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from: 22世紀さん
2010年10月31日 11時26分27秒
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池田大作「権力者」の構造
池田への真の救いは同じころ、戸田が、牧口以後長らく空席のままであった創価学会会長の地位につく意向を表明したことによってもたらされた。その時点で戸田に会長就任の決意をかためさせたものは、「ここに、不思議のことありて、大確信を得」(戸田『論文集』とある「不思議のこと」であり、その意味するところは、明らかに、彼には「ありがたい御本尊の功徳」と映じた、この信用組合の免責であった。それが立正佼成会(昭和35年に大日本立正交成会から改称)への敵対心と相乗して、ふいに戸田を会長に立たせたのである。
立正佼成会は創価学会と同じく日蓮系で、法華経を重視し、また設立年月も昭和13年で、創価学会の設立と近接している。が、当時会員は約20万を数えて、3,000の創価学会とは雲泥の差であり、新興宗教中、最高の成長率と最大の教勢を誇っていた。
佼成会は戸田にとって、教義上はもとより、いわば近親憎悪といった面でも敵であり、思いのたけをこめて打倒すべき邪宗以外の何ものでもなかった。
「学会と立正佼成会は同じく正と邪の道を開き、しかも、いまだかれら邪宗をつぶすにいたらず。このまま便々としては、大御本尊様よりお叱りあることをおそる」(同前)
が、佼成会に対する戸田の敵愾心には、一筋縄ではいかない、陰微な嫉視や競争心も混入していた。佼成会の発展は戸田には、なにより不正不当な、横取りされたような成功と感じられた。
「学会再発足のとき、立正佼成会も同じく小さな教団として、やっと息をついていたのは、自分たちのよく知っているところである。しかるに、7ヵ年の時を経過して、かれは大なる教団となって邪教の臭気を世にばらまいている」(同前)
規模もスタートも同じくして、一方は「邪教」の分際で大教団、一方は事業家として塗炭の苦しみ――この事実に戸田は事業上の挫折を天啓と見、また新事業を着想する視点をも得た。-
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