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from: 21世紀さん
2010年10月03日 23時05分31秒
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これでも池田大作を信ずるか下山正行氏
-- 創価学会の友に訴える --
序章 はじめに
昭和三十九年六月のある日、東京池袋にある常在寺で御授戒をうけ、私は、日蓮正宗の信徒となった。私を折伏してくれたのが創価学会の人だったので、同時に創価学会会員にもなったわけである。いまにも雨の降りだしそうな、昼間から暗い日であったと記憶している。(略)
その大恩ある創価学会の在り方が、おかしくなってきたのはいつごろからであろうか。(略)昭和四十五年、あの言論弾圧・出版妨害事件のころか? いやあのときは、一種の法難意識の方が強く、世間の集注攻撃から学会組織を守らなければ、という気持ちでいっばいだった。(略)
いつごろからかはわからないが、このように抱いてきた潜在的な疑問が、私自身のなかで顕在化したのはつい最近のことである。(略)
私は知り得た事実のなかから、そのような事実の数例を挙げて、組織末端の創価学会同志と考えてみたかった。訴えたかった。そして大恩ある創価学会に、日蓮正宗信徒の集団としての本来の姿に戻ってもらうよう、ともに努力したいのである。単行本というような、組織外部の人にまで創価学会の内緒事が知られてしまう手段に訴えなくとも、という声も出るだろう。
しかし、組織内部の直接的な接触のある人々にだけ訴えるということがどのような結果しか得られないかは、創価学会員ならば、過去の経験から察しがつくだろう。
私のこのような行為は、大恩ある創価学会への背信とみられるかもしれない。だが大恩あるゆえに、苦言を敢えてすることも必要なのではないだろうか。創価学会が、その巨大さゆえに、即日蓮正宗と世間に見られがちな現在であるからこそ、とくにこのような苦言も必要なのではないだろうか。(略)
御金言に微衷をなぞらうこと、まことに畏れ多いが、一般創価学会員である同志諸君、創価学会を私達自身の創価学会たらしむるために、私の告発する創価学会のこの現実を直視して欲しい。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加 )
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下山正行氏はここで、「創価学会の在り方が、おかしくなってきたのはいつごろからであろうか」と、自問自答しています。
創価学会の唯一の大目的がいつのまにか消えてなくなっても、ほとんどの創価学会員諸氏たちはそうと自覚することもなく、唯々諾々と池田会長の指導に就き従ったのでした。
しかし創価学会員の中にも、こうして下山氏のようにその変化に気付き、重大な決意と道念を発して一書をしたため問うた人がいたということは、創価学会の名誉のため記憶に留めておきましょう。
その後・創価学会員の中から、さまざまな立場での批判や内部告発の書が登場することになるのでしたが、下山氏のこの「創価学会の友に訴える」とした問題提起は、最も初期のものでありました。
( 平成十四年五月七日、櫻川 記 )
コメント: 全9件
from: 21世紀さん
2010年10月31日 11時52分32秒
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「Re:これでも池田大作を信ずるか下山正行氏」
どれが本当の指導なんだ
( 低次元の詭弁 )
きりがないから、一、二例だけ挙げよう。
15) 「よく戸田先生は『天皇が信心したいといってきたときに、他の邪宗では、御本尊様をおあげすることができるか』と。また『天皇が信仰するまで、戸田は待つ。戸田は日本第一の忠義な者である』という意殊のことを申されておられた。先生の申されたことが、ただひとつとして成就されえなかったことはない。
……また、国立競技場、国立美術館、国立公園等も、すべて国民の要望であり、国民のものである。宗教にあっても、最高の宗教が国民の幸福のために、国立戒壇として建立されることは、必然でなくてはならぬ」(池田会長、「会長講演集」 四)
16) 「(本門戒壇は)ただ全民衆のためであり、全民衆の意思の結果によるべきものであることは明白であります。このように大聖人ご自身が、戒壇は、民衆立であることを示されているわけであります。その証拠に、大聖人の御書全集のなかに『事の戒壇』『本門の戒壇』とは、おおせになっておりますが、『国立戒壇』という語句は、一ヶ所もないのであります」(「大白蓮華」、昭和42年6月号)
「国立戒壇」という語句が御書の中にないというが、それでは「民衆立」という語句はあるというのか。
逆に、「勅宣並に御教書を申し下して……戒壇を建立す可き者か」(三大秘法抄)、「国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」(身延相承書)というような、明らかに「国立戒壇」と拝すベき御金言は、御書のなかにみられるのである。
“国立戒壇という語句が御書にない”などというのが、いかに低次元の詭弁であるか。こういう貧しい発想の持主が私達創価学会の会長であったとは!
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加 )
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下山氏は、池田会長による“国立戒壇という語句が御書にない”の言説を「低次元の詭弁」と、一創価学会員としての自己批判の意も込めて一蹴するのでした。
たしかに、あとからにわかに採って付けた<理屈>であれば、「低次元の詭弁」に他ならないのでしたが、それはある意味では幸いであり・またある意味では二重の不幸でもありました。
ある意味で幸いとは、池田会長とそのブレーン達が御遺命歪曲のため必死に知恵を絞っても、「低次元の詭弁」にして「貧しい発想」しか展開し得なかったことでした。
そしてまた二重の不幸とは、御遺命の正義を元より百も承知の池田会長等が、御遺命歪曲のため「低次元の詭弁・貧しい発想」しか為し得なかったにもかかわらず、創価学会員も宗門僧侶等もことごとく「人間(ホモ・サピエンス)の特性である“考えること”を放棄」し、唯々諾々とその程度の「低次元の詭弁・貧しい発想」に従ってしまったことでありました。
正系門家にあって、貫首をはじめとしてことごとく「飮他毒藥」にして「毒氣深入・失本心故」の事態にあって、ひとり妙信講だけが護法の一念強き故に、「或不失者」(妙法蓮華経、如来寿量品)であったことでした。
( 平成十四年五月二十三日、櫻川 記 )
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k、
from: 21世紀さん
2010年10月28日 02時45分13秒
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「Re:これでも池田大作を信ずるか下山正行氏」
どれが本当の指導なんだ
( 池田会長の嘘言症的言辞 )
引用文に見るような巧言令色で私達創価学会員の御本尊様への御供養の熱意をあおり利用し、最後にそのまごころを裏切ったとは、仏教史上、いや人類史上最低の不徳義漢とののしられても、多少の良心があるならば、弁解の言葉もないのではあるまいか。
と同時に、このようなペテン師的手口を理解できないで、ただ池田会長と創価学会幹部のいいなりになってきた、私達末端の創価学会員もおおいに自らを反省しなけれはならないのではないだろうか。
創価学会員が日蓮正宗信徒であるならは、依るべく信じ奉るべきは池田会長ではなく、日蓮大聖人の御金言なのだから、自分で自分のいったことを否定していることでもはっきりしているように、池田会長や創価学会の間違った指導を、丸呑みにしてきた私達は、日蓮正宗信徒として非常に危険な立場にいることを自覚しなければならない。
それにしても、池田会長のこのような嘘言症的言辞は、まだ他にもあるのだから、嫌になってしまう。さきに引用した 1) 2) 3) で明白なように、池田会長は“国立戒壇”という言葉を随所で述べていた。
ところが昭和四十二年ごろになると、折に触れては“国立戒壇”を否定している。そのありさまは、まさになりふり構わぬ強弁といえる。池田会長発言の自家撞着を列挙し批判しようとすれば、それだけでぶ厚い一冊の本ができるだろう。それほど、いうことに一貫性がない。目先の都合だけで、クルクルと変っているのだ。
くり返し思うのだが、こういう池田会長の言動に不信を抱かずにきた私達創価学会員は、人間(ホモ・サピエンス)の特性である“考えること”を放棄してきた、としか考えられないのではないだろうか。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加 )
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下山氏の指摘は厳しく 、「巧言令色で私達創価学会員の御本尊様への御供養の熱意をあおり利用し、最後にそのまごころを裏切ったとは、仏教史上、いや人類史上最低の不徳義漢」と言われます。
同時にまた、「こういう池田会長の言動に不信を抱かずにきた私達創価学会員は、人間(ホモ・サピエンス)の特性である“考えること”を放棄してきた」と、自ら腑を裂く痛恨の反省・省察がなされるのでした。
しかして憎むべきは、池田会長の自己保身と政治野心のための「なりふり構わぬ強弁」であり、「一貫性」のない「目先の都合」で「クルクルと変わ」る「“国立戒壇”否定」の「嘘言症的言辞」であり、さらにはその誑惑に加担して恥じない宗門の無道心でありました。
( 平成十四年五月二十一日、櫻川 記 )
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k、
from: 21世紀さん
2010年10月18日 19時33分19秒
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「Re:これでも池田大作を信ずるか下山正行氏」
どれが本当の指導なんだ
( これではまるで詐欺ではないか )
そして本門戒壇建立の時すなわち広宣流布達成の時と、明確に指導されたのである。しかし現実は験しい。
正本堂完成の昭和四十七年から現在に至るも、広宣流布がまだまだ未来のことであるのは、いかに池田会長や創価学会のいうことを盲目的に信じてきた私達にもはっきりしている。(略)
こんな状況で広宣流布とは、池田会長や創価学会幹部は気が狂ったのか、と思っていたら、正本堂完工式のときに、またまたそれまでと違うことをいいはじめた。
昭和四十七年十月三日の「聖教新開」に、「正本堂落慶の時を迎えて」と題する和泉理事長(当時)の発表があった。
14) 「私達の待ちに待った正本堂落慶の日を、ついに迎えることとなった。だれびとの胸中にも万感迫る思いであろう。……ここで私達が銘記したいことは、再び心新たに広宣流布の大目的に向かって、未曾有暫廃(みぞうざんぱい)の決意で進むことである。
……ひるがえって、現今の世界は「末法濁悪」の御金言の通り、濁乱の様相を色濃く漂わせている。……苦悩のうめきは、深く、また大きく、私達の耳を打つ。しかし、この大悪は大善の瑞相であり、黎明を待つ深き闇であると考えたい。今や、顕在的にも潜在的にも、偉大な宗教を求める方向へと時代は動いている。……大聖人の仏法は、本因妙の仏法である。全民衆を救おうとの大聖人の大精神に立つならば、現在は広宣流布の一歩にすぎない。
したがって、正本堂は、なお未だ三大秘法抄・一期弘法抄の戒壇の完結ではない。ゆえに正本堂建立をもって、なにもかも完成したように思い、ご遺命は達成してしまったとか、広宣流布は達成されたなどということは誤りである。また、この正本堂には信心強盛の人のみがここには集いきたり、御開扉を願う資格がある。したがって、正本堂は広宣流布のその日まで信徒に限って内拝を許されることはいうまでもない」(「聖教新開」、昭和四十七年十月三日)
これではまるで詐欺ではないか。“御本仏日蓮大聖人様の御遺命たる本門戒壇建立のため……正本堂建立に御供養申しあげる、大福運と大功徳”と池田会長の指導があったからこそ、私達創価学会員は大福運と大功徳を信じて、御供養したのである。退転者や外部の人達が、財産を処分したり借金をしてまで、と私達の御供養に悪口をいっていたが、本当に事の戒壇建立のために必要ならば、私達創価学会員は日蓮正宗信徒として、命を御供養することもためらわない。
それなのに、正本堂が完成してみたら、“正本堂は、なお未だ三大秘法抄・一期弘法抄の戒壇ではない”といわれたら、詐欺だといいたくもなろう。御供義金返還訴訟を起こす人が出るのも、けだし当然といえよう。これらの人達に、創価学会では金を返す、といったそうだが、金を返してことが済むとでも思っているのだろうか。池田会長や創価学会の幹部は、創価学会員の「まごころ」をなんと思っているのだろうか。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加 )
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下山正行氏が「これではまるで詐欺ではないか」と言うほどに、創価学会のこの変節は大きなものでありました。そしてその背景には、講中の命運を賭しての妙信講の御遺命守護の働きがあったのでした。
昭和四十七年十月の正本堂落成式を眼前に、妙信講と創価学会の最後の法論が常泉寺において九月十三日より同二十八日までの間七回にわたって行われ、その激論の末・創価学会はついに自らの非を認め、機関紙上における訂正を約したのでありました。
正本堂を「三大秘法抄・一期弘法抄の戒壇」と云いこれを以て「御遺命は成就、広宣流布は達成」と云い続けた誑惑を、自ら「誤りである」と明言し、「正本堂には信心強盛の人のみが…」以下の文言で正本堂の性格を奉安殿の延長と規定し、明確な誑惑の訂正がなされたのでした。
( 平成十四年五月十九日、櫻川 記 )
from: 21世紀さん
2010年10月17日 11時54分36秒
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「Re:これでも池田大作を信ずるか下山正行氏」
どれが本当の指導なんだ
( 正本堂と本門戒壇堂がいつの間にか同一に )
もっとも、あえて自己弁護をすれは、私達創価学会員がこんな大きな矛盾にも気がつく暇がないくらい、池田会長や創価学会の熱気のある指導が、やつぎばやに、そのころは行なわれていた。
7) 「正本堂建立こそ、日蓮大聖人の御遺命たる本門戒壇建立の具体化であり、宗門七百年来待望の壮挙ということができるのである。……日蓮大聖人御建立の三大秘法は、われわれ創価学会員の手による正本堂建立をもって完全に終了するのである」(「立正安国論講義」)
8) 「この戒壇建立を、日蓮大聖人は『時を待つ可きのみ』とおおせられて、減後に託されたのであります。以来、七百年、この時機到来のきざしはなく、日蓮大聖人のご遺命は、いたずらに虚妄になるところでありました。だが『仏語は虚しからず』のご金言どおり……七百年来の宿願である正本堂建立のはこびとなったのであります」(昭和42年5月第三十同総会での池田会長講演)
9) 「今滋に発願せる正本堂は、文底独一本門事の戒壇にして……詮ずる所、正本堂の完成を以て、三大秘法ここに成就し」(「正本堂建立発誓願文」)
10) 「戒壇については、すでに三大秘法を成就する本門の戒壇・正本堂が昭和四十七年完成の運びとなり」(「折伏教典」)
11) 「昭和四十七年(一九七二年)、日蓮正宗総本山大石寺に建立される正本堂が事実上の本門戒壇にあたる。この戒壇は仏法史上三千年来の念願であり、末法事の戒壇にして、日本民衆の鎮護国家のみならず……」(「仏教哲学大辞典」創価学会刊)
12) 「本門の戒壇に義と事がある。事の戒壇とは広宣流布のときに本門戒壇の大御本尊を安置し奉る所である。……広宣流布の時到来し、本門戒壇の大御本尊は奉安殿から本門戒壇堂である正本堂へお出ましになるのである」(同上)
13) 「正本堂が建立され、本門戒壇の大御本尊がご安置されることは、本門の戒壇建立、すなわち化儀の広宣流布の実現である。……今まさに、本門戒壇建立の時である。すなわち大御本尊を信受し、功徳に浴し、歓喜している衆生が、日本ばかりでなく世界に満ち、日蓮大聖人のご予言である化儀の広宣流布の時が到来したのである。ここにおいて、法華講総講頭・創価学会第三代会長池田会長の発願により、これ等純信な民衆の心からの供養によって、正本堂の建立が実現されることになった。したがって、本門戒壇の大御本尊が安置される正本堂こそ、日蓮大聖人の弟子が長い間待望し、念顕していた本門戒壇なのである。……したがって正本堂建立により、日蓮大聖人が三大秘法抄に予言されたとおりの相貌を具えた戒壇が建てられる。これこそ化儀の広宣流布実現であり」(同上)
きりがないから、引用はこのくらいにする。
引用文にいわれている「正本堂」とその後に建立されるはずの 「本門戒壇堂」がいつの間にか同一になり、同一になったままにより強固に指導された様子が、これらの引用文からよく理解できると思う。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加 )
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下山正行氏が語るように、「矛盾にも気がつく暇がないくらい」に昭和四十年三月二十六日の 「正本堂建立御供養趣意書」以来「熱気のある指導がやつぎばやに」なされ、それがやがては宗門の公論のごとくになっていったのでありました。
( 平成十四年五月十七日、櫻川 記 )
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k、
from: 21世紀さん
2010年10月06日 23時13分06秒
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「Re:これでも池田大作を信ずるか下山正行氏」
どれが本当の指導なんだ
( 池田会長指導の激しい変転 )
(略)最近の池田会長や創価学会の指導には、このように御聖旨に違背する内容が非常に多いのである。それなのに私達一般の創価学会員は、そのことに全然気づかず疑問のひとかけらも抱かずに、ただ唯唯諾諾、池田会長の指導だから、幹部の指導だからと、頭から信じてきてしまった。
日蓮大聖人を信じ奉っているのか、池田会長を信仰しているのか、わけのわからない状態だといえるのではないだろうか。
これでは、“日蓮正宗ではなく池田宗だ”と悪口をいわれても、反論もできないではないか。日蓮大聖人の御金言に悖るような指導があっても、池田会長の指導というだけで“大拍手”で迎え従っていた私達創価学会員の、大御本尊様に対する罪は免れようのないものであろう。
それにつけても私達創価学会員は、池田会長や創価学会の指導が、どんなに激しく変転しているかを、まず知らなければならない。多くの人に指摘されていることだが、「本門事の戒壇」という日蓮正宗教義の重要事項と「正本堂」に関する池田会長と創価学会の指導が、いかにクルクル変化しているかを見てみよう。
1) 「立宗ここに七百三年を過ぎ、仏命たる富士大石寺に本門寺の戒壇の建立は未だならず『時を待つべきのみ、事の戒法というは是れなり』の御予言こそ残された唯一の大偉業であり、事の戒壇の建立につきる。これを化儀の広宜流布と称し、国立戒壇の建立というのである」(「大白蓮華」昭和31年1月号、池田会長-当時総務)
2) 「本門の戒壇建立とは、大聖人様の至上命令である。そしてわが日蓮正宗創価学会の唯一の目的であることは論をまたない。この戒壇こそ末法万年にわたり、民衆を救済するものであると思う。したがって国立の戒壇建立は、全民衆の要望によって成就されるものであることを忘れてはならない」(「大白蓮華」 昭和34年1月号 同上)
3)「大聖人様の至上命令である国立戒壇建立のためには、関所ともいうべきどうしても通らなければならないのが、創価学会の選挙なのでございます」 (「大白蓮華」 昭和34年6月号 同上)
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加 )
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下山正行氏の、「これでは、“日蓮正宗ではなく池田宗だ”と悪口をいわれても、反論もできないではないか」との自己反省は、けっして他人事でも過去のことでもないことでした。
どこの「会長先生」であっても「御法主上人猊下」であっても、その絶対視や神格化がいかなる隘路に陥るかということを、わたしたちはこの数十年、イヤと言うほど見てきたことでした。
「鯛は頭から腐」り、「絶対権力は絶対的に腐敗」するのでありました。
( 平成十四年五月十三日、櫻川 記 )
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from: 21世紀さん
2010年10月06日 00時16分34秒
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「Re:これでも池田大作を信ずるか下山正行氏」
( 事実と照合しながら検討 )
(略)私は妙信講にもその機関紙らしい「顕正新聞」に対しても、なんの認識も持たぬまま、「顕正新開」に転載された日達猊下の御説法を拝読したのである。これまでによくあった創価学会誹謗のいわれなきデッチアゲか、とも考えてみた。正直にいえは、私は気持の上では、これを本物と信じたくなかった。
しかし御説法の内容は、あまりにも重大なことである。しかも出所がはっきりと記載されている。それで私は、八方手をつくして、ようやく「蓮華」の昭和四十九年五月号と六月号を、直接手にする機会を得た。
「蓮華」には、まごうことなく、日達猊下の御説法が掲載されていたのである。残念ながら、「顕正新聞」のデッチアゲではなかった。同時に、私は引用した日達猊下の御説法が掲載されている「大日蓮」をも見ることができた。
「大日蓮」の内容は、拝読しておわかりのように、「蓮華」の御説法以上に、私達にとってショッキングなものである。池由会長や創価学会が、日達猊下のおっしゃるように、日蓮正宗信徒として誤った道を歩んでいる。などということは、私達末端の創価学会員は、夢にも考えたことがなかった。(略)
池田会長に指導される私達の創価学会の辿っている道が、もし、日達猊下のお言葉に指摘されるような“教義の間違った”ものであるとしたら、私達はどうしたらよいのであろうか。途方にくれながらも、私は、私自身かねて創価学会に抱いていた多少の疑念と日達猊下の御説法とを、可能な限り事実と照合しながら検討してみようと決心した。
猊下のお言葉を検討するなど、まことに畏れ多いことだ。しかしご非難をうけるだけの誤りが、日蓮正宗信徒としての創価学会にあるならば、一日も早く私達はそれに気づき誤りを正さなければならないからである。(略)
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加 )
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下山正行氏のように、自ら「事実と照合しながら検討」を試みる人は、未だに多くはありません。
本山から破門される今日の事態となっても、ほとんどの会員諸氏がひたすら池田名誉会長に付き従うのは、そのような事態に備えて巧妙にあらかじめ教育・指導されて来たからでありました。
( 平成十四年五月十一日、櫻川 記 )
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2010年10月04日 16時55分37秒
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「Re:これでも池田大作を信ずるか下山正行氏」
第一章 信じ難い現実
( 細井日達猊下の御説法 )
(略)
「富士宮のこれは信者ではないけれども、ある有名な人は大石寺は前々から言う通りに、軒を貸して母屋を取られるような事があるならば、大石寺の恥だけではない。富士宮の恥だという事を放言していたという事です」(略)
「ただ表面に服従して、ただ大きくなる事を望まないでもっとよく信心をしていただきたい。そして、宗門を護っていただきたい」(日蓮正宗総本山大石寺内事部発行「蓮華」、昭和49・5月号)(略)
「最近ある所では、新しい本仏が出来たようなことを宣伝しておるということを薄々開きました。大変に間違ったことであります。もしそうならば正宗の信仰ではありません。正宗の信徒とは言えません。そういう間違った教義をする人があるならば、法華講の人は身を以ってくい止めて頂きたい」(前出「蓮華」、昭和49・6月号)(略)
「この辺でも最近、人間革命が御書だということを盛んに言われてきております。私の耳にもしばしば入ってきています。また、誰れが本仏であるという言葉も、この近所で聞かれるのであって、私は非常に憂慮しています」(略)
「どうか、一時の富貴を喜ばないで、大聖人の根本の仏法をどこまでも貫いて頂きたいと思います」(「大日蓮」、昭和49・7月号)(略)
引用させていただいた細井日達猊下の御説法三篇は、いずれも日蓮正宗総本山大石寺内事部発行の月刊誌「蓮華」及び、日蓮正宗宗務院発行の「大日蓮」に掲載されたものである。
「蓮華」昭和四十九年五、六月号所載の猊下御説法をはじめて知ったのは、「日蓮正宗妙信講」と名乗る人達が、国電の駅頭などで配布していた「顕正新聞」によってである。“日蓮正宗”“日達上人猊下”という活字に誘われて、この新開を一読した私は、目の前が暗くなったような気がした。
というのは、日達猊下が創価学会と池田大作創価学会会長を、非難していらっしゃることが、この御説法で、あまりにも明白だったからである。池田会長とか創価学会とかいう活字こそ一字も見られないが、その内容からいって、創価学会のいき方への痛烈なご批判であることは、私達創価学会員にはよくわかるのである。(略)
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下山正行氏が衝撃的な細井管長の説法を知ったのは、妙信講員が配布した「顕正新聞」によってでありました。わたしも当時・新宿駅等の主要駅頭で、連日・顕正新聞を配布したことが思い出されます。
それにしても、「一期弘法付属書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇」として、「宗の内外にこれを闡明し、もって後代の誠証」(「訓諭」、昭和四十七年四月二十八日)とした正本堂落慶の昭和四十七年十月からわずか二年にも満たない昭和四十九年の五月から七月に細井管長のこの言のあるは、たいした正本堂の功徳というのほかはないでしょう。
しかして、ここで「そういう間違った教義をする人があるならば、法華講の人は身を以ってくい止めて頂きたい」と述べる細井管長は、法華講において誰がこれまで「身を以ってくい止め」てきたか・そしてこれからもそうであるのか、「表面に服従して、ただ大きくなる事を望まないでもっとよく信心をしていただきたい」とまで言いつつも、悲しいかな・それを如実に見極める知見を持ち得なかったのでした。
身を挺して御遺命を守護し、創価学会と論判・対峙して「確認書」(昭和四十五年九月十一日)を猊下に納め奉り、宗務院が職場放棄・機能停止する事態にあってついに創価学会をして誑惑訂正(昭和四十七年九月二十七日 )を為さしめた妙信講を、細井管長がまたも創価学会の圧力に屈して「身を以ってくい止め」ることもなくあたら解散処分に処したのは、昭和四十九年八月十二日のことでありました。
いささか視点を変えてみれば、こうも考えられるかもしれません。すでに池田会長の傲慢・慢心に、ここまで細井管長は気付き批判をしていた<時>でありました。たとえもしその知見に不足ありとしても、信徒の誠・妙信講がいますこし細井管長を包摂・猶予し、自らをしてあのように解散処分にまで追い込む路線を選択しなければ、その後の宗門の歴史は異なっていたかもしれません。
さすればあるいはまた細井管長をして、池田会長や山崎顧問弁護士に同心して「国立戒壇は大聖人の正意ではない」やら、「正に正本堂は本門事の戒壇である」等の<悪言>を為さしむることもなく、行いては御相承の断絶という事態もあるいは避けられたのかもしれません。しかし、歴史に<イフ>はないことでありました。すべては、時のしからしむるのみ、なのでありましょう。
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from: 21世紀さん
2010年10月04日 00時07分52秒
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「Re:これでも池田大作を信ずるか下山正行氏」
これでも池田大作を信ずるか -- 創価学会の友に訴える --
目 次
序 章 はじめに
第一章 信じ難い現実
( 細井日達猊下の御説法 )
( 事実と照合しながら検討 )
危険な池田会長“神格化”
創価学会の謗法
あえて謗法を犯す真意は
ご僧侶に対する池田会長の非道
どれが本当の指導なんだ
( 池田会長指導の激しい変転 )
( 矛盾に気づかずにいた私達創価学会員 )
( 正本堂と本門戒壇堂がいつの間にか同一に )
( これではまるで詐欺ではないか )
( 池田会長の嘘言症的言辞 )
( 低次元の詭弁 )
( 池田教狂信者 )
( 教祖信仰にも似た己の姿 )
内容改変
( 不可解なカット )
( 正本堂は事の戒壇か否か )
( 依らしむべし、知らしむべからず )
第二章 同門、妙信講の主張
“「事の戒壇」は広宣流布の暁に建つ”という主張
「事の戒壇」は「国立戒壇」であるという主張
( 国立戒壇の建立は全民衆の要望によって成就 )
( 事の戒壇と国立戒壇についての推移と変化 )
( 妙信講の主張と歴代上人の御文証 )
正本堂に関するその他の主張
( 御遺命守護は創価学会員にも重要な使命 )
七年越し続いた諌訴
第三章 汚れた“清潔公明党”
公明党議員は本当に清潔か?
“田中金脈追及”をつぶした?竹入委員長
“大衆”とはほど遠い竹入委員長の“権力”感覚
類は友を呼ぶ --- 本がおかしいと怪し気な仲間ができる
公明党国会議員と共謀? 日政連関係の恐喝的行為
“マッチ・ポンプ”でプレハブ会社から金をとる
深夜の議員宿舎でホステスと乱行する公明党議員
<「独自」市長の実像>
終 章 創価学会の同志へ
資料 その1 「国立戒壇」の意義に関する政府の照会に対する創価学会の回答書
その2 創価学会第三十三回総会での池田創価学会会長講演
その3 「正本堂」に就き池田会長に糺し訴う
( 上記科段は、便の為に当サイトにて添加 )
from: 大阪野里の高等遊民さん
2016年11月16日 10時44分04秒
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