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from: 21世紀さん
2010年10月22日 23時06分37秒
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なぜか消された田岡三代目の“一日署長”写真......ヤクザが書いた本の“意外な読み方”
サイゾー 8月24日(火)14時53分配信
版形や体裁を変えて出版された田岡三代目の自伝と彼の娘によるエッセイ集。
──ヤクザを扱った本は数あれど、“ヤクザが著者”という本は、意外に少ない。古くは山口組三代目の田岡一雄氏による自伝、最近では、元後藤組組長による『憚りながら』が話題になったが、これらの本には、意外な“読み方”があった──。
山口組の中でも“いろいろ”な意味で目立っていた元後藤組組長・後藤忠政氏(得度名・忠叡)の著作『憚りながら』が注目されている。
「政財界や創価学会との関係が、ほぼ実名で書かれていることが話題になっています。書かれた当事者からしてみれば大ごとなんだろうけど、少しでも裏社会に詳しい人からすると、知っている話が多く新鮮味はないと見る向きもありますよ」
ある実話誌ライターがこう語るように、“その筋の人”の目線では、話題作も違った見方ができるようだ。
「たとえば創価学会との関係でいうと、藤井富雄・元公明党東京都議会議員と後藤さんが会っているところを、後藤氏の知り合いの会社社長に隠し撮りされていたクダリがあります。明言こそしていないものの、そのビデオでは藤井さんが後藤さんに、当時、反学会・公明党キャンペーンの急先鋒だった亀井静香代議士らへの“襲撃”を依頼しているように受け取れる」(同)
後藤氏と創価学会の関係は古く、70年代に起こった富士宮市にある学会の墓苑建設をめぐり、反対派の封じ込めを藤井氏が後藤氏に依頼したのがきっかけだったという。後藤組関係者は、反対派の自宅にブルドーザーで突っ込み、日本刀で片腕を切り落としたという話が、魚住昭氏のノンフィクション『野中広務 差別と権力』(講談社)に紹介されているが、墓苑が建設された後、封じ込めの報酬をめぐって後藤氏と学会は対立することになった。
「この騒動のあと、藤井さん宅の隣家の門が爆破されたりしているんですが、このあたりはジャーナリストの魚住昭さんが書いた『月刊現代』(講談社)の記事から引用している。04年に書かれたこの記事は、後に『差別と権力』として出版され、講談社ノンフィクション賞を受賞しましたが、学会からすれば、古傷をさわられたというところでしょう」(同)
こうしたエピソードをちりばめたことが奏功したのか、アウトローものとしては近年まれに見るベストセラーとなり、発売1カ月で部数は18万部を突破。そこには後藤氏が持つタレント性も強く影響している。
「かつては日本航空の個人筆頭株主になって経済ヤクザといわれたり、ファイル交換ソフトWinnyによる警察官の情報流出問題でタレントを情婦にしていたことが露呈したりと、何かと話題の多い人でしたからね。ヤクザはシノギ(商売、金儲け)の話は基本的にしないので、著書にはカネ儲けの話は出てきませんが、日本刀を持って暴れ回ったり、銀行に糞尿をまいたりとエピソードは満載ですね。金を稼ぐ武闘派という、“ヤクザらしいヤクザ”だったんです」(同)
また、後藤組組員による映画『ミンボーの女』の伊丹十三監督への襲撃事件(92年)については、「あの映画には全国のヤクザが怒っていて、誰が襲撃事件を起こしてもおかしくない事件だった」と後藤氏も当時を振り返っている。
「後藤さんも、まさか自分のところの組員が起こした事件とは知らず、最初は拍手喝采だったが『いざ自分の組の話になると頭が痛いなあ』『えらいこっちゃなあ』と思ったと、素直に話している。今なら間違いなく使用者責任で、後藤さんも逮捕されていただろう」(別の実話誌記者)
前出のライターは、「こういった人間味溢れる描写にこそ面白味がある」と指摘する。
「ヤクザについて書いている作家には『侠客の条件──吉田磯吉伝』の猪野健治氏や『六代目山口組 宮廷革命の勝者』の溝口敦氏、さらには山平重樹氏や宮崎学氏など大御所も多いけれど、語りおろし【当特集2<http://www.premiumcyzo.com/modules/member/2010/07/post_1239/>参照】とはいえ、本人の言葉として出版されたものはやはり臨場感が違う。それに、92年に暴力団対策法が施行されて以降、山口組をはじめ、ほとんどのヤクザはメディアの取材には応じないのがタテマエ。著書を出すなんてもってのほか。それを引退したとはいえ、元山口組の大幹部が書いたのだから話題性だけでも十分ですよ」(同)
たしかに、ヤクザ本人の名義で出版される本はめずらしい。さらに後藤氏の場合、これだけブレイクしているにもかかわらず、雑誌のインタビューにほとんど応じないという。
「おそらく、これほど売れると思っていなくて(笑)、最初から『取材はめんどくさいから、一切受けない。一冊書いたらそれで終わり』と考えていたようです」(前出・実話誌記者)
■改訂版で書き換えられる“封印された”記述とは?
さて、ヤクザ名義の本が売れる理由は、リアルさが要因であることは前述したが、その意味でいうと山口組三代目・田岡一雄組長による『田岡一雄自伝』は群を抜いている。日本刀で相手を斬り殺したり、目玉を親指で潰して流血させるなど、過激なエピソードが満載だ。
「初版は71年、当時はまだまだヤクザに対して寛容な時代だったのでしょう。ただ、改訂版では内容を変更した個所が若干あります。例えば、警察と友好関係にあったことを示す写真が、08年版では削除されています」(前出・ライター)
65年、警察は全国のヤクザを一掃するべく、『第一次頂上作戦』を開始。中でも破竹の勢いでその勢力を伸ばしていた山口組には、過度の捜査を行い、存亡の危機が訪れたという。
「それ以前は警察とはむしろ協力関係にありました。終戦直後の日本の警察はGHQにより拳銃を持つことを禁じられていましたから、混乱に乗じて暴れるアウトローを制することができず、田岡さんたちは警察に協力して彼らを鎮圧し、むしろ街を守っていたんです。
また、60年代安保の際にはデモ隊とも衝突しています。不良外国人排除やスト破りは愚連隊の万年東一さんの活躍も有名ですが、こうした関係で、田岡さんが兵庫県神戸市の水上署の『一日署長』を務めたことがあった。権力側は彼らを使うだけ使って、切り捨てることを繰り返してきたんです。以前は分冊で発売されていた自伝の第三巻『仁義篇』の口絵に、この時の写真が掲載されていますが、現在発売中の08年版と文庫版には掲載されていません。山口組にとっても触れられたくない歴史なのでしょう」(前出・ライター)
ちなみに、自伝を書く際、編集者との打ち合わせには、田岡氏の妻・文子さんも同席していたという話が残っている。
「田岡さんが編集者の質問に答えると、横にいる奥さんが『お父さん、それは○○年の話よ』『その話は□□さんのことではなくて、△△さんよ』などと助言していたといいます。親分といわれる人の奥さん、つまり姐さんは、そういうしっかり者のタイプでないと務まらない。ちなみに後藤元組長の奥さんについても、警察が『たいしたタマだ』と言うほどの人物だとか」(同)
また、「田岡氏の実娘・由伎さんが書いた『お父さんの石けん箱』も、現在は角川文庫に入っていますが、初版の『さようならお父さんの石けん箱』(サンケイ出版)とは異なる部分もあります。初版は写真が多く、後に離婚する音楽家の喜多郎氏とのエピソードが書かれており、著者名も「由伎」だけで、姓がありません。「田岡」から喜多郎氏の本名である「高橋」姓になったことが理由のようですが......」(同)。
そのほか、ヤクザ名義の本でいえば、四代目工藤会名誉顧問の溝下秀男氏による『極道一番搾り』【当特集2<http://www.premiumcyzo.com/modules/member/2010/07/post_1239/>参照】や実父が警察官で後のヤクザの養子となるという数奇な運命をたどった三代目侠道会会長補佐を務める二代目森田組組長の森田健介氏による『ヤクザ者の屁理屈──貴方もヤクザになりませんか』が有名だが、四代目会津小鉄の故高山登久太郎会長による『警鐘』は、それまでのヤクザの本のイメージとは異なるものだった。
「基本的にヤクザ本というのはその人物の生き様を記したものがほとんどなのですが、『警鐘』は暴対法をめぐる高山さんの理念が綴られているという珍しいタイプの本です。そもそも、ヤクザ社会には、“本来お上には楯突かない”という自戒のようなものがあり、捕まっても、黙って懲役に行くことすら美学だった。それを変えたのが暴対法なんです。ヤクザの存在そのものを否定する法律で、当時は山口組、会津小鉄、工藤会などが憲法違反だとして、訴訟も起こしています。それ以前は、ヤクザが憲法や人権を語るなどありえませんでした」(同)
ヤクザが、いわゆる人権派弁護士を弁護人にして最高裁まで争うようになったのも暴対法以降だというが、それまでは一審ですぐに"おつとめに行くのが当然だったのだ。
このように時代によってヤクザ社会が変わることは仕方がないのだろう。だが、今回紹介した書籍では、普段はコワモテと恐れられるヤクザの意外な一面を垣間みることができ、古き良き時代の任侠の生きざまが、興味深く描かれているのである。
(取材・文/三島 優)
創価学会脱会推進委員会
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