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反創価学会

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  • from: 21世紀さん

    2011年01月31日 13時11分10秒

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    「Re:メディア戦略(言論封殺)」
    言論弾圧の「不買運動」再び!?

    --------------------------------------------------------------------------------

    (「破邪顕正」『聖教新聞』H15.5.31/『フォーラム21』H15.6.15)

    ◆悪質な人権侵害を繰り返す『週刊新潮』等のデマ雑誌には、声を大にして「買うな」と叫ぶことが正しい非暴力闘争だ。まさにデマ雑誌こそ、社会の根本を狂わせる一凶だ。ゆえに皆で「買うな!」「読むな!」「店に置くな!」「広告を出させるな!」と、猛然たる世論を興隆させるべきだ。
    ------------------------------------------------------------
    ここには、言論の自由に対する配慮は微塵もない。たとえ自らにとって耳の痛い批判的言論であってもこれを認めるのが言論の自由である。自らに批判的な言論の存在を許さないというファッショ的体質が滲み出ている。実は、このような"不買運動"は、今回が初めてではない。過去に『サンケイ新聞』の不買運動を実際にやったことがある。さらには1969年には藤原弘達氏の『創価学会を斬る』について、出版妨害事件を引き起こした。後者については政治問題となり、「今後は2度と、同じ徹を踏んではならぬと、猛省したいのであります。……言論の自由を守り抜くことを私どもの総意として確認したいと思います」(池田大作・1970年5月3日「第33回本部総会」)としていたのである。今回の"不買運動"は、言論問題の反省謝罪を反故にした、ということであろう。(<言論問題>参照)

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  • from: 21世紀さん

    2011年01月31日 13時09分33秒

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    「:Re:メディア戦略(言論封殺)」
    特集/中央公論「政教分離」特集の不可解

    --------------------------------------------------------------------------------
    ―読売傘下の『中公』が行き着く果て―

    (山田直樹=ジャーナリスト『フォーラム21』H15.9.1)

    <激変にみまわれた『中央公論』>
     ルーツを辿れば、京都・西本願寺につきあたる。1887年に同寺が創刊した『反省会雑誌』。5年後、それは『反省雑誌』と名称を変更し、さらに7年後『中央公論』へと改題。発行元の反省社が「中央公論社」に改称したのが1914年。この雑誌は、途中、44年には歴史的フレームアップ事件として名高い「横浜事件」に絡んで一時廃刊に追い込まれたものの、敗戦翌年1月から復刊された名実ともに歴史と伝統を持つ月刊誌である。
     たとえば、『文藝春秋』の創刊は大正12年。実質、明治生まれの『中央公論』(以下、中公と略)の足元にも及ばない。この雑誌で特筆大書すべきと思われるのが、戦後3大怪事件のうちのひとつ「松川事件」(東北本線松川・金谷川間での列車転覆事件。東芝労組員など共産党員による犯行だとフレームアップされた事件)の真相究明だった。筆者の広津和郎は同誌の53年10月号に「真実は訴える 松川事件・判決迫る」と題する論考を執筆・掲載して以来、この事件の真相発掘に情熱的に取り組んで、世論形成にかかわった。中公は、ある種、採算を度外視して広津に活動の舞台を提供したのである。それは、この事件・裁判だけのために臨時増刊号を2冊も発行した中公の心意気からも垣間見える。まさしく雑誌ジャーナリズムの金字塔と言える快挙だった。
     が一方、60年12月号に掲載された小説『風流夢譚』(深沢七郎作)が皇室を侮辱するものだとして右翼の激しい攻撃を受けた。社長の嶋中鵬二氏自宅に右翼少年が押し入って、社長夫人に重傷を負わせ、お手伝いさんを殺害する惨劇を引き起こしたのが61年2月1日。この事件以降、中公が雑誌ジャーナリズムを牽引するような記事を掲載することは2度と訪れなかった。特にこの前後、同社は「週刊公論」という週刊誌も発行していたのだが、その成績も芳しくなく廃刊。以後、同社は全集、新書、文庫中心の出版社として転進を遂げる。
     その中央公論社に明治以来の激変が訪れる。読売新聞社による買収だ。『GQ』など、新雑誌の不振や言わずと知れた出版不況があったにせよ、これは衝撃的事態だった。他方、読売にすれば『週刊読売』(現・ヨミウリウイークリー)などの雑誌はあっても、朝日とは比較にならぬ出版部門の弱さをカバーして余りある買い物だった。それらが結局、どこへ向かうか。中公9月号は、それへの「回答」と言えるのかもしれない。
     内容への批判は別項に譲るとして、この「『政教分離』を柔軟に考える」なる特集は、雑誌名を「創価公(明党)論」に替えた方がいいほどの“出来ばえ”である。
     伏線はあった。宗教法人法改正後、中公は突如、池田大作創価学会名誉会長インタビューを掲載した。聞き手は田原総一朗氏である。
     それまでこの法案改正に、直接的な発言をしてこなかった中公の唐突さは否めなかった。
     一方の読売新聞社は、着々と手を打ってきた。『週刊読売』での池田氏の連載、「私の世界交友録」(後に単行本化)に始まり、学会機関紙『聖教新聞』の関連会社による印刷――。ドン・渡辺恒雄氏は、明らかに“親創価学会”へと自社メディアの舵を切った。
     中公にせよ読売にせよ、池田氏関連の書籍、雑誌インタビュー記事を出せば、確実に売り上げが見込まれる。一方、学会サイドにすれば、伝統、権威、名門、部数などでそれなりの実績あるメディアへの登場は、会員へ「学会・池田氏の社会的認知度」を印象づけられる。とりわけ今回の中公特集は、総裁選、総選挙を控えたこの時期をなぜ選んだのか、中央公論新社、なかんずく読売新聞社の意図を見据える必要がある。
     「これは中公の営業対策でしょう。今までの池田本を中央公論に移管するのでは」
     と、読売のとある営業関連社員がささやく。先述の『私の世界交友録』に始まり、『世界の指導者と語る』から、直近では『新たなる世紀を拓く』と、立て続けといっていいペースで池田本を出版してきた読売新聞社――。
     他方では、こんな企画もやっている。00年11月29日付、朝刊にはこんなタイトルが踊った。
     「21世紀に読み継ぐ 4645人感動ベスト10 読者が選ぶ21世紀に伝えるあの1冊」
     これは同年10月9月付の同紙紙面でリストアップした著作の中から、公募に応じた読者アンケートによって決められたものだ。
     1位の『アンネの日記』以下、『論語』『夜と霧』『キューリー夫人伝』『旧約聖書』などが続く。
     日本の名著では、1位の『日本書紀』『立正安国論』『雪』『人生論ノート』『17条憲法』などがランク入りしている。ところがこの紙面には、事前にはリストアップされていなかった池田氏の著作が、「リスト外」名著として挙げられている。なんとも不可解なアンケートである。
     池田氏著作で“名著”とされているのが、『人間革命』『新・人間革命』『法華経の智慧』と3冊ある。これは一体どうしたわけか。読売新聞側は取材したメディアに対して、概略、以下のように説明したという。
     「『日本の名著ベスト 10』は、識者が選んだものではなく、公募に応じた4645人が選考。識者が選んだものは、『ベスト 10』ではなく、『識者が選んだ各分野の1位』として掲載している。企画については、10月9日付1面で『21世紀に伝えたいあの1冊』募集の社告とともに、参考リストを掲載。『参考リストの中から選んでください。リストにないものでも結構です』と記してある」
     なにやら今年のオールスター戦出場選手選での「ネット投票」を思わせるではないか。要は、読者の方については単純な人気投票だったのだ。付け加えると、識者が選んだ各分野の1位には『人間革命』、『新・人間革命』が入っておらず、道元の『正法眼蔵』はあるが、日蓮の『立正安国論』は入っていない。
     創価学会員なら、池田氏の3冊に名著の“評価”をなすのは当然である。読売リストにあった『立正安国論』を見て、それなら池田先生の著作もと、学会員がアンケートに多数応募した結果がこれだったと見るのは穿ちすぎか。
     問題はその人気投票数ではなく手法だ。新聞社がしばしば行う世論調査には、さまざまな落とし穴がある。私はその点を小誌に書いた(創刊2号)が、読売が行ったこのアンケート調査は「調査」と称することさえはばかれる、単純な人気投票だ。新聞社は、池田氏の著作を名著で列挙する前に、好きな宗教家、嫌いな宗教家の世論調査を、それこそ厳密に行うべきと思う。
     学会員の評価がどうであれ、『人間革命』などの出自に読売は何の疑いも持たぬらしい。これが代筆でなされたことは、多くの脱会者が証言しているのに。しかも池田氏(この小説では山本伸一となっている)称賛ストーリーは、読むものを胸くそ悪くさせること必定。それを「アンケート回答で数が多かった」というような理由で、名著に加える読売新聞社のスタンスが問題なのである。


    <読売記者も嘆く「読売」の無節操>
     その年の大晦日。読売は再びお節介な企画記事を掲載した。1897年から00年までのベストセラーの年間調査結果である。ここでは、『人間革命』が65年の、『新・人間革命』が98年のベストセラーと記されている。たしかに部数から見ればそうであろう。
     800万会員は、こうした著作が出れば買うのだから、そうならない方がおかしい。
     「だから」
     と、先の読売関係者が続けて、
     「この先、中央公論のハードカバーや新書、文庫で、たとえば池田氏の教育論なり宗教論を出版していく露払いのような企画に、今回の中公特集は見えるのです。そのうち『婦人公論』に、池田サンの奥さんが登場することだって十分ありえるんじゃないか」
     これまで読売(もちろん渡辺氏の意向だろうが)は、憲法改正試案や個人情報保護法試案などを世に問うてきた。そして、昨年6月9日には「宗教と政治」なる署名記事が掲載された。この記事が象徴的だったのは、公明党の政権参加は「政教分離違反」ではないと断じ、公明党が国民政党に脱皮することと、排他的信仰との兼ね合いで、支持を広げるために妥協することの「距離」を問題視している点だ。記事はこう書いている。
     〈宗教、政治、そして政党……のあるべき姿とは何か。共通する問題が民主主義政治の根底にある〉。
     これをまさに受ける形で、今回の中公特集が企画されたと思えてならない。タイトルの「『政教分離』を柔軟に考える」以下、読めば読むほど、さらに一歩踏み込んだ、つまり学会・公明党を翼賛するメディアに読売・中央公論は変貌を遂げたといわざるを得ないのである。知人の読売記者がこう吐き捨てた。
     「読売がこの調子で、公明党・学会サイドのいうような3人区150選挙区の中選挙区制に制度を換えろと言い出すんじゃないかと……」
     秋谷栄之助創価学会会長と渡辺氏の密会は、写真を撮られているにもかかわらず、秋谷氏サイドは否定したいわくつきのものだったが、その後も、神崎代表と渡辺氏が揃って巨人戦を観戦した事実も発覚している。
     読売新聞は1000万部に近い発行部数を誇る。聖教新聞は公称、550万部の発行部数。この両者がタッグを組むような事態は、もうそこまで来ているのかもしれない。

    山田直樹(やまだ・なおき)フリージャーナリスト。1957年生まれ。文庫本編集者を経て、「週刊文春」記者。イトマン事件など経済事件を担当し、今春独立。

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  • from: 21世紀さん

    2011年01月30日 10時38分54秒

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    「Re:メディア戦略(言論封殺)」
    権力背景にメディア恫喝(仮題)

    --------------------------------------------------------------------------------
    ―「『小泉=池田大作』弾圧政権を監視せよ」より―

    (『週刊ポスト』H15.11.28抜粋)

     この総選挙で最も異彩を放っていた人物が公明党の神崎武法代表だった。
     普段は口数が少なく、かつて新進党時代、小沢一郎氏は神崎氏のことを、
     「メモばかりとっている男」
    そう評した。他の党首のように持論を展開して政策や主張を切り結ぶという印象は薄く、母体が強固な創価学会だけに、おとなしいソフトな党首というイメージが強かった。
     ところが、選挙中の神崎氏は絶叫型の小泉純一郎首相がかすむほどに、鬼面の迫力で民主党を攻撃し、まるで政権を一身に背負って民主党と争っている趣さえあった。おそらく国民も初めて見る神崎氏に驚いたに違いない。
     公明党幹事長の冬柴鉄三氏もいつになく激しかった。選挙結果については小泉首相でさえ、民主党を「善戦した」と評価したのにひきかえ、冬柴氏は開票日の深夜、
     「政権交代を掲げて実現できなかったのだから、(菅直人代表は)責任を取るべきだ」
    そう突きつけ、取材陣にも、「それをあなた方はなぜいわないのか」―と、のしかかるような言い方をした。
     政権党としての自信がそういわせているのだとしたら、この党に内在するある種の危険性を封じ込めてきたタガが外れつつあることを如実に物語る光景ではなかったか。
     遊説や会見だけにとどまらない。公明党の母体の創価学会は、『週刊新潮』に対し、学会系出版物を総動員して異常なまでの批判キャンペーンを繰り広げている。それが一般紙や電車内の吊り広告などで宣伝され、今や"反週刊新潮"の社会現象を呈してさえいる。学会が強く出ると、公明党まで強くなる。まして政権を持っているのだ。
     公明党はテレビ朝日に襲いかかった。総選挙終盤、同局の看板番組『ニュースステーション』では、民主党が発表した"菅内閣"の閣僚発表記者会見を30分近くの時間を割いて報道した。公明党はそれに「民主党と戦っている与党に不公平だ」といって猛然と抗議し、ついには自民党とともに同局の開票番組への幹部の出演を拒否するという、これまた異常事態を現出させた。放送免許の許認可権行使に影響力を持つ政権与党側がそうした意思表示をしたらどういう結果をもたらすかを考えていないとすれば、そっちの方がよほど恐ろしい。
     もし、公平性をいうなら、例えば、小泉政権側が10月5日の民主党と自由党の合併大会に合わせて藤井治芳(はるほ)・日本道路公団総裁の更迭劇を仕組んだり、安倍晋三・自民党幹事長の誕生をメディアがまるで芸能ヒーロー登場の如く、朝な昼な夕なにたれ流し、政権人気をあおったことをどう思うのか。
     11月4日の午後9時から行なわれた菅内閣の閣僚発表会見にしても、『ニュースステーション』の報道ぶりより、むしろ国営放送のNHKが9時のニュース番組で全く報じなかったことこそ公平性を強<問われてしかるべきだった。およそ欧米のメディアでは、選挙報道は政権党と野党を時間的に同等に扱い、必ず反論の時間も与える。メディアのあり方はメディア間の相互批判と国民の評価によって正されていくのが原則だ。
     それなのに、自民党と公明党は、細川内閣当時の椿事件(※)の時と同じように、テレビ朝日側の証人喚問までチラつかせ始めた。
     テレビ朝日広報部では、
     「現在、当社の上層部が与党サイドと話し合いを持って解決の糸口を見いだそうとしていますが、まだ進展がないようです。今後の報道への影響に心配がないといえば嘘になります」
    と、不安を隠さない。そのこと自体、政権与党が証人喚間や放送事業への許認可権を武器にメディアを操作し、言論封殺をはかることに成功しつつあるといえないか。
     証人喚問が政争の具に使われることの危険性は当の公明党自身が一番身にしみてわかっているはずだ。だからこそ、公明党=創価学会は「証人喚問」という言葉に敏感に反応する。

    ※椿事件/93年10月、民間放送連盟の会合でテレビ朝日の椿貞良報道局長が、「総選挙では、非自民連立政権成立の手助けとなるような報道をした」と語ったと報じられた。自民党は発言が放送法に規定された不偏不党、政治的公平に抵触するとして証人喚問を要求し、実現。椿氏は発言を否定したが、テレビ朝日を辞職した。

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  • from: 21世紀さん

    2011年01月30日 10時37分05秒

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    「Re:メディア戦略(言論封殺)」
    巨額の広告費にモノを言わせた中傷キャンペーン(仮題)

    --------------------------------------------------------------------------------
    ―「新『創価学会』を斬る(第1回)」より―
    ―「異様な中傷キャンペーン」が思い出させる狂気の「言論弾圧事件」―

    (山田直樹『週刊新潮』H15.11.6抜粋)

     新潮社の反人権とねつ造の歴史
     "ウソ八百"山崎正友の厚顔無恥
     この1冊で週刊誌報道のウソがすべてわかる
     『週刊新潮』による創価学会報道のウソ
     ガセネタ屋「乙骨正生」にまたも司法の断罪!
     破廉恥な竹入義勝の経歴詐称
     ……連日、創価学会系出版物による異様とも言えるキャンペーンが続いているのをご存じだろうか([画像])。
     新聞や雑誌の広告欄で、そして電車の中吊り広告で、それは今年に入って目もくらむような巨額の資金が投入されて行われている。
     彼らがターゲットにするのは、週刊新潮や新潮社そのもの、あるいは学会に批判的なジャーナリスト、そして学会を脱会した元幹部、元公明党幹部らである。
     彼らに対して憎悪に満ちたタイトルで、これでもか、と罵声を浴びせかけている。(中略)
     別表([画像])をご覧いただきたい。
     これは03年7月から遡る2年間、新聞や中吊りなどへ学会関連出版社がどのような広告出稿を行ったか、広告業界の内部資料に基づき段数(面積)と金額(正価換算)を集計し、グラフにしたものである。
     『潮』(潮出版社刊)や『第三文明』(第三文明社刊)は、いずれも創価学会系版元の月刊誌だ。これに加え『パンプキン』(女性誌・潮出版社刊)、『灯台』(主婦向け子育て誌・第三文明社刊)などの中吊り広告、新聞広告に毎号"定番"で登場するタイトル(コピー)がある。
     ひとつは、池田大作創価学会名誉会長称賛、宣揚であり、いまひとつが、学会に批判的なメディアや人物への攻撃だ。
     とりわけ後者はすさまじく、冒頭に挙げた例はごく一部に過ぎない。
     辛口のコラムニストとして知られる徳岡孝夫氏は、こんな感想を抱いている。
     「(電車の)中吊り広告というのは、サラリーマンが通勤途中に、半分眠りながら見るものですよね。熟読するのではなく、必ずしも実際に雑誌を買うわけでもない人たちが、ごく短いキャッチフレーズによって、天下の形勢を窺う。吊り広告というのは本来そういう性質のものです。
     ところが、最近の『第三文明』や『潮』の広告を見ていると、それとは違う。なんだかグロテスクだなと思いますよ。これまでの創価学会のこと、例えば言論出版抑圧事件などを思い出して、ああいう胡散臭い団体が、またグロテスクな作戦を始めたなと思います。程度の差こそあれ、宗教というのは他者への寛容、トレランスを持っていないといけないと思うんです。それがないために、世界ではいろいろな問題が起こっている。ああいう広告は、自分の気に食わないメディアを名指しで糾弾して、電車の中で絞首刑にしているわけで、週刊新潮は手始めかな?不愉快に思いますね」(中略)


    <15倍になった中吊り広告>
     この大キャンぺーンのために投下されている広告出稿量について検証してみよう。
     例えば、『第三文明』。03年1月〜2月の変化は注目に値する。例えば中吊り出稿量では、一挙に15倍強という異様な増加を示している。『潮』も同様で、同期で中吊りが7.5倍の急増ぶりだ。
     学会系出版物のうち、月刊誌だけを抽出しても、その広告出稿金額(新聞、中吊りなど。正規料金で計算)総体では、2年間で3.5倍の伸びを示している。出版・広告不況の折も折、まさに稀有なメディアと言える。(中略)
     別の広告関係者の分析では、
     「このような急激な増加は、通常ではあり得ない。そして、その通常ではあり得ない増え方をしている広告に、ある特定のメディアを攻撃する文言がいつも載っていることはまったく異常で、何か別の意図、出版物から利益を出そうとすること以外の何かがあると推測されても仕方ない。それほど、不思議なことなのです」(中略)
     では以上のような手段を駆使して、新潮社(経営者や担当記者を名指しで槍玉に挙げている)や学会批判者へ仕掛ける攻撃の本当の目的は何なのだろうか。


    <今も続く妨害と嫌がらせ>
     日本を代表する大手企業などのいわゆる「広告スポンサー」に、こんな手紙が送りつけられている。
     総務ご担当者様 週刊新潮に掲載されている広告について
    との前置きに続く文面(一部略・表記は原文通り)は、
     先日週刊新潮を読む機会があり、貴社の広告を拝見いたしました。
     この雑誌は過去において名誉毀損・虚偽の記載で他紙を圧倒する件数の裁判を被害者から起こされ、その多くで敗北を喫し、損害賠償の支払い命令が出ております。実に失礼ながら、御社の様な名のある企業様が週刊新潮に出稿広告を掲載されているのは意外に感じました。僭越ですが今後のご参考になればと思いお手紙させて項きました
     「参考」として、手紙では11件の敗訴の事例と賠償額が添えられているが、要は『週刊新潮』に広告を出すなと言うのである。
     週刊新潮が裁判で勝訴した数や事例を一切伏せたまま、敗訴した事例だけを掲げて、あたかも敗訴だけ続いているかのように思わせる巧妙な学会系メディアの報道をそのまま踏襲した手口である。
     千葉県松戸市以下、実名で書かれた場所に住む手紙の送り主の男性は、やはり学会員だった。聞けば、男子部の幹部だという。
     母親によれば、
     「ええ、夫婦ともに熱心な学会員ですよ。今日も朝から学会の集会で出て行きました。帰りは夜の12時を過ぎることもあります。ほとんど毎日、いろんなところで集会はやっていますからね。ええ?週刊新潮?悪い雑誌だって言ってましたよ、息子は。はい、ご苦労様です」
     気に食わないメディアはどこまでも許さないというこの宗教団体の特異な思考形態は末端まで染み渡っているらしい。(中略)
     出版事業そのものへの直接的妨害も続いている。
     99年秋、『システムとしての創価学会=公明党』(古川利明著、第三書館)発行に際して、かつての出版妨害事件を思い出させるような事態が起きている。
     著者の実家には、「お宅の息子が死んだ」という匿名のニセ電語が舞い込み、出版社には「罰があたる」と書かれたファックスが山のように送付された。
     書籍広告を打とうとした毎日新聞からは、掲載前日、一方的に「聖教新聞の広告が入ったので(広告を)外す」と通告される。毎日新聞への書籍広告出稿では、ジャーナリストの乙骨正生氏と版元のかもがわ出版もまた、自著の掲載を断られている。
     拉致問題で名を上げた平沢勝栄代議士も『警察官僚がみた「日本の警察」』出版の折、本が印刷段階にあるのに「地獄に墜ちる」などという脅迫電話やファックス攻撃に見舞われた。
     古川氏や平沢代議士の例は犯人が不明だが、目的はハッキリしている。いずれも著作に記された学会や池田氏への批判に対する妨害や嫌がらせである。
     昭和44年から45年にかけて、国会を揺るがし、国民注視の中、池田大作・創価学会会長(当時)が、政教分離を宣言して謝罪する事態となった「言論出版妨害事件」。それを彷彿させる出来事が今、次々と起こっているのだ。

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  • from: 21世紀さん

    2011年01月29日 20時59分36秒

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    「Re:メディア戦略(言論封殺)」

    『中公』特集の奇妙な共通項
    ―オウムの教訓をどう語るか―

    (本誌編集部『フォーラム21』H17.2.15)

    【あたかも「創価学会御用達?」の様相を】
     『中央公論』2月号が「曲がり角に立つ日本宗教」と題し、47ぺージに及ぶ特集を組んでいる。
     冒頭の総論的論文は、山折哲雄・国際日本文化研究所長の「戦後の精神的空白と創価学会」。次いで評論家の島田裕巳、宮崎哲弥の両氏と上田紀行・東京工大助教授による座談会で、「迷える現代人を救う可能性は『新生仏教』にしかない」と論じている。これに秋谷栄之助・創価学会会長と、寺内大吉・増上寺法主(小説家)のインタビューがつづき、河合隼雄・文化庁長官が「『宗教性』こそが現代を生きる日本人の不安を解消するのだ」と説く。特集はそんな構成である。
     この登場人物と構成を見るだけで、おおよその見当がついてしまう。特集は「オウム事件から10年」をテーマにしているが、論じているものの大半は仏教論である。さらに煎じ詰めれば既成仏教の停滞と、その中での創価学会の「積極果敢」な活動ぶり。
     それを受けて秋谷氏が語る。「既成仏教のパワーが落ちた」が、創価学会には「一人一人の『人間革命』によるエネルギーと温かい人間関係、精神的な連帯感」がある。「公明党と創価学会の関係を『政教一致だ』と批判するのは誤り」だ。学会や池田大作名誉会長への批判は「事実無根のスキャンダルをでっちあげ」たものであり、「こうした謀略は絶対に許せない」とまさに言いたい放題である。
     つづく寺内大吉インタビューは「葬式こそ、坊主の正念場だ」。秋谷インタビューとのバランスどりとしか言えないような扱いである。

     そこで、いくつかの奇妙な事実に気付かされる。『中央公論』は03年9月号でも宗教特集「『政教分離』を柔軟に考える」を組んだ。このときの構成もよく似ている。学者3人が座談会をし、宗教界から2人のインタビュー。野崎勲・創価学会副会長(当時)と、宮澤佳廣、神社本庁渉外部長の2人である。
     学者座談会が「宗教団体が政治的な権威を振るうことはいけないとする人もいますが、それはかなり無理があります」「(学会は)スキャンダル報道で批判する。そういう次元の団体じゃない」と語り、それを受けて野崎氏が好き放題に語る。神社本庁の宮澤氏はさしずめ、今回の寺内氏の役まわりだろう。

    2つの特集の奇妙な共通項は掲載のタイミングにもある。前回の特集は総選挙(03年11月)の直前だった。政権に参加した公明党と、それを通して影響力拡大をめざす創価学会のあり様が、厳しく問われていた。そのさなかに「柔軟な政教分離」論を特集したのである。そして今回、学会・公明党が国政選挙並みに重視する東京都議選をま近に控えている。そのさなかに、学会パワーの正当性を正面から打ち出す特集を組んだ。


    【創価学会シンパで誌面を構成】
     奇妙な共通項はまだある。創価学会系月刊誌『第三文明』が同じ2月号で、『中公』と同じく、オウム事件10年をキーワードにして「『日本の仏教』小百科」なる特集企画を載せている。企画それ自体は日本仏教の歴史や各宗派のデータなど、ごく基礎的な知識を提供しているのにすぎないが、「寺院側も『葬式仏教』と揶揄されるような形骸化した状況」とか「『インチキはインチキ』を見抜く眼が必要だ」「(宗教界はいま)淘汰の時を迎えている」と、押さえどころはさりげなく押さえている。
     それだけではない。同誌はこの特別企画に加えて「仏教よ、初志へ還れ」なるインタビュー記事を掲載。話すのは『中公』特集の座談会に登場する宮崎哲弥氏なのだ。そのなかで宮崎氏は「旧来の伝統仏教に関して言えば、完全に『家の仏教』、俗にいう葬式仏教になっています」とし、「『生存そのものの苦しみ』を解く仏教のあり方が、実は、これからの社会に意味を持つ」と説く。そして『中公』特集で秋谷会長が「本来『生きる力』を与えることが宗教の役割」と語る。見事な連携プレーと見るのは、うがちすぎか。
     まだある。『第三文明』1月号の特別企画には、同じ『中公』座談会メンバーの島田裕巳氏が登場しているのだ。島田氏は昨年6月に『創価学会』(新潮新書)を発行した。学会ウォッチャーたちが「これなら学会広報室も文句を言わないだろう」と評した本である。島田氏は同書で「(これまでの学会に関する書物の)多くは、創価学会のスキャンダルを暴こうとするもので、客観的な立場から創価学会についての情報を提供するものにはなっていない」「学者による創価学会研究は、ほとんど行われなくなっていく」と書いている。
     『中公』特集にはもう1人、落としてはならない人物が登場している。河合隼雄・文化庁長官である。ユング心理学の研究者で国際日本文化研究センターの元所長。つまり、同特集の冒頭論文を書いた山折哲雄氏の"先輩"に当たる。
     この河合氏、知る人ぞ知る創価学会シンパである。70年代初期から『第三文明』の連載を担当し、『河合隼雄全対話集』10巻も同社から出している。創価学会に"育てられた"といっても過言ではない。『中公』特集は、このような人々によって構成されているのだ。


    【「オウム」での過ちをくり返すのか】
     山折哲雄氏は冒頭論文でいきなり、「創価学会の動きに、変貌のきざしがあらわれている」と書く。その論拠は、学会刊行物に「ガンディー、ナポレオン、ゲーテヘの言及が目立っている」ことにある。
     ガンディーの非暴力平和運動を「くり返し顕彰し宣伝してきた点で、創価学会はその先頭に立ってきたといっていい」。ナポレオンヘの関心は「もしもそこに、戦後日本社会における『旧体制』の一掃、といった価値感がひそんでいるとすれば、うなずけないわけでもない」……。
     山折氏はこう書く。
     「もちろん、確かなことはわからない。けれども、近ごろ創価学会の刊行物をみていて、オヤッと思うことがないではない。それが急回転な方針であるのかどうか。確かめるすべはないのだが」
     わからなければ、自分で調べればいいではないか。確かめるすべはいくらもある。早い話、『聖教新聞』にガンディーが登場するとき、必ずといっていいほど池田大作氏の名がならんで登場する。ガンディーに名を借りて池田礼讃をはかっているとは考えないのだろうか。ナポレオンなど、池田氏の"英雄好み"は有名だ。ゲーテにしろ誰にしろ、東西の賢人の言葉を無秩序に引用して「池田スピーチ」に仕上げる手法は、いまに始まったものではない。そもそも「もしそこに…とすれば」というような仮説を前提にして論じるというやり方は、学者としていかがなものか。創価学会の、学会批判者や脱会者に対する人身攻撃は、ガンディーの非暴力平和運動とは相容れない。そんな事実も、少し調べればわかることだ。
     山折氏はさらに、学会の「折伏大行進」から公明党結成、政治進出の動きを「積極的かつ果敢」なものとする。また、学会が「外に向かう折伏運動から内へ向かう信仰の強調と継承という転換」をはかったことが、日蓮正宗との関係悪化につながったと説く。しかしここでも、それを裏付ける資料も論拠も示されない。
     座談会で島田氏は、「創価学会が日本を牛耳っているかのごとく考えられて」いるけれど「実は創価学会のほうが選挙をやらざるをえないところに追い込まれている」などと、信仰で結ばれた信者を政治や選挙に利用することの是非にまでは踏み込まない。そして「結局、オウム事件について語るかどうかが大事なんです。あれを語らない人は、いま現代的な問題を考えられない」と結論づける。
     では、オウム事件をどう「語る」のか。10数年前、山梨県上九一色村の人々も、信者の家族も、弁護士たちも生命がけでオウムと闘った。そのとき、一部学者・文化人やマスコミは、これら戦う人々に目を向けなかった。逆に、麻原彰晃と対談し、彼らをもちあげる文章を書いた。サリン事件に至る彼らを後押ししたといわれても仕方ない。そんな学者のなかに島田氏や山折氏らもいたのではないか。「(麻原は)思っていた以上に理性的な人物」「仏教の伝統を正しく受け継いでいる」と書いたのは、当時日本女子大助教授の島田氏である。
     オウムの出版物を無批判に読んだり、オウム外報部(広報部)おしきせのコースを見学しただけでは、その実態はわからない。その教訓を、どう「語った」のか。いま、その過ちをくり返しているように思えてならない。

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  • from: 21世紀さん

    2011年01月29日 20時54分42秒

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    「Re:メディア戦略(言論封殺)」

    『千葉日報』に見る創価学会の地方紙戦略
    (ジャーナリスト・段勲『フォーラム21』H17.4.15抜粋)

     千葉市在の知人から『千葉日報』(3月16日付)が郵送されてきたとき、思わず、聖教新聞かと見間違ってしまった。7面の1ぺージを埋め尽くした記事のタイトルが、
     「太陽の青年たちが千葉の未来を築く」
    となっており、"特別寄稿 創価学会名誉会長 池田大作"と署名されていたからだ。(中略)
     同ぺージの欄外に小さく「特集」と明記されていることから、新聞ぺージの慣例上、「特集」は広告の範疇であろう。
     創立48年の伝統を持つ唯一の県民紙が、「特集」という形で、池田大作氏の寄稿文を掲載したケースは今回が初めてではない。3年前に掲載されたとき、
     「県内の学会組織に、千葉日報『買い取り申し込み』用紙が配布された」(千葉市在・学会員)
    という。
     地方紙とはいえ、全面広告に近い費用は安くないと思われる。だが、そこは金持ち教団。近年、学会によるこうした地方紙への大盤振る舞いが目立ってきた。掲載することによって、学会と地方紙のお互いのメリットが一致したのであろう。では先に学会のメリットは何か。同会の秋谷栄之助会長が答えてくれる。
     「……大阪新聞、富山新聞、千葉日報をはじめとする全国40を超える地方紙に先生(池田大作氏)の名誉称号の受賞が……全面カラーで特集記事を掲載するなど大きな変化が起こっております。…時代は大きく変わりつつあります。学会の正義があらゆる分野で理解されつつあります」(01年5月22日「本部幹部会」)
     池田氏の寄稿文は、新聞社に出稿した"広告"ではなく、新聞社が自ら掲載した"特集記事"であるという組織内でのアピールである。学会はもう新聞社からまで理解されているという内部固めの一環だ。
     では地方紙のメリットとは何か。"アメ"である。地方紙が、教団が発行する出版物ならまだしも、特定教団の宣伝広告を顔写真付きで掲載するケースなど近年までなかったことだ。(中略)
     編集権の独立よりも先に営業が優先する行為は、言論機関としての誇りを自ら捨てたことになる。

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  • from: 21世紀さん

    2011年01月28日 20時41分10秒

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    「Re:メディア戦略(言論封殺)」
    【創価学会PR番組を流すTV】
     池田氏を露骨に持ち上げる地方紙も現れた。11月10日付の『岐阜新聞』は、同新聞の杉山幹夫会長が前日の9日、東京・信濃町にある創価学会本部を訪れて、池田氏に対し「感謝状」を贈呈したことを記事にしている。記事では贈呈の理由として、「世界平和と活字文化復興のためのたゆまぬ努力、本紙への寄稿、特別番組放映などへの尽力をたたえる」としている。
     言論・出版妨害という、民主主義の根幹を揺るがした宗教団体であった事実を踏まえた上での「感謝状」だったのかを杉山会長に問うと、岐阜新聞・岐阜放送総務局は、
     「出版・言論妨害が現在行われているとすれば報道するのは当然だが、その事実を確認していない」
    と回答した。
     日本新聞労働組合連合の美浦克教・中央執行委員長は、いまの新聞を取り巻くある状況について、深く憂慮した。
     「全国的に創価学会による新聞メディアへのアプローチが活発化しています。新聞各社の印刷工場の分散化、別会社化の流れの中で、創価学会の機関紙である『聖教新聞』の印刷を各紙の工場に受注させるケースが増加してきました。そのターゲットは、地方紙にも向いてきています。一宗教団体が大口の顧客として新聞、特に地方紙に入り込んだときに、創価学会の要望をはねのけて編集権を守りきれるのか。新聞全体の問題として、危機感を抱いています」
     もはや間に合わないかもしれない。いまや、池田氏=創価学会のメディア支配は、新聞という媒体に止まらない。
     元NHK甲府放送局長で、昌山女学園大学客員教授の川崎泰資氏は、こう警告する。
     「すでに新聞だけではなく、テレビの分野にも影響を及ぼそうと動いています。『平和への道―人間・池田大作』というタイトルの30分のPR番組を、完全にパッケージした(完成した)状態でテレビ局に持ち込んでいるのです。番組制作費がタダなうえ、番組提供料、CM料金まで支払われるのだから、地方の放送局はたまらない。現に、単なる創価学会のPR番組を放送した局もあるのです。広告費の減収に悩むテレビ界にあって、今後、内容は二の次で、池田氏の布教の片棒を担ぐ局が増えたとしても不思議ではありません」
     新聞・テレビが「権力の監視役」たりえないことは政治家への迎合ぶりや、記事の捏造など、いまだ問題が噴出していることからも明らかだ。
     ただでさえ信頼をおとした大マスコミが、創価学会の広告塔としての役割まで担わされているとしたら、読者・視聴者の不信は決定的なものとなろう。

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  • from: 21世紀さん

    2011年01月28日 20時40分11秒

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    「Re:メディア戦略(言論封殺)」
    池田大作「新聞支配」にNO!

    --------------------------------------------------------------------------------

    (『週刊現代』H17.11.28/<創価学会ウォッチ>WS)

    議席を増やした自民党が公明党離れを画策し、非創価学会系の宗教団体との関係を模索し始めた。だが、日本最大の宗教団体のトップは慌てていない。権力の中枢に居座り続けるため、カネに転んだメディアを支配下に置いているのだ。


    【自らの国際交流を絶賛】
     栃木県の地方紙『下野新聞』でいま、労使間の対立が激化している。
     下野新聞は印刷部門を別会社化して新たに「下野新聞印刷センター」(仮称)を設立し、印刷部門の社員を新会社に移籍させる方針を明らかにした。
     印刷部門の社員は転籍、そして賃金カットを余儀なくされる。このリストラに反対する全下野新聞労働組合(以下、下野労組)は11月8日、新会社設立などの差し止めを求める仮処分を宇都宮地裁に申請した。
     この労使対立が特異なのは、社員の地位や賃金の確保だけを争点にしていない点にある。新聞の言論を守りきれるのかという点で、労使が衝突を繰り返しているのだ。
     交渉の場で下野労組は経営側に、印刷を別会社化するうえで『下野新聞』以外の媒体の印刷を受注できる目算があるのか尋ねた。いや、はっきりとこう聞いたのだ。
     「聖教新聞から、すでに受注する約束ができているのではないか」
     創価学会の機関紙である『聖教新聞』は公称で550万部を超えると言われる。上西朗夫(かみにしあきお)社長は色をなして、反論した。
     「そんなに簡単に受注が取れるもんじゃないんだ!いま『聖教新聞』は東日印刷が刷ってるんだから。それを引っぱってこなきゃならないんだから、簡単なことじゃない!」
     東日印刷は毎日新聞の連結子会社。212頁の表(※下記)をごらんいただければお分かりの通り、『聖教新聞』を印刷している。
     上西氏は毎日新聞出身で、政治部長、常務取締役を歴任し、’00年に毎日新聞が51%の株式を所有している下野新聞に社長として“天下り”した。
     創価学会が東日印刷、つまり毎日新聞にもたらした利益について、熟知していると見て間違いないだろう。
     下野新聞の労使間の対立の中で、創価学会の存在がクローズアップされる伏線はあった。
     7月12日付の『下野新聞』の文化欄に、創価学会名誉会長である池田大作氏の寄稿が掲載されたのだ。
     <国際交流こそ「平和の道」>と題された寄稿は、池田氏の小学校時代の恩師が栃木県出身というエピソードに触れ、下野新聞および池田氏自身の国際交流の実践について賞賛する内容だった。下野新聞関係者が話す。
     「7月1日、池田氏の寄稿掲載について編集局内で編集幹部と現場記者との間に話し合いが持たれました。現場の記者の大半が、『特定の宗教団体の布教活動に利用されかねない』などの理由で掲載に反対しましたが、経営側は掲載に踏み切った。あのとき経営側は、現場の判断は信用できないと烙印を押したわけです。互いに信頼関係のないまま、経営側はいまも現場に新聞を作らせているのだから、皮肉としかいいようがない」
     団体交渉の席での経営陣が描いたシナリオは、次のようなものであった。
    [印刷部門の別会社化を軌道に乗せるため、『聖教新聞』など創価学会関連紙の印刷を確実に受注したい]⇒[組合側に、池田大作=創価学会の活動は素晴らしく、寄稿を掲載してもなんら問題は生じないと説明する]
     現に経営側の答弁は、この流れに沿ったものだった。だが、創価学会がもたらしてくれる利益への色気は隠そうとしても隠しきれるものではなかった。早乙女哲専務は、こう言い放った。
     「(寄稿掲載と『聖教新聞』の印刷を受注することとは)まったく関係ないとは言えないが、寄稿を掲載することで受注印刷が担保されるようなものではない」
     「(販売における)読売新聞との戦いの中で、(『聖教新聞』を)刷れるものなら刷りたい」



    (表)【『聖教新聞』印刷工場リスト】
    <全国紙>
    朝日新聞:日刊オフセット豊中工場*別
    毎日新聞:北関東コア、北海道センター北広島工場、東日オフセット、東日印刷、高速オフセット堺工場*別
    読売新聞:府中別館工場*子、茨城西工場*委、高石工場*子

    <地方紙>
    北海道新聞社旭川工場
    十勝毎日新聞社
    岩手日日新聞社
    河北新報印刷センター
    福島民報印刷センター
    神奈川新聞綾瀬センター
    信濃毎日新聞長野製作センター
    新潟日報社印刷センター
    ショセキ金沢工場
    静岡新聞社製作センター
    名古屋タイムズ印刷*委
    京都新聞社
    神戸新聞阪神製作センター
    中国印刷
    山陰中央新報ひかわ製作センター
    四国新聞ニュースフロー
    愛媛新聞印刷センター
    高知新聞東雲センター
    西日本新聞社製作センター
    長崎新聞社
    熊本日日新聞社・熊日1号館
    南日本新聞オフセット輪転

    注*子:100%出資の子会社
     別:他者と共同出資による別会社
     委:他社に委託印刷



    【「全国の新聞がやっている」】
     水沼富美雄常務に至っては、創価学会の“意見広告”を記事として掲載することが、何の問題もないかのような発言を繰り返した。
     「(創価学会側から)8〜9年前から『下野』に寄稿したいという申し出があり、当時は『しばらく様子を見させてくれ』と言ってきたが、海外に活動を広げるなど、しっかりした団体に成長してきたいま、掲載することがなぜダメなのか」
     「平和についての池田氏の考えを県民、読者に評価してもらうことは、わが社のジャーナリズムを阻害することにならないはずだ」
     「他がやっているからいいというわけではないが、全国各紙が(池田大作氏を)受け入れている」
     水沼常務の発言どおり、いまや全国紙、地方紙を問わず、創価学会は新聞に浸透している。『下野新聞』に池田氏の寄稿が掲載された2日後の7月14日付の『聖教新聞』には、<新聞が活字文化の黄金柱に!>なる見出しで、毎日新聞の北村任社長と池田氏の対談記事が掲載された。
     池田氏はその中で、創価学会の牧口常三郎初代会長が小学校の校長をしていた当時、児童を連れて毎日新聞(当時は東京日日新聞)を見学したエピソードを紹介し、親近感をアピールしている。
     ’01年5月に『朝日新聞』が「私の視点」欄で池田氏の署名記事を載せたのをはじめ、同年7月には『読売新聞』が弘中喜通政治部長によるインタビュー記事を掲載している。このとき『毎日新聞』の主筆として米国の同時多発テロと宗教の問題などについて聞いたのが、前出の北村社長だ。
     創価学会は全国紙では朝日、毎日、読売に『聖教新聞』の印刷を受注させている(表参照)。
     また、過去の報道によると、朝日、毎日の両紙に関連した印刷会社が、公明党の機関紙である『公明新聞』(公称・約200万部)の印刷を受注していたという。
     下野新聞の話に戻ろう。経営側が言葉を重ねるほど論点がズレていくのを感じた下野労組は、「特定の宗教団体の代表の意見をそのまま掲載して、紙面の公平性が保てるのか」と質問を繰り返した。水沼常務は答えに窮したのか、こう言い出す始末だった。
     「連合は民主党の支持母体だ。(公明党の支持母体である)創価学会はなぜダメなのか」
     公称800万世帯超を擁する日本最大の宗教団体・創価学会。与党・公明党と表裏一体の宗教団体は、その支持基盤として政権運営に絶大な影響を及ぼすまでになった。そんな宗教団体と労働組合を同列に並べて言い逃れようとする態度は、およそジャーナリズムを標榜する新聞社の幹部のものとは思えない。
     一連のやり取りを見ると、下野新聞の経営側は、聖教新聞との利益関係をハッキリとは否定していないように見える。経営側は話し合いを打ち切ったほうが賢明と踏んだだろう、業を煮やした上西社長は激高して声を荒げた。
     「30年前の議論だ。全国の新聞がやっている。魂を売るような、そんなヤワなことはしない。バカバカしい議論だ!」



    【言論妨害した過去を忘れない】
     創価学会と蜜月関係を結ぶことで手に入る利益を知り尽くした上西氏だからこそ、ジャーナリズムの建前より、経営上の利益を優先したのだろう。お蔭で7月12日の『下野新聞』は、1万部近くが余計に売れたという。
     本誌の取材に対し、下野新聞の早乙女専務は、
     「言論の多様性の観点から、編集責任者、編集幹部で協議の上、池田氏の寄稿の掲載を決めた。新印刷工場は、『聖教新聞』だけでなく、『下野新聞』以外の受注印刷を前提にした収支計画は立てていない。7月12日の本紙については創価学会からの注文は1部だけで、会員が販売店やコンビニで買ったために、結果として1万部近く売れたと思われる」
    と回答した。
     創価学会の地方紙浸透が明らかになった例は、『下野新聞』への寄稿問題にとどまらない。
     東北地方のブロック紙である『河北新報』にも池田氏は登場していた。今年から10年間を国連が「持続可能な開発のための教育10年」と宣言したことをテーマに取り上げた連載の第3回目(5月18日付)で、池田氏は「『環境』をまもることは『平和』をまもること」と持論を展開している。
     ちなみに河北新報印刷センターは、『聖教新聞』を印刷している。河北新報労働組合の関係者が、経緯を説明する。
     「河北新報は昨年4月から『聖教新聞』の印刷を受注していますが、その際に紙面に創価学会の影響が及ばないよう、労使間で協定を結びました。今回の寄稿にあたり、協定に基づき、池田氏を発言者として選んだ経緯について説明を求めましたが、会社側は『決して聖教新聞を印刷しているから取り上げたわけではない』の一点張りでした」
     創価学会を長年にわたって監視しているジャーナリストによれば、創価学会のメディアに対する出資は『聖教新聞』の印刷発注だけに止まらず、広告出稿や紙面の買い取り、新聞購読など、少なく見積もっても数十億円に上るという。
     このカネが各メディアの経営を潤す一方で、金縛りの原因ともなる。ある全国紙社会部記者が語る。
     「創価学会の幹部を取材しましたが、池田氏は常々『新聞を刷る輪転機を買うのは簡単だが、買わない方がいい』と言っていたそうです。メディアに貸しをつくるほうが効果的であることを知っていたからです。当初の目的は、創価学会に対する批判を封じ込めるためでした」
     池田氏はメディアを敵に回すことの恐ろしさを、身をもって体験している。池田氏=創価学会とメディアの関係を考える上で、忘れてはならない事件があるのだ。
     ’60年代後半、池田氏率いる創価学会と公明党は、言論・出版妨害事件を引き起こした。当時、政治学者・藤原弘達氏の『創価学会を斬る』など、創価学会にたいして批判的な内容の出版を阻止しようと、創価学会と公明党は買収や脅迫などで言論を封じ込めようとしたのだ。
     公明党は、竹入義勝委員長(当時)を介して自民党幹事長だった田中角栄元首相に頼み、藤原氏の説得を頼んだ。
     田中氏は料亭に藤原氏を招き、出版中止を求め「出版を思いとどまるか、全部買い取らせるかで了解してもらえないか」と申し出たという。
     創価学会サイドは当初、事実無根だと否定していたが、結局、’70年5月になって池田氏が、「言論妨害と受取られ、関係者の方々に圧力を感じさせ、世間にも迷惑をおかけしてしまった」と、言論・出版妨害の事実を認めたのだった。前出の全国紙社会部記者は続ける。
     「公明党が与党として安定した存在感を誇るようになり、新聞が自らの批判をおおっぴらにできないと踏んでいるのでしょう。いま、地方紙にまで触手をのばしてカネをばらまくのは、“池田大作礼賛記事”を書かせるためです」

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  • from: 21世紀さん

    2011年01月26日 15時53分31秒

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    「Re:メディア戦略(言論封殺)」
    「池田大作=創価学会」の言論封殺を退けた週刊ダイヤモンド訴訟の画期的な判決

    --------------------------------------------------------------------------------

    (ジャーナリスト・古川利明『フォーラム21』H18.4.15)

     『週刊ダイヤモンド』(ダイヤモンド社発行)04年8月7日号が特集した「創価学会の経済力」の記事を巡り、同会副会長である最高幹部の1人、宮川清彦が同社と週刊ダイヤモンド編集長を相手取り、謝罪広告と1100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が、この3月10日、東京地裁民事第39部であり、藤下健裁判長は原告の請求をすべて棄却するという、「原告全面敗訴」の判決を言い渡した。
     そして、その3日後の13日には同じ東京地裁で、『聖教新聞』の例の中傷座談会において、名指しで誹謗、中傷された日蓮正宗寺院の住職が、宗教法人・創価学会と同会長・秋谷栄之助、同理事長・青木亨ら最高幹部6人を相手取って起こした訴訟でも、名誉毀損に基づく不法行為責任が認定され、被告側に80万円の賠償金の支払いを命じる判決が出ている。
     自らに対する批判には、民事提訴、刑事告訴を乱発することで、そういった記事がマスメディアには出ないように意図した、「池田大作=創価学会」の言論封殺を挫く意味で、いずれの判決も画期的であると高く評価したい。こうした視点から、なぜ、このような極めてまっとうな司法判断が出てきたのかを考えてみたい。


    【「M副会長は私」と名乗り出た宮川清彦】
     週刊ダイヤモンド訴訟は、「マスメディア支配/全国紙・地方紙に聖教新聞の委託印刷が拡大、月刊誌『選択』にも触手」という見出しで、「創価学会のM副会長が会員制情報誌『選択』を発行する選択出版の湯浅正巳社長に10億円の資金提供を持ちかけた」との旨、記事中で指摘したことに対し、「M副会長は私」と名乗り出た宮川清彦が、「記事は事実無根で、名誉を傷つけられた」として、04年12月末、提訴していたものである。
     事実認定に関しては、判決では原告側の主張をほとんど退けており、その判断に筆者も全く異論はないが、そもそも記事では、誰か特定されないよう、わざわざ「M副会長」と匿名(=イニシャル)で報じたものである。それを敢えて宮川本人が「M副会長は私」とカミングアウトして、裁判に持っていったあたりからして、極めて異例というか、はっきり言ってマンガであった(もっとも訴訟の提起自体、池田大作の指示であろう)。
     裁判の中で、被告側も「M副会長は宮川氏であると特定しうる」という部分に関しては争っていなかったが、公称約17万部の同誌の中心読者層は、30代から50代の男性で、高学歴の中間管理職以上のビジネスマンである。99年体制以降、日本の政権中枢に居座り続けている「創価学会・公明党=池田大作」に対し、こうした読者層がそれなりに強い関心を持っていること自体は容易に推測されるが、ただ、この記事を読んだだけで、よほどの「通」でなければ、「M副会長」が即、「宮川清彦」であるとわかるのは、まずいない。
     恥ずかしながら、実は筆者もこの記事を最初に読んだとき、「M副会長」が宮川であるとピンと来なかった。
     確かに、「東大在学中に池田大作の3人の息子の家庭教師を務めた」とのくだりはあるが、「信濃町で石を投げれば副会長に当たる」と揶揄されるほど、現在では300人を越えるほどの夥しい数を誇る副会長で、おそらく東大卒は宮川だけではないだろう。ひょっとしたら、宮川以外にも池田の息子の家庭教師をやった人物がいるかもしれない。
     それと、宮川が「信越長(本人が法廷で主張したところによれば、正確には「信越総合長」)として長野県内の財務を全国トップに押し上げた」という“実績”を、本当に恥ずかしながら、筆者は知らなかった。もし、このことを知っていれば、「東大在学中に池田大作の息子たちの家庭教師をやっていた」との情報とリンクさせることで、「M副会長は宮川清彦である」とすぐに特定できただろう。だが、それがわかるのは、少なくとも学会員でも、選挙になればちゃんとF票を取ってくる活動家クラス以上だが、しかし、それでもそこまでドンピシャリと特定できるのは、相当の中枢にいる人間に絞られてくる。
     むしろ、週刊ダイヤモンドが匿名にしたのは、記事の中で原島嵩・元創価学会教学部長が「Mが動いたということは、池田氏の指示に間違いない」とコメントを寄せているように、あくまでこの『選択』への資金提供問題は「池田大作案件」であり、池田の指示で動く人物であれば、要は誰でもよかったわけである。であるなら、敢えてここで実名を提示する必要もなかったと編集部は判断したのではないか、と推測するのである。


    【言論封殺を意図した実質的な原告は池田大作か】
     このように、この週刊ダイヤモンド訴訟の原告は宮川であるが、実質的には池田大作であるといってもよい。である以上、そこには当然、「池田大作の意思」がダイレクトに働いている。その「意思」とは、自らを批判する言論は徹底的に封殺することである。
     公明党(=創価学会・池田大作)が与党入りした99年以降、彼らが最も力を入れてきたものが、「名誉毀損訴訟の賠償金高額化」「個人情報保護法」「人権擁護法」という“言論弾圧3点セット”の実現だった。
     詳しくは拙著『デジタル・ヘル――サイバー化監視社会の闇』(第三書館)の「第4章 『個人情報保護法』はいかにして歪められていったか」を参照して頂きたいが、こうした方向に「公明党=創価学会・池田大作」がカジを切る決定打となったのが、『週刊新潮』の96年2月22日号が「私は池田大作にレイプされた」との信平信子・元創価学会北海道婦人部幹部の手記を掲載したことである。ここから、「公明党=創価学会」に対する批判はもちろんだが、それ以上に、“現代の生き仏”である池田大作の批判を絶対に封じ込めるための施策が必要と考え、それには何としてでも政権与党に入らざるを得ない、との判断を池田自らが行ったからである。
     確かに、世論の強い反対から人権擁護法は成立せず、また、個人情報保護法も再提出された改正案では、「言論出版妨害」に関わる部分については相当、マイルドなものに改善はされた。が、99年以降の「自自公―自公保―自公」体制で、「本当は全体主義が理想の形態だ」とうそぶく人物(=池田大作)が事実上の「ウラの総理大臣」として君臨し続けたことで、マスメディアも司法も、そして、社会全体が池田大作(=公明党・創価学会)に対して萎縮し、ダンマリを決め込んできた。
     例えば、こうした流れの中で、01年にはゲリラ的なスクープを飛ばしてきた『週刊宝石』と『フォーカス』が相次いで休刊に追い込まれ、02年3月の『噂の真相』の名誉毀損事件に対する1審東京地裁での有罪判決を機に、岡留安則編集長は最終的に雑誌の休刊を決断した。大手週刊誌でも「公明党・創価学会=池田大作」問題を取り上げるのは、事実上、『週刊新潮』の1誌のみという、極めてお寒い状況が続く最中、04年3月には、『週刊文春』が報じた田中真紀子の長女の離婚記事を巡り、同じ東京地裁が版元に対して出版差し止めを命じる仮処分決定を下すという、トンデモない事態も起こったのである。
     こうした流れが変わる分水嶺となったのが、04年秋、東京地検特捜部が例のNTTドコモ携帯電話不正アクセス事件の摘発で、本誌発行人でもある乙骨正生氏の被害をも立件したあたりからである。そこから年が明けて05年に入り、創価学会かたり融資詐欺やセクハラ全国男子部長解任騒動などの不祥事が噴出したことで、『新潮』以外の大手週刊誌にも学会批判の記事がようやく出始めていた。で、その矢先、小泉の突然の“発狂解散”による昨年9月の総選挙において、自民党が300議席の大台に迫る圧勝だったのに対し、公明党は現有より3議席も落とす惨敗を喫したことで、政権中枢への影響力がそれまでより大きく低下した。
     裁判所もこうした世論や、政権中枢におけるパワーバランスには極めて敏感である。今回の週刊ダイヤモンド訴訟も含め、東京地裁で相次いで画期的な判決が出された背景には、こうした状況の変化もあったといえる。
     本来、「言論の自由」とは、天賦のものとして付与された大事な権利である。しかし、現実には、権力の側によって不当に貶められ、弾圧されてきた。残念ながら、それが人間の歴史である。とりわけ、「公明党=創価学会・池田大作」という、極めて全体主義的な体質を持つ政治勢力が政権中枢に入り込んだ「99年体制」以降においては、非常に厳しい状態が続いていた。
     しかし、こうした権利は、戦う(=書く)こと以外に勝ち取ることはできない。
     それゆえ、戦うことを止めれば、それは自動的に消え去る運命にある。なぜなら、この現実社会は、権利を与えまいとする側と、それを奪う側との絶えざる拮抗関係にあるからだ。言い換えるなら、「言論の自由」とは、書き続ける行為の中に存在する。それゆえ、「水に落ちた犬」はさらにもっと厳しく叩かねばならない。(文中・一部敬称略)

    古川利明(ふるかわ・としあき)1965年生まれ。毎日新聞、東京新聞(中日新聞東京本社)記者を経て、フリージャーナリスト。著書に『システムとしての創価学会=公明党』『シンジケートとしての創価学会=公明党』『カルトとしての創価学会=池田大作』『デジタル・ヘル サイバー化監視社会の闇』(いずれも第三書館刊)など。

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  • from: 正義顕揚さん

    2011年01月22日 21時48分09秒

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    「豚は」
    彼は死ぬ迄生きます。しかしそれ以上は生きる事は出来ません。

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