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反創価学会

反創価学会>掲示板

公開 メンバー数:118人

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  • from: 池田豚作さん

    2011年01月20日 00時49分37秒

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    豚は

    あとドレぐらいの命だと思いますか?

    あとドレぐらいの命だと思いますか?

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    from: 正義顕揚さん

    2011年01月22日 21時48分09秒

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    「豚は」彼は死ぬ迄生きます。しかしそれ以上は生きる事は出来ません。

  • from: 22世紀さん

    2011年01月22日 15時52分19秒

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    お知らせ

    池田大作「権力者」の構造を投稿してまいりましたが、著作権の侵害に当たる、というような事を言われましたので、以後、投稿を辞退致します。一方的で誠に申し訳

     池田大作「権力者」の構造を投稿してまいりましたが、著作権の侵害に

    当たる、というような事を言われましたので、以後、投稿を辞退致しま

    す。

     一方的で誠に申し訳御座いません。

    又、私の後を引き継ぎ、投稿される方がおられましたら、大歓迎いたします。

     まずは、連絡と致します。

    敬具

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  • from: 22世紀さん

    2011年01月22日 15時36分52秒

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    池田大作「権力者」の構造

    池田の勝利と石田の壊滅的敗北 5月3日、第22回本部総会で池田の会長就任が挙行された。池田は就任の挨拶で 「創価学会は全大衆の最大の味方

    池田の勝利と石田の壊滅的敗北

     5月3日、第22回本部総会で池田の会長就任が挙行された。池田は就任の挨拶で
    「創価学会は全大衆の最大の味方であります。敵は邪宗教であります。邪宗教は
    人々を地獄に落とす。正法は仏にする」と語りおこし、戸田の7回忌(昭和39年)までに、
    300万世帯の達成、世界の名材を使用した大客殿の建立、邪宗教の徹底的粉砕
    という三大目標を明らかにした。
     300万世帯は、その時の公称世帯数140万と、それまでの成長率からいえば、
    決して難しい数字ではなかった。また「邪宗」攻撃は、300万という目的に関連する、
    もっとも効果的な折伏法であった。日本人のシンクレティズムは、つねに他教団の
    信者を、自宗の布教の良田にする。それは戸田時代からの引き継ぎであったが、
    同時に、敵を外に求めさせ、まだ脆弱な池田体制から眼をそらさせる統治法でもあった。
    さらに古来、建造物は目標たり得るものであり、建物と信者増加運動とのイタチごっこ
    が教団をふとらせることは、法則的な事実でさえある。
     池田の三大目標という指針はきわめて当を得たものであった。  
    これを受けて北条浩は次のように会員をアジった。
    「4年後に300万世帯を達成すれば、あとは広宣流布の道は開けるのだと、(池田は)
    私たちに指示を与えて下さったのであります。こんどは私たち弟子は、池田先生の
    第一声を、その宣言を、絶対、無にはしない、絶対、池田先生をウソつきにはしないと
    誓って立ち上がるものは、誠の弟子であると私は思うものであります。・・・・・。
     ここで私たちは、池田新会長先生に対して〝先生、どうか私たち弟子がおります。
    安心して指揮をとってください〟と心よりお誓いいたそうではありませんか。(拍手)」
    (『聖教新聞』昭和35年5月6日)
     北条は一日にして、自らを弟子と呼び変え、池田を会長先生と崇める。他の幹部に
    おいても同様だが、ここには一片の人間味もない。運命共同体としての新会長のリアルな
    把握がある。彼らが率先して池田を敬えば、池田は安泰なのであり、彼ら自身の権益も
    安泰である。利害が彼らを密着させ、表裏のある関係を結ばせ、やがて池田は、幹部の
    崇敬の演技を心底からのものにしていく力を蓄えていく。
     この日、例によって機構改革があったが、北条は指導部副部長の任を離れて、新設の
    副理事長に就任し、池田の腹心としての地位をかためていた。また理事長・小泉隆は
    本部最高顧問タナ上げされ、理事長の職は、指導部長を解かれた原島宏治にとって
    かわられた。北条と原島は、池田の会長実現のための最大の功労者だった。
     その他、和泉覚が文化部最高参与に任じられているが、これは次の参院選出馬への
    前提と見られる。竜はこの年1月志木支部長に任じられ、ここにきてさらに文化部長
    に任命された。それまでの文化部長・鈴木一弘は同副部長に降格されたが、そのかわり
    、小平芳平、牛田寛、白木義一郎とならんで理事に任じられた。小平は池田を折伏した、
    新興宗教でのいわゆる教化親であり、その理事引き上げは池田の謝意だったろう。
    もっともこれ以後、理事はやたらに増員され、その値打ちは下落する一方であったが。
     また指導部長の原島の後任には辻武寿、同副部長の北条の後任には石田次男が
    任命された。石田は後輩の後をつがされるという屈辱を受けたが、彼はさらに聖教新聞
    とも、論説主幹を除いて完全に断ち切られた。それまで同紙の題字下の発行、編集、
    印刷人は石田次男となっていたが、この年7月8日、441号から秋谷城永に変えられている。
    これに関する辞令はないが、聖教新聞からの撤退は石田の壊滅的な敗北を物語るものであろう。
    彼の母親・石田つかも翌年5月に死亡している。
     昭和56年現在、石田は、横浜・神奈川区の、一階が六畳と四畳半に台所といった小住宅に
    万年床を敷き、胃を三分の一切除したにもかかわらず、昼間から焼酎を飲む生活を送っているという。
     石田はのちに参院選に立つことも許されず、池田のために貧窮のどん底に突き落とされることになる。
    「戸田先生のもとで、男の秘書は二人いたんです。一人は今(の)石田君。一人は私だったんです。
    (略)それで、年配も向うが上。その奥さんになった人も学校の先生で、大先輩です。(略)
    うちの奥さんていうのは、自分はバカだと・・・・・皆んな・・・・・しちゃう。これも石田さんの奥さんと
    いうのは先生だし、今、50いくつだな。(略)学会全体の焦点であり、優秀な方であった。(略)
    石田さんていうのはね、非常に見栄っ張りなんです。気取り屋なんです。人をバカにするんです。
    そうじゃない。(ハイ)
     結局だめなんだ、だから。もう戸田先生がいなくなったら、だんだんだんだんおかしくなって
    しまって、誰も相手にする者がいない。結局、ちょっとおかしいじゃないか、というように。
    20年、18年たった今では、もう、(池田との間には)天地雲泥の差があるんです。利己心、冷たい、
    人をせせら笑う。今はダメになってしまっている。自分は頭がいいと思っているから。(略)
     どうしようもない。誰からも相手にされなくなった。もう貧乏のどん底で、子供までが・・・・・
    私は一生けんめい応援しておりますけどね、分かる(ハイ)」(昭和51年12月11日、
    女子部学生局学内委員長会で、内部文書)
     石田次男は戸田の死後、池田に生殺与奪の包囲網を張られ、徐々に狭められて、ついには
    最低限の餌を投げ与えられる飼い殺し状態にされた。戸田時代、石田が戸田に重用されすぎた
    という理由だけでである。
     池田の石田に対する敵意の深さには慄然とさせられる。別の内部文書には、「石田次男は20
    年間苦しんで、地獄に落ちていくんだ」との発言もあり、創価学会員にとっての「地獄」の持つ意味の
    重大さを思い合わさずとも、その長期間、なぶり殺しにして断末魔をみるようなまなざしの冷たさには、
    異常な競争心と報復心の激しさ、底深さをみる思いがする。
     5月16日、池田、北条、森田、竜、小平、鈴木、牛田、白木の8名が新たに宗教法人の責任役員に
    就任し、ここに責任役員は新8、旧7、計15名となった。翌17日、小泉は代表役員を辞任し、池田が
    代表役員についた。これにより池田は、名実ともに創価学会の首長となったのである。

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  • from: 21世紀さん

    2011年01月09日 19時38分41秒

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    みねぎし弘行のHP

    高幡まんじゅう「松盛堂」のオーナーで、東京都日野市の公明党の市議会議員みねぎし弘行のHPである。彼のHPトピックスの中に下記の内容がある。■日蓮正宗「

    高幡まんじゅう「松盛堂」のオーナーで、東京都日野市の公明党の市議会議員
    みねぎし弘行のHPである。
    彼のHPトピックスの中に下記の内容がある。
    ■ 日蓮正宗「C作戦」発動から20年 2010年12月29日(水)
    日蓮正宗の前法主・阿部日顕が創価学会を切り捨てるためのC作戦
    (=創価学会分離作戦)なるものを謀議し、実行に移してから20年がすぎた。
    1990年、日蓮正宗は宗門の規約を一方的に変更し、同年12月27日、
    池田名誉会長を法華講総講頭から一方的に罷免。翌91年には解散勧告書を
    送りつけ、11月28日には破門通告書を送付し、学会を破門するに至った。
    その結果、日蓮正宗は“弱小教団”へと転落し、現在にいたる。
    自業自得といえばそれまでだが、明年11月28日は、その破門通告から
    20年の節目となる。

    *これが政教分離を求められる政治家のHPとは、呆れてものも言えない。
    違憲政治結社・公明党の面目躍如とはこのことだ。
    http://www.e-giin.net/minegishi/
    HPの中にご意見・要望の欄があるので、彼に意見のある方はこちらからメールしてください。

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    from: 21世紀さん

    2011年01月16日 19時26分23秒

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    「Re:みねぎし弘行のHP」「学会は宗門の『C作戦』で破門された」って!?その言葉だけが勝手に一人歩きした「C作戦」裁判所も「客観的根拠に乏しい」と存

  • from: 22世紀さん

    2011年01月15日 02時17分05秒

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    池田大作「権力者」の構造

    ②白木家という背景は、具体的には理事・白木薫次、本部婦人部常任委員・白木静子、参議院議員、大阪総支部長・白木義一郎(池田の会長就任と同時に理事に昇格)

    ②白木家という背景は、具体的には理事・白木薫次、本部婦人部常任委員・白木静子、参議院議員、大阪総支部長・白木義一郎(池田の会長就任と同時に理事に昇格)をさし、彼らが石田の家族より要職を占めていたことはいうまでもない。が、あまりに白木薫次の財力を強調することは誤りであろう。彼はとかくいわれるような「実業家」のイメージからはほど遠い、投機的な商品取引会社の常務にすぎなかった。
    「昭和29年大阪夕陽ヶ丘会館で総会が行われた折、(白木は)突然先生(戸田)から商売のことをたずねられた。上っている旨答えると、先生は『幾日ぐらい連続で、値幅はどれほど上っているか』と状況を聞かれた先生は『これは白木君売りだね。売り越しても大丈夫だ』と話された。白木さんは早速東京の本社に連絡をとった。その翌日から値は下がり始め捨て値にまで下落したのである。このお蔭で会社はどれほどもうけたかわからないという」(『聖教新聞』昭和34年4月10日)
     ③理事・原島宏治の支持は、後に述べる原島の理事長就任が状況証拠となろう。また池田は『人間革命』5で、昭和26年の戸田の会長就任式の折りのこととして、原山幸一の名で登場する原島に、「あとは、君が健在であってくれさえすれば、それでいいんだよ」と山本(池田)への囁きをいわせてもいる。これらはいずれも池田と原島の結託、池田の原島抱き込みを物語ろう。池田は上長者に対しても、目的に応じて自由に接し方を選ぶことができた。青年将校ばりの突き上げも、好人物のいたわりも、すべて池田のレパートリーのうちにあった。
     原島は蒲田の三羽烏の一人であり、小泉隆を折伏し、小泉は辻武寿を折伏するというように信仰の道では三羽烏の筆頭に立つものだったが、戸田時代には小泉の下風に立っていた。彼は教師をしていたが、子沢山で生活に苦しく、一時期、訪問先の灰皿の吸い殻を吸うくらしをしていたと伝えられる。彼は好人物で、金に転ぶような人柄でなかったといわれるものの、前述のように池田から「おごられた」口であることは事実である。
     ④池田個人の才腕については、青年部における有力幹部の抱きかかえ、石田の孤立化、古参幹部の参議院への追い出しなど、前述したとおりだが、それらは彼の知的能力の高さを例証するものではない。指導者に絶対必要とされる才能は、非凡な知性や高貴な性格、独創性などではなく、「図太さ、神聖な大義に対する狂信的な信念、密接な結合した集団性が重要であることの認識、なかんずく有能な副官の一団に熱烈な献身を呼び起こす能力」(ホッファー)である。
     池田は会長就任前に、何度か『聖教新聞』紙上で人物紹介されているが、石田の紹介文に見られるような、知性に言及した記事を知らない。それらはいずれも、「猛烈な闘志に湧く情熱家」「厳しい反面情理を察して」「親身な指導」(昭和29年1月24日)といった、池田の感性的な側面にふれるものばかりである。
     池田の特性が石田のそれとあざやかな対照を示すのは、前述の小樽問答後の座談会であろう。
     ここでは日蓮宗の日蓮の遺骨と称される霊骨の真偽が問題になり、石田は、日蓮の骨はダビに付されていたが、霊骨は土葬の骨だそうだから偽物だという。
    「池田 どっかで埋めたやつを持ってきたんだ、馬の骨か?
     石田 馬じゃ大きすぎる。
     池田 そんなら猫か、きっと猫だ」(『聖教新聞』昭和30年8月7日)
     馬では大きすぎると石田にいわれ、池田は極端に小さい猫に走り、きっと猫だと頭から断定する。池田の論理には、非凡な知性や高貴な性格どころか、一片の知性も高貴さもない。あるのはただ、図太さ、狂信的な確信、厳しい憎悪を抱く能力、一貫性や公正を無視して現れる無限の鉄面皮だけである。
     また当時の最高幹部はこうも語っている。
    「池田は頭が悪かった。私が哲学を勉強しろと本を貸しても読み通せない。いつも途中で放り出していた。ただ指導力はあった。人をその気に持っていくのはうまかった」
     池田が大衆運動の指導者=会長に必須の諸特質を持っていたことは疑いをいれない。


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    銀河

  • from: 21世紀さん

    2011年01月14日 16時09分37秒

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    週刊ポスト2011年1月21日号

    政権交代から1年半のカオス状態で、政界の力学は大きく変貌した。自民党を支えてきた各種団体の集票力は衰え、一部は小沢一郎氏の工作によって民主党支持に衣替

    政権交代から1年半のカオス状態で、政界の力学は大きく変貌した。自民党を支えてきた各種団体の集票力は衰え、一部は小沢一郎氏の工作によって民主党支持に衣替えしたものの、小沢氏が党運営の表舞台から去ると、多くの組織は根無し草状態になった。岡田執行部が法人税減税を餌に企業献金を求めているのも、突然、たちあがれ日本の連立入りが浮上したのも、せっかく築いた支持基盤が揺らいでいる焦りからだ。

     大胆な言い方をすれば、今の日本で500万票、600万票を動かせる看板といえば、「創価学会」と「小沢一郎」だけなのだ。

     だからこそ、2つの大きな引力は政局を動かす力となる。民主党執行部も自民党もなりふり構わず公明党・創価学会にすり寄る姿勢を強めるのは、「反小沢」の戦いを続けるには、その力が必要不可欠だからである。ただし、現在の自民党には学会・公明と「首脳交渉」できる責任者はいないし、民主党にしても、菅氏が“学会美術館”を訪問し、仙谷氏が「公明党に人脈がある」と豪語しても、しょせんは付け焼き刃だ。学会・公明の様子見は、自民、菅民主、小沢を等距離に見た結果かもしれない。

     さらに池田大作・創価学会名誉会長が昨年5月以降、学会の主要行事にも姿を見せなくなり、第一線から退く「Xデー」が現実味を帯びていることもある。公明党のある中堅議員はこう話す。

    「カリスマの時代が終われば、従来のような選挙はできなくなる。公明党議員には動揺が広がっており、党の路線決定が難しくなっている」

     かつて小沢氏は、新進党に公明党を取り込み、学会と公明の分離を実現させた。小沢氏は、公明党を「今こそ国民政党になれ」と口説き落とし、側近には「体内に取り込むことで公明党を溶かすことが日本の政治の未来にとって大切だ」と説いたと伝えられている。小沢氏の懐刀として公明の新進党合流に奔走した平野貞夫・元参院議員が語る。

    「公明党が小沢を信頼できる政治家と見ていることは間違いない。選挙では何度も戦ったが、これまで小沢は一度も学会批判をしたことがない。だから公明党は民主党が政権を取ると小沢に近い市川雄一・元書記長を復権させた。時期はともかく、小沢は今でも公明・学会を吸収することを視野に入れていると思う」


    ※週刊ポスト2011年1月21日号
    2011年01月12日17時00分
    提供:NEWSポストセブン

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  • from: 22世紀さん

    2011年01月13日 21時34分24秒

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    池田大作「権力者」の構造

    なぜ第三代会長たり得たか村上重良は、池田が、石田次男、竜年光ら青年部の先輩を抜いて、戸田の後継者になり得た理由をこう述べている。「池田は、戸田門下生の

    なぜ第三代会長たり得たか

     村上重良は、池田が、石田次男、竜年光ら青年部の先輩を抜いて、戸田の後継者になり得た理由をこう述べている。
    「池田は、戸田門下生の青年部幹部のなかで、戸田の事業面に誰よりも深く関与していたうえに、教団内の有力者である白木家という背景があった。戸田の死去当時には、すでに5年にわたって参謀室長として青年部を指揮し、創価学会の全行動計画に参画していた。・・・・・こういう実績に加えて、理事・原島宏治の全面的な支持をうけることに成功した結果といえよう」(村上『創価学会=公明党』)
     これらは、①戸田の事業面への関与、②白木家という背景、③理事・原島宏治の支持、④池田個人の才腕、と整理されよう。
     ①戸田の事業面(大蔵商事)への関与は、前に述べた戸田との密着のほかに、創価学会と財界とのつながりという意味があった。
    「(池田の会長就任当時は)まだ財界人の学会シンパは少なかったけれども、池田大作はその財界人とつながっていた。戸田前会長のウラの金ズルを池田大作が扱っていたからね」(「雑誌記者が語る公明党出版妨害の手口」、『赤旗』昭和45年3月29日)
     文中の財界人とは塚本総業の塚本清(素山)を指すものと思われる。塚本は翌昭和36年7月、創価学会に顧問制度が新設された際、日蓮正宗法主・細井日達の親戚で、常泉寺の総代でもある平沢益吉とならんで、まっさきに顧問におさまった人物である。
     当時の『聖教新聞』(昭和36年8月2日)は彼を次のように紹介している。
    「ひとりは塚本清氏で、信仰年数7年有余(昭和29年の入信か)。恩師戸田先生からも信頼をうけ、その純真な信心と努力によって、現在、日本でも一流の実業家として築きあげてきた人。・・・・・
     両氏は、かねがね会長池田先生も深い信頼をおかれていたもので、このほど学会顧問の重職について、今後、活躍されることになったもの」
     塚本は一般にも黒い噂のたえなかった政商として名高いが、彼は大成建設社長・本間嘉平、富士急行社長・堀内光雄等を折伏し、また大野伴睦や川島正次郎に教えを説き、さらに河野一郎を池田に引き合わせたという(『週刊新潮』昭和40年5月22日号)。
     おそらく戸田と塚本とのつながりのきっかけは、大蔵商事を通してだったろうから、同社の取締役・池田も彼に「深い信頼」を置くほどに親交していたのだ。
     が、のちに池田は金をめぐって塚本を切る。
    「塚本総業、あの人もいい人だし、私(池田)も守って来ましたが、川島の子分なんだ。それは困るし、学会の会計はどうなってるのだと入り込んでくる。これは、あぶない人間だと思った。学会を利用しようとしてきた。それではまずい。学会を守るようでいて、ついには食い物にする。最後には、いなおって、学会はどうなっているんだ。会長はどうなっているんだ、藤原君わかっているかと、すごんだ。これでは駄目だ。表でいい顔をして、裏では悪いことをする。(略)
     創価学会があって、塚本があるんではなく、塚本があって、創価学会がある。原島さん等が、くやしがった。
     学会のお金は、仏様のお金だよ。それが、塚本あたりが、どうなっているんだと夜中の二時、三時に私の所に電話してくる資格はない。やくざのようにすごんできた。私がそれを見破って、押し戻せる体制にあったから良かった。私をそうやって、おどかしておいて、女房を早速よこして、先生のお気持を変えてもらうように一生懸命やっていますと言って来て、しばらくして又来る。うまい。千葉の土地の件も利用だ。お山のバスも利用だ。原島理事長も随分、煮湯を飲まされた」(『社長会記録』昭和47年2月4日)
     池田は一時期、塚本から金の運用や情報の利用について学んだと思われる。戸田も事業家ではあったが、いわば街の金融業者、出版業者の域を出ず、戸田晩年時の肥大した会財政には、もう一回り大きな事業上の知識や技術、有力者とのコネ等を必要としたはずだからである。
     創価学会の秘書部長をしていた和泉美代はかつて「池田はおそろしい男だと云った」(同前、昭和43年4月29日)というが、おそらくそれは金や対人関係における池田の非情さをいったものであろう。実際、池田は金に関する会内のエキスパートだった。金集め、金の運用、金の使い方、金にからまる人間関係、どれ一つをとっても池田の右に出るものはなく、おそらく戸田の死後、戸田の事業と創価学会の財務については池田にしか経緯がわからず、解決できなかった事柄も多かったにちがいない。
     塚本以外に有力な財界人との交流がなかった当時、塚本との関係はいわば池田の金扱いの象徴であり、会長をめざす池田の強力な後ろダテになったことは想像に難くない。


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  • from: ともさん - 2さん

    2011年01月13日 14時43分35秒

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    創価学会の訴権乱用を許すな!

    http://www.youtube.com/watch?v=wssx93qLOKI&NR=1



    http://www.youtube.com/watch?v=wssx93qLOKI&NR=1

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  • from: 22世紀さん

    2011年01月12日 21時14分03秒

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    池田大作「権力者」の構造

    池田会長就任の虚偽ないし演出昭和35年4月22日、池田の第三代会長決定が発表された。『聖教新聞』同日号によれば、理事長・小泉隆の発議で、「4月9日に緊

    池田会長就任の虚偽ないし演出

     昭和35年4月22日、池田の第三代会長決定が発表された。
    『聖教新聞』同日号によれば、理事長・小泉隆の発議で、「4月9日に緊急理事会が開かれて、小泉理事長から理事全員に対して正式に会長推戴の件がはかられ、全員一致して池田総務にお願いすることに決定した。
     翌11日(?)に、理事室を代表して小泉理事長と原島理事から、総務に会長就任をお願いしたところ、池田総務は『事が重大ですから、1日、2日猶予願いたい』とのご意向であった。翌12日、池田総務から原島理事に、賢く辞退する旨の回答があった」
     その後も再三の懇請と辞退が繰り返され、14日にようやく池田は内諾したのだという。
     が、この、池田が会長就任を承諾するに至るいきさつは、明らかに胡乱な作為が認められる。なぜなら「理事全員に対して」はかられたという以上、理事会に当の理事・池田が出席していたこと、ならびに「全員一致して」とあるかぎり、池田が自身の会長就任になんらかの形で賛意を表したことは明白だからである(創価学会規則は、「理事はその理事の特別利害関係のある事項については議決権を有しない」と定めていたが、この場合の「理事」とは、「責任役員を理事と云う」とあるように責任役員を指し、責任役員ではなかった池田には適用されない。もっともその準用は十分考えられるが、そうなれば但し書き――「この場合においては特別の利害関係を有する理事を除いた役員会において、特別の利害関係の員数だけ会員の中から仮理事を選任しなければならない」――も準用されねばならず、池田の息のかかったものを仮理事とすることは可能である)。
     ところが池田は数度の懇請にもかかわらず、辞退に固執したのだという。
     これは自家撞着であり、この経緯全体の信憑性を疑わせて十分である。
     央忠邦『日本の潮流』は、「偶然入手した非公開の複写した資料」に基つ゛き、池田を会長に決定した会議を理事会ではなく、部長会としている。部長会なら辻褄が合うかもしれない(しかし、「各部を統括する」総務・池田は部長会のメンバーではなかったのだろうか、甚だ疑問である)が、会長の決定は創価学会の最高基本方針に属する事柄であるから、理事会での発議が正しい手順であること、部長会を理事会と変えて発表しなければならぬ必然性がなに一つ認められないこと、池田との折衝にあたったのが理事長であること、発表時の早期性、といった諸点から、聖教新聞の矛盾を解消するものとは認められない。
     前年の機構改革が実質的な池田体制の発足であった以上、池田がこの期におよんで、会長の職を辞退するいわれはなにもなかった。にもかかわらず、なぜこうした虚偽ないし演出が行われねばならなかったのか。
     まず、高位の地位を進んでは受けないという一般的な習慣である。宗教の世界では、なおさらその手の儀式は尊重されよう。熾烈に会長の地位を望み、その獲得のために激しく、また陰険に闘ってきた池田であっても、あるいはそのような池田であるからこそ、待ってましたとばかりに就任するわけにはいくまい。
     いわば八百長の辞退であり、それは創価学会では、戸田の前例でさらに強調されていた。戸田が会長就任時に、「必ず、つぎに会長になる宿命を持つと予見していたが、どうしても、いやであった。・・・・・会長だけはぜったいやるまいと思っていた」(戸田『講演集』上)と表現して以来、会長とは喜んで就くべき地位ではないとの固定観念が支配的だったのである。
     ついで、池田以外に会長に就くべき人材がなく、彼の就任は幹部の総意に基つ゛くという印象を会内外に与える必要があった。このことは池田以外の、会長への野心を持たなかった幹部達の利害と相容れないものではなく、彼らがさきの虚偽ないし演出に手を貸したのは当然である。また、そのことがひいては池田の謙虚さ、身の栄達を望まぬ高潔な人格をいう理由にもなる。
     こうして池田は32歳の若さで第三代会長への就任を決めた。

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  • from: ハムスターさん

    2011年01月12日 20時22分56秒

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    公害党も終焉が近い????

    2011年01月12日17時00分提供:NEWSポストセブン政権交代から1年半のカオス状態で、政界の力学は大きく変貌した。自民党を支えてきた各種団体の

    2011年01月12日17時00分 提供:NEWSポストセブン


    政権交代から1年半のカオス状態で、政界の力学は大きく変貌した。自民党を支えてきた各種団体の集票力は衰え、一部は小沢一郎氏の工作によって民主党支持に衣替えしたものの、小沢氏が党運営の表舞台から去ると、多くの組織は根無し草状態になった。岡田執行部が法人税減税を餌に企業献金を求めているのも、突然、たちあがれ日本の連立入りが浮上したのも、せっかく築いた支持基盤が揺らいでいる焦りからだ。

     大胆な言い方をすれば、今の日本で500万票、600万票を動かせる看板といえば、「創価学会」と「小沢一郎」だけなのだ。

     だからこそ、2つの大きな引力は政局を動かす力となる。民主党執行部も自民党もなりふり構わず公明党・創価学会にすり寄る姿勢を強めるのは、「反小沢」の戦いを続けるには、その力が必要不可欠だからである。ただし、現在の自民党には学会・公明と「首脳交渉」できる責任者はいないし、民主党にしても、菅氏が“学会美術館”を訪問し、仙谷氏が「公明党に人脈がある」と豪語しても、しょせんは付け焼き刃だ。学会・公明の様子見は、自民、菅民主、小沢を等距離に見た結果かもしれない。

     さらに池田大作・創価学会名誉会長が昨年5月以降、学会の主要行事にも姿を見せなくなり、第一線から退く「Xデー」が現実味を帯びていることもある。公明党のある中堅議員はこう話す。

    「カリスマの時代が終われば、従来のような選挙はできなくなる。公明党議員には動揺が広がっており、党の路線決定が難しくなっている」

     かつて小沢氏は、新進党に公明党を取り込み、学会と公明の分離を実現させた。小沢氏は、公明党を「今こそ国民政党になれ」と口説き落とし、側近には「体内に取り込むことで公明党を溶かすことが日本の政治の未来にとって大切だ」と説いたと伝えられている。小沢氏の懐刀として公明の新進党合流に奔走した平野貞夫・元参院議員が語る。

    「公明党が小沢を信頼できる政治家と見ていることは間違いない。選挙では何度も戦ったが、これまで小沢は一度も学会批判をしたことがない。だから公明党は民主党が政権を取ると小沢に近い市川雄一・元書記長を復権させた。時期はともかく、小沢は今でも公明・学会を吸収することを視野に入れていると思う」

    ※週刊ポスト2011年1月21日号

    ありゃりゃ、公害党は仏敵に吸収されるのか?

    しかし、「カリスマの時代が終われば、従来のような選挙はできなくなる。公明党議員には動揺が広がっており、党の路線決定が難しくなっている」とは、政教一致そのものでんな。

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