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from: ぽっぽさん
2024年10月02日 09時16分21秒
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渡米14-2:黒人奴隷
【渡米14-2:黒人奴隷】
・9月30日の「渡米14-1」で・・・
>・アメリカと申しますと「先住民(ネイティブアメリカン)」「黒人奴隷」「人種差別」「銃社会」などが浮かびますし、渡米中では「水道施設・電気施設の杜撰」などが目につきました。
>これらを項目ごとに書かせて頂こうと思います。
と書きました。
・上記のそれぞれの問題を引き起こしましたのは、先住民が住んでいますアメリカ大陸にヨーロッパから進出した「泥棒達!」が元因であることを、現在のアメリカ大陸に住んでいます「ルーツ(出自)」をヨーロッパとする者たちはしっかりと認識すべきであります。
・「あなた方の先祖がやったことは決して許されることではありません! そのことを常に頭に叩き込んでおきなさい!(特にトランプのカス頭!)」と叫びたいです!
これが私のアメリカ人に対します「心の奥底からの叫び!」でございます
・もう一つ腹が立ちますのは「キリスト教宣教師」でございます。
2019年に参りました「カリブ海」の時にも書かせて頂きましたが、「キリスト教宣教師」はアメリカ大陸への侵略の先鋒でありまして、「上から目線」で「野蛮な先住民を導く」という「勝手なる大義名分」で先住民を洗脳したのであります。
キリスト教では「神の前ではみな平等ではないのですか! 恥を知りなさい!」と邪宗(キリスト教)にも腹が立つのでございます!\(▼皿▼)/
・さて、ここ「渡米14-2」では、「黒人奴隷」について書かせて頂きます。
(先回に引き続きましてまたまた長文になりそうです・・・)
・まずは「アメリカ合衆国の黒人奴隷の歴史」をネットで見てみますと・・・
『「アメリカ合衆国の奴隷制度の歴史(英:The history of slavery in the United States)」は、イギリスがバージニア植民地に初めて入植したすぐ後に始まり、1865年のアメリカ合衆国憲法修正第13条の成立で終わったことになっている。 <本当に終わったのでしょうかねぇ!?>
動産としての奴隷制が拡がる前に、白人と黒人などの間に典型的なものでは4年から7年の間で続く「年季奉公」と呼ばれる労働契約の仕組みがあった。
1662年までに、アメリカにおける奴隷制は法令の整備によって制度化され、主にアフリカ人とその子孫(アフリカ系アメリカ人)、および偶にアメリカ州の先住民族にも適用された。
17世紀の終わりまでには、アメリカ植民地の南部において奴隷制が一般化されたが、北部との程度差があった。
1640年代から1865年まで、現在のアメリカ合衆国領域内ではアフリカ人とその子孫が合法的に奴隷化されていたが、その所有者は圧倒的に白人であり、ごく少数が先住民や自由黒人であった。
この奴隷所有者の大多数は南部にいた。
南北戦争の前の時点で南部の4家族に1軒が奴隷を所有していた。
黒人の95%は南部に住んでおり、南部の人口に対しては3分の1に達していた。
これに対して北部における黒人の人口比率は1%に過ぎなかった。
19世紀前半のアメリカ合衆国の富は黒人奴隷の労働の搾取に負うところが大きかった。しかし、南北戦争における北軍の勝利により、南部の奴隷労働制は廃止され、南部の大規模綿花プランテーションはあまり利益を生まないものになった。
北部の工業は南北戦争の前も戦争中も急速に成長を遂げ、南部の農業経済の落ち込みを補って余りあるものであった。
アメリカ北東部の工業資本家が社会的および政治的事項を含め、国民生活の多くの面を支配するようになった。
南部の農園主による貴族政治は影を潜め、南北戦争の後の急速な経済成長が近代におけるアメリカ合衆国産業経済の基盤となった。
17世紀から19世紀にかけて、およそ1,200万人のアフリカ黒人がアメリカ大陸に渡った。
このうち、5.4%(645,000人)が現在のアメリカ合衆国に連れて行かれた。1860年のアメリカ合衆国の国勢調査では、奴隷人口は400万人に達していた。』・・・とあります。
むごたらしいことでございます。
・また「奴隷貿易」につきましてもネットには・・・
『「奴隷貿易(どれいぼうえき、英: slave trade)」とは、奴隷を物品のように国家間で売買する貿易である。
<この項目の最初に「古代から中世の奴隷貿易(古代ギリシアにおいては、戦争捕虜が奴隷貿易で取り引きをされた。)」が詳しく書かれていますが省略いたしますね>
大西洋奴隷貿易
大航海時代に、15世紀から19世紀の前半まで、とりわけ16世紀から18世紀の時期に、主に「ヨーロッパ(スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリス、フランス、デンマーク、 スウェーデン、アメリカ州を含むヨーロッパ系植民者)」とアフリカ大陸とアメリカ大陸を結んで、その後約3世紀にわたってアフリカ原住民を対象として展開され、西インドのプランテーション経営に必要な労働力となった(→三角貿易)。
供給源となったアフリカが西欧諸国を中心とした世界経済システムの外にあった期間は、経済圏外からの効果的な労働力供給手段として機能したが、地域の人的資源が急激に枯渇してしまい、それに伴う奴隷の卸売り価格の上昇、そして需要元である南北アメリカの農業の生産量増大による産物の価格低下、さらに現地生まれの奴隷も増えたことで、植民地における奴隷の価格は、原価高騰分を吸収できるほど高くならなかったことなどにより、奴隷貿易は次第に有益とは見なされなくなり縮小に向かった。
その後は人道主義的あるいは産業的見地からの反対を受け、1807年にイギリスにて奴隷貿易は禁止された。
アフリカにとって奴隷貿易の開始は、現代までに続く外部勢力による大規模な搾取・略奪そのものと言われるが、現実には奴隷狩りを行い、ヨーロッパ人に売却したのは現地アフリカの勢力である。
奴隷貿易によりアフリカは社会構造そのものが破壊されてしまった。
これに貢献したコンゴ王国、ンドンゴ王国、モノモタパ王国などは衰退の運命を辿った。 <以下、省略いたします>』・・・とあります。
上記の「現実には奴隷狩りを行い、ヨーロッパ人に売却したのは現地アフリカの勢力である。」にショックでございます。
私はてっきりヨーロッパ人が「無差別に奴隷狩りをしたのでは?」と思っておりました。
・また、2022年の「ニューヨークタイムス・世界の話題」では・・・
『奴隷時代から続く性暴力の歴史 DNA研究で明らかに
大西洋をまたぐ奴隷貿易に終止符が打たれて150年以上が経ち、奴隷にされた人たちに対する処遇がいかに残酷だったかが、彼らの子孫のDNAに刻み込まれていることが新しい研究で浮かび上がった。
5万人以上を含み、そのうち先祖がアフリカ人である3万人についての研究報告は、アフリカのどこから連れてこられ、アメリカのどこで奴隷にされたかに関する歴史的な記録と整合した。
だが、いくつかの驚くべきことも明らかになった。
たとえば、米国からの研究参加者たちのDNAは、そのかなりの量がナイジェリアにルーツがあることを示した。
これは予期していなかった発見である。
歴史的記録には、ナイジェリアから米国に直接連れてこられて奴隷にされた人の証拠が示されていないからだ。
研究者と一緒に調べていた歴史家たちは当初、「米国におけるナイジェリア起源の(遺伝子)量を信じられなかった」とスティーブン・ミケレッティは言う。
この研究を主導した「23andMe(訳注=米カリフォルニア州に拠点を置く遺伝子分析やバイオテクノロジーの企業)」の集団遺伝学者である。
研究者は別の歴史家に意見を求め、奴隷にされた人たちはナイジェリアからカリブ海のイギリス領に送られ、その後、米国へ引き渡されたのだということを知った。
これによって遺伝学上の分析結果の説明がつくとミケレッティは言っている。
今回の研究は、世界史の最も暗い側面の一つに光を当てた。
1250万人が祖国から無理やり引き離され、何万隻ものヨーロッパの船で連行された過去だ。
歴史的記録と遺伝子記録を照合することで、どちらか一方だけより、さらに重層的で詳細なストーリーを伝えていることも示した。
<中略です>
歴史的記録は、南北アメリカ大陸で下船した奴隷1070万人(航海中に200万人近くが死亡した後の下船者数)のうち60%が男性だったことを示している。
しかし、遺伝子記録は、現在の遺伝子プールに寄与したのは主に奴隷にされた女性たちだったことを示している。
奴隷にされた人たちに男女で不釣り合いがあったことは、よく知られている。
男性奴隷は自分の子どもを持つ前に死んでしまうことがよくあった。
女性奴隷の場合はしばしば、レイプされて子どもを産むことを強制された。
今回の23andMeプロジェクトはこうした一般的なパターンを明らかにしたが、男性と女性の経験には南北アメリカ大陸間で驚くべき違いがあることも突きとめた。
科学者たちは、米国で奴隷にされた女性は男性奴隷と比べ、アフリカ系の人たちの今日の遺伝子プールに1.5倍多く寄与したとの数字をはじき出した。
ラテンアメリカのカリブ海地域では、女性奴隷の寄与は13倍だ。
南米北部だと、17倍も寄与した。
さらに言えば、米国では、ヨーロッパ系の男性はヨーロッパ系女性よりも、3倍多くアフリカ系の人たちの現代の遺伝子プールに寄与している。 <つまりレイプした!?>
カリブ海のイギリス領の場合は、25倍だ。
科学者が言うには、この遺伝学上の証拠は、現地の慣行によって説明できるかもしれない。
米国では奴隷にされた人とヨーロッパ人とは隔離されていたため、奴隷にされた母親の子どもは奴隷の父親を持つ可能性がより高かった。
ところが、奴隷にされた男性が子孫を残す可能性が低かった地域では、稲作農耕のような危険な慣行――労働環境は過酷で、泥地は溺れやすく、マラリアも珍しくなかった――のため、多くが子どもをもうける前に死亡してしまったのかもしれない。
ラテンアメリカの一部地域では、政府が意図的にアフリカ人の遺伝子を減らすために、奴隷にされた女性との間に子どもをつくる男性をヨーロッパから迎え入れる政策を取った。
この研究は、肉体的および性的な暴力が奴隷制度の一部であり、私たちの社会にそれらがいまなおいかに組み込まれているかを例証したとネルソンは言う。
「彼女<米ニュージャージー州のプリンストン大学高等研究所の社会科学教授アロンドラ・ネルソン>」は、「何世代にもわたって続いてきた虐待や差別、性的虐待、暴力」が確認されたとし、そのことに多くの人々がいま、抗議しているのだと指摘した。』・・・とあります。
全くむごたらしいことでございます(/Д`)
「ヨーロッパにルーツを持つ者(主に白人)は決して許されることではありませヌ! 恥を知りなさい!」
「朝日の当たる家(ジ・アニマルズの曲)」や「映画・ルーツ」を思い浮かべます。
長くなりましたので、ここらで・・・
次回は「人種差別」を。。。-
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