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from: カラカラさん
2012年06月29日 17時25分40秒
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「ユタ・・・」
なんくるの皆さん、今日は・・・
今日は朝からカンカン照り!(30度はあったかなぁ?)
今、「沖縄の信仰」の事を書いている最中でして・・・
沖縄の信仰に「ノロ」と「ユタ」があります。
ウィキペディアでは・・・
『琉球の信仰において、琉球王国が制定したシャーマンであるノロ(祝女)やツカサ(司)が公的な神事、祭事を司るのに対し、ユタは市井で生活し、一般人を相手に霊的アドバイスを行うことを生業とする、在野のシャーマン・巫(かんなぎ)である。』
とあります。
2010年10月8日のオーナーさんのメッセージに・・・
『今日は午後からユタさんの所へ行くので朝から家周りに玄関トイレ、家の掃除をしたら身を清め火の神(神棚)と仏壇に手を合わせ、身を清めてから行きます。
正しい判(ユタの口から出る事柄・教え)が聞ける事を願って楽しく嬉しくかつ神妙な気持ちで出向きます。
さっき、息子を送った帰りにこの間回りきれてないウタキを探しにいったら更に三か所ばかりありました。
きび畑の真ん中や丘の中腹辺り、池にもありました。ほんの20分ほどでトントンっと探し当てることが出来ました。
自分のなすべきことがだんだんと現象として現れ、自覚が出て来ました。
これまでの経験から、なにかしら役割があって、そろそろ本番が到来する予感は去年あたりから感じていましたが、今回の事で自身がついたというか、道が開け始めて来た感じがしています。
この16年間、親戚の誰からも理解されず孤独に地道に先祖供養を続けてきた事に対する、間違ってなかったという確信が持てました。
あんなに仏壇ごとや霊的な事柄を嫌っていた父がこの16年で180度変わり今では信仰心も持つように・・。昔の父とは別人になりました。。
昨夜電話でユタに行く事を告げると「お前の思う通りに動け。お前が生まれ高い・(カミンチュ)であることは解っているから。
行ってきたら内容を報告してくれ」との事。初めて全面的に認めてくれました。
これからは、自分の直感を信じて道を誤らないように突き進んでいこう。 GOサインは出た。
さぁ、歩こう(-.-) もう迷わない。私には大きな後ろ盾がある。
先祖のため、門中の為、子孫の為いくばくかでもお役に立つことが出来るのなら、生まれて来た意味を見いだせる。感謝の気持ちが溢れます。。。 2010.10.08 08:53:18 』
と、あります。
オーナーさんの家系は琉球王朝の「三司官」と云う大変身分の高い
御家系のようですし、ご本人は凄く「霊感」が働く方とお見受けいたしました。
また、私が初めて沖縄へお邪魔した1993年6月、「先生」(私が中学生だった時に実習で授業をされた当時の「大学生」で、その後、沖縄本土でやはり「高校の先生」をされていまして、30余年ぶりに再会しました)のお宅へお邪魔しました時に、なにやら集会のような事をしていたようでしたが、「ユタの方」がお見えだったように思います。
沖縄では生活の中に「御嶽」や「ユタ」などが深く係っているのだなぁと思いました。
☆ 写真は、オーナーさんが「古宇利島」で撮影されたものです。 ☆icon
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from: カラカラさん
2012年06月27日 10時39分49秒
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「Re:古宇利島の神話」
なんくるの皆さん、こんにちは・・・
今「沖縄の信仰」の事を書いていますので・・・
2010年7月6日のオーナーさん(「>」の箇所)へのレスに・・・
> ☆画像はせーふぁーウタキのサンコリ。沖縄で最高峰の聖地。。
御嶽は、男子禁制ですよね。
今年、「からから」を買ったお店のご主人は「僕は男ですから、行くのはちょっと」と仰っていました。
私はなるべく神妙な顔をしてお邪魔させていただきました。
三庫理を入りますと、これまた聖地の「久高島」が望めますよね。
> 「この子供達を育て、共に生きる力を下さい!!まっすぐに正しく生きて行くと誓います!!お願いします!」と心から念じたんです。
> あれからどんどん展開が+、+、に転じ続けている。。
やはり、「沖縄で最高峰の聖地」ですね。
> 文化財指定になって観光地化されてしまったので、出来るだけ人のいない平日の朝一番の一番最初に入る様にしているんです。。祈りに集中出来ないから。。
申し訳ございません、私共のような観光客がお邪魔する所ではないですよね。
昨年、首里城にある「園比屋武御嶽」(そのひゃんうたき)へお邪魔した時、一心にお祈りしておいでの方がお見えでしたので、帰りにそっと拝見させていただきました。
kamadooさん、頑張ってくださいね。
と、書きました。
オーナーさんは「ニライカナイ」へ行かれた事でしょうねo(>_<)o
「斎場御嶽」は『文字通り王国最高の御嶽とされ、国家の最高神職である聞得大君が管理した。
聞得大君の就任儀式「御新下り(おあらおり)」が行われた御嶽でもある。
かつて琉球の御嶽はその全てが男子禁制であり、斎場御嶽では庶民は入口の御門口(うじょーぐち)を越えて進入することは許されず、国王であっても、御門口より先に入るには袂の合わせを女装に改める必要があったという。』とされています。
「斎場御嶽」は沖縄本島南端の東側にあり「三庫理」の奥からは久高島が望めます。
久高島は『琉球の創世神アマミキヨが天からこの島に降りてきて国づくりを始めたという、琉球神話聖地の島である。
琉球王朝時代に沖縄本島最高の聖地とされた斎場御嶽(せいふぁうたき)は、この久高島に巡礼する国王が立ち寄った御嶽であり、久高島からの霊力(セジ)を最も集める場所と考えられていた。
島内には御嶽(うたき)、拝み所(うがんしょ)、殿(とぅん)、井(かー)などの聖地が散在しており、中でも島中央部にあるクボー御嶽は久高島第一の聖域であり、男子禁制である。』とされています。
☆ 『画像はせーふぁーウタキのサンコリ。』とオーナーさんが撮られたその写真をUPします。 ☆icon
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from: カラカラさん
2012年06月26日 09時23分41秒
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「古宇利島の神話」
なんくるの皆さん、おはようございます。
下(「659番」)は標題を「沖縄の信仰」とすべきでしたo(>_<)o
今年3月に参りました「古宇利島」には、「沖縄版アダムとイヴ」と呼ばれる伝承があることで有名だそうです。
内容は「ウィキペディア」では・・・
昔、古宇利島に空から男女二人の子供が降ってきた。
彼らは全くの裸であり毎日天から落ちる餅を食べて幸福に暮らしていた。
最初はそれに疑問を抱かなかったがある日餅が降らなくなったらどうしようという疑念を起こし、毎日少しずつ食べ残すようになった。
ところが二人が貯えを始めたときから餅は降らなくなった。
二人は天の月に向かい声を嗄らして歌ったが餅が二度と降ってくることはなかった。
二人は生活と労働の苦しみを知り、ジュゴンの交尾を見て男女の違いを意識し恥部を蒲の葉で隠すようになった。
この二人の子孫が増え琉球人の祖となった、と云う神話である。
だそうです・・・
沖縄では「アマミキヨ・シネリキヨ神話」「兄妹始祖型」など興味深い神話や伝説が語られているのですね。
☆ 写真は、「屋我地島」からの「古宇利大橋」と前方の「古宇利島」です。 (今年3月撮影) ☆icon
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from: カラカラさん
2012年06月25日 07時51分25秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:明日は「慰霊の日」」
なんくるの皆さん、おはようございます。
当方、どんよりとした「梅雨」らしい曇天の月曜日を迎えましたが、皆さんのお宅は如何ですか?
(何だか体も「どよん」として・・・重いですo(>_<)o)
「沖縄の文化」をちょっと後回しにしまして〜〜〜でしたが再開(笑)します。
「芸能」について書くつもりでしたが、もっと早く書かなければいけなかった「信仰」について、あまり長くならないように書いてみます。
【沖縄の信仰】
沖縄は信仰の島とも云われていてどこの村にも「御嶽」などがあって篤い信仰の対象とされています。 ここではやはり読んだ本から少しピックアップさせていただきます。
(例によって「です・ます調」ではないので・・・)
【創世神話】
「沖縄の歴史と文化(外間守善)」に、17世紀以降の中央首里の文献「天地開闢(かいびゃく)」に「兄妹始祖型」の神話が収められていてこれを「民間説話」とする。
また、神話の最初の記録「琉球神道記」や「おもろさうし」の「創世のオモロ」には「アマミキヨ(女)・シテリキヨト(男)」が出てくる。・・・と書いてある。
「沖縄生活誌(高良 勉)」にも、父母から聞いた神話として、琉球民族の祖先は「アマミキヨ・シネリキヨ(男女の神様)」でこの二神が最初に「久高島に降臨」したそうである。
「アマミキヨ・シネリキヨ神話」は琉球王国の最初の歴史書「中山世鑑(ちゅうざんせいかん)」にも書かれている。・・・としている。
【ニライカナイ】
「沖縄の歴史と文化(外間守善)」に、「おもろさうし」に「ニライ・カナイの神」「アマミヤ・シネリヤの神」「オボソ・カグラの神」と云う別の発生源をもつと思われる3つがある。
「ニライ」は「海の彼方にある根所(根の国)」である。 宮古・八重山では「ニーラ」といっている。
「沖縄 時間がゆったり流れる島(宮里千里)」では、沖縄の人々は漠然としながらも、死んだら「ニライカナイ」へ行くと考えている。 「ニライカナイ」は「ニラーハナー」とか「ニレースク」ともいう。
「ニライカナイ」とは「黄泉の国(よみのくに)」のことで、一方では永遠の豊穣の国だと考えている。
「沖縄生活誌(高良 勉)」にも、人間の住む世界とは別の世界で、あらゆる霊力や神々が集まる所である。
人間や昆虫など全ての生物の生命エネルギーも「ニライカナイ」から生まれ、死後はそこへ帰って行くと信じられている。・・・と書いている。
【御嶽】
「沖縄の歴史と文化(外間守善)」では、「御嶽(ウタキ)」は村落祭祀の中心とし、沖縄における共同体の祭りは「村落の守護神のまします聖域」である「御嶽」を中心に営まれる。
神野まします聖域を、奄美では「オガミ山」「オボツ山」「神山」「グスク」、沖縄では「ムイ」「ウガン」「グスク」、宮古では「ムイ」「グスク(スク)」、八重山では「オン」「ウガン」「ワー」「スク」などと呼んでいるが、一般的にはそれらを総称して「御嶽(うたき)」と呼んでいる。
「御嶽」と云う語は首里王府の知識人たちによって使われ慣用化していったもので、本来の沖縄語ではなさそうである。・・・と書いている。
(御嶽の敷地構造など詳しく述べられているが省略する)
「沖縄生活誌(高良 勉)」にも、沖縄の古代から続いている伝統的な集落には「複数のウタキ」がある。
「ウタキ」は「ウガンジュ(御願所)」とも呼ばれ、宮古・八重山では「ウガン」「オン」「スク」と呼ばれている。・・・としている。
また、沖縄の信仰については、先祖崇拝と仏教と道教が混合した独特なものになっている。・・・と書いている。
「信仰」について書きだしたらきりがないし、ここのオーナーさんの領域かな?と思いますので、サラッとこれくらいにさせて頂きます。
☆ 写真は2009年春、斎場御嶽へ参りました時に撮った「久高島」です。 ☆icon
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from: エロゴリさん
2012年06月24日 18時10分29秒
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from: カラカラさん
2012年06月24日 16時30分24秒
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from: エロゴリさん
2012年06月24日 09時09分56秒
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from: カラカラさん
2012年06月24日 08時26分37秒
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from: エロゴリさん
2012年06月23日 22時05分00秒
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from: カラカラさん
2012年06月23日 19時40分10秒
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「Re:Re:Re:Re:明日は「慰霊の日」」
なんくるの皆さん、今晩は・・・
「沖縄の文化」をちょっと後回しにしまして、「590番」からもう少し引用して見ますネ。
「太平洋戦争(小島 襄<のぼる>)」は、〜〜〜
・同年4月1日(1945年:昭和20年の事)、米軍45万余の大部隊が沖縄本島西方海面に現れ、5万余が上陸した。
・4月6日、「戦艦大和」が山口県徳山沖を出港し、良く7日に撃沈されて「連合艦隊」は最期を迎えた。
・同年4月には「首里攻防」があり、6月18日には「ゆめゆり部隊」37名の女学生の内32名が戦死した。 一方、男子学生は「鉄血勤皇隊」として戦った。 6月24日、牛島中将・長中将は割腹自決した。 (沖縄では6月23日を「慰霊の日」としています。 =カラカラ=)
・5月8日、「ドイツが降伏」し、沖縄戦の目途もついたので「米統合参謀本部」は「九州作戦」を承認した。
・6月22日、天皇は「速やかに終戦を実現せよ」と指示され、ソ連を通ずる「和平探究」の努力を強化した。
・7月17日、米・英・ソ首脳の「ポツダム会談」が開かれ、7月26日「米・英・中団子句宣言(日本に降伏を呼びかける)」が発表されたが、日本は「ポツダム宣言」を黙殺した。
・同時に「原爆実験成功」のニュースがトルーマン米大統領に届き「8月3日ごろ投下目標の準備」を指令した。
・8月6日に「広島に原爆」が投下された。 8月8日、ソ連が「対日宣戦」を通告した。 8月9日に「長崎に原爆」が投下された。 8月10日、鈴木首相は「ポツダム宣言受諾」に踏み切った。
・1945年(昭和20年)8月15日、日本は降伏し、翌16日の「全陸海軍の停戦命令」で太平洋戦争は幕を閉じた。 1941年(昭和16年)12月2日の「開戦命令」以来、3年8か月余である。
と書いています。
明日24日は「牛島中将・長中将は割腹自決」した日です。
戦争は上記の如く終わったのですがその後の「GHQ駐屯」が沖縄では今でも続いています。
> 敗戦国だからって アメリカの言いなりじゃあね 国政は アメリカの顔色に右往左往
まったくエロゴリさんが仰るとおりですよね。
沖縄の戦後はまだまだ終わっていないのです。
せっかく「民主連合」になったのに「またまたダメ」ですね。
前の連合内閣でもでしたが、政治家は与党も野党も「私利私欲」だけしか考えていないです。
(前の連合の時私は「村山さんは安保と心中せよ!」と思いました)
「霞が関の先生方」が3日でも4日でも沖縄嘉手納基地周辺の民宿か民家にに滞在して見れば分かります。
(沖縄に来ても豪華ホテル滞在では分かりません)
我が国の政治家はどうして「沖縄の現実を正視」しないのかな。
(ちょっと熱が入ってしまいました・・・失礼)icon