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from: ハムスターさん
2011年09月20日 23時45分35秒
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モトちゃんさんへ
モトちゃんさん、背中の痛みは治られましたか?言いたいことがあれば書いてくださいね。それから、少し対話をしたいと思っています。決して急がないで下さいね。
モトちゃんさん、背中の痛みは治られましたか?
言いたいことがあれば書いてくださいね。
それから、少し対話をしたいと思っています。
決して急がないで下さいね。from: 銀河さん
2011年09月21日 02時24分34秒
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「ハムスターさんへ」ビックリしたよ。大分前だけどね、私に、池田氏の悪口ばかり書いても、貴方は、成仏出来ない。なんて、メール来て、日蓮正宗一日も早く、来
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from: 銀河さん
2011年09月28日 18時12分04秒
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玉置では無いけれど、一週間過ぎぶりの御無沙汰です
反創価学会私を含めファンの皆様、おしさしぶりです。又、心優しいハムスターさん、私の事心配して戴いた、正義顕揚さん、お世話になります。少しく作文を書きま
反創価学会私を含めファンの皆様、おしさしぶりです。又、心優しいハムスターさん、私の事心配して戴いた、正義顕揚さん、お世話になります。少しく作文を書きます。私は、皆様と、学会、又宗門の考えを異にして居る者ですから、変人に思える事、有りと、心得ております。皆様のコメント拝見し、此の人は、こう あの人は こうと
考える、私自身も変人かな、と思う事有り。私昭和36年学生時代当時は、白黒テレビ、ガチャガチャ、ダイヤル回して、チャンネル変える。それでも不便を感じない。10年ひと昔、学会に入って50年、窮子、信解品では無いけれど、50年の旅は、長すぎる、当時東京第一本部蒲田、日曜の度に、報恩抄の勉強だ、苦労したよ。渡辺城国、筆頭に、原島、森田、湊川、中村 たまに、OBの渋谷が顔を出す。此の内だけでも、三人脱落私の知る限り、
女性問題だ、先輩の皆さんの話を聞くと、大ちゃんの助平だとは初耳だ、あんな綺麗な奥さん居るのに大ちゃんの配下だから仕方無し。私の叔父貴など、意味は知らねど、大ちゃんの新弟子だって記別証明書みたいな賞状が有ったよ、当時俺にも一枚くれないかと思ったりしちゃた事も、有ったっけ。当の昔に叔父貴は亡くなった。私好きだったよ、今でも心にいる。叔父だ。
そんな事どうでもいいが、私の好きな21世紀さん・22世紀さん
鈴木二生さん、皆さんは私如きを、知るよしも無いが。私は、一度ぐらいと遠くでお会いしたと思う心大です。大ちゃんの写真等拝見し、こんな事もあったっけあんな事もあったっけ、そんな思いで懐かしく思います。大ちゃん、自業自得とは、いえ、今年いっぱいは持つだろう。そんな簡単には、死なせてくれないよ。今は只、死の恐怖に怯えて居るだろう三千羅列厳しきなりだね。本当は、コメントしたい事、咽から手が出る事有り、生意気云うが27品、安楽行品、絶対喋っはいけません。相手も、君も、罰受ける、困ったもんだ法華経も そうそう横浜の中山・常任参謀三品さん元気にしているか、鳴ず、飛ばずで少し寂しい、時々思い出す事有り、追、昔面白いのか゛居たよ、芸術部初代部長、確か、菅野とか云っていた。有る時、ガ二股で、聞いたらいぼ痔が、でかくなり、モトちゃん私は、題目で絶対直すと、私思ったねぇ、信心て凄いんだ、三か月後に股逢った、すっきりした顔で、あるきも軽く、すたすたと、私聞いたよ、良かったですねと、彼にっこり微笑み、病院で手術したと、こんなもんだよ凡夫だもの 又-
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from: 22世紀さん
2011年09月16日 18時26分54秒
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転載です
金と権力を生む宗教の本音、その3From:22世紀一方、学会本部、公明党関係の裏金ルートは、私が北条浩副会長のそばにいたおかげでそのほとんど全容を知る
金と権力を生む宗教の本音 、その3From: 22世紀
一方、学会本部、公明党関係の裏金ルートは、私が北条浩副会長のそばにいたおかげでそのほとんど全容を知ることができた。 中西治雄は、その後、私や原島嵩氏の造反(昭和五十五年頃)と時を同じくして池田大作との間が冷え、やがて一線から自ら身を引いた。その原因は、池田大作の命令で勝手に板本尊をつくらされた「ニセ本尊模刻事件」の実行者としての自分にいやけがさしたためと見られる。余談であるが、中西治雄が八王子の土地取引をめぐって業者から受取ったリベートを、池田大作が専用室にしまっていたところ、昭和五十二年、国会での追及をおそれて、全国一斉に専用室をとりこわした際、金庫ごと聖教新聞社地下倉庫に移した。これを、中西治雄が引退した後、何も知らない職員が〝粗大ゴミ〟として捨ててしまった。 平成元年六月三十日、横浜のゴミ捨て場から一億七千万円入りの金庫が捨てられているのが発見された事件のこれが真相である。 私は、写真で見た風呂敷のもように見覚えがあり、リベートを贈った業者に確認したところ、「金額も、風呂敷も、あの時のものだ」との回答を得ている。 この事件は、中西治雄が、外郭会社の利益をクスねて着服したものを金庫に入れたまま忘れていた、ということで、除名処分になってドロをかぶってフタをした。 その後、今日まで、中西治雄は沈黙をまもり、その代価として生活は保障されゴルフ三昧の優雅な生活を送っている。 星生務は、正本堂募金の処理をめぐってミソをつけたのがケチのつきはじめで、次第に会内での権勢を失い、今ではほとんど目立たない。
大蔵商事のしりぬぐいに正本堂御供養金
さて、大蔵商事の営業はどのようなものであったか。 話は少し先にとぶが、私は、昭和四十六年頃、大蔵商事の後身である「大同商事」の負債整理を、中西治雄らと共に行なった。 池田大作は、創価学会三代会長に就任した後、和泉覚、星生務、中西治雄らを引きつれて創価学会本部に乗り込んだ。そして、大蔵商事とは絶縁する。〝二度と汚い仕事などするものか〟 残された大蔵商事は、森重紀美子と、その甥である森重章が経営するところとなり、創価学会とは切り離される。だが、昭和四十年代の初めには、脱税で国税局の手入れを受け、ダメージを受けたばかりか、経営の基盤であった創価学会から切られたため、次第に営業不振に陥り、多大な負債をかかえて、森重章は、池田大作に泣きついた。それは、 「大同商事(大蔵商事)が倒産したら、古くからの債権者(学会員もかなり残ったいた)がさわぎ、池田先生の名前も出て創価学会にも迷惑がかかるでしょう」 という、〝どうなっても知りませんよ〟といわんばかりの投げ出し方であった。 池田大作の指示で、森重紀美子に連絡が行ったが、 「まことにすみません。御迷惑をおかけしますが、よろしく」 と逆にゲタをあずけられる始末。 森重紀美子の一人息子光生は、「和光商事」という会社の社長であったが、これは、聖教新聞社の用紙を一手に扱う会社で、すべての製紙会社がこの会社をとおして創価学会関係の紙を納入する〝利権会社〟であり、莫大な利益を保証されていた。これは、池田大作が、大蔵商事時代、自分をひいきしてくれ、今日の地位をきずかせてくれた森重紀美子に対する感謝のプレゼントであった。 戸田城聖の本妻、幾子に対しては、死後、ただちにトラック二台で邸に乗り込み、戸田城聖の遺品と称して目ぼしいものをすべて引き上げる、という非情な仕打ちをした池田大作が、森重紀美子には、惜しげもなく創価学会の利益の分け前を終生与えつづけた。この〝アメ〟と〝ムチ〟のつかい分けのきびしさは、池田大作の人心掌らん術の特徴である。
池田大作は、 「これだけ利益を分けてやっているのだから、大同商事のあと始末くらい自分でしたらどうか」 と言いたかったのだが、あにはからんや、森重光生は、〝銀座の帝王〟と呼ばれた遊とう児で、あらんかぎりの金を、女遊びにつぎ込み、和光商事には一文のたくわえもなかった。 あきれ、怒った池田大作ではあったが、背に腹はかえられず、私達に善処を命じる他なかった。 私は、森重章らに会って、会社の実情調査を行なった。 森重章は、自らの放漫経営はたなに上げて、 「私は、池田先生らがおいしいところを全部吸って行なったカスの会社を引き受けさせられたんです。当時からの貸金のコゲ付きもまだ残っているし、それに、学会は、その後全く面倒を見てくれないばかりか、有力な出資者に手を引くようにしむけたんです。」 と、うらみつらみを述べ立てた。 創価学会の発展とタイアップして伸び、維持されて来た会社だけに、創価学会と切り離されたことが致命傷になったことは当然である。だが、森重章らは、それにもかかわらず放漫経営と浪費を続けた。 「母が、池田大作のめんどうを見、引きたてたおかげで池田大作は会長になれた。学会が森重一族の面倒を見るのは当たり前だ」 という態度を露骨に見せながら、森重章は大蔵商事以来の由来と経営の実態を私に話した。
大同商事は、信じられないほどの巨額の負債をかかえ、その債権者の多くは学会員であった。また、池田大作や中西治雄が開拓した出資先も多くのこっていた。 しょせん、創価学会に寄生していたにすぎない会社が、寄生主である創価学会から切り離されて生きていけるわけがないのである。森重一族は、大同商事を投げ出し、創価学会にゲタを預ける気でいたから、どうしようもない。 私は、部下の弁護士とともに、大同商事の整理を行ない、再生させる作業にとりかかった。社名を「日章」に変更し、社長や役員も、創価学会青年部にとりかえた。監査役には、私の部下の弁護士が入った。 肝心の〝負債の穴うめ〟は、中西治雄の仕事であった。
中西治雄は、その財源をまず「正本堂御供養金」にもとめ、続いて学会本部に求め、更に日蓮正宗に求めた。
一、正本堂、及び同建立事業にともなう末寺建設の際の、〝災害保険〟をすべて「日章」の扱いとし、手数料収入あげる。
二、創価学会関係の施設の災害保険を一手に扱わせ、手数料収入をあげる。 三、正本堂建立にともなう記念品やグッズ、本山売店での販売品、創価学会の使う物品の納入を「日章」経由で行なう。
四、会員用の物品をとり扱わせる。
こうした方法で、中西治雄氏は、「日章」となった大蔵商事の赤字の穴うめをした。その金は、先述のとおり、正本堂募金(三百五十五億円)日蓮正宗、そして創価学会から支出され、或いは会員のフトコロから出た。
結局のところすべて学会員の負担で行なったのである。 これらは、すべて、池田大作の決裁と指示で行なわれた。 社長会記録には次のような記述がある。
「(念珠)一手に買い取り、卸せば良い。もう内の人達が使うもので、外郭に儲けさせる事はない。線香もローソクも東洋精光でやんなさい。正本堂のみやげものも作れ、とにかく作るものは全部東洋にやらせる」(第24回)
「一連50円の儲けとしても、10年間に1、000万本としても5億だ。年間5、000万だ、大きいよ」(第29回)
「北海道 絵はがき6万売った。うまいことをした。来年は栞を5枚一組で50円位で売る」(第47回)
「杉本君(栄光建設=注)の方はどうだ。東海研修所、小さいがやんなさい」(第48回)
「白糸の近所、5、000坪のものを建てる、それも栄光でやれ」(同)
「(本山バザール)1、900万売り上げるか、それはいい。しっかりやれ」(第51回)
金に関することは、こうした細かいことまで、池田大作は自ら指図していたことを証明する記録である。 正本堂が落成した昭和四十七年頃学会員であった人達は、〝記念〟にもらったり本山売店で買ったりした〝金盃〟(もちろんメッキである)などのグッズを覚えている人も多いだろう。その代金の何割かは、大蔵商事の赤字の穴うめに使われたのである。 現在も、「日章」は、東京都千代田区富士見二ノ三のビルの二階に本社がある。社長の佐藤武一は、創価学会の古参幹部である。取締役には、森重紀美子の一人息子、光生の妻裕子の名がまだ残っている。これは、光生の死後、その遺族を池田大作が面倒を見ているのである。監査役には福島啓充弁護士がずっと務めている。法学委員会出身で、数年検事をつとめたあと弁護士になり「日章」の整理を担当した。現在創価学会副会長であり、創価学会の訴訟事件の多くの主任弁護士を務める。
創価学会系総合雑誌「潮」には、次のような広告を出している。 平成七年十二月四日、参議院宗教法人等に関する特別委員会に秋谷栄之助が参考人として呼ばれたとき、共産党の橋本敦議員は、創価学会施設に関する損害保険契約をエサに保険会社に対し、公明党への選挙協力を強要していることについて、 「明らかに公選法違反の利益誘導罪が、特定の創価学会の巨大な財産の保険契約との関係、その特別の利害関係を通じての誘導行為に当たるということで、これは公選法違反の利益誘導罪に当たるということは、私は間違いない事案だと確信して話をしているんですよ。
それでもう一つ、秋谷さん、重大な問題は、この問題の基礎になっている境内建物、礼拝所、その他創価学会の資産は、これは非課税の資金で蓄積された大事な資産でしょう。そして、礼拝所は固定資産税非課税の建物でしょう。二重に非課税の建物が、創価学会のこの利益誘導によって特定政党支持活動の公選法違反の犯罪のまさにその母体になっていることは、これは社会的に重大な問題じゃありませんか。こういう問題について率直にあなたは反省されないのかどうか。まさに創価学会の責任者として徹底的に調べなさいよ。徹底的に調べて国会に報告する、それぐらいのことはしなさいよ。どうですか。」と追及した。(議事録引用) これらの保険契約も、日章をとおして行なわれている。
平成六年十一月二十五日号「週刊ポスト」で、「長期総合保険をめぐって学会及び聖教新聞社と東京海上の間で交わされている十億二千九百六十二万六千九十円の保険の不正契約の一件」がスクープされているが、同契約の取扱代理店はすべて「日章」である。「日章」は、二千五百万円の手数料をかせいでいる。(野田常雄氏著「池田大作の金脈」より) 大蔵商事、大同商事、日章と、社名を転々と変えながら、池田大作の「葉っぱをお札にかえる工房」である会社は、ひっそりと創価学会への寄生をつづけているのである。それは、表立って「関連企業」と名乗ることを許されず、日陰でつながっていて、あたかも、かつての主宰者であった戸田城聖の愛人、森重紀美子さんの立場を象徴するようでもある。
池田大作は、後に、熱海の東海研修道場の庭園で、一ぱしの俳人気取りで私に言った。 「どうだ。萩の花は風情があるだろう。どこか、さみしげで、萩は、二号さんの花だな。私は萩が好きなんだよ。」 好きなのも当然だろう。 池田大作は、戸田城聖の二号さんに「お母さんお母さん」とオベッカをつかい、引立ててもらったおかげで、創価学会会長への足場を固めることが出来たのだから。 池田大作が、後日 「戸田先生は、何で私に金貸しのような汚い仕事をさせたのか……」 と怨みつづけるほど汚い仕事をつづけた舞台の大蔵商事―今日の「日章」を、池田大作はしかし切りすてることはできない。日陰で、養い続けなくてはならない。 池田大作にとって、創価学会が本妻なら、大蔵商事―日章は、正に二号にあたるといえよう。 要するに、創価学会からうまい汁を吸う会社を切りはなしたが、結局、元のように寄生状態にもどしただけである。 -
from: 22世紀さん
2011年09月24日 19時22分05秒
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池田大作「権力者」の構造
折伏のための下工作機関としての民音昭和38年5月には、アジア文化研究所が設置された。同研究所は東京の東洋学術研究所に対するものとして京都に置かれ、翌3
折伏のための下工作機関としての民音
昭和38年5月には、アジア文化研究所が設置された。同研究所は東京の東洋学術研究所に対するものとして京都
に置かれ、翌39年5月に季刊雑誌『アジア文化』を創刊している。同誌はのちに東洋哲学研究所のアジア文化編集部
から出されたが、51年3月、12巻4号で休刊している。
38年9月には民音(民主音楽協会)が労音に対抗して設立され、本部を新宿区信濃町の聖教新聞社内に置いた。
民音は一般国民の創価学会支持の獲得を狙って設けられ、組織論的には折伏のための「下種」つ゛くり(下工作)機関
と位置つ゛けられよう。
『聖教新聞』(昭和41年7月2日)は「民音に参加しよう」という社説を掲げ、その面でのいきとどいた注意を会員に与え
ている。
「・・・・・学会員でない人々を、民音に参加するよう勧めることも、また明るい健康な文化社会の建設に努力する学会に
対する理解を深めていくひとつの要因になる。・・・・・ただ注意しなくてはならないのは、(民音の)演奏会終了後、帰り
道などで性急に折伏を行うことである。・・・・・折伏するなら、また別の機会に、あらためて行なうのが、ふつうの場合は
正しい行き方であろう」(清水、前掲論文から引用)
民音は40年1月、財団法人に許可され、専務理事・秋谷栄之助の下で活動領域を拡大した。同年5月には民音アワ
ーの放送を開始し、10月には会員78万人と発表し、43年10月には民音プロダクションを創設している。また民音の
類似機関として39年6月に、民演(民主演劇協会)が設立されている。昭和56年現在、民音の代表理事は姉小路公経
、専任理事は吉田要、理事に宮川〓也らがおり、年会費200円を納めている賛助会員145万名、職員190名という。
月刊で『みんおん』を刊行している。民音の入場券押しつけは名高く、一方的に各ブロックごとに券を送りつける時期も
あった。
39年2月には、アジア民族協会が発足した。アジア問題、ことに文化交流を目的とする機関で、45年5月から季刊の
機関誌『民族文化』を編集、日蓮正宗国際センター(理事は和泉覚、滝本安規)から刊行していたが、53年冬14巻3号
で廃刊となった。なお昭和56年現在、日蓮正宗国際センターからは海外会員向けの英字機関誌『SEIKYO TIMES』
(月刊、昭和37年3月創刊、公称5万部、編集長・松田友宏)が刊行されている。アジア民族協会の一時期の理事は
中尾辰義、鈴木一弘、渡部城克、黒柳明、山崎尚見の5名であり、創価学会の政治進出の進捗に対応するアジア政策
面での下部機構であった。
またこの39年には、東西哲学書院が資本金100万円で設立されている。同社の役員は篠原善太郎、中西治雄、星
生務ら創価学会幹部がつとめ、その事業目的には、潮出版社と同様、軽食、喫茶、保険代理業、文房具、化粧品、タ
バコの販売、美術品即売会、貸画廊までをも掲げている。『牧口常三郎全集』などを出版し、54年には4億7,500万
円の利益をあげたという。
社長は創立以来、池田『人間革命』のゴースト・ライターといわれる篠原善太郎で、昭和56年現在の資本金は5,062
万円、東京・信濃町の本部近くに書店「博文堂」、レストラン「ハクブン」「ニューハクブン」、青山に寿司「満月」、大阪・
都島に「オーサカ」などを経営している。
40年10月、創価学会は政治資金300万円を出資して財団法人公明協会(41年2月認可)を設立した。同協会は
公明党の財産管理部といった役割をにない、その事務所は公明党と同様、新宿区南元町の公明会館に置かれ、代表
は公明党書記長・矢野絢也、役員には石田幸四郎、吉田顕之助、阿部憲一、小平芳平ら、創価学会=公明党の大幹部
が連なっていた。
公明党は創設から44年6月までに公明協会の収入の9割強、4億円を出して同協会に公明党のための土地、建物の
取得、車の購入等にあたらせた。公明協会は43年中に車両運搬費9,800万円を支出したが、そのうち8,600万円
を千代田区美土代町の阿部商会一社に集中支出したという(「黒い〝鶴〟のタブー」44)。
阿部商会は資本金4,179万円の株式会社で、自動車タイヤ、チューブ、部分品、計量器の販売を目的とし、代表取締役
は阿部文治、取締役の一人に小宮開造がいる。小宮は養子にいった池田の実兄である。
また公明協会は年々財政規模を拡大し、45年下半期の収入は3億2,897万円、支出は2億365万円にのぼった。
が、47年1月、品川区上大崎に事務所を移し、48年千里ニュータウンでの土地問題の証拠隠滅のため解散した。
41年7月には、男子部の機関誌『青年ジャーナル』、女子部の『華陽ジャーナル』がそれぞれ刊行されている。
創価学会文化局は39年5月の公明党結党、衆議院進出の決定と同時に、その政治部を解消していたが、42年5月、
池田の会長就任7周年目に、新たに理論部を設置し、さらに衆議院活動のための理論的準備を急いだ。
理論部は第1部から第8部に分かれ、それぞれ創価学会=公明党大幹部の主任が置かれて次の名称を付された。
①東西哲学研究会 ②現代思想会議 ③政治刷新懇話会 ④中道政治研究会 ⑤福祉経済研究会 ⑥現代マスコミ
研究会 ⑦近代マスコミ同志会 ⑧パールペンクラブ
これらは『聖教新聞』『公明新聞』に時に論文を発表しているが、中でも主任・秋谷栄之助の現代マスコミ研究会が最も
活動的で、44年5月には聖教新聞論説副主幹・岡安博司との共同編著で『創価学会と公明党』を総合ジャーナル社から
刊行している。総合ジャーナル社は41年11月に創刊された文化部の機関誌『文化創造』の発行元でもあるが、昭和
56年現在は休業状態とみられる。
またこの年11月に、池田は総評、同盟に対抗する公明党の支持労働団体・民労(日本民主労働協議会)の創設を
提唱した。が、労働界の反撃と、公明党の社会、民社両党との共闘関係により、いまだ提唱だけに終わっている。 -
from: 22世紀さん
2011年09月22日 00時53分29秒
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from: 22世紀さん
2011年09月18日 12時38分09秒
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池田大作「権力者」の構造
知的アクセサリーとしての文化機関一月に設立された東洋学術研究所は昭和40年12月に財団法人東洋哲学研究所と改組され、『東洋学術研究』(年二回刊)という
知的アクセサリーとしての文化機関
一月に設立された東洋学術研究所は昭和40年12月に財団法人東洋哲学研究所と改組され、『東洋学術研究』
(年二回刊)という雑誌を出している。一時期、代表理事は篠原誠、理事は多田省吾、原島崇らであったが、昭和
56年現在の理事長兼出版代表は後藤隆一、編集代表・穂坂幹夫である。1億7,600万円の資産を持つ。
同研究所は創価学会系「研究所」のはしりで、その後、創価学会は現代宗教研究所、現代仏教研究所、新社会科学
研究所、現代思想研究所、東洋思想研究所など、多数の機関を設置している。それらは創価学会理論の構築、豊富
化を意図するものだったが、見るべき成果をあげられなくとも、いかめしい名称を付された存在それ自体が、創価学会
の知的アクセサリーになるという仕掛けを持っていた。
また、その一つである現代政治研究所は、公明協会(後出)所有の元赤坂のマンションに事務所を置き、月刊誌『現
代政治』を刊行していた(昭和45年6月、28号で廃刊)。同誌は『公明』と『潮』の中間をいく創価学会の政治理論誌で
43年3月に創刊、会員外には無料で配布され、公明党が資料研究費名目で年間(43年3月ー44年3月)1,100万円
を同研究所に支出していたという(「黒い〝鶴〟のタブー」36)。
同誌の執筆者の多くは一般新聞の論説委員、政治部記者、学者だった。
「この『現代政治』の執筆者を見て感じられることは、8割までが各新聞社の論説委員クラスの人たちであるということ
である。このことは、これまで新聞が極力創価学会・公明党についてふれることを避け、批判らしい批判をしなかった
事実を考え合わせると、そこに『なにか』を感ぜずにはいられない」(上条、前掲論文)
9月に創刊された『公明』は公明党機関紙局から発行されている月刊政治理論誌で、編集長は市川雄一、昭和56年
現在、7万部を刊行している。公明党からは『公明新聞』(日刊、37年4月創刊、公称85万部、代表・市川雄一)、『公
明新聞・日曜版』(44年10月創刊、公称140万部)、『公明』のほか、党内部向けの『公明月報』、『公明グラフ』(35万
部)、『公明写真ニュース』等が刊行されている。
『灯台』は一般主婦と教師を読者対象とした月刊雑誌で、はじめの発行元は灯台刊行会、昭和56年現在、前述のよ
うに第三文明社から刊行されている。
『言論』は当初言論部の月刊機関誌で、39年末、公明党の発足とともに、同党への支援を目的に自由言論社から旬
刊誌に衣替えし、40年なかばに、週刊にかわって『週刊言論』となった。池田の「若き日の日記から」を連載し、その後
発行元が潮出版社に移り、前述のように47年に421号で休刊した。
またこの年37年3月には鳳書院が資本金100万円で設立されている。同社は秋谷城永『創価学会の理念と実践』、
小平芳平『創価学会』を出版し、その歴代の役員には北条浩、秋谷栄之助(城永)、多田省吾、青木享、小島重正など
の創価学会大幹部がついていたが、昭和56年現在、休眠状態とみられる。
昭和56年現在の資本金は1億8,000万円、事業目的には書籍、雑誌の出版販売の他、喫茶店経営、玩具・古物
の仕入れ販売が掲げられ、また一時期不動産売買も手がけていたという。
池田はこうした多面的な出版活動について、「共産主義者は、ソビエトで、何よりも先に印刷工場をつくった、と聞いて
います。そうすることが革命への方程式だとも聞いています。広宣流布という大事業をやろうとした場合、われわれも
当然出版に力を入れなければならない。それを実行しているだけです」といっており(央忠邦『日本の潮流』)、喩が大き
すぎるきらいはあるにしても、心情的にはそのようなものだろう。が、出版社経営を含む出版活動には、別に、大幹部
の収入の途を講ずるといった面があったのではないか。現に池田自身の基本収入は印税のほか、聖教新聞社主とし
ての手当である。読書人口とはいえない階層も信心の付加によって組織されると、たちどころに良質の購買者となり、
創価学会とその大幹部たちの経済を悠揚迫らざるものにしていた。-
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銀河、
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from: 銀河さん
2011年09月12日 13時09分03秒
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私は、 反創価学会では無いのです。
私は、世間でいう。学会の中堅幹部です。組織に有っては、流れに沿って伝言する、いわば、伝書鳩のようなものです。学会の下部役職委員、通称B長、から、池田大
私は、世間でいう。学会の中堅幹部です。組織に有っては、流れに沿って伝言する、いわば、伝書鳩のようなものです。学会の下部役職委員、通称B長、から、池田大作以外全ての役員、メッセンジャーです。只今までは、どう方針を、決めるのか、当然の事ながら、池田大作に配慮し、報告して、長い池田大作との、付き合いで、こうすれば、大作は、納得する事、全て知っての上で、大作のカーボンコピーに、他ならないのです。聖教新聞ゲラ刷りあがれば、大作にOK出たなら、印刷へ、こんなもんです。ですから、組織自体が池田の思うつぼ、皆さんは、皆さんは、何か勘違いをしている様に思います。池田の事を独裁者だとか、日蓮正宗に立を付くだとか、全て皆さんの見当違い、私大作の正体教えましょう。彼は彼の役目を真剣に果たしているだけの事です。皆さんは御本尊、カット、心の目見開いて、心で見て欲しい。我ら唱える衆生は、迷える凡夫、御本尊は、悟る仏界、全てⅠ文字も残さず、佛の生命誰のって、貴方の事です。謎を解いて下さい。仏とは、何、悟る生命、貴方生命有りますか。生きているんだ、在るに決まっているさ。誰が生きて居るんですか、俺だよ、正解、俺と思う心此の事を、釈迦も大聖人も、観心させたかったのです。しかし凡夫は、迷いそこに気が付きません。
御本尊、地獄の提婆文字として、したためる、其の実態は苦しみの世界、しかし提婆悟って、記別を受ける提婆達多品に天王如来と、提婆変じて天界と、全て御本尊一言一句、この法理、如何なる苦しみも露と消え、心証を観じざれば無益成り、生意気云いました。池田大作語りましょう。この法理で、彼は、仏との戦い真剣に挑んでいる。大六天、天魔破旬、何としても学会員を、御本尊から、離さ無ければ、広宣流布などさせて成るものか、此れが私の受けた法理です。法華講の皆様には、大六天出現しなくて、いいですねぇ。学会員は、此れから勝負、池田が、第六天と知った時、此の何十年は何だったんだと、供養の金は、億近い、動執生疑起こるでしょう。日顕の馬鹿云ってた通り、自殺在るのが、当たり前、苦しくて、どうしていいか、解らない。私も幹部の端くれだが、今の学会員に、池田の池の字でも呼びつけにしたら、袋叩きです。しかし、どんなに苦しくても、此れを乗り越えなければ、成仏は、出来ないのです。法華講の皆さんは、池田大作の悪口云い罵れば勝てると、羨ましい限りです。貴方の御本尊に、天魔破旬が、ないのなら、学会員に分けて下さい。皆さんが好きな言葉、偽本尊、其の偽物の御本尊にも天魔破旬がしたためて有る。他化自在天、凡夫を仏に、そうはさせじと私の心に働き、いや全ての、学会員の一念心、難しい論法では無いはず。貴方が思う。腹が減れば飯食いたい。女性を見れば、お友達に成りたいわ。此れ全て一念の心飯を食いたい、女性友達に、心同時に出てこない、此の思って出る心考えを一念と云う、故に二念などなし、まして三念など有るはずも無し。週刊誌、法華講、幾ら騒いでも学会員には、蛙に小便、自分で気が付くしか無いのです生命は、こんな現象起こるとは、広宣流布も、はなはだ、近きに来たれりですかねえ。故に本山僧侶も、法華講、創価学会員信徒、も撰時抄、過渡期に来たと心得るのが得策か、学会の側近の幹部よ、未だ大作が生きながらえているから、苦しみも薄いと思う。お前らが、先生などと、話したところで、女性は法に生きるから真に受けるかもしれないが、男は妙だも貴さまらの話など、誰も信じていないのだ。大作死んで、慌てるよりも、早く毎日でも無い頭突き合わせ、池田色を払しょくしなさい。急に死んだなんて云うと男は、平気でも女性は、君達を恨むよ。早く教えてくれたなら、師匠の病気願えたと、元気元気と叫んでいると、取り返し付かなくなる事心しているのか、又今年-
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正義顕揚、
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from: 22世紀さん
2011年09月13日 01時08分21秒
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創価学会激震!
反学会に転じた池田名誉会長の「金庫番」「彼は池田大作・創価学会名誉会長の最側近で、私生活も含め、池田氏のカネや身の回りの世話をする秘書役でした。それだ
反学会に転じた
池田名誉会長の「金庫番」
「彼は池田大作・創価学会名誉会長の最側近で、私生活も含め、池田氏のカネや身の回りの世話をする
秘書役でした。それだけに、彼が知っていることをすべて話せば池田氏や創価学会にとって大ダメージに
なるのは間違いありません」(ジャーナリスト・乙骨正生氏)
埼玉・所沢市にある「能安寺」という寺の機関紙(9月1日付)に書かれたコラムが、創価学会関係者の間
で大きな話題を集めている。「ある学会幹部の入溝」と題したコラムの内容は、聖教新聞社専務理事などを
歴任した中西治雄氏が今年7月、学会と対立関係にある日蓮正宗(以下、宗門)の信徒になったというもの。
中西氏は、池田氏が会長に就任(1960年)する前の1950年代から側近として仕え、一時は「影の会長」
「池田氏の金庫番」と呼ばれていた人物である。
裏方として、池田氏を公私にわたって支えていた中西氏だが、一度だけ表舞台に立ったことがあった。
それが1989年6月に起きた「捨て金庫事件」だ。横浜市のゴミ処分場で、現金1億7,000万円が入った
金庫が見つかり、捜査の結果、金庫は聖教新聞社からゴミとして出されたものと判明。世間では「学会の裏
金ではないか」と囁かれた。このとき、「20年以上前に、自分が学会内で不正に蓄財したカネで、その存在
を忘れているうちに誤って捨てられた」と名乗り出たのが中西氏だった。「当時、中西氏は会見を開きました
が、説明はしどろもどろ。約2億円もの大金の存在を忘れていたというのに、自宅を担保に350万円を借金
していたことも判明した。あまりに不自然で、学会内部でも『中西氏が池田氏と学会のために泥を被った』と
いう見方をする者は少なくなかった」(元創価学会幹部)
以来、学会の役職から身を引き20年以上、一学会員として沈黙を守ったが、ここへ来て対立する宗門側
への転身。本誌が都内にある自宅を訪ねたが、中西氏は、「その件については、どなたにもお話ししないこ
とにしています」
と語るだけだった。
昨年6月以降、公の場に姿を見せず重病説も流れる池田氏。新たな心労が加わったことだけは間違いな
い。(週刊現代2011、9、24/10、1)
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from: 22世紀さん
2011年09月12日 09時40分40秒
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池田大作「権力者」の構造
文化活動の強化池田の会長就任時、創価学会の定期刊行物としては、『大百蓮華』『聖教新聞』『聖教グラフ』の三紙誌を数えるのみであった。これらはいずれも会員
文化活動の強化
池田の会長就任時、創価学会の定期刊行物としては、『大百蓮華』『聖教新聞』『聖教グラフ』の三紙誌を数える
のみであった。
これらはいずれも会員を対象にしたもので、創価学会独自の販売店を通して会員に売り捌かれた。一般の定期
紙誌とは異なり、営業面での危険性は少なく、利潤はきわめて大きく、また安定していたが、購読者数の増加を
会員増だけに仰ぐという閉鎖的な、内部結束用の刊行物であった。
一応、これらの概況を述べておこう。
『大百蓮華』は月刊誌で、昭和24年7月に創刊された。聖教新聞社の発行で、教学部研究室長・原島崇が54年
8月に除名された後、同年8月号から編集兼発行人は桐村泰次。内容は同会の教義理論誌といったところで、
55年1月現在の公称発行部数は244万部であり、その部数は実質的な創価学会員数をつかむ有力な目安の
一つである。
『聖教新聞』は同会の日刊機関紙で、昭和26年4月に創刊された。はじめ旬刊で発足したが、28年9月に週刊、
40年7月に現在の日刊紙に移った。発行元は聖教新聞社。55年時の公称発行部数は454万部で、広告料も三大
紙並みという。
昭和56年現在、聖教新聞社の代表は秋谷栄之助、出版代表・山崎良輔、編集代表・松岡資、営業代表・横松昭
である。従業員は1,300人だが、一時期、創価学会の外郭団体である「21世紀研究会」「近代マスコミ同志会」
「現代マスコミ研究会」「近代思想研究会」「東洋思想研究会」等が取材陣をカバーしたという(浅野秀満『あすの創
価学会』)。
『聖教グラフ』も同社の刊行物で、池田の創価学会総務時代、34年1月に創刊された。当初の年刊から、その後
季刊、月刊と変わり、37年3月に現在の週刊となった。聖教新聞の写真版といった内容で、55年時の公称部数は
109万部、編集長は乙成宣昌である。
なお聖教新聞社は池田の『立正安国論講義』などの講義ものや『人間革命』既刊十巻、創価学会教学部編『創価
学会入門』など、会員に教科書、参考書として読まれる単行本、46年からは聖教文庫なども刊行している。
以上の三紙誌がすべて会内コミュニケーション用だったのに対し、池田による文化面への進出は、会外部に向け
ての宣伝に重きが置かれ、その統括には36年5月に設立された、前述の文化局があたった。
文化活動という語は曖昧だが、創価学会においては、「広宣流布は文化活動である」(『聖教新聞』昭和36年5月
13日)と、広汎に定義され、具体的には政治、経済、教育、言論、学芸等に関する、同会のセクションと、公明党を
筆頭とする外郭団体の活動、それらにともなう出版活動を意味した。
清水雅人は、創価学会が「広宣流布は文化活動である」という以上、文化局の活動は、さまざまの名称で呼ばれた
ところで、結局、間接的な折伏、間接布教にほかならなかったと指摘している(清水「創価学会文化局」、『中央公論』
昭和46年7月特別号)。
池田の文化面への進出には、かつて選挙運動を文化運動と称したと同じ思想がより巧妙な形で貫かれていたわけ
であり、その目的とするところは、贅沢な資金を新事業に振り向けてさらに増収をはかるという営業的な側面、現代風
な組織や刊行物による、創価学会の知的デコレーション――イメージ・アップ策、間接侵略風の思想工作、の三つが
あったとみられる。
池田の最初の文化面へのスタートは昭和35年6月創刊の『潮』できられた。同誌は当初、青年部の機関誌で、市販
されなかったが、38年4月から、現在の創価学会臭をほとんど感じさせない月刊総合雑誌へと編集方針を転換した。
『潮』は創価学会の「一般への窓」(央忠邦)の最たるもので、上条末夫はその機能を、「第一は、文化人の〝撫徇
工作〟であり、第二には一般人の〝懐柔工作〟である」(上条「創価学会の〝文化人工作〟」、『改革者』昭和45年
3月号)と評している。執筆場所の提供や高額な謝礼によって、大学教授や文化人に関係をつけ、また心理的な負い
目を負わせて彼らを自陣、もしくは中立に立たせ、さらに購読者に対しては、著名な文化人の執筆論文で釣り、創価
学会アレルギーを解消するという戦術である。
昭和56年現在の発行部数は32万部といわれ、発行は潮出版社(42年12月設立、資本金1,600万円、従業員
86人)が行っている。同社は一時期、『週刊言論』(公称50万部)、季刊雑誌『日本の将来』を発行していたが、『週刊
言論』『日本の将来』とも47年11月で休刊している。潮新書、潮文庫などを持ち、44年には2億169万円の利益
(税務申告)をあげている。
代表取締役は旧華族の島津矩人、取締役に創価学会総務の池田克也(編集局長兼任)、八矢洋一、他に公明党
国会議員の黒柳明、渡部通子も取締役だったが、言論抑圧問題の最中、45年3月11日に、同年1月5日付の辞任の
登記をしているという(「黒い〝鶴〟のタブー」25、『赤旗』昭和45年4月8日)。
昭和56年現在の社長は富岡勇吉、編集代表志村栄一であり、「ヤングミセスの生活全般にわたる実用実利を追求
する」と銘打つ『婦人と暮し』(月刊、48年4月創刊、公称52万部、編集長・鈴木征四郎)、少年漫画誌『少年ワールド』
(月刊、53年7月創刊、公称30万部、編集長・門脇良充)、『別冊少年ワールド』なども刊行するようになった。
また同社の設立目的には、雑誌、書籍、レコードの出版、販売のほかに保険代理業、不動産の売買、仲介、賃貸し、
植木の栽培、通信教育、講演会の開催等が掲げられている。保険代理業や不動産業は戸田以来の創価学会系企業
の伝統である。
『潮』以外にも35年には創価学会学生部の機関誌『第三文明』が創刊されている。同誌は創価学会教義の応用誌と
いった性格をもち、のちに第三文明社の刊行になる。同社は以前、公明協会の所有するマンションに事務所を構えて
いた創価学会系の出版社である。創立は昭和44年7月、資本金1,800万円で従業員30名。社長は栗生一郎、編集
代表・狩野良平という構成であり、月刊誌の『第三文明』(公称18万3,000部、編集長・佐々木利明)のほか、月刊の
教育研究雑誌『灯台』(37年創刊、公称26万5,000部)、レグルス文庫などを刊行している。なお同社は、今では山
崎師団の現場指揮官・広野輝雄、北林芳典などが一時期、在籍したことで知られている。
また学生部は38年10月に『学園ジャーナル』を発刊し、さらに週刊機関誌『大学新報』公称15万部を大学新報刊行
会から発行している。
36年は文化局とその下部機構の設置に費やされ、翌37年に創価学会は具体的な文化活動に入った。この年は文
化面での全面進出への転換点ともいうべき多彩さで、おもな事項を拾っただけでも、次のように活発である。
1月27日 東洋学術研究所設置
4月2日 『公明新聞』発行
8月4日 富士吹奏楽団結成
8月21日 広報局に映画部設置
9月13日 『公明』発刊
9月18日 教育部機関誌『灯台』発刊
11月1日 言論部『言論』発刊-
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from: 正義顕揚さん
2011年09月11日 01時51分56秒
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モトちゃんさん!
こちらにも参加されたのですね。書き込みを拝見した所、70代との事ですが、それなら創価学会が起こした昭和52年路線と平成2年の問題をご存知でしょう。創価
こちらにも参加されたのですね。
書き込みを拝見した所、70代との事ですが、それなら創価学会が起こした昭和52年路線と平成2年の問題をご存知でしょう。創価学会の破門は2つの問題が原因です。
池田大作を信じない、日蓮正宗の御法主も信じず何を信じているのしょう。-
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from: 正義顕揚さん
2011年09月29日 20時52分29秒
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「Re:モトちゃんさんへ」モトちゃん、暫くです!腰が痛いとの事ですが、大事にしてください。年月と共に軟膏が縮み身体も硬くなりますし、体力も衰えてきます