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from: 弾き語りストさん
2025年01月17日 12時52分23秒
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変わらないものと変わってしまったものと変わらなくてはならないもの
🌟弾き語りストです。
早口言葉のようなタイトルでしたね。
まぁ、字面通りのことでして。
ここ数年で、変わってしまったこと、相変わらず変化のないこと、老い先短くても、変わる方がいいこと、ツラツラ考えました。
2023年10月に受けた手術が元で、左眼失明。
片メクラのハンディーキャッパーとして生きることが始まった。
それはそれで不幸だし、激変ともいえる。
いまでも、あのまま、まともに術後回復を経て、仕事に復帰していれば、
ギターサークルから脱退することもなかったかな。
まぁ、そういうのは、グダグダ後悔しても仕方がない。
まず、変わったことといえば……、
役所の臨時職員(近年は、会計年度職員と称する)の契約更新がだめになり、年金とFSW(フリーランス・シニア・ワーカー)で収入を得ることに。
朝刊配達はちょうど一年続けたのちに、片メクラで冬道はリスクが多いことをメインとの理由に、あとは大変な割に、実入り(時給:部数換算のギャラ)が思ったほど良くないことから、すっぱり辞めた。
4月~10月までは、週末にパチンコ店駐車場警備の単発バイト。
これで月に二万~三万になる。
冬場はこれがなくなり、今春にお呼びがかかるかは不透明。
無けりゃないでも、まいいか。
去年、6月から採用になった(シルバー人材センターからの案件)公民館受付業務。まともにやっていれば、月に4~5万にはなった。
これも一か月で辞めた。
気の合わない、偏屈野郎がいて、精神健康のためには、こいつとは別離だな。
即決、勤務辞退した。
それが、前科者の烙印、悪癖となったか、
シルバー人材センターからの他の定期案件も、冬前に辞めた。
こう考えると、変わってしまったことの多くは、辛抱が足りずに辞めたことが大半。
変わらない事。
毎日酒を飲む。日勤の仕事が無い日は、ランチにパスタ(白米代わりに)とワインという日もあるから、昼間から飲む。
アル中ではない。
イタリア人もランチでワイン?
ギターはほぼ毎日弾く。
サークルから脱退してLiveは激減したが、数回はでてるので、
そのための仕込みもあって、毎日、弾く。
あとは、新聞配達もないし、日勤もないから、早起きはする必要がなくなったな。
寝るのは11時くらい、で、起床は8時位。
よく寝るな。
あと、投稿小説を書き始めた。
公募サイトから出せそうなところをピックアップして、もう十本以上は。
現在も、投稿に向けて進行中のものあり。
まだ、箸にも棒にも掛からぬ、なんの入選も賞とも無縁。
こんなロートルジジイが、何を今さらという気がしないでもない。
書く事読む事が、小さい頃から好き。
ようやく、書く事にそれなりに向き合う状況になったってことか。
嫌な事、嫌いな奴、したくない事、
そういうのを我慢しなくなってきた。
それでも済む、それでもOK!
だからできる、そういうわがままだな。
最後に、変わった方がいいものかぁ……。
なんだろう。何かな。
片メクラ、左脚下肢静脈瘤手術(右脚は数年前)、左鼠径ヘルニアの手術…
胃の調子もよくない。
もう不幸や病気は勘弁してほしいな。
不幸や病気は、変わってほしいよ。
それじゃあまたね。(^^♪
↓ブリードラブ Guitar(独特の音色が好き) -
from: 弾き語りストさん
2025年01月13日 14時18分59秒
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感動の偏屈者
🌟弾き語りストです
新年だからといって何も目出たいわけじゃない、とかいう人がいる。
そういうのを「偏屈」とか「へそ曲がり」とか「天の邪鬼」というのか。
はっきり言って、友だちにはなりたくないし、できれば距離を置きたい。
人の性癖(下ネタでなく)は簡単には変えられないもので、
何かっていうとひと言余計なことを言わないと気の済まないような人は
一瞬でその場を凍りつかせるのが得意だ。
自分の悪癖を承知しているにも拘わらず
どうしてもそうしないとムズムズするものらしい。
もうそうなると、半分は〝病気〟だ。
よく世間では、「B型」や「AB型」に対して
この「偏屈病」を札付けしたがる。
世間のBとABの人からの反論を承知で言うが、
血液型によるステレオタイプな性格診断を
科学的根拠なしとする説が有力だが、
「なぜ血液型というものが存在するのか?」と。
どんなに頭が良くて、イケメン・美形であっても
性格が「偏屈」なら、半径1メートル以内には接近したくない。
どんなに阿呆で、へちゃでな♂・♀でも
性格が素直で笑顔のキレイな人の回りには善男善女が群がる。
かくいう私も「偏屈者」かもしれません。。
私はBでもABないけど偏屈な人はAにもOにも結構たくさん出現する。
ま、多少その出現率が偏っているという位のものだ。
素直な性格の方が好き、なんていいながら
若いときの藤原紀香みたいな人に近寄られたらムズムズする。
普段は、まともな事いっておきながら
人には「エコなんて意味ないな」などと声高に宣言する。。
還暦過ぎたら、あの世は射程距離。
持病の不整脈、前立腺炎、両脚の下肢静脈瘤手術。
加齢が原因なのか、左鼠径ヘルニアも腹腔鏡手術で二泊三日の入院。
おまけに、2023年秋の、目の手術が原因での、左眼失明。
片メクラで一年経っても、日常生活あちこちに支障がでる。
全盲の人の辛さ苦しさには遠く及ばないが、けっこうしんどい。
生きてる内に美味いもの食べて美味い酒をのまなきゃ、なんて
人生を達観したようなことを考えているのに、
夜中に目覚めて、暗闇の向こうに、我が存在の消滅を思い、オロオロしている。
自尊心の強すぎる人や自意識過剰な人は嫌いだし
自分のことを好きだととか平気な顔して言うのは寒気がする。
人のことは良く批判するくせに、誰かが自分の事を話題にしていたら
聞き耳をたてる。
自分のことが嫌いだと生きてはいけない、なとど
ナルシストな人はいうかもしれないが、
そんなことはけっしてない。
自分のコピーロボットがいたら付き合いたいか?
という質問にどう答えます?
私は、即決で「No!」「否!」「勘弁してよ〜」。
よく考えてもらいたい。
人は誰でも自分のことを優先して考えて生きている。
腹が空いた時に他人の腹の空き具合を心配する人はいない。
なんかかんか理由つけて自分の行動を正当化しているのが
人間...というか私という個体なのだ。
そんないいかげんなヤツのことを信用できます?
だから、まちがっても私は私のことを「好き」だなんて思わない。
じゃ、嫌いかって?...そう聞く人もいる。
好きじゃないけど嫌いなわけでもない、と答える自分も自分。
ようするに、私は私のことを「仕方のないヤツだ」くらいに思って
この67年ほど付き合ってきたんじゃないだろか。
人が見てなきゃズルをするし、
できれば楽して暢気にギターを弾いて暮らしたいし、
人のために何かをしようなんてちっとも考えてないし、
お世辞と知っているくせに、誉め言葉には弱い。
ほんとにしょうがないヤツだなぁ〜と思う。
ということは、
人を感動させるような〈弾き語りスト〉も
「偏屈者」の方が断然いい、ことになる。
とすると、
私もその候補の一人...なんだが
まだまだ破天荒さが不足して単なるへそ曲がりジジイの域をでない。
その人の人生は顔や手に現れる。
額や目尻に刻まれた深いシワや
酒やけの顔色と悲哀の色をたたえた瞳...私には無い。
やはり、
人を感動させられるような「偏屈者」をコンプリートさせるには
こうした暗く、不健康で、どよよ〜んとした
ヘドロみたいな深淵さを、資質の一面に持っていることが必要なのだな。
そうかぁ、だから私には友だちというものがいないのだな...うん、妙に納得。
なんの負け惜しみでもなく、友達は、無くても、いい。
それじゃあまたね。(^^♪
↓YAMAHA silent Guitar -
from: 弾き語りストさん
2025年01月11日 13時01分52秒
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徒然なる短文
🌟弾き語りストです。
「エーッ! 俺? 俺は無理だって。なんぼなんでもそれはできない相談だな。いや、もし死ぬ気でやれというならやれなくもないけど、死んじゃっちゃ元も子もないでしょ。
だいたいアンタのその態度だよね、問題なのは。それは人に物を頼む態度じゃないでしょ。普通はさ、人にお願いしようと言うときはだよ、それ相応の形式というか、様式美というか、型っていうものがあるでしょ。
そーだよ、そういうの常識でしょ。親に習わんかった? まともな親なら教えるな、うん、ぜったい教えるさ。今日昨日子供作ったばかりの親なら知らないよ。最近の若い人たちは自分だってできないんだから、子供に教えられるわけないでしょ。
アンタくらいの歳なら分かって当然だな。えっ? そうとは限らない? 何、言ってんだか。スリランカやリオデジャネイロの人に言ってるんじゃないよ。礼節の国であるこの日の本、日本で話してることだよ。
そういうのが通じなくなったらこの国もおしまいだね。俺が嘆いてもこの国はなんも変わらないって言うの? そりゃま、こんな田舎のね、くたびれたジジイがだよ、エラそーにこの国のこと憂いたってなんも変わんないだろさ。
そんなの俺だって百も二百も承知だよ。でもいけないな、そういう考え方は。なんもかんも達観したような顔してさ、どーせやったって無理だ、みたいな。走る前から、どうせビリだから気ぃ抜いて走るべみたいなのって、いいことじゃないでしょ。
そりゃ今はさ、競争社会だから一番になる人もいれば落ちこぼれる人もいるでしょ。だからって最初からダメだ、出来ない、無理だなんて言ってたらなんも前に進まんと思わないか。
いや、挑戦しろとか、大きなことに取り組めなんていうんじゃないよ。そんな大層なこと言ってる人に限って根性なしだものね。たいていは。本当に根性がある人は、こう、普段はさ黙っててさ、くぅーってじっと耐えててね、いざって言うときにバーンってやってのけるね。
えッ? そういう大和魂とか根性論は嫌いなの? そりゃさ、植木等や明石家さんまみたいな陽気で適当なこといいつつへらへらしてても、いざっちゅう時にどどーっとやってのけられるような人なら大したもんさ。
だけどもね、人間そうそう度胸のあるというか、腰の据わったっていうか、肝の太い人なんて滅多にいないんじゃないの。普段はポーカーフェイスで泰然としてても、突拍子のないことが目の前にどどーん出現したらさ、誰だってあわてるしオロオロしまくるでしょ。
アンタなんてどうよ?そんなことないかい?あるでしょ。だとしたら、あんまり人のことあーでもない、こーでもないって、いうもんじゃないぃ。人のことあれこれゆってる暇があったらさ自分の頭のハエでも追えっちゅうの。
ハエの季節じゃない?そういうの揚げ足取りってゆーうんだよ。もののたとえさ、例え。そんなこともわかんないようじゃ、普段どんな仕事してるもんだか。
そーだよ、人のことだからさ別にアンタがどんな会社で何をしてようと、どんな人事考課されようと知ったこっちゃないさ。所詮、他人事だもね。
えっ? そういう考え方はいけないって言わなかったかって? 言わないよ、そんなこと。いうわけないじゃん。あっ、〝じゃん〟とか言っちゃった。人は人、自分は自分だもの。人のことかまってて自分がダメになったら元も子もないでしょ。
他人のことはどーでもいいんです。世の中、生まれてくるのも一人なら、死ぬときも一人ですよ。誰も一緒に生まれたり、死んだりしてくれないよ。双子や心中はどうだっていうの? また揚げ足取りかぃ。何本、揚げ足取れば気が済むのさ。俺の脚は二本だっちゅうの。
もののたとえさ、例え! 双子だって六つ子だって親の腹から出る時は一人づつでしょ。六人まとめてドバーンなんてないでしょ。心中だってさ、縁起のいい例えじゃないけど、いくら手と手を縛ったってさ、三途の川渡る時は別々じゃないの。
え、見たのかって? なんで俺が三途の川を見にいかなきゃなんないの。台風で田んぼの水見にゆくのと違うんだよ。輪廻転生でもあるまいし。わしゃゾンビかっての。黄泉がえりかっての!
ああ、なんで、俺こんなに興奮してるんだろう。落ち着け、冷静に、クールダウンしろ、俺。つまり、言いたいのはさ、自分のことをしっかり見つめなきゃだめだっちゅことさ。
自分のことも考えられないで、人のことをさあれこれ言うのはまちがいだよ。よく、世話好きというか、おせっかいな人いるでしょ。あれもさ、本人が他人のためにやっていると思っているけど。あれ、違うと思うんだよね。
結局、彼ら彼女らは、他人のためといいつつ、そういう行為をしている自分が好き、あるいはその行為に酔っているところがぜったいあるよね。
世の中で、本当に無私の境地で、自分以外の人間にあれこれできるのって、たとえば親が子供に対する行為なんじゃないの。子供に注意する親はさ、けっしていいふりこいて小言言っているわけじゃなくて、そんなことやってちゃその子のためにならないからで。
そこが、お節介焼きとは根本的に違うわけさ。ところでさ、アンタのね、頼みなんだけどさ。日本酒買いに行くなら自分の分も買ってきてっていう頼みね。それ、無理だわ。何度も言ってるけど、日本酒の好みって人それぞれだから。
買ってくるのはいいけどさ、呑んでから〝こういうのじゃない日本酒にして欲しかった〟とか言われたら、イヤでしょ。
ラーメンだっていろいろ好みがあるじゃない。細麺・太麺・中太麺、味噌味・塩味・醤油味に豚骨にキムチ味、味濃いめ・薄いめ・こってり・あっさり、こっさりってのもあったな。
あすこのラーメン美味いぞって連れてかれて、本当に美味かったためしないでしょ。いや、その人は好きな味なのさ。
でもだからって、自分の好きな味とは限らない。つまり〝美味い〟の価値観は人それぞれだからさ。人が美味いって言っても一緒に行っちゃいけない。もし行くんなら、一人でこっそり行って試すのさ。美味けりゃ正解だし、まずけりゃ一人でぼやきゃいい。
一緒に行ったら、不味い時、遠慮してホントのこといえないもね。いや、美味けりゃ、美味いって誉めてお礼言えばいいけど、不味い時のきまずさは、ま、耐え難いね。それほど、人の好みってのは一様じゃないのさ。
つまり、アンタの美味いという純米酒を俺が美味いと限らない。同じ〝辛口〟っていっても、甘口寄りの辛口と、もう徹底しての辛口じゃてんで違うわけさ。
カレーだってそうでしょ...えっ、もういいって? 分かったって?
いや、俺まだまだなんぼでも例え話できるんだけど...あれ、行っちゃうの...あれれ...あんなにスタスタと。おーい、アンタぁーーーーって、あれ俺あの人、誰だか知らないや。
それじゃ、また(*^^)v -
from: 弾き語りストさん
2025年01月09日 17時22分40秒
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ステキな“自己満足”
🌟弾き語りスト です。
「自己満足」はとてもステキさ
自己の満足は素直に生きる喜び
自己の満足無くして他者の幸せを願うなかれ
という訳で、「自己満足」について考えてみた。
「自己満足」は人生の最優先課題
空腹で語る夢は虚しく空々しい
不満だらけの毎日は眉間のシワを深くするだけ
「自己満足」をけっして批判するなかれ
満足している自己は人目を気にしない
満足している自己は嫉妬を持たない
「自己満足」と「自己チュー」を混同するな
他者を巻き添えにして地獄に堕ちる自己チュー
自己で完結して天国の扉を開ける自己満足
「自己満足」で手に入れる幸せは本物
満足の源流は自らの胸の内にあり
満足の行き着くところも同じ場所
「自己満足」を、〇すたー〇ーしょんに譬えるな
本能由来の欲求処理と自己実現の崇高な昇華行為の決定的な相違
表面的な類似で語る愚直さは戒められるべきステレオタイプ
「自己満足」は反復・リピートしても倦むことがない
果てなく湧き上がるアイデアが反復の推進力に
満足の判定は自らがする。
満たされなければ好きなだけリピートすればよい
「自己満足」のアコギ弾きがいる
上手に弾ければ素直に喜び
何度やっても同じ個所でミスする自分に自分で毒づいている
「自己満足」の弾き語りストがいる
聴衆ゼロでも気にしない
拍手がなくても気にならない
舞台に立てればそれだけで幸せ
「自己満足」のアコギ買いがいる。
これこそ運命の出会い、選ばれた一本だと思いこむ
拭いて磨いてオイルを塗って、まるでエステのテクニシャン
「自己満足」のチューニングをしてみる
ばっちり決まれば、さぶイボぞぞぞ〜背中にぞ走りける
微妙にずれれば、じたばたイライラ胸奥むずむず
チューナーという便利なものあり、遠慮せず使用
「自己満足」のスリーフィンガーピッキングを
オレって天才!といいつつ有頂天のエスカレーション
動画で凄いの見れば、自己嫌悪の出血大サービス
所詮アマチュアと割り切れば雲散霧消
「自己満足」のヒトリカラオケ
96点ばっかじゃん、といいつつ写メを撮る
中ジョッキ二杯とフライドポテト、これが定番
「自己満足」の「自己満足」的解釈
自己中心的・強い自惚れ・ナルシスト・KY...
「自己満足」とイコールで結ばれない似て非なるものたち
国境を挟んで向こうとこちらにある異なる世界
「自己満足」は時にストイックに内なる自己を満足させるために
「私」という存在が問いかけを発し、働きかける求道哲学的思索行為。
「自己満足」は時にケセラセラと軽いノリで自分を嬉しがらせる。
それでいいじゃないの、幸せならばの楽天家発想
「自己満足」は時に淋しき独り言の虚しい響き
一人芝居・腹話術・つぶやき・思いだし笑い・一人ノリつっこみ...
「自己満足」はステキさ
「自己満足」独学修了すれば、
今ならもれなく太字〝客観的に自分を見つめる眼〟が付いてくる。
それじゃあまたね(^^♪
Emerald Guitar(made in Ireland)→これ持ってます。 -
from: 弾き語りストさん
2025年01月08日 18時14分23秒
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「弾き語りスト」ってなんだ?
🌟あまぢいです
何年ぶりでしょう。
そういう状況になったので、トピックス再開します。
メンバーも、今のところゼロなので、しばらくはまた一人語りですね。
そもそも弾き語りストって何?っていうことですよね。
かつてはアタシの造語だと思って使い始めましたが、このご時世、ググれば「弾き語りスト」で何件かヒットします。
ようするに似たようなことを考える人間はどこにでもいる訳で。
100%オリジナルを創造することは、不可能なことかもる
「弾き語りスト」って何だ?という人がいるだろう。
いても構わない。(かつては)自分が考えたことだから。
「弾き語りスト」はアコギの弾き語りをする人、というほどの
意味なのだ。エレキじゃダメかと言われれば、独断と偏見と先入観の押し倒しで、ご遠慮いただきたい。
エレキ一本で弾き語りする人も、このご時世、きっといるだろう。
ベース一本でネタやる芸人もいるのだ。エレキ担いでLive回りもアリ。
アマチュアシンガーでも超絶技巧でエレキ弾き語りは、カッコイイです。
エレキの宅弾きは「〜りスト」という感じではないな。
アンプにシールドつないでヘッドフォンとかしてないか。
アコギ弾きはそのフォンとかはつけないなとか、昔は考えてたが、
今では自宅のGuitar部屋には、VOXmini6を置いて、
ワイヤレスシステム差し込み、ヘットフォンで聴きながら、
リズムボックスに合わせて、練習をしている。
あくまで「生」だというのも昔の話で、
持っているアコギの半分はエレアコ仕様だ。
男は黙って純生だ、というのは遙か昔のこと。
ピックアップ付きのアコギは便利だし、Liveでも重宝する。
所詮、オレのような半端なアマチュアシンガーが、Liveの土壇場で、アンプの微調整中なんかやってる暇はない。
飛び出て、ワイヤレスつないで、音出してもろて、すぐ歌う。
寄り道から軌道修正しつつ、「弾き語りスト」について。
いま、若い人も若くない人も〝弾き語りしてます〟という人は多い。
全国に何百万人、世界中なら億単位かも。
ギター一本で拍手喝さいのソロギターも多くなって、
正直、トミーエマニュエル以外は、アマチュアも含めて、実に退屈。
どれも似たり寄ったり。
おんなじ様なフレーズ、メロ入れながらコード鳴らして、時々、ボディトップを叩いたり、金太郎飴だよね。
というよりアコギ弾く人が単純に多いのだ。
猫も杓子もというが、下手したら三味線よりもアコギ弾く
〈アコギネコ〉がいてもおかしくないくらい、
全国にアコギを弾いている人がたくさんいる。
基本は、一人語りなので、もしも、万が一、ひょっとして
サークル参加を希望する人がいたとしても、
あまり相互会話を期待しないで欲しい。
この意味は、デュオ以上なら、それはもうバンドな訳で、
弾き語りというより、コンビネーションでハモリを入れるだろうし、
パート訳で、重層なアレンジもやったりするだろうから、
「弾き語り」とかの範疇には入れられないだろう。
弾き語りしながら会話するのは無理だろうし気が散る。
〝せっしょん〟などと称して、「でゅお」や「とりお」や「ぶらざー」を
組みたがる人もいるが、オレのような弾き語りストはそれを好まない。
自己満であるうが、自意識過剰であろうが、マスター○○ションであろうが、
「弾いて、語る」の基本姿勢を貫かなければ、
一人前の「弾き語りスト」とは認定されない、とそう心得てはもらえぬだろうか。
かくいう自分は、中坊の頃より〈YAMAHA FG240〉を弾きはじめ
爾来、早くも半世紀になろうとしている。
おそらくは、もう人生の第四コーナーは曲がり始めて、
ラストの直線コースを息絶え絶え、走る?いや歩いているに違いない。
そんなこんなで、再開初回はこの辺でお許しいただくとして、
日々、思いつくまま気まま随時暫時の行き当たりばったりで
独り言紡いで行こうと思う。
それじゃ、また(*^^)v