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  • from: ぽっぽさん

    2024年06月18日 12時32分49秒

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    沖縄のTV2番組!

    皆さん、こんにちはァ~!
    昨夜からの大雨が今(午後1時10分)は治まりかけています。
    BGMは私が編集しました「沖縄民謡三昧」をメディアプレーヤーで聴いています。

    さて、まずはお耳でございますが昨夜~今(午後1時10分)の「虫の音」は「前線の活動が活発」にもかかわりませず「割と静か」ですのでありがたいです。
    お目々と足腰は静かでございますが、相変わらず歯磨き時に「右上歯茎に痛み」が、さらに「左上歯茎の痛み」も再開みたい・・・!(T-T )

    朝食後は「録画(沖縄関係を2本)」を見ていましたのでアップいたします。
    (今日のことは別のトピックにて・・・)

    ◆◆ 沖縄のTV2番組!  ◆◆

    = 「沖縄に関するNHKTV番組」を録画で見終えましたのでご紹介を。。。 =

    まずは2番組の内容をネットでは・・・
    【ETV特集 汚名 沖縄密約事件 ある家族の50年 (初回放送日:2024年5月11日) 】
    『沖縄返還時<1972年5月12日が沖縄返還でした>の日米の密約に迫った新聞記者、西山太吉の逮捕から52年。  <なぜ逮捕されなければいけなかったのか!>
    起訴状に書かれた「情を通じ」が国家の密約の問題を男女のスキャンダルへと塗り替えていった。
    渦中にあった太吉の妻、啓子がつづった日記がある。
    国の圧力や社会の好奇の目の中でもがき苦しんだ夫婦の記録でもある。
    著書「密約」で知られる作家、澤地久枝が読み解く啓子の葛藤。
    残された家族が初めて知る両親の苦悩。事件に翻弄された記者と妻の思いに迫る。』・・・とあります。

    【BSスペシャル 強いられた沈黙〜発掘・沖縄の米軍犯罪記録〜 (初回放送日:2024年6月6日)】
    『米統治下の沖縄で起きた米軍関係者による事故や犯罪の膨大な記録が見つかった。
    琉球政府法務局が作成したとみられるこの文書を分析し、沖縄の知られざる痛みを見つめる。

    殺人、傷害、強姦、放火...1945年から1972年までに発生した約900件には、沖縄の人々のうめきが満ちている。 <番組では900件は「氷山の一角」といっています>
    今回、ひとつひとつの事件・事故を場所や内容ごとにデータ化して分析、アメリカ統治下で多発していた米兵による犯罪の全体像に迫った。
    戦後79年、今も基地と暮らすことを余儀なくされている沖縄。
    本土復帰から半世紀以上にわたって沖縄社会が背負わされてきた問題と、今も続く混乱の原点を見つめる。』・・・とあります。

    = ぽっぽ解説員の勝手なる意見 =
    ・真っ先に言いたいことは「太平洋戦争」は「大本営の無謀・愚策の結果」だと愚考いたします!
    ”神風が吹く!”という精神論一本やり」で情報の収集分析もなく、ただただ突っ走った結果、「日本人だけでも310万人もの戦死者」を出してしまいました。
    そもそも平安時代に台頭してまいりました「武士」が段々勢力を拡大してまいりました延長上に「太平洋戦争」があったと思っております。
    ・「沖縄」に関する「たんぽぽのトピック」は「沖縄」で検索しますといくつも出てまいりますのでこのトピックの末尾に少し載せさせていただきますが、今年は「戦後79年」「沖縄返還52年」でございます。
    ・太平洋戦争での「唯一の地上戦」が起きました「沖縄」では、戦後もアメリカの統治下にありましたし、沖縄返還後も米軍の駐留は継続でございましたので、様々な事件・事故が起きましたが、全て「泣き寝入り」でございます。
    番組内で「(沖縄住民を)ドブネズミにしか思っていない」という言葉に絶句でした。
    ・「米国の統治下・米軍駐留」で苦しみに苦しんでいます沖縄の住民の真の声を伝えたのが上記の2番組でございました。
    岸田は「米国とのさらなる強い信頼関係」などを申しますが、「日本は独立国」でございますので、「役立たずの大飯喰らい用心棒=在米米軍」をとっとと掃き出して、アジアの国々との友好に力を注ぐべきではないかと愚考いたします。
    ・それと以前から「たんぽぽ」で訴えていますが、「太平洋白書」を政治家抜きの「専門家だけで作成・公開」して欲しいと切望致しております。
    ・なお、今のTV番組ではアハハアハハと笑うだけの「バカ番組」によって、私共国民を「愚民化」しています。

    皆さん! ちょっと目線を変えて「政府のやっていることを見つめ直して」みませんか?

    【参考:過去のトピックより】  割と新しいトピックでございます!
    = 沖縄戦線に関して =  2023年6月23日「沖縄慰霊の日」のトピックより
    『沖縄戦の道内出身者の犠牲、なぜ沖縄に次ぐ多さ?3つの分岐点
    今年<2022年>、沖縄が本土に復帰して50年の節目を迎えた。
    太平洋戦争末期、住民を巻き込んだ大規模な戦闘が沖縄で繰り広げられ、20万人以上が亡くなった。
    沖縄戦では多くの道内出身兵士<北海道内>も米軍と戦い、1万人以上が犠牲になった。
    沖縄県を除けば、犠牲者の数は都道府県別で最も多く、北海道に次ぐ福岡県の2倍以上に上る。なぜ、これほど多くの道内出身者が犠牲になったのか。
    理由を探ると、三つの分岐点が見えてきた。

    沖縄県平和祈念資料館のホームページには「沖縄戦で沖縄についで北海道出身者の死亡が多いのはなぜか?」との質問がある。
    回答は「北海道出身者の多い第24師団は、当初満州に派遣されていたが、1944年に満州から沖縄に移動になり、そのために多くなったと思われる」。

    沖縄県史によると、45年(昭和20年)3月時点で、沖縄本島に配備された日本軍の正規兵力は約8万6400人。
    これに加え、防衛隊などとして動員された地元住民を含めると、日本軍の戦力は約10万人。
    一方、米軍側は後方支援を含めると、50万人以上の兵士を投入したとされる。

    旧陸軍で沖縄の防衛を担ったのが第32軍(牛島満司令官)で、主要な部隊は第24師団、第62師団、独立混成第44旅団だった。
    1990年に米国で発表された論文では、第24師団の兵力は約1万4千人と記されている。
    一方、沖縄県平和祈念資料館によると、各師団の正確な人数などは不明という。

    なぜ、第32軍の主力だった第24師団に北海道出身者が多かったのか。
    旭川を本拠地とした第7師団などの資料を展示する北鎮記念館は、「留守師団歴史」と題された文書を所蔵している。
    終戦直前に焼却を命じられたが、担当者が重要な書類と考え、保管していた機密資料の一つだ。
    太平洋戦争が始まる前年の<19>40年8月の欄に、次のような内容の記述がある。「これまで第8師団(青森県弘前市)が担当していた第24師団の留守業務は、8月1日から第7師団の担当に変更される
    <つまり「留守業務」だった北海道出身者が多い24師団が沖縄戦線に駆り出されたようです>

    = 沖縄返還に関して=  2024年5月15日「沖縄返還の日」のトピックより
    【裏切られた沖縄県民!】  今日5月15日は「沖縄返還の日」でございますがァ!
    今日5月15日は1972年に沖縄が返還されてから「52年」でございます。
    当時「"沖縄が返還されたら米軍基地はなくなる"と沖縄県民は喜んでいた」とのことでございました!・・・が!

    まずは私共が取っています新聞の今日の社説をかいつまんでご紹介いたしますと・・・
    『「沖縄の自治は神話なのか」
    ・沖縄県はきょう1972年(昭和47)5月15日の本土復帰から52年を迎えます。
    在日米軍専用施設の70%が今なお県内に残り、基地新設も強行されています。
    自衛隊増強も続きます。
    県民が望む「基地のない平和の島」はいつになったら実現するのでしょうか。
    ・太平洋戦争末期、沖縄は県民の4分の1が亡くなった「地上戦」の戦場となりました。
    <19>52(昭和27)年、日本の独立回復後も本土と切り離され、米軍による占領と苛烈な「軍政統治」が続きました。
    ・象徴的な出来事は<19>63(昭和38)年、3月5日、琉球列島統治の最高責任者だった「キャラウェイ高等弁務官」は退任直後の<19>64年8月、那覇市内で行った演説です。
    「現実を見れば、琉球やいかなる地域でも、自治は不可能だ。
    日本との平和条約第3条に基づく米国民政府下に置かれている。
    現時点では自治は神話であり、あなたたち琉球人がもう一度、独立国家を望むという自由意志を決めない限り存在しない」<と演説しました>
    ・沖縄の人々にとって「<19>72年の本土復帰」は、過酷な米軍支配から解放され、戦争放棄と戦力不保持、基本的人権の尊重、さらに地方自治を定めた自由と民主主義の日本国憲法への復帰のはずだった。
    ・本土では住民の反対などで米軍施設の閉鎖、日本側への返還が行われたのに対し、沖縄では遅々と進んでいない。
    <沖縄>県民が国政や自治体の選挙で何度も「辺野古反対」の民意を示しても、政府は辺野古が「唯一の解決策」と聞く耳を持とうとしません。
    ・政府は、辺野古を巡る訴訟で敗訴した沖縄県の事務を「代執行」してまで、新基地建設を強行しています。
    軍政当時のキャラウェイ氏による強権手法を、日本政府がそのまま引き継いだかのようです。
    ・沖縄では今、米軍基地に起因する爆音や環境被害、米兵らによる事故、事件などの被害に加え、米軍や自衛隊の基地が攻撃対象となり再び戦場になるのでは、との懸念が高まっています。
    台湾や沖縄県・尖閣列島を巡る緊張を背景に「有事への備え」として、米軍と自衛隊が沖縄での軍事力を強化しているからです。
    ・沖縄を再び戦場としないためにも、沖縄の自治を「神話から実話」に転換することが必須です。
    沖縄県民の思いを政府や国民のすべてが誠実に受け止め、過重な基地負担を軽減する。軍事力ではなく外交の力で緊張を緩和する。
    その必要性を重ねて胸に刻む復帰の日です。
    <全くその通りだと思います>

    ・・・ということでございます。
    <下の写真は私度夫婦が「訪沖」しました時の写真からですが、右上の「首里城炎上」は「無料イラスト」からお借りしました>

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