-
from: 弾き語りストさん
2011年05月17日 18時18分52秒
icon
【淡泊にさらりとからりとあっさりと暮らしたい】
【淡泊にさらりとからりとあっさりと暮らしたい】
♪弾き語りストです
なにがしかの志を立てて、自転車などに乗って
日本一周を企てるような人でも無い限り、
足腰たつうちに日本の津々浦々を旅して歩くことなど
自分のような凡人にはできはしない。
何年にも亘り、毎週のようにいずこかの地へと出没して
現地で飲み食いし、おまけに事件まで解決してしまう
かの水戸黄門様ご一行だって、すべての都道府県を制覇していない。
けっこうディープでコアな海外に出かけている日本人はいても
読み方さえ知らぬような日本の片田舎へ行く酔狂人は…少ないだろう。
自分がおやぢになったからだろうか、
たとえ、アゴアシ付きのタダ旅券を貰ったとしても
インドや台湾に行くくらいなら、信号機もないような日本の僻地に
漂白の旅に出たいと思う。
人生の先が見えたからというより、
ずっと小さな子供の頃から、年寄りじみた夢想が得意だった。
東京にあこがれるよりも、裏山のその向こうにある未開の地に思いを馳せていたし、
新しい服をねだるより、
薪割りをしながら木の年輪を数えているようなタイプ。
これだけ交通網が発達した現代でも、
そうそうあちこち、気楽な旅に出られる人は
人口比率を考えてもそんなに多くない。
巣ごもり傾向といおうか、縄張り意識といおうか、
いったんそこに住み着くと、そうそう別の環境に身を置き直すのは
面倒くさいというより前に、カラダも財布もしんどいことになるので
農耕民族性向の強い人は転居・移転が嫌いだ。
旅行から帰って〝あぁー、やっぱりウチが一番いいわ〟
と、必ずつぶやく母親にも似て、
気を張らずに穏やかな気持ちで過ごせる環境にいることが
精神衛生上、もっとも人間らしくいられる。
犬の中でもそのアホさ加減で最後尾に位置するといわれる
ミニチュア・ダックスフントも、
個体差によっては三毛猫くらいの智恵のあるものもいる。
(自分ではなくある研究者による説なので、
愛犬家は私を闇討ちしないこと)
人間だって、
この広い宇宙にまちがいなく存在する
超高度な文明を持つ高等生物から見れば、
どれもこれも似たり寄ったりの性癖・性向で
ひとくくりできるような生きものでしかない。
大雑把に言って、自分も他人も大差のない我々が
あれが好きだのこれが嫌いだのといっても
大所高所から眺むれば、ウサギの丸糞ほどにも
こだわる必要もないことだ。
それなのに、
自分など寄ると触ると
ものの〝好き・嫌い〟に拘泥することが実に多い。
あの人が苦手だ、気にくわない、どうも気が合わないだの、
魚より肉が食いたいだの、安酒より吟醸酒が飲みたいだの、
文句たらたらの言いたい放題だ。
百八つあるという人間の煩悩。
その内訳には諸説あるが、乱暴になた割りすれば
「飲酒」「肉食」「異性」「金銭」「贅沢」
の五大欲との関係が断てれば
煩悩は解消される、と定義する人がいる。
多少の突っ込みは承知の上で、
「酒など飲みたいと思わず、菜食主義を通し、
カミさん以外に目もくれず、
暮らすに足る金だけ持ち、つましく」暮らせればいいわけだ。
なんのこたぁない、できるぜそんなことっ、ていうより、
今現在やっていることだって、いう声が方々から一斉にわぁーーーーと。
たしかに、たしかにだけれと、
アナタが生まれつきの下戸で、
どっちかと言えば魚好きあるいは野菜好きで、
まちがいなく不細工で異性に縁がなく、一向にうだつのあがらい平社員、
というひとなら、〝オマエはもう解脱している〟……わけだ。
揚げ足とるけど、
今そう状態にある、ということではない。
そのことを一瞬たりとも考えないで日々暮らすことができるかどうか。
ということを言いたいわけだ。
ネットからの受け売りで解説すると、
仏教でいうところの「六煩悩→むさぼり・いかり・おろかさ・あなどり・うたがい・わるい考えを持つ」が「六識→見る・聞く・嗅ぐ・味わう・感じる・思う」にそれぞれ対応し、さらにそれが過去・現在・未来に掛け合わされて、六×六×三=108…ということなんだそうだ。
もう、こうなったら、絶対無理。
「解脱」どころか、普通に生活することさえ、100%…無理。
改めて人間が「欲の塊であること」…実感・自覚。
正しき〝欲〟が自己成長のモチベーションになる。
なんてことを言い出すと
もうなにがなにやら分からなくなるので、
ひとまずは、必要以上の固執・執着を戒めて
淡泊にさらりとからりとあっさりと暮らしたいものだ。
それじゃ、また(*^^)v
コメント: 全0件