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from: 22世紀さん
2011年11月14日 12時58分02秒
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池田大作「権力者」の構造
勤勉と型ハメ
池田はまぎれもない世俗の勝者だった。彼はゼロから出発して、他に較ぶべくもない権力と知名度、地位と潜勢的な
財力をすべて手中にした。彼は精神の世界に所属し、世俗の功利とは無縁であるとの論はあたらない。日蓮正宗の
在俗の信者の団体・創価学会の会長だからであり、また彼の存在と品性のありようからである。
勝者の第一の要件は池田の力説する通り確信であった。
「将として、もっとも大事なことは〝御本尊は絶対なり〟という確信をもつことである。確信ほど強いものはない。どんな
事態でも打開し、どんな人でも救い、どんな戦いでも勝ち抜いていく源泉が確信である」(池田『指導要言集』)
不信と懐疑の蔓延する時代に、池田は教義への確信によって闘争への力を得、また確信をもって感動的なまでの
指導性を発揮した。さらに彼は病・貧・争の出身に由来する人情の機微に関する熟達と、諸々の劣等感とその裏返し
である優越感とをもって効率的に組織の運営拡張にあたってきた。
池田の成功、すなわち創価学会の伸張は、昭和25(1950)年の朝鮮特需から池田勇人の高度経済成長政策を経て、
GNP第二位に至る日本経済の復興と進展をそのままになぞった。会員はこの間の名目賃金の上昇と電化製品の購入を
自家の家計の向上ととらえ、そこに「功徳のすごさ」の実証を見て、さらに己の会活動に拍車をかけ、その結果、会員は
急増した。
そしてこの期における池田以下会幹部の指導的な信条は、忙しさの信条とでもいうべきものであった。それは忙しさ
自体がモチベーションになるという奇態な、とはいえ会外でも見られなくはない馬車馬の信条であり、彼らをおそろしく
勤勉な人種にしあげた。創価学会の一中堅幹部(森田康夫、昭和55年8月副会長)は、「忙しいということは、それだけ
存在価値があるということになり楽しい」(後藤弘『創価学会の経営学的分析』)といった。
この境地は創価学会を絶対とする確信を前提として生まれ、それが彼らの睡眠五時間といった活動を支えてきた。
彼らは日本経済の底の浅さが個人に刻印したいわゆる「モーレツ」や「エコノミック・アニマル」の模範的な尖兵だった。
池田の思念はつねに、彼の持ち物である創価学会=公明党を離れず、彼はこれまで繰り返し述べた入信神話などの
嘘、戸田のアダ名ヒバリ天をヒバリ男とするような虚栄、仏法民主主義といった用語に見られる折衷のほか、借用、
型ハメといったパターンの駆使において勤勉であった。それらは池田の創始になるものでなく、主として戸田以来の
創価学会に見られるものだったが、池田はそれをさらに拡張して、彼と創価学会=公明党が共有する性向にまでたかめた。
借用という点では、まず創価学会自体が日蓮正宗の歴史と権威を借用する団体だった。また戸田、池田二代にわたって
愛用の「人間革命」も、昭和22年、東大総長・南原繁の卒業式での演説「人間革命と第二次産業革命」からの戸田の
借用によった。さらに池田による雑誌『潮』の命名も、本来、小口偉一が『世界』(岩波書店)の「日本の潮」欄に無署名で
「創価学会」を書き、それを見た戸田が早速借用して、「いまや創価学会は日本の潮であります」といったことに始まって
いた。
その他、『朝日新聞』の「声」欄からの『聖教新聞』の「声」欄、公明政治からの公明党の命名、労音に対する民音という
発想、池田の著書における古今東西著名人の言葉の、権威つ゛けを目的とする引用など、すべて借用の例であり、その
最たるものは、公明党参議院議員・渋谷邦彦の『創価学会の思想』3のうち「社会主義と人間性社会主義」における、
民社研議長・武藤光郎『社会主義と実存哲学』からの18ページにわたる盗作であった。
型ハメとは、まず枠組みや外見をとらえ、もしくは整えてから、という発想である。その濫觴は戸田の教師時分の
「綴り方教育法」――「今のようにありのまま書くのとは反対で、一つの形式を作り文章を自由にこなさせた上で、形式
から創造するという方法だったんだな。今は誰もやりませんよ」(戸田談、『宗教と信仰の心理学』)――に求められよう。
創価学会で愛用される「方程式」という語、創価学会=公明党の滅多やたらの組織、ポストつ゛くりと、政府や地方官庁
に対する組織設置の要求等が型ハメの例であり、また創価学園生徒への過度の宿題やテストでの締め付けも、この気味が
強かったといえよう。池田の読書論も例外ではなかった。
「いかなる本を読むときでも、最初に〝はしがき〟〝序文〟等を読むこと。そこには、その著者の意図、および思想が
要約されているものです。これは大切なことだと思う」(池田『指導集』)
これらはすべて内容や理念、伝統を持たないものがインスタントにそれらを取り込もうとする結果だった。実際、創価学会
の教義を現代に適用してみても、具体的な何ものをも創造し得ず、どうしても嘘、折衷、借用、型ハメといった方策に走らざる
を得なかった。第三文明とか真の革新とか、言葉としてはいえても、言葉だけでは創価学会=公明党の経営は一日として
成り立たなかったのだ。
またこれらは、組織が革新ではなく、安定と永続を目ざすとき、不可避的にとらざるを得ない方策でもあった。戸田時代の
無から有を生じた破竹の勢いの奇跡から断たれそうな不安を覚えた池田は、つねに会員に戸田時代を再確認させる
だけでは足りず、強迫観念にも似て、組織理念の立つ足場をあらゆる所に求めざるを得なかった。理念がつぎはぎ
だらけだろうと、頑丈でありさえすれば、頑丈に見えさえすれば、それで池田は安心出来たのである。
池田以下幹部たちは創価学会の教義への確信と、忙しさの信条をもって、鋭意これらの方策につとめてきた。
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