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反創価学会

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  • from: 22世紀さん

    2011年11月22日 19時37分56秒

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    転載です

    改めて問われる皇室と学会の関係 投稿者:北條 駿 投稿日:2011年11月22日(火)13時43分34秒   通報 返信・引用
    「皇室お三方」の入信を、御本尊流布のさきがけと喜んだ戸田城聖氏。
     だが池田氏が会長になると、この過去はきれいさっぱりと忘れられた。

     創価学会は常日頃、会員に対し邪宗教である神社の鳥居をくぐってはならぬと説いている。鳥居は神域を示すシンボルであって、単に土地の境界線を意味するのではなく、信仰の門、結界と位置づけられる。
     それだけに昭和天皇の「葬場殿の儀」で、神官、鳥居、大真榊など皇室神道の宗教儀式が濃密に取り入れられた場所に参列することは、矢野委員長以下の公明党議員にとって相当な抵抗感があったはず。
     だが、矢野委員長らは
    「大喪の礼と葬場殿の儀が一連の流れで実施されるのは、政教分離のうえで疑問だ」
     としながらも
    「葬場殿の儀の間は、待機時間として身体が参加するだけ。心は参列していない」
     という理由で参列。そしてして矢野委員長は参列後の記者会見で
    「神道形式とはいえ最も簡略化された形で行なわれ、あまり抵抗感はなかった。起立、黙祷、拝礼の全てについて司会者の発声に従った。あれこれと異を唱えたりするのは、亡くなったかたに対して非礼ではないか」
     とおおらかさを強調してみせた。
     これは公明党の懐が深くなったというよりも、私には、池田大作氏の締めつけの強さを改めて痛感させる発言だった。
     かつて創価学会は皇室をどう見ていたか。ここで検証しておきたい。「葬場殿の儀」と「大喪の礼」に分けられた昭和天皇の葬儀。途中で取り外された鳥居と大真榊をめぐって、このところ合憲・違憲論議がかまびすしい。皇室行事はすべて神道式と思われがちだが、これは明治時代以降の極めて限られた期間、神仏分離政策による。皇室の宗教は古くから仏教を中心とし、聖徳太子の頃から法華経を信ずるとされてきた。
     一般庶民の問でも法華経は広く信じられ、様々な宗派がある。日蓮正宗もその一つだ。日蓮正宗の中でも法華経信者と学会信者がいる。
     明治以降であっても、実は、昭和天皇の御生母である貞明皇太后やスポーツ殿下として知られた秩父宮と勢津子妃殿下らが熱心な法華経信者であったという事実は、今は忘れられているようだ。しかも、この皇室お三方には、日蓮正宗から特別に〝常住御本尊〟〝御守御本尊〟が授与され、戦時中から戦後にかけて国家と皇室の安泰、繁栄が祈念されたと伝えられる。
     その真偽を点検・検証したところ、実際に貞明皇太后に授与されていた常住御本尊が、その御逝去後、日蓮正宗の末寺である常在寺に返還され、現在もなお寺宝として保存されていることなどが判明した。信仰の深さなど内面的なことまでの検証は不可能だが、日蓮正宗との関わりは確かにあったと思われる。
     貞明皇太后葬儀の際には鳥居が建てられず「『若しもの事ある時な法華経を唱へよ』との御書きものが発見され、天皇陛下(昭和)のお目にとまり、御孝心厚き陛下の特別のおぼしめしがあったし(昭和二十六年七月二十日、第十号)等々の秘められた〝皇族折伏〟の一端が明らかにされているのである。当時、皇太子殿下であった現天皇陛下にも〝御守御本尊〟が授与されており、今も護持されている可能性があるという。
     昭和二十六年から二十八年にかけての『聖教新聞』が貞明皇太后、秩父宮殿下の追悼記事を掲載するなかで「端なくも一つの不思議な事実が明らかにされた」として「日蓮正宗への皇室御帰依」を何度も報じ立てている。初めのうちは、事実関係がはっきりしなかったせいで曖昧な報道だったが、回を重ねるごとに、確信を込めた具体的な記述が目立つようになった。

    御手垢で汚れた御教本

     当時の聖教新聞は一ヶ月に三回刊で、編集責任者は創価学会理事の石田次男氏(元参院議員)。戸田城聖氏が第二代会長に就任する直前に第一号が発刊され、創刊五号目(二十六年六月一日付け)に、同年五月十七日、大宮御所で逝去された貞明皇太后の追悼記事が一面トップで大きく報道された。
    「謹んで皇太后陛下の御逝去を悼み奉る」
    「大聖人様皇室に守護をたれ給うか」
    「御本尊流布のさきがけか!!」
     との三本見出し。以後、第十号、九月一日付けの第十四号と新盆会法要、旧盆会法要を伝える記事で、より詳細に皇族の法華経信仰が明らかにされていく。

    「貞明皇后が真の南無妙法蓮華経の御信者であらせられたからであって、それは故皇后の御所持の御経本が御手垢で非常に汚れて居られたことでも明らか」(第十号)
    「貞明皇后は御生前日蓮正宗の御信仰深くあらせられて、御逝去の後、発見されたお書ものの中に、死後の供養は必ず正宗の南無妙法蓮華経にして下さる様にとの意昧の御言葉があった」(第十四号)
     といった具合だ。きれいごとのタテマエ記事しか載せず、ホンネを隠す現在の聖教新聞と違って、当時の聖教新聞は勇ましいホンネをパンパンと記事にした。

     たとえば、皇族の信仰内容を伝える第十号の記事には邪宗攻撃の記述も見られる。
    「大正天皇の御生母は柳原二位の局と申しあげるが、この方も非常に熱心な法華経の御信者であった。然しその御信仰なされた日蓮宗は、邪宗教である身延の日蓮宗であった。仏法の定則に照して見て、大正天皇御早逝の原因もこの辺にあろうかと推察し奉る所である」 要するに同じ「南無妙法蓮華経」を唱えるのでも、日蓮宗に帰依したのではダメで、日蓮正宗に帰依しなくてはならぬと説いて、容赦がない。

     大正天皇御早逝の原因を、邪宗信仰にあり」ときめつけるのは、相当なものだ。何ごともあるがままのホンネを重視し、他宗派を邪宗呼ばわりして対決姿勢を示した戸田城聖氏らしい切り捨てようである。

    皇室に広めた二人の女性

     それにしても、貞明皇太后の法華経信仰に何らかの証拠や根拠があるのか、当時の編集責任者である石田次男氏に問い質した。記憶力抜群の石田氏は即答した。
    「昭和二十七、八年の七月か八月の聖教新聞に貞明皇太后が護持された御本尊の写真が出ているはずだ。たしか三段ぐらいの大きさで扱った。創価学会が折伏したんではない。秩父宮妃殿下の母上である松平信子さんが橋渡しをした。当事者のそういう談話もきちんと載せてある。ウソ記事ばかりで飾り立てる池田大作と違って、私が編集責任者だった頃の聖教に書いてあることは全部真実ばかりだ。古い新聞を調べれば、すぐにわかる」

     調べたら、成る程、珍しい御本尊の写真が三段の扱いで掲載されている。二十八年八月十日発行の第八十八号の聖教新聞である。二年前の曖昧な記事と違って、極めて断定的に具体的に、こう書かれてあった。以下にその全文を再録する。
    「先年逝去されたスポーツの宮様・秩父宮殿下と御母君の貞明皇后は熱心な自運正宗信徒であられた。又現在秩父宮勢津子妃殿下が熱心に正宗の御信仰に励まれて居る事は余り世間に知られていない。皇太子殿下が御祖母貞明皇后の御意で御守御本尊を御もちの事も一般に知られていない事実である。

     この皇族御三方の御信仰は秩父宮殿下が最初であられた、これは始め北条時宗公の子孫に当たる北条元子爵家のつね子様(八十三歳)が学友の松平信子様(秩父宮妃殿下御実母、現在皇太子殿下御用掛)にすすめて松平様が入信。この縁から勢津子妃殿下、秩父宮殿下と相ついで御入信。秩父宮様は御発病後の戦時中の御入信以後御本尊を拝まれていた。又こうした縁に依って松平信子様の手を経て貞明皇后が戦時中の御法主上人鈴木日恭猊下御したための常住御本尊を受持信行遊ばされた。この御本尊は右肩に『皇威宣揚之しるし』と御したためあり、左方に昭和十八年八月吉辰とあって、表装は菊の御紋入り水晶軸の立派なものである。皇后逝去後は松平様の手を経て東京池袋の正宗寺院常在寺へ返納され、現在同寺の寺宝となっている。

     又皇后の受持せられた御守御本尊は皇后のおぼし召しから御開眼の上、現在皇太子殿下が御もちになって居られる。
     一方秩父宮家に於ても宮殿下なきあと妃殿下がこれもやはり日恭上人御したための常住御本尊、御守御本尊を捧持されて熱心に信仰されて現在に到るが、これら御三方の御信仰は皇室の正法帰依の前駆であり、三大秘法広宣流布の一段階として将来天皇家の正宗御信仰もたらす大きな縁となるものであろう」
     ここにある「常住御本尊」は、一家に安置して拝むものであり、「御守御本尊」は個人を守るため肌身につけ置くものとされる。

     御本尊授与の橋渡しをした松平信子さんは日蓮正宗の信徒であって、創価学会員ではない。それでも聖教新聞に何度か写真つきの談話を寄せている。
    「貞明皇后は常に宮中の御儀式をかたく守られたかたわら戦時中特別に御本山大石寺より御感得になりました御本尊に対し日々両陛下御始め御直宮方の御為に御信仰になりました事は、真に親心のおうつくしさを示された事で正宗の信者として此上の心強さはない事と有難く思います」

     聖教新聞が添書した筆者紹介記事には、
    「松平様は元宮内大臣故松平恒雄氏夫人で秩父宮妃殿下の御母堂。白虎隊で有名な会津藩主の子孫で現在皇太子殿下御用掛をつとめておられる。本年六十七歳」
     とある。
     皇族折伏の事実については、聖教新聞だけでなく、日蓮正宗の正本記録『富士年表』や機関誌『蓮華』にも、その片鱗が記される。

     戦前の『富士年表』には、毎年の一月一日に時の法主が宮中参賀し、正法護持を祈念したと記されるほかに、昭和十六年の「本宗事項」に「八月 日恭 皇太后に本尊を授与(裏書)」と書かれてある。
     また『蓮華』(六十四号、五十一年八月)の「寺院紹介・霊鷲山常在寺」の項目では寺宝になっている貞明皇太后御感得御本尊について触れ、「常在寺の信徒・北条つね子氏の添書」を紹介している。
    「此の御本尊は昭和十六年八月当宗大本山大石寺六十二世鈴木日恭上人より皇太后陛下へ御感得になりました常住御本尊であります。折から我国は支那事変につづいて第二次世界大戦の国難の最中でありまして、宗祖日蓮大聖人の立正安国の聖志を信じ奉るあまり常在寺より同信徒松平信子夫人の手を経て御送り申上げました。それより陛下は日夜御本尊の御前にて厚き御信念を以て皇国の御安泰を御祈念になったのであります。昭和二十六年五月十七日陛下崩御に際し当寺へ返納になり、永く寺宝として存続いたすものであります。昭和二十六年七月常在寺信徒北条つね子 謹書」

     北条つね子さんは戦前にさまざまな宗教の信仰体験を重ねたあと、日蓮正宗に帰依した人。先祖は小田原城主・北条早雲につながり、父・北条氏恭(うじゆき)氏は侍従、宮中顧問官として明治天皇に仕えた。二十歳年下の弟・北条しゅんばち雋八(しゅんぱち)氏は戦前の貴族院議員、戦後、創価学会から推されて参院議員を二期務めた。創価学会四代会長・北条浩氏とも姻戚関係=伯母と甥=にある。

     やんごとなき家系の令嬢育ちながら、信仰的にはラジカル派。聖教新聞(第四十七号。昭和二十七年八月十日)に寄せた談話でも、この時、八十二歳の高齢とは、とても思えないほどに激越である。こんな具合だ。
    「日蓮大聖人の御遺文を拝するに、世の人々の不幸の原因は邪教を信ずる結果であるとの厳しい御教と拝察します。私がたまたま宗教の門に入りまして以来顧みますれば種々なる邪教にふみ迷い最後は身延の日蓮宗一致派に入信しました。爾来私は信仰上一抹の疑念を抱きながら御題目を続けて来ました結果、遂に大きな罰を受け身心共に大不幸の境遇に陥りました。然るに嗚呼何たる幸なるかな、其際日蓮正宗の一信徒より熱烈なる折伏をうけ、大聖人御出世の本懐たる三大秘法の南無妙法蓮華経の大御本尊にまみえ奉り我が身の本来の真相をはっきり知ることが出来まして今迄永い間の迷いの根本が天日の下に氷解して以来感激の日々を送ると共に邪宗折伏に専念して居ます。かくて私はかかる広大な仏恩に報い奉るは此の大白法を皇室におすすめする一事にありと思って居りました」

     その結果、縁あって貞明皇太后を折伏し、
    「爾来皇太后様は本宗の余宗に最もすぐれている点を御信じになり、日夜皇室の御為に厚き信仰を御持ちになり昨年崩御の時まで御精進遊ばされたのであります。今や本尊流布の時に当って私は信徒一統と共に異体同心、国の謗法を退治して立正安国の聖意実現の日の近かれと只管折伏教化の使命に邁進して居ります」
     と創価学会も顔負けのファイトを燃やし続けた。もっとも高齢には勝てず、二年後の二十九年一月、貞明皇太后のあとを追って黄泉の世界へと旅立った。

    消し去られた過去

     戸田二代会長時代の創価学会は、自らの折伏成果ではない、日蓮正宗信徒(旧法華溝員)の皇族折伏を〝我らが喜び〟と重視し、
    「皇室が御本尊様を頂いたということは御本尊流布のさきがけとして仏法上重大な意義を示すものなる事を強調し皇太后陛下追悼の辞にかえる次第であります」(第五号)
     と論じ立てた。

     先に崩御された昭和天皇も法華経に関心を持たれたようで、聖教紙は
    「貞明皇太后を追善する御回向、読経のために、天皇陛下御自ら松平様へ御経本を御所望なされた由で、直ちに常在寺では所蔵の御経本を十余部差しあげられた」(第十号)
    と伝える。
     御経本を献呈するだけでなく、松平信子さんは天皇陛下や皇族に対し法話も説いた。 聖教紙の第十四号に八月十五日に大宮御所で貞明皇太后を追善供養する旧盆法要が営まれたと報ずる記事を載せ、
    「御孝心深くあらせられる天皇陛下は、御生母の御意向に従われ、松平信子様が日蓮正宗の仏法の正しさを説く御法話に耳を傾けられ、この日朝からお集まりの天皇、皇后両陛下を始め各宮様方は夜遅くまで御講聴なされたとうけたまわる」
     と〝折伏座談会〟の模様を誇らし気に書き立てた。

     さて、しかし、これだけ熱を入れた皇族折伏にもかかわらず、戸田会長が三十三年に急逝し、池田大作第三代会長時代になった途端、きれいさっぱりと過去を消し去った。

     本来は語り継がれて当然の、北条つね子、松平信子両女傑の折伏ぶりや貞明皇太后、秩父宮、同妃殿下の正宗信仰について、その後の聖教紙は一字一句も伝えていない。三十年以上も前のことは、創価学会幹部の記憶の隅にも残っておらず、あれほど重大視された「日蓮正宗への皇室御帰依」そのものが、今は話題にされることもない。
     いかにも〝皇室軽んじる派〟の池田大作氏らしい無視・黙殺ぶりである。
     今回の昭和天皇崩御に際し、御生母・貞明皇太后の日蓮正宗帰依を振り返ってよさそうなものなのに、全く触れられることがなかった。

     池田大作氏が皇族折伏の過去の事実を無視するのは、何事であれ、自分が出発点でなければならないとする〝自分中心主義〟。創価学会が基本であり、同門の信徒でも、法華講員の事績を認めるのは不愉快であるとする偏狭さの現われとみられる。

     日蓮正宗の伝統教義からすれば、天皇陛下の正宗帰依を願って当然なのに、全く言及しないところが逆に不自然に感じられる。
     天皇や皇室制度に対し、池田大作氏の側に何らかのこだわりがあって、率直になれない事情があるとしか言いようがない。

    月刊『諸君』



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    銀河

コメント: 全4件

from: 22世紀さん

2011年11月24日 20時22分41秒

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「Re:22世紀さん有難う嬉しく拝見いたしました。」
> 創価学会員知りえない事、コメント感謝です。私日蓮正宗の代代法主不思議な方もいるもんだ思っています。11世日底猊下1472年に御遷化、12世日鎮法主、9世日有御隠尊猊下1482年御遷化の命を受け、1482年に法主と成られる。その間10年法主空白。日鎮猊下御歳14歳で、当座故に、雅児法主と称された。出生は、皇室出身と云われている。大石寺の総門である、黒門(黒木門)は、日鎮法主の時に完成 > 黒木の門は、天皇ゆかりの門と聞いております。何れにしても、皇室ゆかりの猊下様、池田にしても、日顕にしても、何を考え、この先、いや私もう彼ら、天魔の時代は、終わりを告げると信じています。又、世界に大聖人様の御本尊、日本の国ならいざ知らず、法主血脈魂、開眼などと、フランスはおろかスイスなどで語ればカルト教団の烙印間違いなし、其れを信じ込む信徒はマインドコントロールと、決めつけられ、受け付けないのは理の当然です。妙の一字は魂です。生命です、他の本尊に妙無しと、大聖人は、もし我にも妙有りと云わば何の妙かと攻めるべし、開眼とは私御本尊の文字の事と心得てます。妙の三義妙無ければ死です。妙の一字は魂、生命の一字です。私馬鹿です、詳しい人時間有る時、コメント下さい。教条的な、人も組織も嫌いです。21世紀さん皇室の話目から鱗感謝です。

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 モトちゃんさん、お役に立てて光栄に存じます。




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from: 銀河さん

2011年11月23日 17時47分41秒

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「22世紀さん有難う嬉しく拝見いたしました。」
創価学会員知りえない事、コメント感謝です。私日蓮正宗の代代法主不思議な方もいるもんだ思っています。11世日底猊下1472年に御遷化、12世日鎮法主、9世日有御隠尊猊下1482年御遷化の命を受け、1482年に法主と成られる。その間10年法主空白。日鎮猊下御歳14歳で、当座故に、雅児法主と称された。出生は、皇室出身と云われている。大石寺の総門である、黒門(黒木門)は、日鎮法主の時に完成
黒木の門は、天皇ゆかりの門と聞いております。何れにしても、皇室ゆかりの猊下様、池田にしても、日顕にしても、何を考え、この先、いや私もう彼ら、天魔の時代は、終わりを告げると信じています。又、世界に大聖人様の御本尊、日本の国ならいざ知らず、法主血脈魂、開眼などと、フランスはおろかスイスなどで語ればカルト教団の烙印間違いなし、其れを信じ込む信徒はマインドコントロールと、決めつけられ、受け付けないのは理の当然です。妙の一字は魂です。生命です、他の本尊に妙無しと、大聖人は、もし我にも妙有りと云わば何の妙かと攻めるべし、開眼とは私御本尊の文字の事と心得てます。妙の三義妙無ければ死です。妙の一字は魂、生命の一字です。私馬鹿です、詳しい人時間有る時、コメント下さい。教条的な、人も組織も嫌いです。21世紀さん皇室の話目から鱗感謝です。

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from: 22世紀さん

2011年11月22日 20時21分34秒

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「Re:Re:転載です」
> >  率直になれない事情があるとしか言いようがない。 > > それがあるのです。それは、創価学会は日蓮正宗に破門された。 > > これでは、率直にはなれませんよ。 > > > > > >


「創価学会破門」の意味

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―「創価学会破門」=「学会員破門」ではない―
―信徒除名されたのは最高指導者・池田のみ―

(『慧妙』H23.9.16)

 平成2年以降、創価学会は宗門誹謗(ひぼう)、教義逸脱(いつだつ)を繰り返し、宗門の善導には全く耳を貸さず、かえって背信行為をエスカレートし
ていった。
 それに対し宗門は、平成3年11月、学会に対し『解散勧告』をし、ついには『破門通告』を発し、創価学会を破門処分に付した。
 この破門処分の対象は、「創価学会およびSGI、並びにこれに準ずる組織」ということになっており、「団体」に対する破門処分であり、創価学会員「個人」に対する処分ではなかった。
 したがって、本宗信徒である学会員個人としては、寺院での儀式を願うことも、また総本山へ登山して御開扉をいただくことも、できたのである。これは名誉会長個人から一般会員個人に至るまで同じである。つまり、平成3年の破門通告の時点にあっては、池田大作個人も、日蓮正宗信徒としての地位が残されていたのである。
 とはいうものの、処分の経緯(けいい)にしろ、処分の内容にしろ、学会員には正しく伝わるはずもなく、『聖教新聞』や『創価新報』紙上では暴言の限りを尽くして宗門誹謗の報道を展開してきた。また、その一方で「52年路線」における教義逸脱を再び繰り返したのである。
 さらには池田個人も、あらゆる会合において、宗門・御法主上人に対する誹謗中傷のスピーチを行ない、学会員の日蓮正宗の信仰を妨害する行為をしたのである。
 この池田の行為は、日蓮正宗の宗規に抵触するものであり、信徒除名処分に処することが相当と判断されたため、平成4年3月28日、信徒除名処分に付する旨の通知書が送付された。これは、あくまでも「池田大作個人」宛であることから、池田が所属していた東京・新宿の大願寺を統轄する、東京第2布教区の支院長(当時)高橋信興御尊師名で、通知されたものである。
 この通知では除名処分の理由として、池田が創価学会の最高責任者という立場でありながら、日蓮正宗の宗義に違い、宗門を誹謗し、御法主上人および僧侶を誹謗し、異説を唱え、信徒の信仰を妨害し宗内を乱した、とある。
 そこに挙(あ)げられている実例をいくつか紹介すると、平成4年2月27日、沖縄池田平和会館における、第1回アジア総会・平和音楽祭(第51回本部幹部会、第2回沖縄県総会)のスピーチで、
◆現在、日顕宗は、世界中の、あらゆる仏子を苦しめ迫害(はくがい)している。ゆえに我らは、大聖人の仰せのごとく、断固として、これらの魔軍と戦わねばならない
-----------------------
と述べたこと。また、
◆インドである方が言われていた。"総本山に参詣しなければ功徳がない"という宗門の主張は、道理からいっても、まったく意味をなさない--。…仏法に照らしてはもちろん、世法の常識に照らしても、まことに滑稽(こっけい)な、笑い話のような主張である。すべて黒い意図による己義であり邪義である(大拍手)
-----------------------
と述べたこと。さらに、平成4年4月26日、中部池田記念講堂における第53回本部幹部会(第8回中部総会)のスピーチで、
◆日顕宗の寺院は天魔の住処、魔窟(まくつ)になってしまった。私どもの供養した寺院である。天魔は追放せねばならない(大拍手)
-----------------------
などと発言したこと。これらを含めて7ヶ条にわたる実例を挙げて、宗規に違反している実態を示し、さらに52年路線に対する反省の反故(ほご)、度重なる教義逸脱・背信行為をもって除名処分の理由としている。
 なお、この通知書到着より30日間、弁明の期間が与えられたが、これに池田は何の返事もしてこなかった。
 これにより、池田大作は名実ともに「邪宗の徒」となったのである。

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from: 22世紀さん

2011年11月22日 19時50分14秒

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「Re:転載です」
日蓮正宗の伝統教義からすれば、天皇陛下の正宗帰依を願って当然なのに、全く言及しないところが逆に不自然に感じられる。
 天皇や皇室制度に対し、池田大作氏の側に何らかのこだわりがあって、率直になれない事情があるとしか言いようがない。

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 率直になれない事情があるとしか言いようがない。

それがあるのです。それは、創価学会は日蓮正宗に破門された。

これでは、率直にはなれませんよ。





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