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from: 22世紀さん
2011年11月12日 18時13分56秒
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池田大作「権力者」の構造
堕ちる権力者像
本書執筆時点で、池田は第三次の闘いのさなかにあるわけだが、彼が厚い殻皮を形成して現状を耐えぬき、いつの
日か外部環境の良化に伴って蠢動を再開、ガン細胞のように他に転移しようにも、すでに彼を囲い込む世論は動かし
ようがないとみられる。彼を批判するものは昭和45年時には外部社会であり、54年時には宗門という半内部だった。
そしてその後は、原島崇や山崎正友という中枢にいた幹部にリードされるかたちで、糾弾がつつ゛けられた。池田は
敗北ごとに、より手厳しい情報戦にさらされたわけである。
池田の敗因の一つは、世間の錯覚をおのが自覚とした点にあったともいえよう。
彼を礼賛する声は創価学会=公明党内部では神格化の域に達して、彼の権力にもう一つ輿望という属性を加えていた。
そして彼は、その会内の輿望をスプリング・ボードに一時期は会外の名声をも博した。それが彼の偉大さを仕上げ、彼を
生きながら偉人伝中の人にしていた。
池田は、東京急行電鉄社長・五島昇には「日本で〝帝王学〟を受けた人は、皇太子と池田大作とぼくだけ」と評価
された。森下仁丹社長・森下泰にいわせれば「日本歴史、あるいは世界歴史に残る可能性をもつ人」となったし、
児玉誉士夫に至ると「何百年あるいは何十年に何人しか出ない人物」の一人とまで称揚されていた(『現代』昭和45年
2月号)。
さらに、いちずに池田の偉大さを顕彰する評伝、小説、写真集は単行本だけでも十指にあまり、そのほか新聞、雑誌の
掲載文、創価学会、公明党を扱った刊本中の池田大作偉人説は枚挙にいとまがない。それらの一部はその販路や効果
の上から、「お買い上げ出版」「おべんちゃら本」と目され、「おべんちゃら本」を何冊か物した五島勉は池田を、日本が
狭すぎる、現代の英雄と表題にうたった。
が、そのすべてが、意図的な阿諛追従をこととしたのでもなく、また「創価学会・公明党と誼を通ずることによってしだい
に筆を曲げていった」のでもなかった。むしろ「誤認識や誤解を正すことがジャーナリストとしての私の責任でもあると
思う」(小林正巳『池田大作』)善意の著述者をして、なお、「抵抗期の純粋な青年や、三百万といわれる女性を社会
活動にリードしている指導者は歴史上にも稀ではないかと思」わせる点に、池田のまことに偉大な特性があったという
べきだろう。
後藤弘は「創価学会員でもなければ、公明党の党員でもなく、また特殊宗教の宣伝や紹介をしようというものでもな」く、
ただ「創価学会を正しく認識するためにいささかでもお役に立つことができれば幸」と考えて、前に引用した『創価学会の
経営学的分析』を著したが、それでも文中、「池田を当代随一の指導者であるといっても、・・・・・決していいすぎでは
あるまい。事実、私は池田に比肩すべき指導力をもった人材、池田以上の人物を現在日本において見出すことができ
ない」と、池田という人物の前に全面的に脱帽しなければならなかった。
創価学会=公明党の内外を問わないこうした池田の強大な声望は、すでに棺を蓋う前に彼の名声を定めたかに
思わせた。池田自身の言動がそれを追認するにやぶさかでなかったのも人情の理というべきであった。
「創価学会は、国連の人口統計からいうと、世界で21位の国家となる」(高瀬広居『池田大作』、高瀬は周知のように
理解ある創価学会通として知られており、その著作からの引用はこの際不適当ではない)と、池田は創価学会が独立
国であることを宣言し、ついで「私のコトバは憲法となる」(同前)と、そこで行われるべき最高法の淵源をルイ十四世風
に明らかにした。
また池田は彼の馬前に屍をさらすという会員の赤誠を耳にして、暗に会員の範としていた。
「ちょうど東海道方面で、ある会合があった。百人前後の会合といっておりました。その中で地区部長にある人が
『もし小選挙区制になったらどうしますか。われわれはどうしたらよいのですか』と質問したという。・・・・・その時に、ある
女子部の区長が立ち上って『小選挙区制がしかれるようなことがもしあったならば、私どもは本部の指示を待とうではな
いか。かならずや本部の指示があるであろう。その時は国会前で会長が〝死ね〟といえば死にましょう。〝生きろ〟と
いえば生きましょう。どんな戦いでもその指示を待とうではありませんか。それまでは一生懸命、信心に励めばいいでは
ありませんか』という意味のことをいったそうです。『かならずその時、時に応じて指導があるではないか。そんな心配を
する必要はない』と立ち上がっていったそうです。その時に百人の人は水を打ったように『ああそうだ』と、いっぺんで
わかったそうです」(池田『池田会長講演集』十二)
組織外からの錯覚も、池田の自覚もやりきれないほどに生まじめなものであった。そこにはほめて、ほめたおすという
シニシズムもなかったし、大ボラを吹いて煙にまくという磊落さもなかった。局外者はひたすら英雄と同時代にあることの
幸せを噛みしめるべきなのであった。
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