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from: 22世紀さん
2011年01月12日 21時14分03秒
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池田大作「権力者」の構造
池田会長就任の虚偽ないし演出
昭和35年4月22日、池田の第三代会長決定が発表された。
『聖教新聞』同日号によれば、理事長・小泉隆の発議で、「4月9日に緊急理事会が開かれて、小泉理事長から理事全員に対して正式に会長推戴の件がはかられ、全員一致して池田総務にお願いすることに決定した。
翌11日(?)に、理事室を代表して小泉理事長と原島理事から、総務に会長就任をお願いしたところ、池田総務は『事が重大ですから、1日、2日猶予願いたい』とのご意向であった。翌12日、池田総務から原島理事に、賢く辞退する旨の回答があった」
その後も再三の懇請と辞退が繰り返され、14日にようやく池田は内諾したのだという。
が、この、池田が会長就任を承諾するに至るいきさつは、明らかに胡乱な作為が認められる。なぜなら「理事全員に対して」はかられたという以上、理事会に当の理事・池田が出席していたこと、ならびに「全員一致して」とあるかぎり、池田が自身の会長就任になんらかの形で賛意を表したことは明白だからである(創価学会規則は、「理事はその理事の特別利害関係のある事項については議決権を有しない」と定めていたが、この場合の「理事」とは、「責任役員を理事と云う」とあるように責任役員を指し、責任役員ではなかった池田には適用されない。もっともその準用は十分考えられるが、そうなれば但し書き――「この場合においては特別の利害関係を有する理事を除いた役員会において、特別の利害関係の員数だけ会員の中から仮理事を選任しなければならない」――も準用されねばならず、池田の息のかかったものを仮理事とすることは可能である)。
ところが池田は数度の懇請にもかかわらず、辞退に固執したのだという。
これは自家撞着であり、この経緯全体の信憑性を疑わせて十分である。
央忠邦『日本の潮流』は、「偶然入手した非公開の複写した資料」に基つ゛き、池田を会長に決定した会議を理事会ではなく、部長会としている。部長会なら辻褄が合うかもしれない(しかし、「各部を統括する」総務・池田は部長会のメンバーではなかったのだろうか、甚だ疑問である)が、会長の決定は創価学会の最高基本方針に属する事柄であるから、理事会での発議が正しい手順であること、部長会を理事会と変えて発表しなければならぬ必然性がなに一つ認められないこと、池田との折衝にあたったのが理事長であること、発表時の早期性、といった諸点から、聖教新聞の矛盾を解消するものとは認められない。
前年の機構改革が実質的な池田体制の発足であった以上、池田がこの期におよんで、会長の職を辞退するいわれはなにもなかった。にもかかわらず、なぜこうした虚偽ないし演出が行われねばならなかったのか。
まず、高位の地位を進んでは受けないという一般的な習慣である。宗教の世界では、なおさらその手の儀式は尊重されよう。熾烈に会長の地位を望み、その獲得のために激しく、また陰険に闘ってきた池田であっても、あるいはそのような池田であるからこそ、待ってましたとばかりに就任するわけにはいくまい。
いわば八百長の辞退であり、それは創価学会では、戸田の前例でさらに強調されていた。戸田が会長就任時に、「必ず、つぎに会長になる宿命を持つと予見していたが、どうしても、いやであった。・・・・・会長だけはぜったいやるまいと思っていた」(戸田『講演集』上)と表現して以来、会長とは喜んで就くべき地位ではないとの固定観念が支配的だったのである。
ついで、池田以外に会長に就くべき人材がなく、彼の就任は幹部の総意に基つ゛くという印象を会内外に与える必要があった。このことは池田以外の、会長への野心を持たなかった幹部達の利害と相容れないものではなく、彼らがさきの虚偽ないし演出に手を貸したのは当然である。また、そのことがひいては池田の謙虚さ、身の栄達を望まぬ高潔な人格をいう理由にもなる。
こうして池田は32歳の若さで第三代会長への就任を決めた。
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