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  • from: ぽっぽさん

    2024年11月05日 09時29分25秒

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    戦後79年に問う!

    皆さん、おはようございます。
    BGM、先ほどまではユーチューブで「クラシック」を聴いていましたが、今はお散歩準備としまして「AMラジオ(NHK)」を。。。

    まずはお耳ですが、昨夜~今(午前9時10分)の「虫の音」は割と静かになってくれましたヨ! o(^-^)o
    他の3人はマーマーですのでありがたいです。

    さて、今日のことは別のトピックといたしまして、登山リーダーから頂いています新聞記事から2回シリーズの社説を・・・

    【社説 戦後79年に問う】 8月中旬の2つの新聞記事より
    = 戦争の犠牲にどう向き合うか =
    「"靖国"が示す連続性」
    ・敗戦から79年の今年、現役の幹部自衛官らによる靖国神社への集団参拝の事実が明らかになった。
    靖国の宮司に自衛隊の元海将が就任した。
    <8月>15日には木原実防衛相が靖国に参拝した。
    ・靖国神社は、戦前は陸海軍が管轄し、軍人・軍属の戦死者をまつった施設である。
    <太平洋戦争>当時の政府と軍は兵士の命を軽く扱い、一般国民を巻き込み、見捨てた。
    他の国や地域のあまたの人の命と尊厳を踏みにじった。
    東南アジアの民族共栄圏を建設する意味で「大東亜戦争」と呼ばれたが、名ばかりの大義だった。
    その戦争を正当化し、犠牲を納得させる役割を靖国は狙った
    自衛隊や公職者の関与は別次元の問題と考える必要がある。
    憲法が定める政教分離原則に抵触し、戦前・戦中からの決別を疑わせるふるまいは、厳に慎むべきだ。
    「新たな追悼の場を」
    ・犠牲の真相はどうあれ、その犠牲が避けられなかったかは問い続けねばならない
    その認識を前提に、新たな国立追悼施設が構想されてもいいだろう。
    ・2002年に官房長官の懇談会が無宗教の「「追悼・平和記念施設」を提案したことがあり、当時の報告書は追悼対象から外国将兵や民間人を排除しない考えを示した。
    各自が自由な立場から望む形が追悼できるように」と明記したが、その後の議論は途絶えたままだ。
    <我が家も「遺族」ですが、戦犯を靖国神社に合祀したことには「大反対!」です>
    ・今日の社会にも命を守るために汗を流す人々がいる。
    自衛官・警察官・消防士や海上保安官・新型コロナ禍のさなかに物流網や医療を担った人々の奮闘も思い出される。
    ・それぞれ唯一無二の人生を生きた人の命は本来、犠牲にされるべきではない
    それを追悼を考える起点とし、目指す到達点にもしたい。

    = 戦争起こさぬ主権者の責任 =
    ― <当時の>政府・軍は日本の国際的な孤立を招き、多大な苦しみを人々に強いた。
    その重い教訓に加え、忘れてならないことがある。  
    国民が、直接・間接的に支えることなしには続かなかった戦争だったということだ。 ―
    「何が駆り立てたのか」
    ・戦時中の日用品やポスターなどが<8月>18日まで長野品のギャラリーに並ぶ。
    戦争体験を語れる人はいつかはいなくなるが、モノは残る
    そう考える「市民団体・信州戦争資料センター」が毎年開いている展示会である。
    「良き市民と戦争犯罪」
    ・"政府の行為によってふたたび戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し"戦後、制定された日本国憲法の前文はこう述べた上で、国民主権を宣言している。
    "その「戦争の惨禍」とは何かが具体的に分かって初めて、国民主権の意味に迫れるのではないか"と、終戦の年に生まれた「弁護士・間部俊明氏(横浜市)」は考えてきた。
    ・戦争を指導したA級戦犯を裁いた「東京裁判」は国際的に知られるが、連合軍の各国がそれぞれ自国民らの被害を扱ったBC級裁判で、唯一、国内で開かれた「横浜裁判」の全容は分かっていないので、間部氏は地元の弁護士会に調査委員会をつくり、いまは捕虜収容所での虐待事件を中心に調べている。
    「うわべの平和でなく」
    ・戦争指導者の個人責任を問い、同様の行為を防ぐ、戦後生まれた構想は2002年、「国際刑事裁判所(オランダ・ハーグ)」に終結した。
    表向きは「平和」に見えても、人々が抑圧さえ、だれも声を上げられない、そんな国や地域は数知れない
    <当時の>日本はどうだったか、「国民に主権がない」「正しい情報が届かない」「批判や異論が封じられる」<という>息苦しい世相とともに長期化した戦争だった。
    ・地域社会も組織化され、動員された。
    国家への忠誠心を探り合い、同調を求め、異質な存在は排除した。
    「戦時を生きることと、人間の尊厳が守られること」この二つが両立しえないことは歴史が示している
    ・私たちは何をすべきか。
    権力を批判する事由があり、だれもが尊厳され権利が守られる社会を築く」「
    政策や法制度の変化を点検する」、そうした営みに主権者として自立的にかかわる
    決して未来に惨禍を起こさぬために

    【読者からの声】
    社説と同じ紙面に「読者からの声(投稿)」がありましたの略記します。
    「あの日あの時」
    ・戦ひに協力することは尊い義務として課せられた。
    親しい身内の若者も、或(ある)いは特攻隊として、或いは大洋の孤島に玉と砕けた。
    そうして、もし一たびこの戦ひに敗れんかといふことは偏狭にして狂躁(きょうそう)なる人々の言を俟(ま)たずして十分に知つてゐた。
    しかもつひに心からは立ちえなかつたことは、真に苦痛であつた。
    この割り切れない気持ちを清算して再出発せんがためにこの戦争の起因とその経緯についての明白詳細な発表があらんことを、国民の一人として要求する
    われらは何一つ具体的な真相を知らぬのである。
    八月十五日大詔<たいしょう>は闇の中にさした光であつた。
    悲嘆<ひたん>と安堵(あんど)が交錯した数週はすぎた。
    これからは自分は傍観者ではない。    ー 1945(昭和20)年9月27日 ー
    <この方が書かれています「この戦争の起因とその経緯についての明白詳細な発表があらんことを、国民の一人として要求する。」に全く同感でございます。
    私は以前から「政治家抜きでの専門家で太平洋戦争白書の作成を提案」申し上げております>

    「敗戦 書類を燃やす火柱上がる」
    ・<1944年高等女学校2年生だった投稿者は、1945年に>気象台で気象暗号乱数表作成が課せられた。
    「大事な作業」と言われ、ひたすら数字を書き込んでいった。
    ・8月15日、気象台の中庭に行って、大量の書類を焼却した。
    私たちが一生懸命に書いた乱数表もドラム缶の中に次々と投げ込まれていった。
    巨大な火柱は熱風を呼び燃え上がり、白い煙となって夏の空に消えて行った。
    空襲で我が家が焼かれた思いと重なり悲しかった
    「戦争に負けて申し訳ない」そんな思いもわき出ていた。
    あまりにも大きな変化に心の底まで空虚になっていた。  ー 94歳女性 ー

    ・・・とあります。
    2つ目の社説の最後に「決して未来に惨禍を起こさぬために」とありますごとく、私共「国民」は常に政府のやっていることを注視する必要があります。
    先の戦争の語り部」の方々はご高齢で段々少なくなってきています。
    特に今の自民党政権下では「裏金」が横行していますし、「さらなる軍国化!」が進んでいます。
    今日の「米大統領選挙」で運悪く「トランプ」が当選したら・・・悲劇です! o(TヘTo)
    さて、皆さんは如何にお考えでしょうか?

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