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弾き語りストの独り言

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公開 メンバー数:7人

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  • from: 弾き語りストさん

    2012年08月17日 17時35分40秒

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    弾き語りストよあの星を目指して

    残暑の蒸し暑さに毎日汗だくで、
    カラダがクサくてクサくて仕方のない、★弾き語りストです。

    アマチュアの弾き語りストも、
    目標・目的を持って練習をするとヤリガイとハリが出る。

    〔弾き語りスト〕とは〝アコギの弾き語りをする人〟
    というくらいの意味だ。

    四十代後半まで、オレは単なる宅弾きの弾き語りストだった。

    〔宅弾き〕とは〝自宅でアコギを弾く弾き語りスト〟
    というくらいの意味だ。

    あることをキッカケに、Liveで弾き語りをする楽しさに目覚めた。
    性の目覚めと同じくらいにドキドキして、Hの覚えはじめほどにも夢中になった。
    キッカケを作ってくれた人物とは今は絶縁状態だが、感謝はしている。

    自力でいろんなLiveイベントを探しては参加を申込み、いまでは年間で30本くらいのLiveに出るようになった。
    「ライブでは同じ曲をやらない」ことを自分なりのルールにしている。
    その理由はただ一つ。ネタ曲の在庫の問題だ。

    オレの弾き語りの楽曲のジャンルであるのが〔70年代フォーク〕。
    そのGuitar譜をNetオークションやNetショップで探しては集め、今ではけっこうな冊数になった。

    その楽譜にはまだまだ知らない曲がたくさんあって、おそらくはそのすべてを一通り弾き終わるまでは、生きてはいられないだろう。

    となると、同じ曲を二度も弾き語りしていては間に合わない。
    ゆえに、Liveでは同じ曲をやらないことにした。

    さらに、それゆえ、Liveのスケジュールに合わせて、どんどん新しい曲を練習することになる。

    Liveの日から逆算してみると、練習できる日数も限られる。
    いきおい漫然とした練習ではなく、集中的にかつ長時間アコギと立ち向かうことになる。

    たかだか素人の弾き語りだから、自分で言うほどたいしたことはなく、エラそうにあれこれ言うのも赤面ものだが、
    人前でやるからには、中途半端なやっつけで無様なことはしたくない、というのも本音ではある。

    聴き手はこっちが考えるほど真剣には耳を傾けていないし、
    第一、聴きたくて聴きに来ているわけではない人がほとんどだから、
    それだけにこちらが適当にお茶を濁した弾き語りをしていると、
    あまりの出来の悪さに、小心者の取るに足らない自尊心は木端微塵に破壊されるため、すくなくても聴くに値する最低限度の練習は必須となる。

    無尽蔵と思えるほどの楽曲が存在する〔70年代フォーク〕も、
    好きな時に好きなように、自宅やカラオケ店で唄っていればこの上なく気楽だが、そうすると同じ曲を、針の飛んだレコード盤のように何度も繰り返してしまうことも多い。

    その点、Liveに向けて新しい曲を練習し、
    それが終われば次の新しい曲をGuitar譜から探してきて、再び練習を開始するようにすれば、ひと区切りのついた弾き語りの練習ができるし、そのために練習に飽きるということもなくなる。

    ある意味、
    Live向けに弾き語りの練習をしているように見えて、
    実は宅弾きの弾き語りの趣味に飽きてしまわないように、Live出演を利用しているのかもしれない。

    いまとなっては、何の目的もなく何を目指すわけでもなく、
    ただ漫然と宅弾きをしていたことが、どれほどつまらなかったかと思えるが、〝Liveに出て、弾き語りをやる〟という発想がなかった頃は、
    ただアコギを弾いて唄うだけでも、けっこう楽しかった。

    元々、人前でなにかをやるなんて、自信過剰で自意識過剰な人間の所業だと考えていた節があった。

    プロはそれを商売にしているが、アマチュアや素人が人前で何かをやるのは、単に目立ちたいから、注目されていい気分になりたいからといった面の皮の厚い行為だと考える時代もあった。

    そんな心持が変化したのは、ある野外ライブで通りすがりの観客だった老夫人のひと言と投げ銭の千円だった。

    はやい話が、自分の弾き語りを聴いてくれて「とても感動しました、少ないですがぜひ受け取って」と、
    嘘ではない心からの賛辞とともに、紛れもない身銭を切ってくれたのだ。
    ライオンのタテガミ首相じゃないが、自分の方が逆に〝感動した!〟。

    それ以来、こういう風に考えるようになった。

    〝アマチュアの弾き語りを聴く人たちというのは、ある意味プロを聴く場合よりシビアだ〟

    …プロならお愛想でも拍手するが素人相手ならなんの躊躇もなく無拍手・無反応だ。

    それならそれでいいじゃないか。中には自分と趣味・志向のあった聴き手がいて、拍手もしてくれるだろう…
    〝アコギと歌が好きなのはウソ偽りもなく本当のこと。ならば家で唄っても人前で唄ってもなんら変わりはないんじゃないか〟

    人前で歌うのに、〝聴いていても聴いてなくても、関係ない〟というのはさすがにウソだろう。

    できれば拍手が欲しいし、良かったのかどうかの反応は気になる。
    大事なのは、そこに過度な期待や必要以上の自己顕示をしないことだろう。

    〔泰然自若〕とはいかないまでも、
    自分なりの努力で練習をして、心をこめて弾き語りして、そのあとの反響は観客まかせ。

    ウケてもウケなくても極端な一喜一憂はしない。これが理想だし目指すべき姿勢かな。

    日本各地にいる、セミプロ、玄人はだしのアマチュア・ミュージシャンたち。そのなかでも、ソロの弾き語りで、聴く者を感動させることができる実力者たち。彼ら彼女らはいつもどんなことを考えながら唄っているのだろう。

    そういうレベルに達している人は、天性の声質や持って生まれた歌の上手さに加えて、その容姿や、まとっている雰囲気というものが、おそらくキラリと光っているんじゃないかな。

    たとえ、見た目が地味で凡庸であっても、その瞳の奥に秘めた純度の高いひたむきさが感知できるだろう。

    そして、さりげなく手にするアコギは良く手入れのされたmajorブランドもので、弾きはじめれば、豊富な練習量がうかがえるようなテクニックと、口惜しいほどの美音があたりに響きわたる。

    習いごとの上達は練習以外には無いとは、当たり前のようによく言われる箴言だ。玄人だとか素人だとか、上手いとか下手だとかと言う前に、
    もうひたすら練習をする。わずかな時間を見つけて練習をするのが、遠くてもっとも近い上達の道。

    オリンピック本番の競技の数々を見ていて誰しも思うのは、
    どんなに過酷な練習をこなしてきても、本番に向けて最高潮の状態に仕上げるのは難しいということと、
    どんなにたくさんの練習を実践してきても、本番でその実力が発揮できないアスリートが実に多いことだろう。

    才能と実力のある人が正しい練習をたくさんこなせば頂点に立てる。
    才能はないが努力だけは人一倍した人はそこそこのところまでゆける。
    才能も実力もないように見えた人が大舞台で思わぬ好記録を打ち出す。

    もはや禅問答かなにかのようにわけが分からなくなるが…、
    とどのつまりは〝好きこそものの上手なれ〟というベタな結論に行き着く。

    誰に見せるわけでもないが、とにかくアコギと謳うことが好きなんです。だから、暇さえあればアコギを抱えて弾き語りしています。
    そして、練習の一区切りをつけるために、Liveに出て、人前で唄います。

    拍手があれば単純に嬉しいし、投げ銭があればもっと嬉しいし、道ならぬ恋が生まれれば胸が疼きます。

    そんな、私は、死ぬまで〝弾き語りスト〟。

    それじゃ、また!。.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))

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