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  • from: ぽっぽさん

    2024年06月23日 15時25分45秒

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    沖縄慰霊の日!

    皆さん、こんにちは!
    BGMはユーチューブで「ボサノバ」を。。。
    さて、まずはお耳でございますが、昨夜~今(午後3時20分)の「虫の音」は「やや元気」でしょうか。
    お目々と足腰は静かでございますが、歯は相変わらず歯磨き時に「上の左右歯茎に出血」があります(T-T )

    【沖縄慰霊の日!】  6月23日は「沖縄慰霊の日」でございます。
    私共が取っています今日の新聞の「社説」をかいつまんで、そして私共夫婦の「初めての沖縄」のことを・・・長文になってしまいました。
    (今日のことなどは別のトピックとします)

    = 社説 沖縄を再び戦場にしない =
    ・太平洋戦争末期、住民を巻き込んだ激烈な地上戦の戦場となった沖縄県、きょう「慰霊の日」を迎えました。
    1945年(昭和20年)の6月23日、日本軍による組織的戦闘が終わった日とされています。
    ・あれから79年、沖縄には依然多くの米軍基地が残り、情勢緊迫を理由に自衛隊も増強されています。
    「再び戦場になるのでは」、<沖縄>県民の不安は募りますが、沖縄を再び戦場にしてはなりません。
    ・沖縄攻略のために太平洋地区の戦力を結集した米軍は<19>45年3月26日、慶良間列島<けらまれっとう>に上陸。
    4月1日には1500隻近い艦船と、延べ約54万人の兵員で沖縄本島に上陸を開始しました。
    苛烈な沖縄戦の始まりです。
    ・日米両軍の激しい攻防の末、米軍は5月11日、<日本軍>司令部のある首里に総攻撃を加えました。
    第32軍は、5月22日に首里から南部への撤退を決め、放棄した壕を自ら爆破したとされます。
    ・しかし、南部撤退は住民保護を度外視した展望のない消耗戦でした。
    既に南部に避難していた住民を戦闘に巻き込み、多大な犠牲を強いることにもなりました。
    ・沖縄本島南部に撤退した第32軍は糸満市摩文仁周辺の壕に司令部を移しましたが、戦況は好転することなく、6月23日、牛島司令官の自決によって日本軍による組織的な戦闘は終わります。
    ・約3カ月間続いた沖縄戦では県民の4人に1人が犠牲になったとされますが、第32軍の南部撤退以降の約1カ月間に住民の擬制が集中しています。
    軍隊は住民を守らないー。
    沖縄戦の多大な犠牲から得た県民の教訓です。
    ・沖縄は戦後、米軍による住民の事件軽視の苛烈な統制が続きました。
    沖縄の施政権が日本に返還された1972(昭和47)年5月15日の本土復帰は、沖縄の人々にとって、戦争放棄と戦力不保持、基本的人権の尊重などを定めた「日本国憲法」への復帰であり、願い続けた「基地のない平和な島」が実現する機会でもありました。
    ・しかし、米軍基地はそのまま残り、基地に起因する騒音や環境被害、米兵らによる事件・事故など深刻な被害は変わりません。
    ・同じ県内移設では基地負担の抜本的な軽減にはならないにもかかわらず、名護市辺野古沿岸部では多くの県民が反対する中、「普天間飛行場(宜野湾市)」の代替施設建設が強行されています。
    ・さらに近年、台湾や沖縄県・尖閣諸島を巡る緊張を背景に「有事への備え」として米軍に加えて自衛隊も増強されています。
    沖縄を戦場にして県民に犠牲を強いるようなことは、二度とあってはなりません
    そのためには軍事力ではなく、あらゆる「外交力」を駆使して紛争を抑止する。
    そのことを、全ての国民がいま一度確認しなければならない、「沖縄慰霊の日」です。

    ・・・とあります。
    (毎年6月23日のトピックには「沖縄慰霊の日」のことをアップいたしていますので、検索されてくださいネ!)

    【初めての沖縄】  私が中学生時代当時の「大学生」と再会、「沖縄の原点!
    ・私共夫婦が初めて沖縄へ参りましたのは「1993年(平成5年)6月19日~21日」でして、目的は「ダイビング」ではありました。
    しかし、私が中学生時代の「大学生」との再会も楽しみでした。
    ・私が中学時代に大学生でした沖縄出身の生徒が授業実習で我が校へ参りました時の「自己紹介」が印象的でございました。
    中国大陸・台湾や沖縄諸島などを黒板に書きまして、台湾の右(東)にちょこんとお書きになりまして「ここが私が生まれました与那国島です」とおっしゃいました。
    ・その後、当時の大学生は沖縄本島で「高校教師」をされていまして、私は年賀状だけは出していましたが、「1993年6月に沖縄本島へ参ります」とご連絡いたしましたら、「初めての沖縄ですね、少しご案内しましょう」とおっしゃて頂きました。
    ・6月19日は「先生宅で夕食」をしていただいた時、夕食に出ましたゴーヤをふーたんが「ゴーヤーって何ですか?」とお尋ねしましたら、先生は部屋の引き戸を開けまして「ヘチマのようにぶら下がっているゴーヤ」を見せてくれました。
    (私共夫婦は「ゴーヤ」を初めて見ました)
    ・6月20日はダイビングなどでしたが、翌21日は再び先生が午前中に「ひめゆりの塔」と「ひめゆり会館(丁度「関口宏ショー」の生放送で「元ひめゆり隊」の生き残りの方が出演していました)」へ連れて行ってくれました。
    昼食は「沖縄そば」を食べに連れていてくれまして、先生とはここでお別れしました。
    先生と分かれた後はタクシーを拾いまして「首里城」「旧海軍跡」を回りました。
    (その時のタクシー運転手さんは「三線(さんしん)の先生」とのことでして、別の年に再会いたしましたヨ! o(^-^)o)
    初めての沖縄・・・「楽しい思い出!」でした。

    下の写真は「初めての沖縄」で撮りましたものです。
    (当時は「フィルムカメラ」でしたので、不鮮明をお許しくださいネ!)
    左は「ひめゆりの塔」で右は「海軍戦没者慰霊之塔」です。

    下は「旧海軍司令壕跡」です。

    そして、下は「22年後の2015年11月」に訪沖しました時の「ひめゆりの塔」「平和の礎(摩文仁の丘)」ですが、既にたんぽぽにアップしたことがあります。。。
    (やはり私共には「ひめゆりの塔が沖縄原点」かと。。。)

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