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from: 倭寇の末裔さん
2014/09/29 08:21:08
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懐疑の哲学 (3)
ルネサンス期には、懐疑主義はキリスト教的なビュロン主義に変形された。
即ち、懐疑主義は、人間の知恵の空しさ、あるいは人間性の無力を証するものとして受け取られ、唯一確実な知は、信仰と啓示によってのみ与えられるものという信仰主義の基礎とされたのである。その代表はモンテ-ニュだと言われている。
17世紀に入って、このような通俗化された懐疑主義に対抗したものが、デカルトだという。
デカルトの「我思う故に我あり」の言葉がその発端となった。
これにより、「明証性」というものが真理基準とされたのである。
明証とは、直感的に明らかで確定していることを意味しており、それは、論理的客観的にみても確実なものであると言う考え方である。
しかし、デカルトは、明証という言葉は、あまり使わず、明晰、判明、知覚と言う表現を使っていたという。
ただ、デカルトは、懐疑という意識を全面的に否定したのではなく、思考する自分自身のように、それが存在することに、全く懐疑の余地のないものもあるよと言うことをいったまでだと思う。
イギリスでは、真理を確実性の問題として、確実性を幾段階かに分けて、人間は絶対的な確実の段階には到達できないとして、懐疑主義を認めながらも、蓋然的確実性(おそらくそうであろうというレベル)を認める立場をとった。いかにもイギリス人らしい現実的な解釈である。-
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