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反創価学会

反創価学会>掲示板

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  • from: 21世紀さん

    2011年07月27日 12時24分48秒

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    歴史改竄(かいざん)

    "重要な歴史"から「邪魔者」を消去(仮題)------------------------------------------------------


    "重要な歴史"から「邪魔者」を消去(仮題)

    --------------------------------------------------------------------------------
    ―改竄(かいざん)商人と呼ばれる池田大作―

    (『慧妙』H19.1.1)

     池田大作による過去の改竄(かいざん)は、文章によるものだけではありません。視覚に訴える手法も大いに使われているのです。
     創価学会では、"重要な歴史"の一場面を描(か)いた絵画を"重宝"にしています。
     そうした絵画のいくつかを、その元となった写真と対比してみましょう。
     写真と絵を、よく見比べてください。どこか違っているはずです。そう、写真には写っている人間が絵では削られ、また、写っていない人間が書き加えられたりしているのです。


    【「河口湖畔での水滸会」】
     まず1枚目。富士山を背景に、戸田会長と池田大作がイスに腰かけて、何かに見入っている絵。これには「河口湖畔での水滸会」との題が付けられています。
     掲載されていた『聖教グラフ』には、
     「昭和30年6月11、12日の両日、水滸会のメンバー83人は、山梨県の河口湖、山中湖に1泊2日の野外訓練を行った。青年をこよなく愛する戸田会長は、池田名誉会長(当時・青年室長)ととむに水滸会メンバーの熱こもる相撲を観戦」
    との解説が付けられています。
     この解説は、間違いではありません。が、実際には写真のように、戸田会長の周(まわ)りには多くの青年部幹部がおり、戸田会長と池田大作の間の特別な関係を象徴するような場面では、けっしてないのです。
     それを、あたかも戸田会長と池田大作との"師弟相対の一場面"風に仕立ててしまうのですから、呆(あき)れたものです。

    [画像]:周囲の青年部幹部を消し去り、戸田会長との"特別な関係"を演出

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    from: 21世紀さん

    2011年08月02日 22時26分48秒

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    「Re:歴史改竄(かいざん)」「宗門は小樽問答から逃避」!?---------------------------------------------

    from: 21世紀さん

    2011年08月01日 07時29分13秒

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    「Re:歴史改竄(かいざん)」55年目に検証する「小樽問答」の真実!▲創価学会が発行した『小樽問答誌』(写真は再版本)。法論の大勝利を謳うが、よくよく

  • from: 22世紀さん

    2011年07月30日 19時12分43秒

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    池田大作「権力者」の構造

    広宣流布の手段としての政治池田は安保問題のさなかに会長に就任したが、「安保改定よりも、それよりか、もっと本質的に大事なことは、邪宗改定である」(『聖教

     広宣流布の手段としての政治

     池田は安保問題のさなかに会長に就任したが、「安保改定よりも、それよりか、もっと本質的に大事な
    ことは、邪宗改定である」(『聖教新聞』昭和35年6月4日)と述べて安保への見解の明確化を回避し、
    その賛否を会員各自の判断にゆだねた。創価学会の9名の参議院議員たちも、自民党の単独強行採決
    に対しては、国会正常化の名目で反対したものの、基本的には安保を傍観した。わずかに会内左翼と
    いわれた石田次男が、池田の就任に先立って2月10日、参院本会議で、極東の範囲、海外派兵、条約
    の年限、事前協議等について割合まともな質問をしただけであった。
     池田が戸田以来の政治進出を受け継ぎ、さらに強化、拡大する方向に踏み出したのは昭和36年5月
    3日の文化局の設置からであった。文化局は池田によって「第三文明」の実行機関と意味つ゛けられた、
    政治、経済、教育、言論の四部(のちに学芸部増設)からなる、本格的な政治進出のための中枢機関で
    あり、局長には参議院議員辻武寿が任じられた。
     ことにその政治部は、「混乱した日本の政界を浄化するため、学会精神によってはぐくまれた優秀な
    政治部員を養成し、日本の政治に正しい方向を示していくとともに、本質的な国立戒壇建立という大業
    の必要性を、政界に理解させようというものである」(『聖教新聞』昭和36年5月6日)との記事に明らかな
    ように、国立戒壇の建立をむくつけに目ざすものであった。
     同年11月27日、池田は創価学会の外郭政治団体として公明政治連盟(公政連)を発足させ、政党化
    へのひそかな布石とした。この少し前、池田は、「創価学会は政党ではない。したがって衆議院にコマを
    進めるものではない。あくまでも、参議院、地方議会、政党色があってはならない分野に議員を送るもの
    である」(『大白蓮華』昭和36年6月)
     と述べて政党化と衆議院進出を否定していたが、その裏では政党化への基本工作を着々と進めた。
    昭和37年1月7日には教学試験を全国いっせいに行い、教学部員を前年の3倍近く11万数千名に激増
    させて選挙運動員の確保策とした。また4月2日には『公明新聞』を創刊し、近代政党への外見を整えた。
     参院選後の7月20日、池田は参議院の院内交渉団体・公明会を結成させ、公政連の15議員を無所属
    クラブから独立させた。
     続く9月13日、公政連は第一回大会を開催した。この席上、池田は、「もし10年先、20年先、・・・・・大
    政治団体になり、皆さん方が一流の名士になって、派閥やそれから反目があるようなことが、もし毛すじで
    もあったならば、即座にわが政治連盟は大衆の政治団体ではない、そういう資格はないものとして、解散を
    私はすべきであるということを、本日第一回の大会において、言い残しておきたいのであります」
    (『公明新聞』昭和37年9月16日)と述べた。
     当時、公政連は政界浄化を「基本政策」の一つに掲げていたから、派閥を非難する当の政治団体に派閥
    があってはならなかった。が、この池田発言には、さらに、池田にそむいてはならない、公政連においても
    創価学会と同様、池田の宗教的権威が貫徹するという含みが蔵されていた。組織内の派閥や反目は組織
    の能率と体面を損ない、また容易にその指導者への批判に転化すると考える池田にとっては、それらは
    最大の不正であり、事前にその芽をつまずにはいられなかった。
     公政連は最初から池田に首根っこを押さえられた創価学会の別動隊であった。昭和39年5月3日、第
    27回本部総会が開かれたが、池田はここではじめて公明党の結成と、衆議院進出の方針を明らかにした。
    「公明政治連盟をば、皆さん方の賛成があるならば、王仏冥合達成のために、また時代の要求、民衆の
    要望にこたえて政党にするもよし、衆議院に出すもよし、このようにしたいと思いますけれども、いかがで
    ございましょうか(大拍手)。それでは全員の賛同を得ましたので、これをもって決定といたします。
     すなわち、創価学会のなかに文化局があります。文化局のなかに政治部が現在までありました。その政
    治部の使命について私は巻頭言で『われらは政党ではない。すなわち創価学会は政党ではない。従って
    衆議院にコマを進めるものではない。あくまでも参議院、地方議会、政党色があってはならない分野に議員
    を送るものである』という意味の一項目を書いておきました。
     したがって、本日をもって、創価学会の政治部は発展的解消といたしたいと思うのであります。なぜならば、
    この十年間、原島委員長を中心として、わが同志である議員は戦い、勉強し、一流の大政治家に育ってま
    いりました。恩師戸田先生も時来たらば衆議院へも出よとのご遺訓があったのであります。
     したがって、政治の分野においては、公政連であくまでも自由奔放に戦ってもらいたい」(『聖教新聞』
    昭和39年5月5日)
     これは明らかに前の発言に食言するが、池田にとってはそのようなことは問題ではなかった。なぜなら、
    彼の大目的は広宣流布=創価王国の建設にあったから、そこに至る手段はどのようなものであれ、有効で
    ありさえすれば認めることができたのである。それは文字通りの嘘も方便であり、社会的な通念からの批判
    をなに一つ容れない、池田の体質と化したマキャベリズムであった。
     11月17日、東京・両国の日大講堂で公明党の結成大会が開かれ、委員長に原島宏治(昭和39年12月
    死亡)、副委員長に辻武寿、書記長に北条浩が任じられた。委員長・原島は結党大会の挨拶で、「きょうは、
    この会場にお見えになっておりませんが、池田先生は、この公明党の生みの親であり、育ての親であり、
    現在、偉大なるささえとなってくださっております。そして、われわれの将来をじっと見守って下さり、擁護して
    下さり、指導して下さっております」(『公明』昭和39年12月号)と述べて、公明党が公政連から引き続き、
    池田の指導下にあることを再確認した。
     昭和42年1月29日、公明党は総選挙を迎え、25の議席を得て、初の衆議院進出を果たした。選挙直後
    の1月31日、池田は公明党指導部を衆議院中心に切りかえ、委員長に創価学会総務の竹入義勝、書記長
    は同副理事長の矢野絢也を指名した。竹入は就任後のインタビューで、「池田会長から申し渡されたばか
    りで、正直いって面くらっています」(『毎日新聞』昭和42年2月1日)と答えた。



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  • from: 21世紀さん

    2011年07月29日 23時35分56秒

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    創価学会の謀略組織を解明する。元学会幹部 小多仁伯 ブログより

    伯爵日記http://haku38.com/2008/07/創価学会の謀略組織を解明する。その1.このテーマは、私たちの周りで起こっている信じられない

    伯爵日記
    http://haku38.com/2008/07/

    創価学会の謀略組織を解明する。 その1.

    このテーマは、私たちの周りで起こっている信じられない陰湿な実態を「世の中」に知ってもらうためにブログで明らかにするものです。

    戦後数十年の歳月が経過していても、我が国の本当の民主主義が定着していない現状を思い知らされます。
    その陰湿な「尾行行為」や「嫌がらせ行為」、さらに「生命の危険」を脅かしている組織が存在するとは、関係者以外は、にわかには信じられないと思うのです。

    振り返ってみると、“独善”と“狂気”のオウム真理教が社会から糾弾されました。
    そうした社会から忌み嫌われたオウム真理教のそれ以上の狡猾さと全国的な広さ、そして国家権力にウイルスのように侵食しているのが、政権与党の一角を担う創価学会・公明党(以後、創価公明党という)の組織なのです。

    創価公明党の目的は、この「日本を牛耳る」、「日本制覇」を掲げる池田大作の野望実現の為であり、池田大作イズムを日本・世界に浸透させる事なのです。
    その目的に対し、前に立ちはだかるあらゆる勢力や個人に向かって、反社会的な圧力や行動をして、しかもそれを正当化するという狂った価値観に囚われている団体なのです。

    私たちは池田創価学会を監視し、糾弾していかなければなりません。
    私たちは狂った価値観に囚われている全ての集団と闘っていかねばなりません。
    私たちは民主主義社会を守り、未来に安寧な社会を作る責任があります。
    私たちは、心ある人たちと連携しながら情報を共有し対処しなければなりません。

    そのために、池田創価学会の“負の闇部隊”、また秘密組織といわれている実態を検証して行くことから始めます。
    次の鼎談は平成20年4月に「慧妙紙」に掲載された内容を一部修正し抜粋したものです。


    「裏」で暗躍する秘密組織「広宣部」とは

    小多仁 佐貫さんは、池田創価学会の“負の闇部隊”、また秘密組織について、何か情報をお持ちですか。

    佐 貫  「広宣部」という謀略(ぼうりゃく)部隊については、その生い立ちを知っています。
    小多仁  「教宣部」というのがありますが、それとは違うのですか。

    佐 貫  「教宣部」というのは、創価学会組織の四者(壮年・婦人・男子・女子)にまたがって組織されている、「表」の組織です。これに対し「広宣部」は、男子部、それも創価班などの中から選(え)りすぐりを集めた「裏」の組織です。ですから、部外者が名前を聞いただけでは混同してしまうかもしれませんが、全く違う組織です。

    小多仁 その違いについて、分かりやすく説明していただけませんか。

    佐 貫  そうですね。「教宣部」は日蓮正宗対策のために組織されたものであり、これに対し「広宣部」は、反学会陣営対策で作られた組織、ということになると思います。
         実質的な活動内容で区別してみると、「教宣部」に与えられた役割は、専(もっぱ)らプロパガンダ活動であるのに対し、「広宣部」は専ら謀略活動を行なっている、というところでしょうか。
     法華講員のところに知り合いの学会員が訪ねてくることがありますが、その時に、その学会員が連れてくる、見ず知らずの弁舌の立つ学会員、それが「教宣部」のメンバーだと思って、ほぼ間違いありません。

         彼らは、日蓮正宗に対するプロパガンダ教育を徹底的に受けていて、法華講員との対論に乗り出したり、脱講運動のために法華講員を訪ねてきたりするのです。
         これに対し、創価学会員を熱心に折伏する法華講員や、我々のように、反創価学会の活動を行なっているメンバーを尾行してくる学会男子部、こちらは、「広宣部」のメンバーだと思ってほぼ間違いありません。

         名前が似ているうえに、同じ人間が、組織の「表」では「教宣部」に所属し、「裏」では「広宣部」の部員として暗躍する、ということもあり得ますので、二つの組織は余計に混同されやすいかも知れませんね。


    プロパガンダを担う「教宣部」・・・中には諜報機関並みの活動も

    小多仁  なるほど。じつは私は、「教宣部」については若干の知識があります。というのは、私が学会職員であった頃の同僚にH君という人物がいて、彼から教宣部の概要を聞いたことがありますから。

    佐 貫  「教宣部」に関しては、内部資料も流出していますね。

    小多仁 そうですね、私も見ました。
         それによると「教宣部」――正式名称は「教宣部委員会」だそうですが、そのトップは竹入央通副会長で、その設置にあたっては、当時、学会の会長であった秋谷栄之助さんが、「新たに、教宣部が設置された。方面、県、そして末寺ごとに、二十一世紀を前にして、本格的な日顕宗対策を進めていく」「創価学会に手を出したらとんでもないことになる、それを骨身に染みて分からせるまでやる戦いである」などと発言しています。

         そして、「日顕宗対策」という内部通達では、具体的な活動として大きな項目を三つ、一つめは「寺院への徹底した攻撃」、二つめは「法華講救済運動の推進」、三つめは「組織への啓蒙(けいもう)」を挙げ、それぞれに細かい方針を定めています。

    佐 貫  「法華講救済運動」っていう表題には笑ってしまいますね。実際には、救済ではなく、地獄に引き込む「奪命運動」じゃないですか。(笑い)

    小多仁  細目を見てみましょう。まずは「寺院への徹底した攻撃」ですが、

    ①寺・住職の詳細な状況把握(過去と最近の様子)
    ②寺の定例行事の掌握(しょうあく)
    ③活動家の動きの掌握
    ④寺の機関紙の定期的な入手
    ⑤寺のデータ管理

    ということになっています。
     次に「法華講救済運動の推進」ですが、

    ①脱会者の追跡調査 今どうなっているのか
    ②古くからの法華講の掌握
    ③脱講の推進 登山、供養どめの推進 ※青年僧侶への依頼
    ④脱講数の報告 月2回 ※月に数回、脱講デーを設けて、取り組む

    となっています。
     そして、「組織への啓蒙」については、

    ①脱会者を絶対に出さない
    ②日顕宗への戦いの感覚を磨き、組織の啓発をする
    ③武器の活用(『創価新報』など)

    となっていますね。

    小 川  えーっ、これが「表」の組織の活動なの?「寺院への徹底した攻撃」の内容なんかを見ると、まるで諜報機関ですよ。CIAやKGBみたいな。

    小多仁 いやいや、まだまだ。この内部通達には「追跡調査の意義」とか、その「調査方法」まで明示されていますから。

    小 川  いやぁー、恐れ入りました。(苦笑い)

    佐 貫  十年以上前の資料ですから、「法華講救済運動の推進」の項には「明年三月、新客殿落慶十万登山の粉砕」などとありますが、その後の、平成十四年の三十万総登山や、今年の「決起大会」への妨害活動を見ていると、この内部通達そのままの動きが見られます。
         というよりも、この十年間で、創価学会の謀略活動に、さらに磨きがかかっている、と見ていいでしょうね。


    謀略活動が専門の「広宣部・・・尾行・盗撮、何でもござれ

    小多仁 謀略活動といえば、私が、尾行されている、と気付いたのは、そんなに前のことではないのですが、その手口はなかなか巧妙でしたよ。
         二人以上が一組になっていて、一人の方はすぐそれと分かるような尾行の仕方でついてきて、こちらに気付かれたと思うと、すぐに姿を消してしまう。
          それで安心していると、じつは別にもう一人、尾行がついていることに気付いたんです。それで、その若い男に近付いていって声をかけたら、脱兎(だっと)のごとく逃げていった。(笑い)
          それから、よくよく注意して周りを見るようになったら、それらしき男達が、行く先々にいるじゃないですか。それこそ、延べにしたら数十名くらいに見張られている、そんな感じですよ。

    佐 貫  そうした活動を行なっているのが「広宣部」なんです。

    小多仁  その「広宣部」について、詳しく聞かせていただけませんか。

    佐 貫  そうですね。じつは、「広宣部」が初めて結成されたのは、東京都板橋区においてでした。私は当時、北区と板橋区を統括する第九総合本部の男子部副書記長でしたので、結成に至る流れを知っているんです。

          「広宣部」を立ち上げたのは、Nという板橋に住む学会職員の男でした。平成元年頃のことです。創価班の中から人員を選抜して結成したのが始まりです。
          「広宣部」の当初の目的は、対顕正会対策のためでした。
          ご存じのように、当時の顕正会本部は板橋区常盤台にありましたから、その実態を把握しようと、板橋区に「広宣部」が作られたのです。

          その活動報告を、正木正明(現・創価学会理事長)や谷川佳樹(現・創価学会副会長)にしたところ、二人とも「それはいい!」と大喜びで、そこから全国的な組織化が図られたのです。
          そして今では、我々法華講員や反創価学会と目される人物を尾行したりする、あの「広宣部」になったわけです。

    小多仁  なるほど。

    佐 貫  我々などに対する尾行の他に、彼らが行なっていると思われる具体的な活動としては、
    ①対象者宅の郵便物のチェック
    ②対象者の盗撮
    ③交友関係の調査
    ④怪文書攻撃
    ⑤対象者が出したゴミなどを持ち去り、その中からの情報収集

    といったところが考えられます。

    小 川  ゴミの持ち去りまでねぇ。うーん……。

    小多仁 全く見ず知らずの男が、私だとわかって尾行してくるのはなぜだろう!?と不思議に思っていたのですが、尾行者達に私の盗撮写真が渡されていたということなら、なるほど、と思いますね。
          それにしても、私が動き出すとすぐに尾行してくるということは、二十四時間態勢で監視している、ということでしょうか。

    佐 貫  元学会弁護士の山〓正友さんの場合には、自宅の前にあるアパートが学会の〝監視哨〟のようになっていて、山〓さんの動向を 二十四時間態勢で監視していたのは間違いありませんよ。

    小多仁 しかし、そんな不毛な活動に従事させられて、もっと有意義に使うべき時間を無駄に浪費している男子部員達が哀れでなりませんね。
          彼らは、「池田センセーを護るんだ」という思いで、そうした反社会的活動に没頭しているんでしょうが、そんなことを続けていたなら、彼らの人間性が狂っていくことは間違いありません。
          そう考えてみると、じつは彼らこそが、創価学会問題の最大の被害者といえるのかも知れませんね。


     先日、5月12日に矢野絢也元公明党委員長が創価学会及び最高幹部7人に対し「言論妨
    害」「手帳の返還」「誹謗中傷」など10数項目に亘る訴訟を起こしました。その中で、特に注目され
    たのは「尾行等の嫌がらせ」を24時間体制で被害を被っていたのです。

    矢野絢也さんは、こうした卑劣な行為に憤り、反対にビデオカメラを設置して彼らの反社会的行為を
    記録に収めています。また逆尾行により謀略任務者をつきとめたりしています。何れはこれらの記録は
    裁判所に提出される事でしょう。

    私は、近い将来、この謀略任務者の中から必ず、創価公明党の「マインドコントロールの呪縛」から
    抜け出て真実を吐露する人間が現れてくることを期待しています。
    事実、その動きが出始めているのです。

    現在、私のメールに毎日のように、創価学会員以外の一般人の方々が創価公明党と思しき連中に
    「集スト」被害を受けているとの訴えが来ています。異常としかいえない社会です。

    この事実は何を物語るのでしょうか。民主主義国家にとって恥ずかしい “闇”の実態が連日のよう
    に被害者に襲い掛かっているこの不条理、国の政治家は“盲目”なのか、また国家公安委員会は、
    何故、この事実を知っているのに手を下せないほど臆病になっているのか、はたまた無策状態なの
    か?まさに「亡国」に突き進んでいるとしかいえません。

    次回、その2は具体的な尾行の実態と、被害者の声などを明らかにしていきます。
    創価学会の謀略組織を解明する。元学会幹部 小多仁伯 ブログより
    http://www.asyura2.com/07/cult5/msg/537.html

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  • from: 22世紀さん

    2011年07月26日 20時54分52秒

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    池田大作「権力者」の構造

    攻撃から占有へ――戸田継承者としての池田の資質戸田の死後、幹部たちは、戸田は聖業の発展のために死んだと公表した。これは戸田の死の拙さを償おうとする強弁

     攻撃から占有へ――戸田継承者としての池田の資質

     戸田の死後、幹部たちは、戸田は聖業の発展のために死んだと公表した。これは戸田の死の拙さを償おうとする強弁に過ぎなかったが、その後の事実は、戸田が創価学会の発展のためには、タイミングよく死んだとはいえるものであった。戸田はすぐれて創見と攻撃の人ではあったが、安定期と占有の人ではなかった。彼の死は、時代にかなった創価学会の陣取りとエスタブリッシュメントへの道をスムーズに開いた。
     池田の資質は戸田の跡を受け、それらの役を担うにふさわしいものがあった。池田が独裁者までにのし上がったのは、基本的には自己増殖する組織の引き継ぎと教義面の支えによるが、かと言って彼の能力と努力を過小に評価することは誤りである。
     池田の戸田からの進展は、攻撃から占有への移行にあり、彼の腐心はつねに創価学会の占める分野の拡大と、そのイメージ・アップに費やされた。彼は戸田に比して創造性には劣るものの、有能な祖述者、管理者ではあり、それは彼の上昇志向と分かちがたく結びついていた。政治、文化面への進出等は広宣流布への投網であったと同時に、彼の劣等感と、世間を見返してやりたいという復讐欲に深く根ざす近代化という同一パターンにおしなべて属するものであった。



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  • from: 22世紀さん

    2011年07月26日 20時23分19秒

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    池田大作「権力者」の構造

    池田独裁体制の確立こうして池田はスムーズに権力の膨大化に進んだが、彼の会長就任にまるで反対の動きがなかったわけではない。池田の就任二日後の昭和35年5

    池田独裁体制の確立

     こうして池田はスムーズに権力の膨大化に進んだが、彼の会長就任にまるで反対の動きがなかったわけではない。
     池田の就任二日後の昭和35年5月5日、元男子部第一部隊の隊長で、蒲田支部幹事の佐倉雅章、大野兼弘は、創価学会員30人ほどを引き抜いて会を割って出、顕徳会という分派を結成した。佐倉は32年の大阪参院補選で、2ヵ月の未決勾留人りするまで創価学会に尽くして、前述のように除名され、その後、復帰を許された会員の一人だったが、池田の会長の就任にまつわるすべてを、「きたない」として創価学会を見限ったのだという(『週刊コウロン』昭和35年7月19日号)。
     池田は佐倉宅に辻武寿、牛田寛、鈴木一弘、竜年光を向けて、彼をおどしたり、すかしたりしたが、5月11日に除名し、また日蓮正宗妙真寺にも意を通じて彼らを破門させ、運動を圧殺した。
     日蓮正宗からの破門は、信者にとって生命を絶たれるに等しかろう。が、池田はそのようなことに頓着なく、創価学会の日蓮正宗支配の威力と、自身の権力を想うがままにふるった。
     このころ大幹部たちは、たとえ池田に不満を持っても、叛旗をひるがえせなかった。彼らは故戸田を畏敬していたから、彼の、「ゆずる会長はひとりでありますが、そのときに、分裂があってはなりませんぞ」という遺訓にしばられたし、また反乱の失敗を思えば、それによって失うものがあまりにも大きすぎることに気つ゛いた。創価学会員の増加と組織機構の拡充は、彼らのパイの分け前を大きくしていた。それは池田の取り分に較べれば小さすぎたが、なんとか彼らの不満を慰めるほどには大きかった。
     しかし、大幹部たちは最初から、池田に絶大な権力を付与することを認めていたのではなかった。会長の権限は年々の発展の中で、池田の自負と欲望、周囲の阿諛追従と盲信に従い、醜悪なまでに肥大化した。それは独裁の制度が必然的に到達する個人崇拝の一大奇観であった。
     例えば昭和37年6月、創価学会規則が改定されたが、その会長に関する規定は、池田をかなり掣肘していた。要点を列記してみよう。
     ①会長は、創価学会の責任役員でもある。
     ②会長は、責任役員の一人であり、理事会によって選出される責任役員により選出される。
     ③会長は、理事会によって罷免されることがある。
     ④会長の任期は4年である。
     ⑤会長は、理事会を召集し、その会議を主宰する。
     池田は理事会で罷免され得、また任期を4年と限られていた。この時点では、池田の権限はまだ歯止めをかけられるほどに穏当であったが、昭和41年5月の規則になると、すでに池田の権力は独裁者のそれに完成する。
     ①会長は、創価学会の責任役員でもある。
     ②会長は、総務を統括する。
     ③会長は、幹部会(内21名が責任役員)を召集する権限をもつ。
     ④会長は、責任役員を任命し罷免する。
     ⑤会長は、副理事長、理事、その他の必要な役員を任命し罷免する。
     ⑥会長の任期は終身とする。
     ⑦会長は、後任を選ぶことができる。
    (ホワイト、宗教社会学研究会訳『創価学会レポート』による)
     任期が終身で、後継者まで指名できるとは、宗教が私事であるとはいえ、異常である。まして創価学会は公明党という公事に「一体不二」の関係を有したのである。
     昭和45年1月の規則は、41年の規則とほぼ同様だが、理事長の任免、代表役員等の諸点で、さらに独裁の強度を高めている。
     なお池田は創価学会の登記によれば、昭和38年7月15日、代表役員と責任役員を辞任し、10日間の空白期間を置いて7月26日に再度、代表役員兼責任役員に就いている。また39年5月2日に池田は代表役員を辞任し、翌3日、代表役員は原島宏治にかえられて同年7月16日まで続き、翌17日に池田が代表役員に三度就任している。
     これを創価学会の政変の露呈とする見方があるが、事実は事務手続き上の処置に過ぎなかったという。少なくとも39年5月の辞任は、「任期」4年の規定に従ったという説明がつくであろう。が、38年7月の就任は責任役員空席期の説明がつかない。
     この日、北条浩以下23名の、昭和35年5月以降に就任した新責任役員も退任しており、2日後の7月17日、それ以前に就任した旧責任役員7名が退任する。そして7月26日に彼らの全員が順序を変えて再任される。参考までに新順位(カッコ内は前の順位)を付して次に列挙してみよう。   ①池田大作(8) ②原島宏治(4) ③北条浩(9) ④辻武寿(6) ⑤小泉隆(1) ⑥和泉覚(2) ⑦秋谷城永(16) ⑧柏原ヤス(5) ⑨石田次男(7) ⑩森田一哉(10) ⑪竜年光(11)⑫白木義一郎(15) ⑬山田徹一(22) ⑭白木薫次(3) ⑮小平芳平(12) ⑯鈴木一弘(13)⑰北条雋八(17) ⑱森田悌二(18) ⑲牛田寛(14) ⑳星生務(19) 21田中正一(20)22渋谷邦彦(21) 23吉田顕之助(23) 24多田省吾(24) 25神尾武雄(25)26宮崎正義(26) 27中尾辰義(27) 28中西治雄(28) 29星野義雄(29)30上林繁次郎(30) 31竹入義勝(31) 32藤原行正(新任) 33渡部城克(新任)
     池田をはじめとして原島、北条浩、辻、秋谷、白木義一郎、山田の上位進出が眼につき、逆に小泉、和泉、柏原、石田、白木薫次、小平、鈴木、牛田などは下位に下がっている。おそらく会長、理事長、副理事長といった会の役職の実勢を反映したものだろう。池田体制の確立期は昭和38、9年頃とおさえてまず間違いではないと思われる。




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  • from: 21世紀さん

    2011年07月17日 13時55分34秒

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    脱会者を自殺に追い込め!

    From:れいな日本を牛耳る巨大組織の虚と実(宝島社)『創価学会文・ルポライター割石哲也氏創価学会は、「他の宗教はすべて邪教である」という原理主義に基


    From: れいな
    日本を牛耳る巨大組織の虚と実 (宝島社)

    『創価学会  文・ルポライター割石哲也氏

    創価学会は、「他の宗教はすべて邪教である」という原理主義に基づき、他宗教を論破(破折)することを是とする集団だ。
    熱烈な信者によって、それはしばしば法を超えた行為に及び、刑事事件に発展するケースも過去に数多く見られる。
     初代会長の牧口常三郎の時代から、伝統仏教である日蓮正宗とは一線を画し、創価教育学会(当時の名称)は「立派な一個の在家的信仰団体である」
    と公言していたのだから、91年に日蓮正宗から破門宣告を受けた要因は、初期から内包していたとも言える。
     あまりにも強引な「折伏大行進」と称された勧誘活動、電話盗聴事件、言論・出版妨害事件などで学会が非難され、両者は袂を分かったのだが、
    この後から現在に至るまで、創価学会の日蓮正宗への攻撃は凄惨を極める。
     紙面では日顕法主から名を取りつつ「日顕宗撲滅」をスローガンに会員を募り、
    全国の日蓮正宗系の寺院への嫌がらせの電話(多いときで1日に800本)、放火未遂、集団暴行などが相次ぐ。
     その様は外部から見れば、かつての新左翼セクトの内ゲバさながらであるが、これらに嫌気がさして、脱会をしようと目論む会員たちもすんなりと辞めることは難しいようだ。
    事実、これを契機に数十万人もの学会員が日蓮正宗の法華講へと流れ込んだのだが、
    “”池田大作氏は「(脱会員を)自殺に追い込め」と言い放ったことが、元公明党福井県議員の田賀一誠氏の証言で表沙汰となっている。“”
     一方、創価学会が持つその攻撃性は、政界への進出においてもいかんなく発揮されている。最も悪質な事例としては、68年の衆議院選挙で起った「集団替え玉事件」が名高い。
     投票率の低い都内の新宿区や世田谷区などで、アパート・マンションの郵便受けから投票用紙を抜き取り、替え玉の学会員が票を投じるという前代未聞の事件だった。
    しかも、この所業は男子青年部などの指導による組織ぐるみの犯罪だったため、多数の有罪者を出す始末となる』



    池田大作氏は「(脱会員を)自殺に追い込め」と言い放ったことが、元公明党福井県議員の田賀一誠氏の証言で表沙汰となっている。“”

    ■■■■■■■■■■

    その他、矢野純也氏の著書、元公明党議員、福本潤一氏の著書からも明らかである。


    日蓮正宗 立正安国論、正義顕揚七百五十年 -
    http://www.c-player.com/ac56004/thread/1100104415770

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  • from: 22世紀さん

    2011年07月16日 18時52分46秒

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    池田大作「権力者」の構造

    権力の王権神授説風脚色池田は昭和37(1962)年3月に法華講大講頭、39年4月に、戸田でさえ死後に贈られた法華講総講頭に就いて、本仏・日蓮の宗教的権

     権力の王権神授説風脚色

     池田は昭和37(1962)年3月に法華講大講頭、39年4月に、戸田でさえ死後に贈られた法華講総講頭に就いて、本仏・日蓮の宗教的権威を、日蓮正宗の法主を通じて一身に具現したが、この有徳王のはめこみによって、法主よりも上位者、創価学会・日蓮正宗内での最高権力者となった。
     だからこそ、池田は、「諸君は、会長になろうなどという気持ちをもってはならない。なぜかならば、会長という役割を全員が目的にすることは、あまりにも愚かです。会長というのはご仏意なのです」(『池田会長全集』3)と公言出来たのであり、また教授である大幹部に試験を課して、その更迭をほしいままにする権能を授けられたのである。
    「教学部長が先日、私に対して『・・・・・いつも試験官である教授全員も、いっぺん試験をしてためしていただきたい』と、このような殊勝な考えをもらして下さいましたもので、私も同じ教授として、涙をのんで許しました。それを、それで会長だけは教授であるけれども試験を受ける必要はないという教授会の決定になりましたもので(笑い)。会長は馬鹿でも脇士がしっかりしておれば、絶対安定であることは仏法の原理でありますから(笑い)。私はやらなくてもいいことを、仏法の上から自覚しております」(『聖教新聞』昭和36年9月2日)
     こうして池田は大幹部、末端を問わず、およそ全員とは比較すべくもない、超越的な権勢を手中におさめた。
     また彼はそれを背景に、さきに述べた入信神話をはじめとする戸田との関係の聖化につとめ、さらに先輩幹部、ことに石田次男の功績を奪って、意地汚いまでに自己の戦歴表に書き加え、ペテンによる理想化によって、彼の権力を王権神授説風に脚色した。
    「(昭和25年の暮れ)恩師(戸田)と私と二人きりで、(聖教)新聞作製の構想を練った。その時、恩師はこう言われた。
    『おれが社長になる。おまえは副社長でやれ』と。この時を期して聖教新聞は創まったのである』(池田「創刊十周年に寄せる」、『聖教新聞』昭和36年4月22日)
    「池田先生は当時(26年)、第四部隊の一班長であったが、信心半年たらずで聖教新聞編集長、男子部隊長となった石田さんに対して、あらゆる面で忠告を与え、進路を示し、あたたかく守っていらっしゃった」(『大百蓮華』昭和38年12月号)
     これらが事実と相違することは、今さらいうまでもない。戸田は側近の誰彼を問わず、同紙の構想を話していたし、池田が副社長だったこともない。同紙の作製は石田を編集長に、森田一哉、岩本他見男、広告部長は原島宏治の編成で出発した。また当時、あらゆる面で石田の下位にいた池田が、石田に「忠告を与え、進路を示」すなどは、あり得ようもなかった。池田は昭和32年においてさえ、まだ、石田を、「信頼出来るといって、これ程立派な人はいない。俺の兄貴だもの」(『聖教新聞』昭和32年10月4日)と、評していたほどである。
     さらに北条浩は『大百蓮華』(昭和39年2月号)の池田の「闘争日誌」に、「(昭和27年)3・26 キリスト教討論」との一項を記しているが、これも事実は、「有名なキリスト教法論で、戸田先生が石田さんを指名されたのも、その実力を買っていらっしゃったゆえであろう」(『大百蓮華』昭和38年12月号)というのが真相で、池田の戦功ではない。
     石田次男のかつての存在は、池田の跡目相続の神性を損なう目の上のタンコブだったから、池田の石田からの収奪は、とりわけ甚だしかった。が、功績の書き替えは石田からにとどまるものではない。
     例えば昭和27年2月、池田は蒲田支部員の折伏を督励して201世帯の折伏を記録し、「2月闘争」という言葉を残した、と自らいう(池田『人間革命』5)が、このとき池田は同支部の一幹事に過ぎず、それも一月に就いたばかりであり、これはとりもなおさず支部長・小泉隆の功績を奪うものである。
      




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  • from: 21世紀さん

    2011年07月10日 17時45分22秒

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    創価学会現役幹部運営のインターネットサイトに謝罪文掲載して閉鎖&賠償命令

    「フォーラム21」6月号本誌編集部創価学会青年部の機関紙「創価新報」の平成23年6月15日号掲載の座談会記事「轟け!正義の獅子吼青年部躍進座談会」には

    「フォーラム21」6月号
    本誌編集部

     創価学会青年部の機関紙「創価新報」の平成23年6月15日号掲載の座談会記事「轟け!正義の獅子吼 青年部躍進座談会」には、創価学会青年部幹部のこんな発言が載っている。

    「棚野(青年部長)学会の平和・文化・教育の運動は、世界に大きく広がっている。ゆえに、それをひがみ、そして妬み、誹謗する輩も必ず現れる。

     竹岡(牙城会委員長)そうだ。ネット上に悪意で、卑劣で陰湿なデマを流す輩がいる。

     桜井(男子部書記長)ところが、こうしたデマは、『いつ』『どこで』『いくらで』『誰から誰に』そうしたことがあったのかという具体的な根拠がまったくない。要するに、読めばすぐに『作り話』と分かるものだ。(中略)

     橋元(男子部長)デマを流す人間の心が、あまりにも貧困だ。皆から笑われているよ(笑い)」

     インターネットの普及に伴い、その匿名性を利用しての悪質なデマや名誉毀損行為が社会問題になっているが、「創価新報」座談会記事は、そうした風潮を背景にインターネット上に創価学会や池田大作氏に対する「悪意で、卑劣で陰湿なデマを流す輩」がいることを非難する内容となっている。

     だがそうした非難されるべき「ネット上に悪意で、卑劣で陰湿なデマを流す」行為を、創価学会の現役の男子部幹部や、男子部幹部を歴任するなどした壮年部幹部の学会員ジャーナリストが行い、名誉毀損で提訴された結果、司法によってその不法行為責任を認定されて損害賠償の支払いを命じられたり、自ら責任を認めてサイトの閉鎖と謝罪文の掲載、そして解決金を支払うことで和解するなどの事実が、今年に人って相次いでいる。

     まずは次のような「謝罪文」を紹介しよう。この「謝 罪文」を掲載したのは「ゴルゴとマリア」と称するインターネットのホームページサイドである。

    「『ゴルゴとマリア』のホームページ閉鎖について

     当ホームページにおいて、作成者不肖の『勝ち鬨』、『フェイク』をそのまま流用して、宗教法人日蓮正宗の信徒団体である妙観講の講頭大草一男氏にあたかも女性スキャンダルがあり、また反社会的な活動や破廉恥な行為を行っているかのような情報を掲載し、大草氏の名誉を著しく毀損しました。

     当ホームページにおいて、虚偽の事実もしくは何の裏付けもとれていない事柄を掲載したことにつき、大草氏をはじめとする関係者に対して深く謝罪するとともに、当ホームページを閉鎖し、今後は大草氏や妙観講の名誉を毀損するような情報を公開しないことを確約いたします」

    「謝罪文」を掲載し閉鎖された「ゴルゴとマリア」と称するホームページサイトには、閉鎖前「ゴルゴとマリアのウェブサイトヘようこそ!/当サイトゴルゴとマリアは、日顕宗の悪を撃つ『地涌』『勝ち鬨』「同盟通信』『新改革通信』『フェイク』等、さらに有志が個人的に作成している各種文書を集積しています。/サーバの維持費は管理人(モンキー)のポケットマネーから捻出しており、私の命ある限り、このサイトは存続します。/いつの日か相承する時が来るかもしれません。/合掌」

    との一文が掲載されていたが、ここにある「日顕宗」との表記は、創価学会が日蓮正宗を誹謗する時に使用する常套句。

     要するに「ゴルゴとマリア」と称するサイトは、日蓮正宗とその関係者を攻撃することを主目的とするサイトであり、妙観講が日蓮正宗の法華講(信徒団体)の中で、もっとも激しく創価学会を批判していることから、妙観講ならびに同講の大草一男講頭を誹謗・中傷する「勝ち鬨」「フェイク」などの怪文書を貼り付けていたということのようだ。

     しかし「勝ち鬨」「フェイク」などに掲載された大草氏に女性スキャンダルがあるかのような記述や、妙観講が反祉会的活動を行っているかのような記述については、別件の名誉毀損に基づく損害賠償請求訴訟において、悪質な名誉毀損であることが認定されていたことから、大草氏ならびに妙観講は、名誉毀損記事を垂れ流す「ゴルゴとマリア」の運営管理者を、プロバイダーに情報開示を迫るなどの法的措置を講じるなどして特定。昨平成22年12月、名誉毀損に基づく損害賠償の支払いと謝罪文の掲載、そしてサイトの閉鎖を求めて訴訟を東京地裁に提訴していた。

     日蓮正宗関係者の話によると「モンキー」なるハンドルネームを用いて素性を隠し、大草氏や妙観講を誹謗中傷する怪文書を垂れ流していた人物は、創価学会の総区幹部で未来部長や創価班委員長を務めるバリバリの現役幹部だったという。

     まさか身元を特定されるとは思わなかったのだろうが、被告となったサイト管理者の男子部幹部は、怪文書の内容が名誉毀損にあたると認定されていることもあって抗弁を断念。代理人の創価大学OBの学会員弁護士を通じて、早々に原告の大草氏・妙観講側に、謝罪文を掲載してサイトを閉鎖するとともに、解決金を支払うことでの和解の申し入れを行い、6月下旬、和解成立とともにサイトを閉鎖する旨を記した謝罪文がホームページ上に掲載された。

    この「ゴルゴとマリア」については、怪文書の収集能力が個人の域を超えていることや、全国各地の創価学会組織において幹部が日蓮正宗攻撃のために利用するよう宣伝するなどしていたとの情報もあり、創価学会組織の関与が推認されるが、今回の和解の措置によって、少なくとも創価学会男子部の現役幹部が、「ネット上に悪意で、卑劣で陰湿なデマを流」していたことだけは明白になった。

     妙観講に関しては、本誌の145号で詳報したように、妙観講をオウム真理教と同列視して誹謗中傷するビラが全国各地で大量に配布され、その実行行為者として特定された複数の創価学会青年部幹部に対して、妙観講が損害賠償請求訴訟を提訴。

    平成20年に東京高裁は、誹謗中傷ビラの配布は、「創価学会のいずれかの組織を構成する相当多数の学会員がその意志を通じて関与していたものと推認することができる」として、損害賠償の支払いを命じる判決を言い渡している。

    今回明らかになったインターネットのホームページを使っての目蓮正宗・妙観講攻撃も、そうした行為の一環と見ることが可能だ。


    ■■■■■■■■■■中略■■■■■■■■■■

     そして創価学会学生部の地域組織の副部長、平成11年当時は、創価学会男子部の新宿区常楽本部の副本部長・創価班班長・区言論部長などを歴任、その後は壮年部の地区部長などを務めているジャーナリストの柳原滋雄氏が運営する、インターネットのホームページ「柳原滋雄Webサイト」内の「コラム日記」における記述が、名誉毀損にあたるとして、今年4月25日、東京地裁民事24部(荻原弘子裁判長)は、被告の柳原氏に対して原告の矢野穂積東村山市議に30万円の損害賠償を支払うよう命じる判決を言い渡した(柳原氏が控訴)。

     周知のように柳原氏は、矢野絢也元公明党委員長や山崎正友元創価学会顧問弁護士などの創価学会からの造反幹部や議員、「週刊新潮」や「週刊新潮」のデスクだった門脇護氏、本誌の編集発行人である乙骨正生など創価学会に批判的なマスコミやジャーナリスト、さらには民主党や共産党、白川勝彦元自民党代議士をはじめとする創価学会に批判的な国会議員や矢野穂積東村山市議などを、自らが運営管理するインターネットのホームページで非難・誹謗し続けている人物。

     そうした非難・誹謗の一環としてなされた矢野穂積東村山市議に対する誹謗が、名誉毀損に当たるとして損害賠償の支払いを命じられたのである。

    問題となったのは「柳原滋雄Webサイト」内の「コラムロ記」平成20年9月13日掲載の記事。その中で柳原氏は、平成7年9月1日に、東京都東村山市の東村山駅東口の雑居ビルから朝木明代東村山市議(当時)が転落死した事件について、矢野市議を「この件ではむしろ矢野は重要容疑者の一人」と記述し、あたかも矢野氏が朝木氏の転落死に関与しているかのように記述していた。

     これに対して矢野市議は、平成21年11月、「『この件ではむしろ矢野は重要容疑者の一人』であると記載した部分は、『朝木議員の転落死について、原告が何らかの犯罪を犯し、捜査の重要な対象となっている被疑者である』と理解されるものであり、それが事実を摘示して原告の社会的評価の低下を招く記事になっている」として、東京地裁に柳原氏を被告とする500万円の損害賠償の支払いと、謝罪文の掲載を求める訴訟を提起したのだった。

     被告の柳原氏は、朝木市議の転落死事件は自殺なので犯罪性はなく、矢野氏が重要容疑者と理解する余地は無いなどと主張。「この件で矢野はむしろ重要容疑者の一人」と書いたことは、「あくまでも、朝木議員が転落死する直前に諍いを起こしていた相手が、原告であるとの疑いがあることについての、被告の意見・論評に過ぎない」などと主張していた。

     これに対して東京地裁は、記事の記述と朝木市議転落死事件の事実関係を詳細に検討した上で、「『この件ではむしろ矢野は重要容疑者の一人』という表現は、一般読者の注意と読み方をもってすれば、朝木議員の転落死について、原告が、何らかの犯罪行為、すなわち、自殺幇助のみならず、殺人、傷害致死、過失又は重過失致死等といった容疑を含む行為を引き起こしたとして、捜査機関の嫌疑を受けている『重要容疑者』である事実を指摘する表現であると解さざるを得ない」。

    「そして、現職の市議会議員である原告にとって、同僚であり、しかも同一会派の所属議員として親しい関係にあったはずの朝木議員の転落死に対し、その原因となる何らかの犯罪行為を引き起こしたとする嫌疑を受けていると指摘されることは、その社会的評価を低下させる名誉毀損事実であることは明らかである」として、記事には真実性も相当性もないとして、柳原氏に対して30万円の損害賠償を支払うよう命じる判決を言い渡した。

     ちなみに、同訴訟の被告人本人に対する尋問において、柳原氏の「陳述書」には、朝木市議の転落死に関する訴訟において創価学会がすべて勝訴しているとの記述があることについて、原告・矢野氏側の代理人が、「フォーラム21」平成16年1月15日号掲載の座談会記事「検証―真実が明らかになった『東村山事件』」に対して、創価学会が「フォーラム21」編集発行人の乙骨と座談会発言者の矢野市議を名誉毀損で提訴した事件で、創価学会側が敗訴した事実を知っているか否かを質したところ、柳原氏は「知っている」と証言。

    柳原氏が朝木市議転落死事件に関して創価学会が敗訴した事実があることを知っているにもかかわらず、意図的に創価学会がすべて勝訴したと「陳述」していたことが明らかとなった。

     周知のように創価学会は、訴訟に関しては自らが勝訴した場合は機関紙誌で大々的に勝訴の事実を報じるが、敗訴した場合は敗訴の事実を隠蔽する。創価学会の区言論部長などを歴任し、創価学会文芸部に所属する柳原氏も、そうした創価学会のご都合主義的体質に染まっているようだ。

    「創価新報」において青年部最高幹部らは、インターネットの匿名性を利用しての創価学会批判を非難するが、自らの足下で、男子部の現役幹部それも総区の未来部長という少年・少女を指導する役目を持つ幹部が、「ネット上に悪意で、卑劣で陰湿なデマを流」していた事実をどう受けとめるか。厳しく反省すべきだろう。

    「ゴルゴとマリア」の閉鎖と柳原氏敗訴の事実は、創価学会ならびに創価学会関係者の、日蓮正宗をはじめとする創価学会に批判的な人物や団体に対する攻撃が、いかに謀略的で卑劣であるかを象徴的に示している、創価学会における「正義の言論」などというのは所詮は、この程度のものなのである。

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    2011年07月10日 10時42分52秒

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    池田大作「権力者」の構造

    第5章池田大作の独裁体制へ約束されていた成功生前、戸田は北海道に向かう飛行機の中で、「お前たちの孫の孫の代までの構想は教えてゆくからな」と、言ったとい

    第5章

     池田大作の独裁体制へ

     約束されていた成功

     生前、戸田は北海道に向かう飛行機の中で、「お前たちの孫の孫の代までの構想は教えてゆくからな」と、言ったという。戸田はそれを教えずに死んだのだろうが、会長についた池田としては、創価学会の構想をことあらためて教わるまでもなかった。池田は戸田が敷設したレールの上を、それまでの惰力を減殺することなく、走ればよかった。戸田亡き後の創価学会の成功は、池田の能力に大きく負うとしても、その成功は基本的には、最初から約束されていた。
     創価学会の政治進出や出版活動、寺院や会館の建設、文化面への進出など、すべての事業活動を可能にする根本は、多数の会員と、やむことのないその増加である。会員の増加が金を集め、販路を開き、人材を供給し、それらを通して、また会員を増加させる。会員が順調に増大しているかぎり、池田の企みはすべて成功し、その会長としての手腕は疑われようがない。
     会員の増加はすべてを可能にするが、重要なことは、それが創価学会の教義に内在化している点である。その意味では、創価学会の一定の成功は、なにも池田の優れた才幹にまつまでもなかった。
     創価学会員の信仰生活にふつう課されたのは、勤行と折伏、『聖教新聞』と『大百蓮華』の購読、座談会や講義への出席、大石寺への登山などだが、そのうち最重要視される任務は折伏であり、折伏が創価学会の自己増殖のメカニズムである。
    「今末法においては、日蓮大聖人の仏法たる三大秘法の御本尊を信じたてまつって、題目を唱え折伏行にいそしんでこそ絶対的な幸福境涯を会得し、成仏ができるのである。・・・・・自己の幸福のみを願って信心をしていけばよいというのは、真の仏弟子ではない。また、謗法の者を見ておいて折伏をしなければ、仏法中怨として無間地獄に落ちるのである。・・・・・
     折伏行に邁進するならば、不幸な人々を救う歓喜はもちろんのこと、折伏によって自己の生命力も強められ、永遠に崩れない歓喜にあふれた幸福境涯を建設することが出来るのである。しかも順縁広布の機は熟し、さらにわれわれは勇気をもって折伏に励むべきである。
     これこそが末法の信心であり、折伏なのである」(創価学会教学部遍『折伏教典』)
     いうまでもなく折伏とは会員の獲得、非信者の創価学会員化にほかならず、それは、怠れば無間地獄に落ちるとの威迫によって、ネズミ講と同じ仕組みである。会員は次々と被害者――折伏の責任を負わされるという被害者を作らねばならず、被害者さえ作れば、本人は被害者でなくなる以上に、「生命力も強められ、幸福境涯を建設すること」ができる。だが、ネズミ講では被害者二人を作れば事たりるが、創価学会はそれだけでは満足しない。
     このような折伏をもってすれば、創価学会の急伸も理の当然であり、それは会長の能力、資質、構想のいかんに左右されない原構造であった。
     さらに会員増を支えたものに、創価学会員になることの容易さがある。本尊を幸福製造機とあからさまにいうことに象徴される現世利益の賛美、奨励は、現在の主流の生活信条ともいうべき拝金主義、快楽主義の促進であり、会員はなんら自己変革を要求されることがないばかりか、それまでのためらいながらの欲望、利己心を、野放図に解放することができた。
     そこにあるのは出世主義や体制内での遊泳術、二十日鼠の勤勉主義、個人の損か得か、他人の蹴落としだけであり、社会という視点はまったく欠落する。
    「資本家というのは、働らけば働くほど自分の利益になります。労働者は、やはり時間だけ働いて、あとは帰ったほうが得で、おそくまで働いても、直接的には自分には利益はないと、いちおう、こういう立て分けができるのです。しかし、私どもは、いっさい働いたことが、ぜんぶ自分の功徳になるのだと決心するのです。また、事実そうなるのです。それが一念随喜なのです。われわれは資本家と労働者のどちらに味方するわけでもなく、両方ともひっくるめた立場でありますけれども、例として、資本家的な気持ちで、すなわち自分が働いたものが、ぜんぶ自分のためになるのだという信心でなくては損なのです」(池田『池田会長講演集』十一)
     これは労働の論理でなく、仕える論理であり、現代では失望と落胆、うまくいって抜け駆けとスト破りしか結果しないが、個人の利益に密着しているなりに理解しやすく、革新陣営の運動員になることに較べ、創価学会員になることを易しくしていた。
     会員の増加は池田の功績となり、池田体制の安泰を保ち、年と共にその権力をより強固にした。そしてさらに創価学会流の教義解釈が、その池田の地位を超絶性の高みにまで押し上げていた。
     その教義解釈とは仏教説話中の覚徳比丘と有徳王の話のあてはめであり、梗概は、――
     釈迦出現前に、正法を説く覚徳比丘という僧がいたが、邪法の僧に迫害された。時の国王・有徳はこれを聞いて駈けつけ、満身創痍となりながらも覚徳比丘を守った。この功により有徳王は阿閦仏の国に生まれかわって仏の第一の弟子、覚徳比丘は第二の弟子となった。両者の地位が逆転したわけで、のちの有徳王が釈迦、覚徳比丘が迦葉仏になった。
     ――というものである。
     池田はこの説話を自ら、創価学会会長と日蓮正宗法主の関係にあてはめた。
    「『正法を説ける覚徳比丘あり、その比丘を守る有徳王あり、この有徳王は邪宗教と戦闘して、全身に芥子ばかりも残らぬほどの傷を受け、最後まで戦いきった」という経文があります。いま創価学会の私どもは、日夜、朝な夕な、不幸の人々を救おうと折伏に励み、また教学に、座談会に、支部結成に、総本山を、日達猊下をお守り申し上げているその精神、その姿、その方程式こそ、有徳王の精神であり、姿であると私は信ずるのであります」(『聖教新聞』昭和36年5月6日)
     池田の話は一気にまくしたてた感じで、文の接続がおかしいが、これを整理していうなら、「覚徳比丘とは、末法今時よりこれを読めば日蓮大聖人の教えを堅く守るものであり、お山の代々の法主上人である。これを守る有徳王とは創価学会会長の立場である」(東京大学法華経研究会『日蓮正宗創価学会』)と、いうことになる。





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  • from: 22世紀さん

    2011年07月08日 23時54分50秒

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    池田大作「権力者」の構造

    参謀室長、情報部最高顧問・池田大作『聖教新聞』昭和29年元日号の名刺広告に、池田は男子部第一部隊長、教育参謀、文京支部長代理、教学部助教授、学会秘書と

    参謀室長、情報部最高顧問・池田大作

     『聖教新聞』昭和29年元日号の名刺広告に、池田は男子部第一部隊長、教育参謀、文京支部長代理、教学部助教授、学会秘書という五つの肩書を付している。これら多数の役職の兼務は池田にかぎらず、創価学会幹部の通例であり、それは多忙と、各部門の人員交錯により、分派の画策の防止をはかる戸田の人事管理術であった。
     この年から本部での個人面接は、各支部長と支部長待遇、地区部長が交替であたることになったが、池田は毎月第二週の木曜に担当することになった。
     同月、聖教新聞に社友、通信員制度がしかれ、池田も11名の社友の一人として、随時、同紙に執筆することに決まった。聖教新聞は石田の、かけがえのない存在意義を証するといった意味での牙城だったが、池田も同紙にかなりの影響力を行使することができたのである。
     3月30日、青年部は一支部に一部隊が設けられ、男女各15部隊に再編成された。これにより、青年部は戸田直属の親衛隊であるとともに、支部の折伏活動の機動力となることをも期待された。またそれまでの参謀部は新設の参謀室に解消され、池田は第一部隊長を解任されて参謀室長に、北条浩は主任参謀に、森田一哉、竜年光、山浦千鶴子、石田栄子、北条弘子、樋口トシ子は参謀に、それぞれ任命された。池田は旧男女部隊長の上に立ったことで、石田をのぞく有力な若手幹部のほとんどを自陣に引き入れる機会を持ったと見られる。
     この参謀室の性格は、池田の就任挨拶によれば、
    「参謀室の任務はあくまでも広宣流布成就の青年部の立法機関であり、15部隊は行政機関である、又参謀室は大本営であり、各部隊長は武将であり将軍である。新しき闘争は民衆を相手とするものであり広宣流布途上に起る大衆性の問題政治経済等あらゆる一切の源泉の命令は青年部より発せられる。その命令をば男子部直結に行動成就していく」(『聖教新聞』昭和29年4月11日)
     という青年部の中枢機関であって、参謀部が男子部長の下にあったのとは異なり、青年部直属に図示されている。
     同日、本部に情報部が設置され、部長に山浦千鶴子、同部の最高顧問に池田が任じられた。





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