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カジュアル哲学 (続)

カジュアル哲学 (続)>掲示板

公開 メンバー数:11人

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2016年07月29日 09時56分42秒

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    製品改良の知恵

     市場原理はイコ-ル競争原理である。そこでは、製品に関しては、消費者に製品が陳腐化しているという印象を与えないように、不断の改良、改善、モデルチェンジにより新製品へ買い換えを促進することが必須になる。
     そのための、ITをはじめとするいろいろな応用可能な開発も進められてきており、メ-カ-は、それを活用し製品に新しい機能を付加することに躍起になっている。
     これは、資本主義社会としては当然のことである。
     しかし、問題はその改良、改善、モデルチェンジの内容である。
     テレビ、パソコン、選択乾燥機、浴槽、自動車、等などどの家庭用製品をみても、要らない機能、使ったことのない機能が沢山ついている。
     これは、製品に特異性を持たせ、競合他社製品との違いを示し消費者の購買意欲、買い換え意欲を刺激しようとする意図によるものであろうが、それを上から指示され、それに応えた結果である。
     消費者は、そういう新機能に興味を持って買うようなマニアもいないではなてが、そういう製品しか売っていないから、それを買わざるを得ないというが大抵の場合である。
     そのような消費者にとっては、それによって、機能が複雑になるから価格は高くなるし、操作は厄介になる、故障はふえるということで何のメリットもないどころか、デメリットばっかりなのだ。
     なかには、改良のつもりが、改悪になっているチェンジも少なくない。
     メ-カ-サイドは、顧客のニ-ズに応える顧客指向と云いながら、独りよがりで逆行していることにさえ気がつかないでいるのだ。
     これは資源のムダ、おカネのムダ、手間のムダ、知恵のムダ以外のなにものでもないのだ。
     と言って、かっての社会主義社会のようにも同じ製品を何十年も造り続ける、進歩のない社会でも困るが、要は、真の顧客ニ-ズを読み取り、顧客に使い勝手のよい、ムダのない機能の製品をイメ-ジする知恵である。利益はそれに付いてくるのである、利益を先に考えるから逆行になるのである。
     村上新八
     

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2016年07月28日 08時52分32秒

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    カネで黙らせ、武力で脅す中国の戦略

     国際法違反の南シナ海問題で示されたように、武力を背景に、ODAなどの資金援助で黙らせ、中国の理不尽な行為を黙認せようとする汚いやり口は外交とは非なるものである。
     国によって利害が相反する問題について、話合いで、双方が妥協すべき線に決着させることが外交であるはずである。
     中国は昔から、贈収賄にどっぷり漬かり切った国だが、中国が全て自国の領海だと称している南シナ海の紛争事案をみていると、正義の国際法や外交が、カネと武力でねじ曲げられていると感じざるを得ない。
     今回のASEAN会議では、中国側と国際法遵守側に二分されていた。
     国際仲裁裁判所が、時間を掛けて丹念に調査をして、中国側の主張を国際法違反とでるとの裁定を出したものを「紙くずだ」と一蹴した中国の態度は、北朝鮮並みのならず者国家の態度だが、ASEANを二分させて、カンボジア、ラオスを中国側に引き寄せたのは、両国に対するODAの提供と武力による脅威であった。
     カネと脅しで正義さえもねじ曲げてしまうのは個人だけでなく、国家もそうだということをまざまざと見せつけられた事案であった。
     贈収賄常習国、中国としては、特に異とも思わない対応なのであろう。
     この一事で、中国は国連の常任理事国の席を占める資格がない国であることが世界に示されたのである。
     だが、13億の人口を擁する中国市場の魅力に惹かれて先進国も日米を除いては、中に対する批判はしないであろう。
     これもカネに繋がることをおそれるからだ。カネ、カネ、カネ
    もううんざりだ。
     村上新八

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2016年07月25日 15時02分37秒

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    70年日本の平和守ってきたものは何か

     戦後70年の日本の平和は、一般には日本はアメリカの核の笠の下で守られいたからだと考えられている。
     この考え方は間違っていると思う。
     この70年間に世界のどこかで核兵器を使用した戦いでもあったなら、日本はアメリカの核の傘の下で守られたと言えるであろうが、そんな戦いは一度もなかったのである。だから、日本の平和維持とアメリカの核の傘とは無関係であると考えざるを得ないのだ。
     日本の平和を守り、その間、一人の敵兵も殺さず、また、自衛隊員の一人も殺させずに済んできたのは、ひとえに憲法第9条のお陰であると思う。
     これがなければ、ベトナム戦争や湾岸戦争あるいは、アフガニスタン、イラクの戦場に自衛隊を派兵しなければならなくなったであろうことは日米の同盟関係からも想定できるのである。アメリカは自衛隊の出兵を要求するであろうし、日本政府はそれを断れないであろうからである。
     そうなれば、数十、数百の自衛隊員が戦死したであろう。
     この平和を壊しかけているのか、自公が強行採決した2015年の安保法制なのだ。
     自公と壊憲勢力は、更に先の参院選で三分の二の議席を獲得した勢いに乗って、いよいよ阿倍悲願の壊憲を進めようとするであろうが、これだけは絶対に阻止しなければなるまい。
     村上新八


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  • from: 倭寇の末裔さん

    2016年07月25日 09時06分45秒

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    寛容と移民問題

     新聞社も劇場、レストランなど、警戒が薄いタ-ゲットをテロに狙われ、攻撃されたフランスでは、それらの事件発生以来18世紀の思想家ヴォルテ-ルの「啓蒙論」が再読されいるという。
     この著は、新旧キリスト教の対立のなかで起った「カラス事件」といえん罪事件に衝撃を受けたヴォルテ-ルが、理性をもって思想、信条の自由を確立する必要性を説いた著である。
     寛容とは欧州では、「黙認」「耐える力」「多様性への評価」とい意味をもつ言葉であるとされている。
     この著が、フランスで再読される理由はよく分らないが、右翼政党が「イスラム移民」の排除を唱え、勢力を伸ばしているなどの事情を考えると、カトリック教徒の多いフランスで、異教徒であるイスラム教移民に対してもっと寛大な心で接すべきはないか、という想いかもしれない。
     あるいは、それとは逆に、今まで移民の受け容れに寛大であったフランスは、一般の市民まで巻込む残酷なテロに何度も見舞われる現状を踏まえて、寛容とは何か、寛容の限界はどこにあるのかを改めて考え直し、イスラム教や他民族主義への対応を見直すべき、という想いかも知れない。
     寛容の精神は大切だが、徒に何の罪科もない一般市民まで殺傷する無差別テロを容認することは絶対に出来ない。それを徹底的に防ぐ対策を実施するとともに、そのテロのバックグランドをなくさねばならない。この二つを並行してやらねばならない。
     これは二つとも困難を伴うが、より困難なのは、後者であろう。
     それは、イスラム教の指導者の協力なしには出来ないことは確かであるが、スンニ派にてもシ-ア派にしても、宗教指導者達は一向に動こうとしない。
     これは一宗教の問題ではなく、全宗教の問題である。それは核兵器を全廃するよりも難しい問題であろうが、何とかしなければ世界全体かおかしくなりかねないのだ。
     村上新八

     


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  • from: 倭寇の末裔さん

    2016年07月22日 08時47分20秒

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    隣の芝が青い心理 (2)

    一般的には、その説明として、うらやましいとか嫉妬心とかを原因としてあげられているが、そういう場合もあるかも知れないがそればかりではない。
     そういう心理的傾向を持つ人は、次のような共通点があるように思う。
     ・神経が繊細である
     感じやすいし、他から影響を受けやすい。物事を信じやすい。情報に対しても疑念持たずに受け取ってしまう。又心配性である。 
     ・誇張してものを見る
     大げさにとってしまうのである。
     ・反応が過敏である
     音にたいしても、地震や人の動きにたいしてもビクッとすることが多い。
     ・自分がそう思いたいようにものを見たり、予想したりする
     ク-ルに客観的にものを判断することが苦手なのである。
     これらの四つは皆関連しているし、その性格は生来のものであるから、それを自覚しても、これを変えることは困難である。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2016年07月21日 11時03分01秒

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    隣の芝生は青い心理 (1)

    この言葉は、自分のものより他人のものの方が常に良く見えるという心理の喩えに使われる。
     ここで、「もの」とは、自分個人、自分の家、自分の資産、自噴の家族、自分の国など雑多である。
     この喩えの意味は、自分の庭の芝生よりも隣の庭の芝生の方
    が青々としてていれが行き届いているように常に思う、という意味である。
     じっさいに客観的に見ればそうではなくとも、そう思える心理である。
     こういう人はすべてについて、そういう意識を持つ。他人の収入や貯蓄額についても、通常常識的に予想される額よりも一桁も高く見る癖がある。
     これは、競争意識とか対抗意識によるものではない。他人を羨んだり、自分を卑下する心理でもない。自尊心は高いのである。
     とすると、これはどういう心理なのであろうか。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2016年07月20日 08時50分38秒

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    人間関係 (2)

     上司との関係のトラブルの最悪形態「パワ-ハラスメント」である。
     しかし、人間との間で、うまが合う、合わない、という問題は常にある。男女間では片思いといのがああるが、うまが合わないという現象は、双方的なもので、両方が相手を嫌うのである。
     医師と患者との間にもうまが合う合わないの問題はあるが、この場合は、関係を絶って、別の医師に掛かるという選択肢があるが、同じ職場の人間同士では始終顔を合わせなければならないから、離職か配置換えでもしない限り、離れるという選択肢はないから困るのである。
     しかは、こういう人間関係のトラブルを抱えたまま仕事をしなければならない状態は一刻も早く解消したい。その方法はいくつかある。
    1同僚との人間関係の場合
     仕事の上で、上司の信用を得ることである。上司が自分を買ってくれているこどが相手に分れば、自分に対する態度も控えめに鳴り、障害にならなくなる。
     しかし、相手の嫉妬、ひがみを買って、却って陰湿な報復に繋がるおそれもある。
     それを防ぐためには、相手に貸しを作ることである。相手が困っているときにそれなく助けてやることである。それで貸しをつくっておけば、相手の自分に対する態度も変ってくるはずである。
    2上司の場合
     自分が居ることが、上司にとってプラスになっていると思わせるようにすることである。
     自分が担当する仕事で成果をあげて、それが上司の手柄になるように仕向けることである。これも貸し造りの一種であるが、自分の手柄を上司の手柄にしてやることである。彼はそのことは表に出さないであろうが、心中では、恩に着ているから、自然に態度も変ってくるはずである。
     同じ職場なのだから、双方が居心良く過ごしたいと思っているはずで、その機微をうまくつく知恵が大切である。
     村上新八





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  • from: 倭寇の末裔さん

    2016年07月15日 09時01分08秒

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    人間関係 (1)

     「人間関係に悩んでいる」という例は多い。その挙げ句転職するとか、うつになり、求職に追い込まれたり、閉じこもりになったり、自殺にまで進んでしまうことも希ではない。
     これは大人社会の問題だけではなく、子どもの社会にもあるのだ。
     人間関係の問題とは、何かの目的を持って複数の人間が集まってに、仕事をしたり、何か活動を展開する場合に、相互の折り合いが上手くゆかなくなって摩擦が起る状態を云う。
     議会政治の場合、党派やグル-プが政策を巡って対立するのは当然であるが、これは人間関係の摩擦とは云わない。人間関係のトラブルとは、あくまで、同一の目的で活動している仲間間で発生する問題である。
     子どもの社会での人間関係は、平たく云えば「いじめ」である。大人の社会ので起る人間関係とはその原因がち違う。
     大人の場合は、仕事を進める上での意見の相違とか、上下関係や同僚関係でうまが合わないとか、昇進を巡っての嫉妬とかが原因である。
     子どもの場合はいじめである。いじめと喧嘩は違う。
     弱い子、とろい子、変った子、気にくわない奴と思われると、がき大将クラスの誰かが火付け役になり、皆を誘ってその子に対するいじめが始まるのである。それは常に一対多数である。
     家族の間でも、諍いはあるが、これは人間関係のトラブルとは云わない。



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  • from: 倭寇の末裔さん

    2016年07月12日 10時49分54秒

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    投票は党か人か

     選挙で投票する際、誰に投票するかの問題がある。
     現在は無所属が少なく、殆どの立候補者がいずれかの党に所属しているから、人を選ぶことは党を選ぶことになる。
     政策は党で決まるし、それが必要な、必要な法律が制定され、予算がついて施行されるかどうかは、党単位の多数決で決まる。
     とすると、議員はどんな位置づけになるのか。
     議員は例外なく、なんらかの政策を審議し決める委員会に所属している。そのなかで、一委員として提言したり、意見を述べてたりする。
     法案には、議員提出もあるが、政府提出法案が多い。それを委員会で審議し、最後は多数決で採否を決めるのである。とすると、議員は、法案採否に当っての一個の挙手要員に過ぎないとも言える。
     法案の大筋は決められているから、それを委員会で大幅に変更するようなことはまずあるまいから、野党議員の意見などは聞き置くていどで、一蹴されるであろうし、それを言いくるめたり、ごまかしたり、逃げたり、はぐらかしたりする手はごまんとある。
     そういう一個の挙手要員であれば、人は誰でもよく、どの党に属しているかどうかで投票すればよいということにもなる。つまり、人ではなく、党を選ぶ投票である。
     基本はそれでよいのだと思う。
     だだし、委員会での質疑を聞いていると、その質疑の内容は議員によって大きな違いがあることに気づく。裏の裏の真実を暴いてみせたり、大臣をたじろがせたり、舌鋒鋭く大臣を追い詰めたりできる議員もいる。
     こういう場面をみると、議員の質の重要性が分る。こういう点では議員の質、つまり議員個人の価値が大切なことが分る。
     こういうことが分っている場合には人へ、そうでない場合には党へ投票するということが正解ではなかろうか。
     村上新八


     
     

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2016年07月02日 06時54分58秒

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    現代の姥捨て山

     介護殺人と云う言葉が使われている。
     老老介護で、介護に疲れきった連れ合いが認知症の老人を殺害しとしまうという事件である。これには被害者本人が死を望んでいたという嘱託殺人も含まれている。
     統計によると、この6年間に138件もの介護殺人が発生したという。これは警察沙汰になったものだけであって、陰に隠れた実質的な老人の生命を救えるのら放置して死に至らしめた事案も少なくないものと思われる。
     「姥捨て山」という伝説があるが、これが日本で本当に実在したのかどうかは分らぬが、この風習は、エスキモ-やアメリカインディアンなど移動民族の間で食糧不足や老人同伴の手足まといになることから行われたという説もある。また、ヒンドゥ教やゾロアスタ-教の経典にもそのような記述があるという。が、実際にそのような風習があったのかどうかは分らない。
     しかし、現代の介護殺人は事情が違う。介護に疲れ切った末の思いあまった行為なのである。まさに長寿社会の悲劇なのである。
     こういう事件が起る度に、「地域の支援体制が必要だ」「独りで悩まずに周囲の助けを求めるべきだ」「声を上げるべきだ」というようなコメントが出てくる。が、まずそれに応えなければならないのは公共機関であろうが、実際には公共機関は何の支援もしてはくれないのだ。通り一遍の対応しかしないのだ。
     だから、そのようなコメントは、言い訳にしか聞こえないのである。それを救うための有効な対策がとられたという例も聞かない。
     このような悲劇はなくならないであろう。段階世代の高齢化を迎えて、今後益々増えてゆくであろう。
     まさに、長寿社会の悲劇である。
      村上新八
     

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