、犠牲の問題を冷静に考えて行くためには、何を大事にしていけばよいのか?▼
・自分の人生の目的を他者に強制されることなく自分んできめることが、ひとがひととして生きる原点だと確認すべきだ。 <大賛成でございます!>
日本国憲法では、個人の尊厳や幸福追求権を定めた「第13条」などにその精神が刻まれている。
・そしてそうした価値に対する「畏怖の念」を持つことこそが政治の原点だと考えるべきだ。
・私は非戦にこだわる理由に一つは「他者の人生を決める権限」は私にはないからだ。
防衛官僚だったころ、私の主な仕事は「憲法第9条と安全保障政策の整合性」を考えることだった。
でも、今は戦争の問題を考えるならばまず第13条に注目すべきだと考えている。
・・・と大変難しい内容でございます。
記事中にあります「憲法第13条」をネット検索しますと・・・
『第十三条
すべて国民は、個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。』・・・とあります。
<ぽっぽ評論家の弁> 勝手なる意見でございますがァ~!
・「日本国憲法」はふーたんが申しますように「世界遺産」にしてもよい立派な憲法だと思います。
・憲法第9条には「戦争の放棄」が述べられています。
しかし「自衛隊の存在」そのものは「憲法違反」でございます。
まして、米軍との軍事演習や海外派遣などはもってのほかでございます。
・一方、近年「我が国の武器輸出」があたかも当然のように言われるようになりました。
「武器の製造」そのものも「憲法違反」だと愚考いたします。
まして、輸出などとんでもないことでございます。
・では、我が国はどうすればよいか・・・一つの方法といたしまして、いつも申して
おりますごとく「永久中立国」宣言でございます。。。
さて、皆さんは如何にお考えでしょうか?-
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