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from: 22世紀さん
2011年07月02日 19時08分12秒
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池田大作「権力者」の構造
第三代会長候補グループ――青年部の結成
七月、青年部の新部隊結成式が創価学会本部で開かれた。青年部は、戸田が会活動の中核として大きく期待をよせて会長の旗本、親衛隊といわれる、当初、男子部187名、女子部70名よりなる部隊だった。
男子部の組織系列は、男子部長―部隊長―班長―隊員で、ここで池田は下から2番目の班長に任命された。が、池田とほぼ同時期の入信者はそれぞれ戸田に選ばれ、その地位を高めていた。すなわち、石田次男は第一部隊長、岩本他見男は第二部隊長(同年10月、岩本は女性関係で信心を狂わせて失脚し、わずか入信4ヵ月目の北条浩に替わった)、森田一哉は第三部隊長、竜年光は第四部隊長に登用された。
この男子部結成の席で戸田は、「きょう、集まられた諸君のなかから、必ずや、つぎの学会会長が、現われるであろう。必ず、このなかにおられることと信ずる」(戸田『講演集』上)と述べた。
戸田は会長就任後二ヵ月にして早くも次期会長に言及した。それは、戸田一流のハッパをかけて、エリート意識や希望を持たせ、たがいに競争させる指導の表れであった。また戦前からの幹部会員をその大量転向という点から見限っていた戸田の、青年部員に対する偽りのない期待感の表明でもあった。
彼は翌27年2月にも、
「三代会長は青年部に渡す。牧口門下には渡しません。なぜかといえば、老人だからです。ゆずる会長は、一人でありますが、そのときに分裂があってはなりませんぞ。いまの牧口門下が、わたくしをささえるように、三代会長を、戸田門下がささえていきなさい」(同前)と重ねていい置いている。
こうした戸田の講話は、池田はむろん、各青年部員に、次期会長への野心を注ぎこんだ。
戸田の提示した次期会長の条件は戸田門下、青年部員という二項につきるが、ここで、戸田発言時にある程度、頭角を現していたことをも目安にして、第三代会長をめざす池田のライバルの資格があった会員を整理して挙げてみよう(カッコ内の役職は当時のもの)。
石田次男:大正14年生まれ、昭和25年11月入信、秋田県大館中、芝浦工専卒、秘書室、『聖教新聞』編集主幹、男子第一部隊長、小岩支部幹事(母親・石田つかは小岩支部婦人部長)、講師
森田一哉:大正15年生まれ、昭和17年入信(戸田は「青年部に牧口門下はおりません。かりに、森田君あたり、牧口先生に会ったとはいえども顔を見ただけで、教えは受けていないのであります」と述べ、戦前の入信は森田の欠格事項にならない。なお父・悌二は16年の入信で、当時鶴見支部長)、中央大学法学部卒、第三部隊長、指導部指導員、講師
竜 年光:大正10年生まれ、昭和21年入信、第四部隊長、蒲田支部幹事、指導部指員、講師
北条 浩:大正12年生まれ、昭和26年入信、学習院中等科、海軍兵学校卒、第二部隊長
牛田 寛:大正4年生まれ、昭和22年入信、都立大学工学部講師、男子部長、蒲田支部幹事、指導部指導員、助教授
池田はこの男子部結成式の模様を、「戸田は場内の中央の一隅に山本伸一班長(池田のこと)を見かけると、ふと眼をそらした」と『人間革命』四で書いた後、戸田のいう「つぎの学会会長」は実に池田自身を指していたと縷々説得につとめている。
が、それは入信神話と同じく、池田の跡目相続の正統性を主張しようとする詭弁にほかならない。戸田はつぎの会長について誰ひとり具体的に想定していなかったか、さもなければ石田次男あたりを念頭に置いていたかのいずれかである。石田は後に述べるように戸田の下で異例の出世をしている。
男子部についで、女子部の部隊が結成され、女子部長・小島栄子のもとに、第一から第五までの部隊長に、それぞれ浦 純子、山浦千鶴子、坂本弘子、樋口トシ子、高島秀子が任命された。-
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