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from: 22世紀さん
2010年11月19日 22時16分05秒
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池田大作「権力者」の構造
宗教法人創価学会の目的をめぐって
7月22日、本尊奉戴の臨時総会が市ヶ谷の家政学院の講堂で開かれ、その席で財務部の強化と、日蓮の遺文集の刊行が発表された。
創価学会は会員から会費をとらず(ことあるごとに臨時徴収する)、戸田や会員による寄金で運営されていたが、それは制度的に明確でなく、会経費は不足しがちであった。そのため、全国折伏をめざす今、まず資金制度を確立する必要があった。『日蓮大聖人御書全集』(『御書』と略される)の刊行も、教学面の強化と同時に金儲けをもくろむ企画だった。
同書の編纂は、日蓮正宗の長老である堀日享に依頼され、校正は創価学会講義部の講師以上20名によって行われ、翌27年4月、B6判、1,700ページ、一巻となって完成した。当初、戸田は600万円と見積られた出版費の援助を大石寺に請うたが、拒絶されて怒り、聖教新聞に本山をたたかせたりした。が、結局、出版費は会員からの一冊・1,200円の前金でまかなわれた。
『御書』はそのころ戸田の眼についた唯一の稼ぎの種であり、また前金以外に金繰りもつかず、戸田はあせっていた。「御書は作ると決めたら作っちまうんだ。借金しても1,200円用意しろ」と当時の『聖教新聞』(昭和26年8月1日)は記している。
同書は初版6,000部が発行され、2年後に40,000部が再版された。そのとき戸田は、定価2,000円の同書を1,200円で予約買い取りしておけば、あとで本部が2,000円で買い戻す、多く買えばそれだけ儲かると、会員に大量購入をすすめたという(日隈『戸田城聖』)。
『御書』の刊行は、『大百蓮華』『聖教新聞』とならんで、「創価学会という名の出版社」への足がかりをなすものであった。戸田はその経営学を、売れる本を作るより買う層を作るという方向に切りかえ、倒産した日本正学館は創価学会に変身したわけである。池田もこれにならい、彼の代になってから同会は、教科書や参考書として会員に読まれる雑誌や単行本を前にも増して続々出版する。
9月、講義部を教学部と改称し、一級から五級までの講義内容と、その受講資格が定められた。それはさきの『御書』刊行とともに、創価学会が日蓮正宗から独立した教義解釈権をうちたてたことを意味した。日蓮正宗に対する創価学会の主導権確立は、創価学会の組織再編成とならんで、戸田の一貫した方針であった。彼の戦略は、日蓮正宗の歴史と権威を借りつつ、母屋を盗むに等しく、その機構、施設を創価学会専用に変質させることにあった。
創価学会のこうした一連の体系化は、日蓮正宗側の反撥を招かずにおかなかったが、戸田はその都度詫びたり、おどしたりして両者の関係をウヤムヤに治めた。詫びることはその権威を借りる創価学会を益しても害せず、要は権威と歴史以外の部門の自前化措置を続け、既成事実を積み重ねることであった。
戸田は10月、創価学会を日蓮正宗とは別の宗教法人として東京都に届け出、『聖教新聞』11月1日付にその設立公告を掲載した(都知事の認証は翌27年8月)。-
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