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カジュアル哲学 (続)

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2018年03月07日 11時18分18秒

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    夫婦愛

    しょっちゅう顔をつきあわせ、喧嘩ばかりしいる夫婦では、自分にとって相手が必要不可欠な存在であることに気が付かない。夫は妻を女として扱っていないし、妻は

     しょっちゅう顔をつきあわせ、喧嘩ばかりしいる夫婦では、自分にとって相手が必要不可欠な存在であることに気が付かない。
     夫は妻を女として扱っていないし、妻は自分中心にものごとを考える傾向が強く、子どもが独立して夫婦二人の生活になると、それが目立ってくるからである。
     「定年離婚」とか「高齢離婚」という言葉があるが、それは現象的には、このようなことが起因しているのである。
     しかし、こんな夫婦でも、何かの理由で相手がいなくなると、はじめてその存在の必要性有難さ、大切さ、不可欠さに気づくのである。
     その極端な場合が相手の死である。「生きているときは喧嘩ばかりしていましたが、有り難い人でしたよ」等と述懐する言葉を何度も聞かされた記憶がある。が、死んでから気がついたのでは遅すぎるのである。
     死ぬかもしれないような病気で、ある期間入院したような場合はそれに気が付く良い機会になる。それも入院があまり長すぎても、短すぎてもダメである。
     人間は勝手なもので、あまり長すぎる入院は、お金も、手間も掛かるからうんざりしてしまい、いい加減に死んでくれたら等と勝手な事を思い始めるからである。
     また、短か過ぎれば、「良い息抜きだった」などと思いかねないからだ。
     長すぎず、短かすぎない入院は、相手の存在感を見直し、自分にとっての価値を気づかせてくれるのである。
      その時はじめて、長年つれそった老夫婦の間に新たな愛が芽生えるのである。それもまた良いではないか。
     「夫は妻を空気のような存在と思っている」という言葉がある。これは、妻は居て当たり前、何も気にしなくてよいとう意味にとるなら大間違いである。だから、「定年離婚」を招くことになるのだ。
     空気の譬えは悪くはない。しかし、空気は生きていく上で絶対必要なものだし、だから常に清浄な空気に保たねばならないものと考えるべきである。その意味を込めて妻に例えるなら正解である。
     清浄な空気に維持するとは、妻は常に女としての意識をもって扱ってもらいたいと思っていることを認識して対応することである。
     それも男としての甲斐性の一つである。
     
     


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  • from: 倭寇の末裔さん

    2018年03月05日 11時50分20秒

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    人生100歳時代

    1017年現在日本全国で100歳以上のお年寄りは6万人を超えるという。そいう状況を見て、人生100歳時代と云われ始めた。「人生わずか50年」と云われ、

     1017年現在日本全国で100歳以上のお年寄りは6万人を超えるという。
     そいう状況を見て、人生100歳時代と云われ始めた。
      「人生わずか50年」と云われ、70歳は「古稀」すなわち、「70歳古代希なり」という言葉があつたのはこの間までのような気がするが、急激に高齢化が進んだのだ。
     2030年ころには、100位以上の人口は30万人を超えるという予想もある。
     先頃「90歳何が目出度い」という本が出版され、ベストセラ-になつたと言うが、今さら何を云っているのかという感じである。
     「老齢破産」「高齢貧民」と云われ、無年金者は勿論のこと、満額でも付き6万円程度の国民年金では生活してゆけず、自分は75歳程度、妻は82歳程度の寿命とみて貯めていた貯金も底を尽き、生活保護に頼らざるを得なくなった高齢者は、安楽死をさせてくれる国があったら、出かけたいくらいの思いでいるのだ。
     「健康長寿」という言葉があるが、長寿でも、病気で苦しんだり、寝たきりででは生きていてもつまらないという思い込めた言葉であるが、それがなかなか叶えられないのだ。
     庶民には余分カネはない。少ない月の家計費予算を十日に分けて、やりくりしながらの生活では、余生を楽しむ余裕などないのである。
     子どもがいても、それぞれの生活があるし、子どもには迷惑は掛けたくないという思いが強いから打つ手はない。
     GDPの2年分を上回る1000兆円もの借金を抱え、小子高齢化で年金や医療費負担も先行き大幅減額せざるを得ない財政状態にある国家財政では先行きの見通しは真っ暗である。
     小子化と長寿社会化はまさしく国難である。こうなったら、「安楽死法」でも制定してくれと云いたくなる。

     

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2018年03月02日 12時07分35秒

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    医師の技倆評価

    アメリカでは医師の技倆評価は厳しく、しかも公表されている。評価項目は、例えば外科医であれば、手術数、成功数、手術患者の生存率等詳細に亘って公表されてい

     アメリカでは医師の技倆評価は厳しく、しかも公表されている。評価項目は、例えば外科医であれば、手術数、成功数、手術患者の生存率等詳細に亘って公表されている。だから、患者は、その記録を見て、医師を選定できる。ところが、日本の場合は、医師は、自己宣伝を制限されていて、診療科目、博士号くらいしか公表を許されない。
     だから、患者はどの医師に掛かったらよいか、技倆レベルがどうかも分からず、口コミくらいに頼らざるをえないことになる。その口コミも少ないから、あちらこちらと医師のはしごをしたり、インタ-ネットで検索したりということになる。
     これは、病気を長引かせることになるだけでなく、公私両方の医療費の大きなムダである。
     この原因は、医療制度にある。医師の技倆評価もせず、技倆に差をつけず、横並びにしておくことが、公平なのだという変な公平主義が招いている弊害なのである。
     その点、アメリカのようなオ-プンな競争社会の形にする方が患者にも分り易く、医師には技倆向上努力を促し、無駄な医療コストも少なくなるのではないか。
     日本で医療技倆評価を行わないのは、評価項目や方法に適切なものがないから、という理屈もあるのであろうが、それはやりたくないための屁理屈で、アメリカのようにやってみながら、まずい点は改善してゆくというのが正道であろうと思う。何もやらないで、ダメだでは一歩も進まない。
     このような形になっているのは、日本社会の悪習弊とも言える、変な平等主義の弊害であ。


     

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