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from: 弾き語りストさん
2016年01月26日 16時44分06秒
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還暦前厄で「コペ転」
2016年1月某日 朝玄関の寒暖計マイナス15℃ 雪ちらちら
最近、Liveのネタ曲(Liveの曲目)の傾向を少しだけ変えた。
客と思しき人々にオモネたいんじゃあない。
トレードマークのフォークソングに少しばかり飽きたから。
それでも依然として60~80年代のフォークソングは好きだし得意だし。
フォーク中心の曲構成も変わっておらず、
オフには日がな一日無尽蔵とも思えるそのジャンルのGuitar譜で練習漬け。
たいした違いはない。
同じ時代の日本の歌謡曲というかポップスというか、
そういうのの弾き語りをちょこちょこネタ曲にぶっこんでいる、というだけのこと。
たとえば、今度のLiveのネタ曲などは......。
欧陽菲菲、朱里エイコ、ヘドバとダビデ、湯原昌幸、あべ静江...
といういかにもな顔ぶれ。
元ネタの楽譜をもとに弾き語り風に少しアレンジして練習の日々である。
不特定多数の、客と思しき人々向けには、
聴いたこともないようなレアなフォークを演るよりは、
どっかで耳にしたことがあるぞ、という接点が少しでもある方が
シンパシーを得やすいにちがいないなどと。
ウケない自己満でなく、少しでも反応を期待するというのはある意味オトナな態度か…な。
しかもそのLiveは年間のオレのstageの中でも
数少ない貴重な"ギャラ有り"ステージなのだ。
参加費払ってやるのと、唄えてしかもお土産まで、天と地の差、雲泥の違い。
拍手の多さが来年のオファーにつながるのではというのは、根性サモシイかな?
アマチュアだからこそ、発表の機会は大切にせねば。
あの頃の歌謡曲は、亡兄が聴いていたレコードや、
テレビの音楽番組を通じて頻繁に耳にしていた。
オレ自身にもなじみなものばかり。
うろ覚えの歌詞やメロディは、
iPadでYouTube検索、ちょちょちょいでおさらいができる。
便利な時代になったものだ。
まあ、なんてゆうか、結構覚えているもんだな、と。
当時、小学生のオレはラジオのエアチェックをするわけでも
今の様にカラオケに行けるわけでもない、ただの山猿だったから、
おじいになった今、いざ弾き語りでやってみると、
細かいメロディの記憶は実にあいまいだったと知る。
当時はただ聞き流していただけだからそれは無理もない。
いざこうしてLiveのために譜面とYouTubeとを
照らし合わせて初めて細かい所に気が付く。
それとiPadの録画機能で自分の弾き語りを撮影して
初めて自分の歌い方の弱点にも気が付く。
自分ではまあまあGood...録画して再生すると、まったく上手くない。
歌詞への感情の込め方を工夫すると、まぁそれなりに。
さらに強弱や息継ぎなども修正すると、たしかにその分良くなる。
他人の目で自分の仕草の癖や、声の出し方、ギターの弾き方を見ると、
あちこち批評したくて仕方がない。
自分でやっていながらいい気分はしないが、他人からはこう見えるんだと思えば、
すごいお役立ちである。
自撮りで自己批判だからまだ気分的にはゆるやかで、
これが歯に衣着せぬ赤の他人からの辛辣な批評なら
自意識も自爆しかねぬな。
レコーダーで音だけ録るのとは段違いの自己分析ができる。
つくづく自分で思っているほど上手くはないし、
声もビジュアルも改めて自信がグラグラしてくる。
いや自信なんてそもそもないんだけど、
わずかな自意識で「そこそこは」という程度。
いやしかし、こうしてiPadで何回も再生を繰り返しているうちに
まるで中学生が初めてエロ本におののき、やがて歳を経て慢性化するかのように
冷静な心持ちで自分の姿と声・ギターを鑑賞できるものだ。
ダンスや演劇する人たちが鏡の前で練習する理由が分かる。
常に、他者の目を意識して自身をコントロールする。
表現って実はテメエ―の側からからでなく向こう側から訓練するもんだな、と。
これは還暦前厄にして初めて気づかされた"コペ転"である。
そんなこんなで、また。o@(^-^)@o。