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from: ぽっぽさん
2024年07月12日 13時28分27秒
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土砂降りの中、あちこちとォ~! o(^-^)o
皆さん、こんにちはァ~!\(^▽^)/
BGMは午前の留守中に掛けました「AMラジオ(NHK)」をソノマンマ聴いていますが今は番組のゲストで「林家木久扇師匠」が出演されていますが、トークが面白いです\(^_^)/
まずは、お耳でございますがァ~!(/Д`)
昨夜~今(午後1時10分)の「虫の音」は割と静かですのでありがたいのですがァ!
昨夜からやはり「ピチッ!」が時々発生でございますので憂鬱ですゥ~! (TωT)
お目々と足腰は静かですが、歯はソーッと磨いていますので「マー、何とか」って感じでございますヨ!
【土砂降りの中、あちこちとォ~! o(^-^)o】
今日はふーたんの「歯科医院予約日」でございますので、ついでにアチラ・コチラと。。。
自宅→桃の販売所→歯科医院・市民会館→ガソリンスタンド→MEGAドンキ(ホーテ)→ホームセンター→帰宅でございましたァ~! フッ!
明日、ふーたんの実家で「お盆の法要」がありますので、我が家から近い所にあります「桃の直売所」でふーたんは「一箱」買いまして、ついでに自宅用としまして「2個セットを2組」買いました。
(ふーたんは「いつもは午前8時半から(販売所に)列が出来るが、(今朝は土砂降りなので)楽に買うことができた!」と・・・\(^o^)/)
次にふーたんが通っております「歯科医院」へ参りまして、ふーたんを降ろしまして隣の文化会館駐車場で駐車、車内で持参してまいりました「新聞記事」を読んでいました。
ふーたんが戻って参りましたので、国道41号線を南下致しまして日曜日に参ります温水プール近くのガソリンスタンドで「給油」でございます。
給油後はガソリンスタンドから割と近い所にあります「MEGAドンキ(ホーテ)」で、ふーたんはアレコレとショッピングでございます。。。
(下は「MEGAドンキ」でして、ふーたんはやはり「スーツケース(右写真)」が気になるようです・・・ o(^-^)o
MEGAドンキでは広い店内をアチラコチラ歩きまして、2千歩余でございましたので「今日のお散歩」としました!)
MEGAドンキ内の「100円ショップ」でも「文具売り場」でも「のし紙」がありませんでしたので、MEGAドンキを出ての帰宅途中にあります我が町の「ホームセンター」へ寄ってみましたらァ! ありましたヨ! o(^-^)o
帰宅途中から「雨が小雨」になって参りまして、帰宅はもう0時半を過ぎていたと思います。
(ふーたんはさっそく「昼食」の準備をしてくれましたヨ!\(^_^)/)
ということで、今日の午前中は「土砂降りの中、あちこちとォ~!」でございましたので、ドッと疲れましたァ~!
午後4時前に「録画の相棒」が終わりましたので、二人でベッドに横になりましてさっそく見ました。
その後「カンブリア宮殿」を。。。
(夕方になりまして「雨」が上がりまして、薄日も差してまいりましたヨ!)
【コザ騒動!】 TV番組:アナザーストーリーズ 運命の分岐点「コザ騒動〜燃えさかる炎の行方〜」
夕食前後で「TV番組:アナザーストーリーズ 運命の分岐点「コザ騒動〜燃えさかる炎の行方〜」を見終えました。
(「コザ」は沖縄本島にあります現在の「沖縄市」です)
この番組をネットでは・・・
『今、毎日のように目にするガザでの虐殺。
沖縄は、パレスチナと似ていると感じることがあります。
ブルドーザーで土地を奪われ、有刺鉄線に囲い込まれ、常に命が脅かされている。
そんな時代がとても長く続いている。
KOZAとGAZAは響きも似ている。
コザ騒動は、1970年12月20日未明に、米軍関係車両82台が焼き討ちされた暴動です。
今回の視点の人物たちは全員、あの夜現場にいた人たち。
彼らがコザ騒動の後にどんな人生を歩んだのか、これは「反米騒動」なのか?
幾たびも取り上げられてきたコザ騒動が、これまでとは違って見えてくると良いなと思います。
これを見た人が「逃げ場を失う」ことを願いつつ。』・・・とあります。
「コザ騒動」もネットでは・・・
『「コザ暴動(コザぼうどう、英語: Koza Riot)」は、1970年(昭和45年)12月20日未明、アメリカ施政権下の沖縄のコザ市(現在の沖縄県沖縄市)で発生したアメリカ軍車両および施設に対する焼き討ち事件である。
直接の契機はアメリカ軍人が沖縄人をひいた交通事故だが、背景に米施政下での圧制、人権侵害に対する沖縄人の不満があった。
地元の沖縄では、「暴動」ではなく地元新聞2紙の記事ではコザ騒動(コザそうどう)、またコザ事件(コザじけん)、コザ騒乱(コザそうらん)と呼ぶこともある。』
『1970年12月、コザ市(現・沖縄市)での緊張が、3,000人以上の沖縄市民と米軍憲兵との衝突勃発をもたらした(コザ暴動)。
衝突は、アメリカ人運転手が沖縄県民を撥ねて軽傷を負わせたことから始まった。
群衆に対処するために駆けつけた憲兵が警告射撃を行い、それがさらに群衆を増大させた。
この衝突は夜を徹して続く暴動となり、82台の車が燃やされ、88人の負傷者が出た。
この自然発生的な暴動は、米軍支配下で劣悪な扱いを受けていた沖縄県民の分岐点であると考えられた。』
・・・などとあります。
番組では「5千人もの民衆が(騒動に)加わった」としています。
また当時、取材をされた報道関係の方の話では「今でも沖縄はコザ騒動当時と変わっていない」とのことでございます。
私もやはり「日米安保とそれに基づく日米地位協定を破棄」しない限り、いつまでも「米兵による事件事故は絶えない」と思っております。
政府よ! いつまでも「行きな気を見失いかけている米国の犬」になっている必要はありませヌ!
日本は「独立国家」でございますので、米国に対しても「毅然たる態度をとるべき!」であります。
(下の4枚は「無料イラスト」からのものです)-
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