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カジュアル哲学 (続)

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2018年06月26日 10時04分41秒

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    人はどう生くべきか (1)

    「自分らしく生きたい」というような声が多いが、その自分らしくとというのは、「自分が好きなように」ということで、その希望はほとんど叶えられないのが実態のようだ。
     人がこの世に生を受けたということは、有り難いことである。
    この有り難いというのは、「ありがとう」の意味ではなく、父母の結婚と卵子と精子の偶然の結合という偶然の重なりで生まれてきたもので、軌跡に近いという意味である。
     だから、折角もらった命を「どう行生くべきか」を考えることは大切なことだと思う。
     若いうちにそれを考えても、夢を追う妄想みたいなもので終わってしまう。少女が、白馬に跨がった王子様が迎えに来てくれると妄想するのと同じである。
     本気でそれを考えるのは、男の場合では40歳代後半以降、つまり自分の先行きがほぼ見えてきたと感じる頃であり、女の場合は、子育てがほぼ終わった頃であろう。
     それ以降を人生の後半だとすれば、この人生の後半こそが、「自分がどう生くべきか」の舞台になると思う。それまでの人生は自分で決めるというより、自分ではない他の要因で決まってきた人生だからである。
     進学くらいは自分の意思で決められるが、就職、就職先での職場の選択などは自分の希望通りには行かないのが当たり前なのだ。結婚して家庭を持てば、自分の意思を曲げても、家族のために働かねばならなくなる。
     それが前半までの人生の実態なのだ。だから、自分の自由がきき易くなるのは後半の人生からということになるのである。
    さて、この後半の人生で何をしようとするのかは、いままでの人生の延長線上にないものであっても、勿論構わないし、全く新しい方向であってもよい。
     そんなことは考えないで自然に時の経過に任せて生涯を送る人がほとんどであるが、それでもよい。
     また、こうしようと考えていることが、世に害をもたらすよすなことでは困るが、そうでない限り、単なる個人満足や道楽に類することであっても良いと思う。人生の後半は、自遊時間(Time in on your side)として、自由に活用することは許されてよいと思うからである。
     それは何のためにやるのか。一回限りの人生の満足度を高めるためにやるのだ。人生を閉じる間際に「これで良かったんだ。やりたいことはやった」と思えるようにするためにやるのだ。
     


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