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from: 22世紀さん
2010年11月22日 21時43分17秒
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池田大作「権力者」の構造
池田には24年後、新婚当時と、その少し前を回想した語録がある。池田の人間性の一面と当時の生活ぶりを示すものとして、長くなるが掲げておく。
「新婚当時、賞与を全部すられたことがあった。電車の中でやられたと思うが、帰宅して賞与をもらったよ、ポケットに手を突っ込んだらなかった。でも、うちのは(奥さん)案外ケロリとしていた。
一番困ったのは、下宿していた時代に信心を理由に追い出された時だ。家賃は350円だったが、石田次男、秋谷、中西たちも来た。大森駅から歩いて20分かかった。道路の真ん中を下駄をはいて歩いたものだ。
ようやくにして次の下宿先を見つけたが、蚊が多くて閉口した。北向きの一番小さい四畳半の部屋だった。自分のところだけはカヤがない。そのために他の部屋の蚊が全部集ってきたのには困った。御本尊を拝むと隣の部屋から、うるさいと怒鳴られカベをたたかれた。
二年目の9月ごろ、はじめて蚊取り線香があることを知った。ふとんは一年間ぐらい敷き放しだった。カギも開け放し。どうせ何もないから盗られないと思っていた。
ある時、蚊取り線香をつけ放しで寝てしまった。夢の中で太陽がこうこうと輝き、とても温かい気持ちになった。ふと目がさめると、机の上にジカに置いた蚊取り線香が、机に燃え移り、煙が部屋中に満ちていた。あわてて消しとめてことなきを得たが、じつは蚊取り線香の扱い方を知らなかったために起きたボヤだった。
滝の夢を見た。二月の寒い最中だった。滝のしつ゛くがかかって冷たくてしようがない。目をさましたら天井から水がたれていた。二階の人が水道を出し放しにして外出したのであふれて落ちてきたことが分った。お蔭で一つしかないふとんも台無しになった。
また、こんなこともあった。アパートの便所へ入っていたら外からカギをかけられてしまった。(だれかが間違ってかけた。)そんな時にかぎって誰も通らない。
弱っていたら、外を結婚する前の女房が会合の連絡か何かでやってくるのが見えた。それで窓から大声を出してあけてくれと頼んだら、びっくりしていた」(昭和51年3月23日、内部文書)
池田には庶民の出自として親しめる一面があるが、彼はその権力の肥大化とともに、「若き日」を語らず、語ったとしてもひと理屈つけて自己の偉大さを証するためにだけ語るようになる。本語録はまれな例である。
男子部幹部の池田のライバルたちは、それぞれ戸田の肝煎りで女子部の幹部を伴侶に選んでいた。たとえば石田次男は女子部長・小島栄子と、森田一哉は第五部隊長・高島秀子と、北条浩は第三部隊長・坂本弘子と結婚した。
白木かねは二月の青年部男女合同研究発表会で、「霊魂論の誤っているわけ」を五分間論じ、十点満点で5.6点を得るなど、女子部の活動分子ではあったが、幹部とはいえなかった。彼女の強みはもっぱら血族に会内エリートを持つ点にあり、池田はそのような娘を配偶者に選んだ。それは青年部幹部同士の結婚に較べて、次期会長をめざす池田の野心にふさわしいものであった。
かねはまた、高校卒業後、住友銀行に勤めるBG(ビジネス・ガール)だったが、池田によれば、「くったくのない御嬢さん育ち」だという。現在、彼女の名は池田の太作から大作のようには正式に改名されていないが、活字で登場する際には香峯子と変えられている。
結婚後、池田は目黒の借家で三ヵ月ほど暮らし、9月、大森・山王の二間のアパート秀山荘に移った。戸田は池田の月給を一万円ほど上げ、時に小遣いを与えたという(央、『池田大作論』)。-
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