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カジュアル哲学 (続)

カジュアル哲学 (続)>掲示板

公開 メンバー数:11人

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年08月31日 07時46分03秒

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    政党の政策の本質 (28)

     以上のべてきたことは、政権党の政策の形状的な共通点の問題であるが、いまひとつは、性質的な共通性の面である。それは五つある。
     第一は、国民が嫌がることは先送りすること
     日本の借金は、中央、地方をあわせると、1000兆円近くになる。バブル崩壊後は、毎年30兆円から45兆円くらいのペ-スで借金が増えているのである。この額は、世界で他に例のない額ではあるが、日本の場合は、その殆どが、1200兆円と言われる国民の金融資産で賄われているから、ギリシャのような金融危機にはならないで済んでいるのだが、それもあと2,3でパンクするのである。
     この問題に対処するために、何度が「プイマリ-・バランス」つまり、国債の利子や償還の額は別にして、あらたな国債の増発はしないで済ませよう、という目標年が決められたが、ご破算になってきたのである。デフレが解消しないとか、リ-マンショックでの世界不況、円高による輸出不振などの続発で、経済環境が好転しないからである。
     少子高齢化の日本では、年金や医療費は増えるばかりである。だから、歳出は年々増える、それをまかない、1000兆円にも上る借金を返済しうるだけの税収が得られる見込みはないと思う。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年08月30日 07時48分49秒

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    政党の政策の本質 (27)

     第四は、試行錯、誤的な政策である。
     実験、発明、研究開発の過程では、試行錯誤の繰り返しは当たり前だが、政策の面でもある。ある政策の費用、効果、その影響度合いが分からない場合に、それをテスト的に実施してみて、実績をよく研究したうえで、その本格的採用の可否を判断しようとする場合である。
     「○○特区」などと称して、特定の施策について、区域を決めてやってみることなどはその典型例である。
     民主党政権がやってきた「高速道路の無料化実験」もそれである。
     高速道路は、無料という国が多いが、その建設、維持にはカネが掛る。そのカネを料金で賄おうとするのか高速道路料金制度だが、これを無料化して物流コストを下げたり、人的、物的交流が盛んになり経済活性化に寄与したりするなどのプラス効果と交通渋滞、配送遅れなどのデメリットの出方を実際にやってみて判断しようとする実験である。
     その他、人手不足を補うための、開発途上国からの看護師や介護ヘルパ-の受け入れなどの政策も、試行錯誤政策の一つである。
     これらの試行錯誤政策は必要なものであると思うが、問題は、そのフォロ-アップである。やりっぱなし、放置されっぱなしになっているものが少なくないと思う。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年08月29日 07時14分41秒

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    政党の政策の本質 (26)

     政党が変わろうと、変わるまいと、リ-ダ-が変われば、政策が変わるのは止むを得ないであろう。変わりがなければ、何のためにリ-ダ-変更したのかと問われかねないからである。
     民主党に政権交代する前には、「国立メディア芸術総合センタ-」を建設するという構想があった。これはマンガ好きの麻生首相が言い出したと思われているが、そうではなく、07年の福田内閣で閣議決定されたものである。しかし、民主党政権に交代して、09年10月の閣議で予算執行は停止され撤回されている。
     日本のマンガやアニメ芸術は世のトップをいっているから、これが出来れば、良い観光の目玉にもなったであろうが、その夢は消えたのである。
    しかし、「エコボーイント」のような消費刺激的な政策は継続されているからなんでも前政権の政策が断ち切られるということではない。
     第三は、目先が変わるということである。
     世界一危険であると言われている沖縄普天間の米軍基地の移転問題で、鳩山内閣は、「移転先を国外へ、少なくても県外へ」というスロ-ガンを掲げて、一旦決まっていた名護市辺野古移転を覆して、沖縄の人を喜ばせ、期待させた。目先を買えたのである。しかし、その交渉は失敗し、1年後に元の名護市移転案のもどってしまい、沖縄の人を怒らせ、落胆させた。普天間移転は当分実現はしないであろう。これは目先を変えて失敗した事例である。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年08月27日 09時09分56秒

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    政党の政策の本質 (25)

    ・政党の政策の本質
     これまで、今はなくなった共産圏、自由主義圏にわたって、各国政党の政策史のようなものを見てきた。
     旧共産圏と自由主義権では、イデオロギ-が違うから、その政策が違うのは当然である。
     旧共産圏では、マルクス理論に基づく政策を強行し、自由主義圏では、その時々の景気状況や国民からの社会的サ-ビス要望などに応じて政策が選択される形になる。
     このような違いはあるが、共通的な点もいくつかある。その一つは、「現象面での共通性」である。これは四つほどある。
     その第一は、政策の振り子現象である。
     社会福祉的な政策を左、景気回復的な政策を右とすれば、政策が左右に振れることである。それは特にイギリスに典型的に見られたが、他の国も同じようなものがあった。
     これは、ある分野に力点をおいて政策を進めると、いろいろ要求が出て、その面ではよくなるが、他の分野で遅れてしまい、バランスが悪くなって見直す時期が来る、ということなのであろう。
     第二は、その政策を続けねねばならないのに、あるいは、続ける必要があるのに,打ち切られてしまう点である。その最大の理由は、指導者の交代である。
    政党が変わらなくても、首相などの指導者が変わることによって、その継続が、その必要性、有効性如何に拘わらず、打ち切られてしまうのである。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年08月26日 07時22分00秒

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    政党の政策の本質 (24)

     その結果は、所得格差の増大、中間所得層の減少と非正規社員、医療サ-ビス低下、ワ-キングプア-の増大を齎した失政であった。
     小泉内閣辞職後、安倍、福田、麻生と首相はめまぐるしく代わったが、いずれも短命、衆参ねじれに嫌気して放り出したような格好であった。
     09年の総選挙で、民主党が大勝した。保守的な日本の有権者も、自民党に合い愛想を尽かせたのであろう。
     民主党の鳩山代表は、「コンクリ-トから人へ」をキャッチフレ-ズに、高速道路、本四架橋、東京アクアラング、ダム、100箇所もの飛行場など、自民党政権時代の公共投資のムダをなくし、子育てや教育、暮しの向上にまわすことを狙って、「子ども手当て」「高速道路無料化」「高校授業料無料化」「農業の個別所得保障」などをマニフェストに謳った。
     このように、その民主党が掲げたマニフェストは、ばらまきづくめであったが、その財源は、17兆円と見込まれるムダ排除と、支出優先順位の見直しで捻出できると予見したのだ。
     その財源捻出のために「事業仕分け」という手法を使って捻出に努めたが、その捻出額は、予想をはるかに下回るものであった。
     それに加えて、11年3月11日に起こった、1000年に一度と言われる東日本大震災の発生、東電の福島第一原発の被災による大規模な放射能漏れの発生、3万人近い人命被害、都市の壊滅、農畜産物の放射能被害が発生し、その復興に20兆円を超える費用が掛るという事態に立ち至ったのである。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年08月25日 07時04分07秒

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    政党の政策の本質 (23)

     98年、アジアから始まった経済混乱は、ロシア、中南米、米国に広がり、日本も戦後、かってない不況に見舞われた。
     参院選では、自民党が大敗、消費税率を3%から5%に引き上げた橋本内閣が退陣、小渕内閣に代わった。
     小渕内閣は、公共事業で景気回復を図ろうと、国債を多発し、小渕自身が「後世、借金王となった首相と言われるだろう」と自嘲するほどであった。
     小渕はまもなく、病気で急死、代わった森内閣は舌禍のため短命に終わり、自民党総裁選では「自民党をぶっ潰す」「自民党を変える」というスロ-ガンを掲げた小泉純一郎が圧勝した。
     自民党に飽き飽きした国民も、「変人、小泉なら自民党を変えられるかも知れない」と思って、それに期待を掛けて、小泉支持したものと思う。
    小泉への支持率は80%を超える状態であった。
     小泉は「改革なくして景気回復なし」を施政方針としたが、政策の全体方向はアメリカ従属をとりながら、経済には全く音痴であるため、経済政策はアメリカ式の「市場原理主義」「財政再建」「自己責任、自助、自立原理主義」の経済学者、竹中平蔵に任せっ切りであった。
     その主要政策は、規制緩和、高額所得者層の減税、労働者派遣法改正、地方行政権限拡大、三位一体改革、郵政民営化などであった。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年08月24日 08時53分14秒

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    政党の政策の本質 (22)

     しかし、円高になっても貿易黒字は減らず、低金利と相俟って、銀行にも国内にもカネがあまり、そのカネが株や不動産のような投機性の高い投資に流れたのである。
     政府はこれを後押しするかのように、リゾ-ト法を施行し、不動産バブルに拍車を掛け、「土地は絶対に値下がりしない」という土地神話もからんで、土地、ゴルフ、リゾ-トマンションの価格は高騰した。
     これを警戒し始めた政府は、1990年3月に、総額規制を実施、事実上不動産融資を停止させた。ここからバブル崩壊が急坂を転がり落ちることになったのである。
     この年に湾岸戦争が勃発、日本は10億ドルも、拠出したが、「日本はカネは出すが、血は流さぬ」と悪評価されただけであった。
     1991年、ソ連が崩壊、74年に亘る壮大な社会主義実験は失敗に終わった。
     92年PKO法が成立、自衛隊の海外派遣が可能となった。
     93年には新党ブ-ムが巻き起こり、自民党は総選挙で過半数を割り、非自民連立の細川政権が誕生、55年体制は蒔くを閉じた。
     連立政権は、小選挙区比例代表並立制を成立させたが、カネと政治疑惑で退陣、代わった羽田内閣はわずか2ヶ月で退陣、村山社会党代表を首班とする自社さ連合政権が誕生した。
    96年の総選挙では自民党が返り咲いた。97年にはバブル崩壊の余波を受けて、拓銀、山一證券が破綻した。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年08月23日 05時35分10秒

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    政党の政策の本質 (21)

     田中の日本列島改造は、結局、道路網の整備は推進されたが、地方への産業誘致には繋がらず、逆に地方から都市へと人と事業を吸い出す「ストロ-効果」で、地方の衰退を一層激化させ、道路網整備に多額の出勤を残すことになった。
     75年、ベトナム戦争は、米軍敗退の形で終結した。
     日本では、不況が深刻化し、失業者が100万人に達した。そのなかで、三木武男、福田赳夫、大平、鈴木内閣を経て、1982年に中曽根内閣が誕生、86年には国鉄が民営化された。中曽根は、売上税の導入に失敗し、5年にわたる政権は幕を閉じ、竹下にバトンタッチされた。
     日本のバブルが始まったのはこのこ頃であった。
     当時、アメリカは、レ-ガノミックスの結果、米国の高金利によって、日本からの投資が増え、ドル高とアメリカの内需増大により、膨大な対日貿易赤字を生んでいた。
     米国は、この自国の景気低迷の原因を対日貿易赤字にあると判断して、1985年9月、「プラザ合意」を主導して「円高」を国際的に認めさせたのだ。
     日本は、アメリカに配慮して、この合意に賛同することに決定し、1986年から、1年強のうちに、公定歩合を5%から2.5%引き下げるという低金利に誘導し、内需拡大のために、公共事業投資、住宅及び都市開発事業促進を行った。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年08月22日 10時15分44秒

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    政党の政策の本質 (20)

     64年には、日本はOECDに加盟し、開放経済の体制に入った。翌年池田は病気で辞任、佐藤栄作内閣が承継した。が、不況、物価高が深刻化し、山陽特殊鋼が倒産、山一證券が経営危機に陥るなどした。
     佐藤政権は、高度経済成長のひずみ是正を目的とする「経済社会発展計画」を策定した。
    この頃、米原潜の母港横須賀への寄航反対、成田空港建設反対を巡って学生運動が盛んになり、全国的に波及した。
     1970年代になると公害問題がクロ-ズアップされ始めた。
     1972年沖縄が返還され、佐藤内閣は辞任、田中角栄内閣が成立した。
     田中は、「日本列島改造論」を唱えた。これは、日本列島を高速道路新幹線網でネット化し、地方の工業化を促進し、過疎、過密や公害問題を一挙に解決しようとするものであった。いかにも土建やの田中らしい発想であった。
     これにより、列島改造ブ-ムが起こり、土地の買占め、地価の急上昇が起こった。全国各地に工業団地が造成されたが、土地、道路が出来ても、地方の労働力都市に出ており、労働力不足で工場の移転は不成功に終わった。
     1973年には物価高が社会問題化した。
     この年の10月に第4次中東戦争が勃発、オイルショックが起き、狂乱物価と呼ばれる様相を呈した。75年10月には、田中内閣は金脈問題で辞任に追い込まれた。 

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年08月21日 16時31分52秒

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    政党の政策の本質 (19)

    ・自民党の政策
     2009年、民主党が政権交代するまでの60年以上は、ほんの一時期を除いては、自民党政権であった。こんな国は、共産圏などを除いては世界にない。
     従って、日本の政党の政策史は、自民党の政策史そのものなのである。
     戦後日本の経済復興の追い風となったのは、朝鮮戦争(1950-53年)とベトナム戦争(1960-68年)の戦争特需であった。
     日本はじまって以来だとして「神武景気」と名付けられた1956-7年には、経済白書で「もはや戦後ではない」として、日本の技術発展による経済発展が強調された。
     この年末に発足した石橋政権が僅か2ヶ月で病に倒れ、それを継いだ岸内閣は、自衛隊の増強、憲法調査会の発足、教員の勤務評定など逆コ-スを強め、更に安保協定の改定交渉を始めるなどによって、国民の間に反感機運が高まった。
     この安保条約は、1960年の衆院強行採決で発効させたが、岸内閣は総辞職した。
    代わった池田隼人首相は、岸の大国化政策を転換させ、「所得倍増、高度成長」をスロ-ガンに掲げた。その倍増計画は、60年度の13兆6000億円を10年以内に26兆円にしようというものであった。が、1年後の61年には、3年後の中間目標とされた17億6000億円が達成されたのである。

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