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カジュアル哲学 (続)

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2018年07月04日 10時08分59秒

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    遊びの真理 (1)

    「遊び」という言葉で連想するのは、まず子どもである。
     遊ぶこどもを見て「遊びをせむとて生まれけむ」と述べた文人もいた。子どもは遊びの天才である。
     遊びを分析した時実利彦によると、遊びは四つに分類出来るという。
     第一は「模倣」である。子どもの遊びにある「戦争ごっこ」や「追いかけっこ」などのごっこ遊びがそれである。彼はこれは子供の成長の準備のためであり、成長すれば止めてしまうというが、結果的にみればそうなるのかも知れないが、子どもはそんな狙いでこの遊びを始めたわけではないと思う。有り余るこどものエネルギ-を使い尽くして動きまわるに適した遊びだから、自然に戦争ごっこや追いかけごっこを模倣的につくりだしたのであろう。
     第二の遊びは「憂さ晴らし」だという。
     人間の大脳の新皮質、とりわけ前頭葉連合野の発達によってそのふちにある大脳辺縁部の本能的的欲求や情動が抑圧され、それがフラストㇾ-ションを溜めることになり、それを発散させるのが「憂さ払し」で歌や踊りなどの遊びになるというのだ。
     確かに、日本の演歌などはこのタイプのフラストㇾ-ションの発散に該当するであろうが、こういうネガティブ面に限らず、一般の喜怒哀楽の放散が歌や踊りであろう。
     第三の遊びは「代償満足」であるという。
     人間は、負けん気や優越感、権力欲、名誉欲を持っている。これも新皮質にできるものだが、これに成功する人はごく一部で他はその感覚は味わえない。その代償としてゴルフやマ-ジャンなどの勝負事をやるのだという。
     こんな勝負事で勝ってみても、それが代償満足になるとは思えないからである。
     第四の遊びは学問、芸術で、この分野で創造的な仕事をすることだという。
     この遊びが最も人間的であるというが、これは人間にしかできないことと言い換えた方がよい思うし、これは仕事であって遊びではないと思う。が、その仕事が面白くなれば遊びに近いものにはなるであろう。 
     




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