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from: 弾き語りストさん
2011年06月21日 17時07分31秒
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【コピー・カバーの弾き語り、お楽しみ倍増中!】
【コピー・カバーの弾き語り、お楽しみ倍増中!】
★弾き語りストです。
自分には「オリジナル曲」を創作する能力がないので
いわゆるシンガーソングライターの人たちを、
素直にすごいなぁと思う。
でも、もし自分に創作能力があったとしても
自分で作った歌を弾き語りたいとは、ちっとも、思わない。
多作のシンガーソングライターがすごいと思うのは
たしかにある種の「ワンパターン」傾向はありつつ
野球のバッターの打率よりもずっと高い割合で
「名曲・佳曲」を量産していることだ。
自作を発表したいというような人は
体裁の良いことを言えば「内なる欲求のどうしようもない発露」
がその動機になっているのだろうが、
身もふたもなく言えば、単なる「自意識過剰」にほかならない。
誰も聞いてくれないと分かっていても
自作曲を発表したい人はあまりいないだろう。
少なくとも、オレあるいはアタシの作った楽曲を
「イイ~っ」と感じてくれる人が絶対いると、と信じて
恥ずかしげもなく公表しているわけだから。
しかし、
多くの人が素晴らしいと評価するような
シンガーソングライターはその過剰な自意識が
ナルシストに陥らず、きっちりエンターテインメント性を
発揮していることだ。
聴く者の共感を得られないような
日記・私小説のたぐいのオリジナル曲は
プロ・アマ問わず発表すべきではない。
誰が、個人の日記を無理やり見せられて
感動するだろうか。
そりゃあ、有名作家やスキャンダラスな話題満載の人の
日記なら、別の動機からぜひ見たいとは思うが、
オリジナルであることを、なんだかとんでもなく
素晴らしいことのように、コピーやカバーよりは
断然オリジナルだよ、と主張するようなシンガーソングライターは
公のステージから降りて、どこかの河原で流れ石と川魚相手に
ワンマンショーでもやっていてもらいたい。
素晴らしいさまざまなシンガーソングライターの曲を
カバーで弾き語りしていて、いいなと思うことを5つほど。
【いいことその1】→自分ならけっして思いつかないようなメロディラインを歌うことで、歌の世界が広がる。
※それぞれの人独特のメロディラインで歌えば(自作の)ワンパターンに陥ることなくバリエーション豊かな歌の世界に浸れる。
【いいことその2】→自分の知らないコードが覚えられる。
※弾き語り譜などで示されるギターコード譜には、初めて見るものやけっこう難しいフォームもあり、自作なら考えもつかないコードがとても勉強になる。
【いいことその3】→男唄・女唄・オネエ唄…性を超えた楽曲に出会える。
※そうそう簡単に異性の心情を歌に込められるわけがない。カバー曲ならそれぞれの性の心持を弾き語りでなぞることができる。
【いいことその4】→聴く人はオリジナルのシンガーソングライターの先入観で聞いてくれる。
※多少の下手さかげんも、聞き手にはオリジナルシンガーのイメージが予めインプットされているので、その分、多少の割引応対で聴いてもらえる。
もっとも、逆に、ぜんぜん似てないとか、カバーするなんておこがましいとか冷たい視線を浴びることもあるから、心しておかねば。
【いいことその5】→自分なら恥ずかしくて書けないような歌詞も、他人のカバーならわりかし平気だ。
※自作ならぜったい歌えないあんな歌詞こんな歌詞も、借りものなら赤面しないでさらりとやれるから、不思議だ。
それでもまだ、コピーやカバーはしょせん人まね・物まね。
オリジナルを創作・発表してこそのミュージシャンだよ、
という人に向けて反論。
それほどいうなら、
オリジナルで、感動打率3割以上を百曲以上こしらえてみてくれ、と。それができるならプロ・アマ問わず
たいしたシンガーソングライターだと、尊敬・敬服する。
カバーの弾き語りというのも、けっこう奥が深いもので、
(さすがに現代はnet検索で可能だとはいえ)楽譜を手に入れても、かならずしもオリジナル音源を耳にすることができるわけでなく、ましてやそのシンガーソングライターの顔すらも分からないことが多い。
テンポやリズムや歌い方なんかは、楽譜を頼りに何度か弾き語りするうちに、なんとなくこんなんかな〜という形ができてくるが、
たまにばったりオリジナルを聴く機会があって、自分のとの
ギャップに驚くこともしばしばだ。
そうなると、
カバーとはいえ、自己流アレンジというか自己流の解釈が施されるので気に入った曲を歌いこんでゆくと、
いつのまにやら「自分のもの」になったと勘違いしたくもなる。
世間には、
オリジナルよりもコピーの方が格段にいいっ!という場合もある。
庇を貸して母屋を盗られる、恋人を友達に紹介したら寝取られる、
貸したままになってた本がnetオークションに出品されていた、
他言無用の噂話に尾ひれはひれがついて世間に出回っていた…のように、コピーした側がオリジナルを凌駕して、いつのまにやらコピーが本物になるケースもある。
(例えが的外れか?)
借家に住んでいても、借用年数を重ねれば、居住権というものが発生し、大家といえども無理やりに店子を追い出すことはできないと聞いた。
この手でいけば、
オリジナルのシンガーソングライターの歌をカバーした者が
ものの見事にオリジナルを超越してしまえば、
オリジナルがいくら
「それは俺の歌だから勝手に自分のものにすんなよ」と
抗弁しようとしても、もうすっかり自分のもの(モノ)にすれば
コピーもオリジナルであると主張できるんじゃないか?
と、
なんだか著作権も特許も知ったことじゃないと平気でコピーパクリまくりのどこかの国みたいになってしまい、それはかなわない、そこまで面の皮を厚くしてしまったんじゃ音楽を心底愛するものとして致命的な汚点を残してしまうとばかりに、やはりカバーはカバーの領分をしっかりと守って、オリジナルに敬意を持ちつつ、さりげなく自分の個性をちりばめる方がよろしいようだ。
物まねの世界でも、
単にトラの威を借りて口に糊している芸人と
「コロッケ」のように、もはや物まねの域を超越して
独自の解釈とたゆまぬ精進により、
新たなコロッケワールドを完成させている人もいる。
歌の場合は、
アレンジしすぎたり、変な歌唱法で原曲を損ねてしまうのは
逆効果なので、オリジナルを尊重しつつ、自分なりの解釈をどう嫌味なく表現するかが重要だろう。
結論…。
自分と身内だけが相手なら無感動オリジナルをしこしこと。
不特定多数に向けて発信するなら三割以上の打者のみ出場すべし。
そして私は一生、人のふんどしで相撲を取り続けることだろう。
それじゃ、また!
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