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弾き語りストの独り言

弾き語りストの独り言>掲示板

公開 メンバー数:7人

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  • from: 弾き語りストさん

    2011年07月22日 14時38分20秒

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    「厚顔無恥」「傍若無人」「恥知らず」…はオレのこと

    ★弾き語りストです。

    「厚顔無恥」「傍若無人」「恥知らず」…な人に出会ったり、その人について見聞きしたりするとき、たいていは嫌な気持ちになるし、鼻じろんでうっとうしく感じる。

    ところが、中には図々しいのになぜが憎めないキャラだったり、
    あきらかに相手からしつこいと拒絶されていても執拗に食い下がり、
    最終的に相手方のふところにまんまと潜り込んでしまう、
    というような小憎らしいタイプの人間がいる。

    自分はどうしたってそんな人間にはなれないが、
    時として、この手の「カエルの面に○ょん○ん」方式で相手と対応することで、
    新しい感動や出会いに遭遇できるのじゃなかろうか、と考えることがある。

    雰囲気のいい飲み屋があるとする。
    ママも美人で料理も美味い。
    ぜひともなじみになりたい、とするでしょ。

    そんな時、よく言われるのが、
    初めの三、四回は連続して通い、その後、いったんはぴたりと行くのをやめる。
    そうしてしばらくしてからふらりと何気を装ってノレンをくぐる。
    こうすると、店のママに強い印象と気がかりな気分を持たせることができるんだとか。

    一見(いちげん)で出会った人とのやり取りや、初めて何かのイベントに参加するとき、
    既存のなじみ客からすると、自分はよそ者で新参者だから、
    気後れしたり遠慮があったり、どこかしっくりこなさが付きまとう。

    ちくちく胸を刺してくるそんな所在の無さに耐えかねて、
    一見の人と会うことや、イベントへ出かけて行くことをやめてしまいたくなるが、
    ここで天下の宝刀〝Porker face〟を振りかざしてみたらどうだろか。

    内心のざわざわ感を極力おもてに表さないように注意して、
    平気の平左で知らぬ顔をして、何度も人に会い、何度もイベントに行くのだ。

    今は放送終了してしまったテレ東系列の「田舎に泊まろう」が好例だ。
    たいして名の知られていない芸能人が田舎の家々を回り、
    初めこそは胡散臭がられ、疎まれ、毛嫌いされていても、
    いざ〝お泊り〟が決定して、たった一晩やっかいになっただけで
    翌朝には涙の〝お別れ〟となるのだ。

    最初は互いの尻の匂いを嗅ぎまわっていても、
    何度となく顔合わせしているうちに、人間の警戒心は次第に溶けてゆくから
    なんともおもしろい。

    相手が、自分の名前も顔もしっかりと認識して覚えくれると、
    その先は、かなりディープな部分にも踏み込んで親交が深まる。

    農民でもなければ牛も豚も羊もみんな同じ顔にみえるが、
    初見の人の顔と名前なんて、別れて数分であっさり記憶から剥落する。
    ホルスタインやランドレースの群れを見るのと大差ないほどに
    人は他人の顔や名前をそうやすやすとは、心にとめておいてはくれない。

    街で偶然出会って互いに「やぁ、やぁ、やぁ」なんて言い合いながら、
    最後まで相手がどこのなんていう人なのかわからずに別れる、ということも多い。

    人と人とがなじみになるためにはある程度の「回数」が必要だ。
    反復することで記憶の溝が深まり、顔の表情に親愛の兆しが見えてくる。
    心の底から嫌いなタイプの顔かたちや、どこまで行っても新密度が増しそうにない場合は、
    その関係は、たいてい自然消滅して雲散霧消してゆく。

    繰り返し会って、何度も出かけて行って、まぁだいたい10回くらいして、
    どうもあの人とは縁がない、あすこは自分の行くべき場所じゃないと悟ったら、
    その時は、後腐れなくただ静かにその人とその場所から立ち去ろう。

    その逆で、
    始めは(本当の意味で)他人行儀でよそよそしかったのが、
    親しくなって、互いのホクロの位置や、脚の長短なんかまで確認し合えるようになると、
    会話の端々にも親しげな〝タメ口〟口調まで混じってくる。

    とはいうものの、
    その蜜月が長く続くかどうかというと、
    少なくとも自分の場合は、マイペースで冷めやすい性格のせいか、
    ゆるやかなグラデーションを描くように疎遠になってしまう。

    一旦、卒業してしまうと同窓会やクラス会の類にはまったく参加しない。
    退職した前職の同僚とも会いたいとは思わない。
    一時期、交流のあった知人も、不和があり、いったんつながりが切れると、
    携帯やメルアドの類は、削除または着拒に設定する。

    仲間内で群れる、なあなあの関係をだらだら続ける…
    そういうことがどうも苦手なのだろう。

    だったら、
    人と交わったり、新しい関わりなど持とうとしなければいいのだが、
    それはそれで、ちと淋しくて虚しい。

    よくよく考えれば、やはりというか、オレは自分の都合を中心に考えているのだ。
    普段は一人でいたい、できれば構ってくれるな。
    しかし、時々、こっちの気の向いた時には、会ったり話したり絡み合ってくれぃ。
    とまぁ、いつもながらの身勝手な自意識に嫌気がさす。

    なんのことはない、
    かくいう、オレ自身が一番の「厚顔無恥」「傍若無人」「恥知らず」だったとは…。

    他人と一緒に何か共通の目的に向かって関わりあう楽しさは…自分にも理解できる。
    しょせん、人間が一人でやれることには限界がある。
    小説家や修行中の御坊様のように、一人でやることが本来のカタチである場合以外で、
    複数の人間が心を合わせて何某かを作り上げるのは、やり甲斐がある。

    いつもいつも人の中にいないと不安でしょうがない人もいるだろう。
    孤独に耐えられない、他者とのかかわりで自己の存在を確かめる、
    そういう人からすれば、do-it-myselfほど虚しい所作なのかも。

    心に悲しみを抱えている人が、同じ涙を持つ人のいることを知ると癒される。
    ひそかな楽しさに一人ほくそ笑んでいた人が、同じ趣味嗜好の人の存在を知ると
    あらためてその楽しさの魅力を再発見する。

    きっと、そういうことなんだろうな。
    人と人の交わりって。

    それじゃ、また!



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  • from: 弾き語りストさん

    2011年07月14日 17時49分37秒

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    好きなんだけどカラダが…拒否する。

    ★弾き語りストです。

    好きなんだけど駄目なんだよねーっていうものあるよね。
    オレの場合、K駅前の焼き鳥屋「K」の焼き鳥の脂がどうも体質に合わないらしい。
    これまでに、二度食べて二度とも腹をくだした。
    家族はみんな平気なのにオレだけだった。

    なにも「K」のせいではなく
    オレの胃腸と鶏肉の脂の相性の問題だろう。
    だから、K駅に降りてどんなにいい匂いが鼻腔をくすぐってきても
    Kのノレンをくぐることができない。

    「蕪(かぶ)」…これもまた好きなのに腹を壊すことが多い。
    さっぱりとしてさわやかな味わいとシャリシャリ感が好きな夏野菜なのに子供のころから食べたあとにたいていピーピーになる。

    アタマでは好きで好きで仕方ないのに
    カラダが受け付けないというのはどういうことなんだろう。

    オレは自分のことをあんまり信用していないから
    アタマでまちがった判断をして、そいつを食べようとするが
    カラダは本能からくる防衛本能で断固拒否しているのか。

    「自分のことが信じられない」と嘆く人がたまにいるが、
    そんなのは当たり前だと思う。
    自分というのはまさに自分に都合のいいことばかり考えて行動している。

    それはなにも悪いことじゃなく、
    自分が生存し、生き残るためだから、非常識であってもいいのだ。
    人様に迷惑をかけてはいけないと自身を制御するときに
    葛藤する二つの人格は、たいていの場合、自分に都合よく妥協している。

    まさか、自分がこんなんことをしたり考えたりするなんて、
    と、さもそれが思いもよらないことのように自戒するのも、
    まったく何を言っているんだよこの馬鹿野郎、と思う。

    自分でやったり考えたりしておきながら
    他人事のようにあげつらったり、
    そんなつもりはさらさらなかったと言い訳するなんて、信じられないよ。

    そんなわけであんまり信用のおけないオレの嗜好というのも
    おそらくはいつかどこかできっと人には言えないような
    恥ずかしいことをしでかしていて、
    それがトラウマとかになって、カラダが拒絶してるのかもしれない。

    好きなのにカラダが受け入れないというのは
    その好き度合いが強すぎるとかなり辛いことになる。
    これまで生きてきて、好きで好きでどうしようもなく、
    身もだえするなんてものが、はたしてあったろうか。

    もし、病気や障害で指が動かなくなって
    大好きなギターが弾けなくなればかなり辛いだろう。
    声が出なくなっても視力が不自由になっても、同様だ。

    しかし、
    五体満足で精神状態も安定しているのに
    好きなことをカラダが拒否する状態は、できればあまり来てほしくない。

    お酒は好きだがすぐ酔う、またはたくさん飲めないという人の場合。
    酒が好きというのはたくさん飲めることで、少ししか飲まないのはあまり好きとはいえない。
    というくくり方は無理がある。

    好きだけどちょびっとでいいという、つましいケースもあるからだ。
    ケーキは大好きだが一個で十分とか、助べえは好きだが不定期でよいとか、
    お金は大好きだが使い切れないので三億円くらいでよいとか、
    ガリガリ君は好きだが歯にしみるので一本でいいとか、
    いう場合だ。

    ところが、
    世の中には「本当に好きならとことんゆくべきだ」という極論に走りたがる自己主張の塊のような人がいて、
    〝好きだけどちょこっと派〟を強く批判したりする。

    いわく、
    その人が本当に好きなら骨まで愛すべきだとか、
    そば好きなら椀子そばは最低三百杯は食すべきだとか、
    ハワイが好きならアロハで出社したりウクレレ漫談を趣味にすべきだとか、
    蜂蜜が好きならヒグマの手をしゃぶるべきだとか、いう難題をふっかけてくる輩だ。

    そういう極端な性格の人は「中庸」という言葉を調べてみるといい。
    「不足もなく、余分なこともなく、ちょうど適当なバランスを持つ」
    …そういう、ある意味、優等生的などっちつかずの箴言が、
    あなたを生殺しの状態に立ち返らせて、ふにゃふにゃにしてくれるだろう。

    甘いのか辛いのかわからないカレーや、
    イケメンのようでいて一部分がひどくゆがんでいるブ男、
    あと少しで風邪を引きそうなのにすれすれ元気な状態とか、
    単なる縮れ毛なのか○ン毛なのか見分けのつかないオケケや、
    庭の草が芝生なのか雑草なのか微妙な種類の植物なども、
    「中庸」状態に当てはまるだろう。

    結局、
    どっちつかずであっちでペコペコ、こっちでヘコヘコ、
    東へ行けと言われたら南東に向かい、
    山に登れと言われたら公園の砂山で遊ぶ、
    不細工な美女よりはそこそこのオカマで我慢する。
    それが孔子の教えに従うことかもしれない。
    (違うか?)

    好きだけどカラダが受け付けない場合の最適な対処法は
    それを視界の外に置いてぜったいに見ないようにすることだ。

    クルマで田舎道を走っていてどうしても目につく例の○ロビデオ販売小屋。
    目の前で屈んだ○乳女子の胸元。
    薬屋の商品棚で特売になっている○ン○ームの箱。

    そういう好きなんだけど買ったり見たり取ったりしてはいけないものは
    可能な限り見ないようにするのだ。
    目は口ほどに物を言うから、見ないようにしさえすれば、
    口だけでは何もできなくなる。

    いやらしい目つき、とはオレが人から良く言われるセリフだが
    さすがに、いやらしい口元とは指摘れることはない。

    ぼってりとした肉厚のアヒル口はいやらしいが
    幸いにオレは肉厚でもなければアヒルでもない。
    ただし、閉じていればいやらしくないオレの口も
    一旦、開かさると、呪縛のようないやらしさがその場を席巻するらしい。

    日光東照宮のサルのように、
    目も耳も口も塞いでしまえば、好きなのカラダが受け付けないもので
    あれこれ悩むことはなくなるに違いない。

    もしも、K駅前の焼き鳥Kの前の路上で
    目をつむり、口を一文字に閉じて、両手で両耳を覆っている
    初老の禿げ男を見かけたら、それが「オレ」だ。

    それじゃ、また!




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  • from: 弾き語りストさん

    2011年07月08日 17時14分16秒

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    わが娘たちに付喪神が宿るまで


    ★弾き語りストです。

    ちっとも音が良くない、鳴らない手持ちのアコギをどうにかして少しでも良くしようと
    あれこれ細切れの情報をNetで見つけて試してみるがびっくりするような変化は起こらない。

    餅は餅屋で、リペアのプロの依頼すれば、素人には思いもつかないポイントを
    的確に修復・改善してくれるらしいが、なんもかんも一式頼んだら、はたしてどれほどの見積もりになるのか。

    リペアの知識に乏しい悲しき素人のアコギ弾きにできるのは、せいぜいがサドル&ナットを取り換えるとか、弦を替えるとか、ブリッジピンをかえるとか、弦の張り方を工夫するとかくらいしか思いつかない。

    いいなと思って手に入れたアコギが思ったよりの腰砕けで
    『なんだかなー』という場合は、♪悲しくて悲しくてとてもやりきれない♪ものだ。

    前職よりも高い給料になることはめったにない転職と似て、入手金額よりも高く転売できるアコギはそんなに多くない。楽器専門の中古ショップならいざしらず、
    そんじょそこらのリサイクルショップなんかだとたとえ元値が10万くらいのものでも、容赦なく二束三文に買い叩かれるのがオチだ。

    性格はいいんだが、いかんせん顔に愛嬌がない女と、我がままで好き嫌いが激しい美人と同時に付き合っていたとしたら、どうしたって後者とのデート回数が増えるでしょ、アナタだって。ワタシもおんなじです。

    いま家には12人の娘がいて、年増から女子高生まで年齢もさまざま。
    ジャンボからスリムまでBodyTypeもいろいろ。生まれも日本・韓国・米国・インドネシア・チェコ・中国・カナダと世界各地。
    言わずもがなだけど、「アコギ」のことです……。

    弾かないことには決していい音に育つことはないのがアコギだ、と聞かされているから、できるだけ万遍なく弾きまわしてやろうと思う。たとえ一本あたりが一時間くらいしか弾けなくても毎回必ず鳴らしてやりたいと思う。

    手間のかけ方に比例して良くなるのは、なにもヌカみそや料理だけではない。
    天然物由来のアコギも日々いじってやらないことにはこの世に生まれてきた甲斐がないだろう。

    景気が悪くなると真っ先に削られる宣伝・広告費のように
    アコギをいじる時間を確保しようとしたら削れる時間枠は限られる。

    夜明けが早いことを利用して早起きしてアコギをいじる。家事手伝いを効率よく集中して済ませてアコギをいじる。残業を部下に押し付けて早く帰り夜な夜なアコギをいじる。
    晩酌を半分にして眠気を抑えてベッドに入る前にアコギをいじる。せいぜいそんなとこか…。

    時間の使い方の上手・下手は、結局やりたいことにどれだけ集中してできるかだ。好きなことに集中できたあとの満足感が大きいのは人間がもともと夢中になることが好きな生き物だからか。

    嫌なことをいやいやながらだらだらと続ける生き地獄は拷問だ。精密機械でありながら意外な脆さから機能不全に陥る。半世紀以上も機能し続けて、たいしてメンテナンスも受けていない肉袋マシーンは意識的に楽しいことを考えることで致命的な機能不全に至らずにここまで来た。

    当たり外れのある工業製品のように肉袋マシーンも個体差が激しい。ストレスに効果的な自己補修機能が発揮できる個体とわずかな外圧にも神経質に過剰反応して自分で自分をダメにしてしまうタイプがいる。

    いわゆる〝遊び〟を持たないタイプ。遊びのないハンドルだから、わずかな動きにも大ぶれする。カリカリ、オタオタ、ビクビク、ピリピリ…なにをそんなに大げさに、と思うほどの過剰な反応。

    遊びがありすぎ、もまた路肩に突っ込む悪たれ小僧になるが適度なゆとりが心を平静に保つことは
    「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん(梁塵秘抄)」と謡われた、平安の古より、この国の肉袋マシーンが自戒を込めて言い続けてきたこと。

    閑話休題…、
    鳴らないアコギをちょこちょこといじくって昨日よりなんだが良くなってきたねと語りかけるとなんだか嬉しくなってくる。

    楽器…とくにアコギのように抱きかかえ系のものはその鳴りが身体に直接響くから、一体感が強く、肉袋マシーンとの共鳴が共感を生み出す。

    日本に古くからある付喪神(つくもがみ=九十九神)の信仰は長く健全に生きたものに霊魂の宿りを見るねのだが、それはそのもとわれわれ肉袋マシーンとの心的交流が生み出すものだろう。

    いくら古く長い時代を生きたものであっても、手から手へと流浪の流転を強いられたものよりは同一コンビで果てるまで一緒の組み合わせの方が宿る魂は清純であろう。

    それぞれの出生のエピソードを小脇に嫁してきたわが娘たちよ。わが体温を感じつつ身悶えながらも良き声で今日も唄っておくれ。

    それじゃ、また!

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  • from: 弾き語りストさん

    2011年07月05日 18時14分45秒

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    【もしも明日の朝、目が覚めないとしたらどうします?】

    【もしも明日の朝、目が覚めないとしたらどうします?】

    ★弾き語りストです。

    一クラス24人。それがそのまま六年生まで持ち上がる。
    木造・下目張りの板壁に赤いトタン屋根。
    それがボクの小学校だった。

    一年から六年まで毎年、担任は替わったが
    クラスはまったく同じ顔ぶれで卒業まで一緒。
    なんせ一学年が一クラスしかない田舎の学校。

    一年から四年までは二階建ての校舎で学び、
    高学年は平屋の校舎に移った。
    グラウンドは狭く、直線で80メートルしかなく
    両サイドを川に挟まれていたので
    ソフトボールもサッカーボールもよく流されてしまった。

    義姉が病気で亡くなり、長兄とともに故郷にやってきた甥もボクの母校に転校したが
    ボクの時の校舎ではなく、ほんの少し場所を移して新築したきれいな鉄骨造りだった。
    甥は地元の教育大学を卒業後、
    臨時教員を経て三年目でようやく念願の正教職に就いた。

    兄はその姿を見届けるようにして、長い闘病生活のはてに黄泉の国に旅立った。
    彼はいま、自分の妻と母と同じ、
    村の高台にある墓地に眠り、四季折々の霊峰の姿を眺めては、実家に暮らす親父と息子のことを生前と変わらず心配していることだろう。

    小学校時代、
    24人の同級生の中にもすでにこの世にいない者もいる。
    キャンプに行き湖で何物かに足を引きずり込まれ浮かんでこなかった者、霊峰登山の途中、大きな落石に頭を打たれた者、
    雨傘を広げて木から飛び降りてそのまま目を覚まさなかった者、
    秀才だったのに会社勤めの心労から自ら命を絶った者…。

    その一方で、
    村で初めて東大に進んだ者、
    児童会長や生徒会長をやり、
    大人になって市議から市長に当選した者、
    町工場を起こして、いまでは地方でも有数のメーカーにまで大きくさせた者、アメリカにホームステイし寄宿の大農場に婿入りした者。

    人はよくこんなことを言う。
    平凡でもいいから、
    ささやかで幸せを感じながら長生きしたい…と。
    あの世の存在も黄泉がえりの事実も、信じようが信じまいが
    全人類に等しく訪れる「死」という人生の果てに向かって
    人に与えられた寿命という時計は、一秒たりとも脈飛びすることなく刻まれてゆく。

    小1でオール5を取ったきり、
    その後、秀才とも天才とも呼ばれなかった。
    絵画展での入賞は一度きり、書道展でも亡母の手本を上からなぞったのが入選したきり。
    生徒会ではわき役の幹事、大学も補欠募集で合格、学生寮でも副寮長どまり。

    宝くじが当たるわけでもなく、大金を拾うわけでもなく、
    三階級特進で出世するわけでもなく、持ち重りのするほどのボーナスを手にすることもなく、ただただ、淡々とこの歳まで来てしまった。

    そんな人はこの世に掃いて捨てるほどいるだろう。

    あの世に逝った者たちを除いて
    六年間をともに過ごした同級生たちははたしていまどこでどうしているのか。
    同窓会・同級会の類に一切参加してこなかったボクだって、
    もしもいま住むこの町で、かつての同級生とばったり出くわしたとしたら
    互いにそれとはわかるだろうか

    保育園から一緒にスタートしてはや半世紀。
    弱肉強食のレースなどではなかったボクたちの人生行路。
    いまこのとき、住む場所は違えど
    ちゃんと生きている者たちははたして何人?

    人の一生などこの超大な宇宙の営みに比べれば
    蚤の屁ほどの動きでしかなく
    そのスカ屁以下のどたばたを嬉しくも悲しくもさせるのは
    やはり、ボクという肉袋の心持ちしだいなのだろう。

    野辺にひっそり咲いたヒナギクを美しいと思いながら生きるのか、
    ホテルのロビーの豪華な装花こそが
    見るに値するものだとほざくのか、
    ボクの心の置き所ひとつで、胸に流れる“何か”の濃度が変わる。

    ようやくの夏の暑さに今夜飲む酒を夢想している。
    televisionのCMでN瀬という濃い顔の長身スターが、
    トマトをつまみにビールを飲んでいる。
    トマトでビールは飲めないだろう…カミさんと一緒につっこむボク。

    というよりA社のビールなんて絶対飲まないからどうでもいいが。

    人の嗜好は好き好き。
    刺身でビールを飲んでもいいし、
    お好み焼きおかずに白米食べても構わない。
    牡丹餅つまみにビールってのもアリ。

    給食始まりは小2から。
    いつもお替りしていた優良児。
    もちろん脱脂粉乳だっていつも3杯。

    同世代であの頃の給食をくさす人いるけど
    ボクなんて夢のようだったよ。
    毎日毎日変わる献立や(一応は)食べ飲み放題だし。
    コッベがまずいの粉乳が苦手なのと
    よくもまあ贅沢が言えたものだ。

    たまの弁当持参は薪ストーブの上に一斗缶をおいてその中にアルマイト弁当箱。
    ストーブ当番は焚き付け持参で早出する。
    火付けのコツは学校でも、家の五右衛門風呂でも学んだね。

    薪割上手な子供だったのだ。
    遠足の日に、なぜだか行きたくなくなって、
    ボクだけずる休みして、家で風呂の薪割していた。

    遠足のオムスビ。梅干しが嫌で、お袋にたのんだオリジナル。
    甘いいり卵と焼肉の具は、さすがに当時は異端視されて
    珍しがられましたよ。

    定番ははずせないな、と考えることと
    奇をてらっていつも冒険する人と、
    どちらが豊かな人生かな。

    夜、眠りにつく前に、突然に襲われる死の恐怖。
    死ぬことの恐ろしさは、我が存在がこの世から消えてなくなること。どこにも逃げ道のない強大な喪失感。

    肉体はおろか一切の記憶も思考も感情もすべてがご破算の真っ白け。ボク一人がいなくなっても
    まちがいなく世界は明日もまた同じ朝を迎えている。

    不帰の人に涙する知り人たちも、夜には安らかな眠りを貪る。
    そんなことを百も承知で、
    誰しも昼間は平気の平左で時を送るのだ。

    明日にはもう飲めないと思いつつ飲めば
    第三のビールも値千金のプレモルの味わい。
    明日にはもう口をきくこともできないと思いつつ
    妻と子供の顔を眺めれば
    くだらない駄洒落でも大切な心の通い帳になる。

    死の恐怖に気が狂わずにいられるのは
    それを考えずに済むような楽しいことがあるからだ。
    「the end」を先送りにして、今目の前にある〝生〟にすがりつきながら恐怖を忘れようとしているのだ。

    だから、夜眠りにつく時は小玉の灯りも点けずに真っ暗闇にするのがいい。光があれば脳みそは働いてしまう。
    あれやこれやの不安や、その果てのドンづまりのラストシーンまで
    よからぬことばかりが心をよぎる。

    夜、酒を飲み、ギターをつま弾いて、ぎりぎりもうダメだというところまで起きていて、
    睡魔にカラダが抗えなくなったなら、すぐさまベッドに入るがいい。ストンと眠りの国に落ち込んで、
    生きながらえたのかどうかは朝までわからぬ。
    それがもっともいい方法かもしれない。

    それでは、また♪(*'-^)-☆








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