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カジュアル哲学 (続)

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2017年08月14日 09時30分56秒

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    教育機会の不平等

     「生命だけは平等だ」という言葉は、徳州会病院システムの創設者徳田虎雄が唱えたものだが、教育機会も不平等であつてはらない。貧乏だから上の学校にはゆけないでは、折角の人材が活かせられないことにもなりかねないからである。
     しかし、現実には6人に1人の子は貧乏家庭の子であるという。これが、教育機会不平等につながる。
     昔から日本の親は、子の教育には熱心な親が多かった。親が小学校しか出ていないのに、子は大学教育まで受けさせるという親は少なくなかった。それには、親も苦労して子どもの学費を捻出したのであろうが、子も苦学の限りを尽くした結果であろう。
     今は学費も高くなつているから、一段と学費の捻出には苦労するであろう。とすれば、奨学金制度を充実するしかあるまい。
     しかし、一方では奨学金を受給した者が卒業して就職してから、奨学金の返済が出来なくて未払い、返済が滞っているという事実もあるという。
     これは支払おうという意識が低いこともあろうが、奨学金に利子を付けるのはどうかと思う。奨学金の性格から無利子とし、学卒の給与水準や昇給状況を考えて、支払い額、支払い期間を見直すべきではないか。
     つまり、奨学金返済は支払える額にする一方で、給与から天引きするなど返済の保障措置も必要であろう。
     教育機会平等化の哲学は、「無理のない奨学金制度を」ということであろう。
     

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