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from: 弾き語りストさん
2011年08月30日 11時16分50秒
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【ヤンマ系のデカトンボに会いたい】
【ヤンマ系のデカトンボに会いたい】★弾き語りストです。♪畑のトンボはどこいった♪と、よしだたくろうは唄った。♪赤とんぼ羽をとったらアブラムシ♪と、あの
【ヤンマ系のデカトンボに会いたい】
★弾き語りストです。
♪畑のトンボは どこいった♪と、よしだたくろうは唄った。
♪赤とんぼ 羽をとったらアブラムシ♪と、あのねのねは唄った。
トンボの羽が嫌いだとカミさんは言った。
トンボの目玉が気持ち悪いと息子が言った。
珍しいものや希少なものには高い値が付く。
それがたとえゴマ粒のごとき珍品でもだ。
オレがまだ、鼻くそばかりほじくっていた子供の頃でも、
赤とんぼよりは、オニヤンマ・ギンヤンマの目撃数は
圧倒的に稀有だった。
しかもそいつらは珍しいだけでなく、
圧倒的な迫力を伴ってオレたちの目の前に出現した。
たとえるなら、
海外生産の安物アコギがうにょうにょ飛び回っている中に、
突如としてGibson(オニヤンマ)やMartin(ギンヤンマ)などのの高級機が
突然、出現するような、どえりゃー驚きなのだ。
もちろん、
これはもののたとえで、山育ちの鼻くそ小僧が、同時ギブソンもマーチンも知っ
ているはずもなく、最大の関心事は合成甘味料のオレンジジュースや明治ヌガー
チョコバーのことばかりであった。
いまでも、
ちょいと郊外の水のキレイな場所にゆけば、
爆撃機のごときオニヤンマやニヒルなスパイナーのごとき
ギンヤンマに出会うことはできる。
しかし、オニヤンマのあの圧倒粋な大きさと王者の風格は、
目の前に、すっと現れただけで、一瞬息をのむほどの、驚きがある。
個体差はあるが、あのオニヤンマの大きさというのが、
子供の目にはちょうど良い驚きの大きさなのではないだろうか。
もしあれがもっとずっと大きかったら、
驚く前に恐ろしさが先にたって、その場から逃げ出したくなる。
逆に、もう少し小さい場合は、あれほどの感激はない。
見るからに神々しいオニヤンマやギンヤンマは、
捕まえたという記憶がない。
なにかそれらは捕獲するべきものではない、
犯しがたい神秘性があったのかも。
いや、ただ単に捕まえられなかったのか?
虫になじみがあるとかないとかというのも変な話だが、
鼻くそ小僧の頃からいろんな虫に接していると
大人になってもそれにあまり拒否感はない。
今の子供は…なんて普通のことは言わないが、
日常生活の中であまり見かたり接することのないものが
突如あらわれると「うぁ!」てなことにはなりがちだ。
毛虫・ヤモリ・蜘蛛・ゴキブリ・蚊やハエ・蛾や甲虫など、
山国の田舎に生まれると、好き嫌いとは無関係に
それらと接することが多いから、見るのも嫌だという種類は
それほど多くない。
ところが、
この世には見たこともない怪奇な生き物がたくさんいて、
どこをどういじくれば、これほど醜悪で悪趣味な形状・形態で
発生してきたのかという、ゲゲゲな生物がいる。
そんなものに遭遇すればオレだってびっくりするし、
触るのも見るのもおぞましい。
トンボが嫌い、蜘蛛が恐ろしい、早くその蛾を始末してくれという
家族の切なる要求を笑うことはできない。
〝昆虫界のサカナくん〟みたいな人は、
そういう希少なものを発見する感動に出会いたくて
うずうずしてしているだろうが、
オレは今、ごく普通に「オニヤンマ」「ギンヤンマ」に出会いたいと思う。
それじゃ、また!(^-^)ゞ -
from: 弾き語りストさん
2011年08月23日 16時45分11秒
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【7月になればおやぢは…July Come Oyagi Will…】
【7月になればおやぢは…JulyComeOyagiWill…】★弾き語りストです。7月…それはLive三昧のひと月。過去最多の月間6回のLive出演。
【7月になればおやぢは…July Come Oyagi Will…】
★弾き語りストです。
7月…それはLive三昧のひと月。
過去最多の月間6回のLive出演。
毎週末のLiveは充実、満足しつつまだまたやれる、
目指せ月間10回の自己新記録!というところか。
この調子なら、
今シーズン、過去最多の20回越えも、当確圏内?
ダルマに目入れ、くすだまでも割ろうか。
7/10…S市郊外の森の中にある芸術文化系の施設。
ここで三年前からの路上ライブに参加。
この日、今季6回開催中、4回目のLiveなり。
前日の飲み会の名残りもなんのその、
リハーサルなしで全10曲走破。
使用アコギ「Greg Bennett CJ-14E」
フリーマーケット目当てにやってくる人たちの、
関心・無関心の視線にさらされながらのLive。
大きな拍手や声援がない代わりに気楽に弾き語りできる、最高の場所。
時折、足を止め、聞き耳をたてる人もあり。
物珍しげにおやぢのストリートに冷ややかな一物、いや一瞥を投げる人。
柄の悪い幼稚園児にいじられることもなく安心。
外で歌うはキモチ良く、空に向かって声張れば、
歌声が大気に抜けてゆくようだ。
風でめくれる譜面を押えては、日差しにハゲアタマを炙られつつ、
ここは本当に楽しいLiveスペース。
7/16…C市のH楽器二階のLiveスペース。
今回2回目の参加。
使用アコギ「Crafter GCL-80」
レベルの高い出演者が多く気後れするばかり。
やらずにこのまま帰ろうか…いい歳して弱気な私。
ここでも4曲、70年代フォークを演る。
小さなスペースだけど結構音が響きが良くて
時折のハウリングはギター向き変え回避。
ささやかで温かな拍手と知り歌の口ずさみを耳にしながら
新ネタもやりました。
ここは毎月Liveを実施しているので、
この先も「出禁になるまで」可能な限り出まくりたい。
7/17…S市N区のイベントスペース。
倉庫だった建物が地域のイベントスペースとして復活。
そこの夏祭りのステージにLive出演。
使用アコギ「Forch D41」
観客席に屋台やテーブルが集結、夏のお祭りシーンがそのまま
詰め込まれたようなにぎやかでいい雰囲気の中、
ユニークなプログラムが展開。
そのひと枠をいただいて70年代フォークを数曲弾き語り。
もうもうとした焼き物の煙も、ざわざわとした夜祭のような雰囲気も手伝って、
とても気持ちの良い弾き語り。
まずまずのメジャー曲を選んだので、
70年代フォークど真ん中のお客さんはきっと一緒に唄ってくれたかも…。
後日、イベント主催者から「反応良かったよ」とのこと。
来年も、ぜひおじゃましたい。
7/23…C市のアウトレットモールの路上Live。
ずいぶん以前から毎年開催のイベント。
残念ながら今回が最終回とのこと。
もっと早く知っていれば…良かった。
使用アコギ「Faith Saturn」
空港近くのアウトレットモール。
隣町に大手ディベロッパーが手掛ける
全天候型のアウトレットモールがopenしてからやや旗色が悪い。
休日なのに客足が淋しいのは屋外typeゆえか。
広場の一角で他2組の出演者と競演。
ここでも70年代フォークを全10曲弾き語り。
途中、声枯れで苦しくなるも、つむじ風に楽譜を飛ばされながら完奏。
まばらな観客、かすかな反応、けれど貴重なLiveステージ。
かえすがえすもイベントの存在を知るのが遅かりし由良の介…。
7/24…S市A区の芸術祭Liveイベント。
今年から始まった新しいイベント。
ダンスやボーカルなど、年若いアーチストも出演。
使用アコギ「Taylor 110」
JR近くで、近在に大規模団地を控えるだけあって、
人口増が著しいエリアのnew movement。
例年、多数の屋台とにぎやかな舞台イベントで盛り上がる同じ場所で、
こじんまりとした屋台群、それでも三々五々集まった観衆は、
夏のお祭り気分ノリノリでけっこうな盛り上がり。
りっぱな野外ステージは広くゆったり。
МCの合図あるまでしばしの70年代フォークtalking。
増殖中の全国各地のアコギ弾き語りおやぢのお話をひとくさり。
リアルな70年代フォーク世代は、
人生の下り坂をゴロゴロ、早や余生のソロバン勘定。
ギターを抱えて思い出をつま弾けば、
しばし忘れるか浮世の憂さを。
持ち時間多少あまりたりて、練習がてらの新ネタ披露。
以前は好きでなかったこのシンガーも、喰わず嫌いのそれでした。
先入観で思い込み大切なこと見落としている、損な性分でしょ。
ステージ後、イベント主催者から「アンコールあるけど、ぜひまた今度」。
ありがたや、やり甲斐弾き甲斐唄い甲斐ありのひととき。
7/30…S市S区のLiveハウスでフォークの集い。
全国組織フォークの支部の、練習会と称したLiveイベント。
凄腕のアコギ弾きからメタボのおやぢ弾き語りストまで参加。
使用機は「Simon&Patrick S6」
YAMAHA・Guild・Martinの高級機を抱えた人々の中、
一人、マイナー中古アコギで弾き語りに臨む。
三曲やって、休んで二曲。入れ代わり立ち代わりで5時間のロングランも
あっという間の楽しいひとときなり。
7月…それはLiveの花盛り。
それじゃ、また! -
from: 弾き語りストさん
2011年08月11日 12時21分42秒
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【高速を行くリッチで優美なワシの帰省プラン】
【高速を行くリッチで優美なワシの帰省プラン】★弾き語りストです。お盆にカミさんの実家のあるN市に帰省することにした。片道430キロ、車で約8~9時間。
【高速を行くリッチで優美なワシの帰省プラン】
★弾き語りストです。
お盆にカミさんの実家のあるN市に帰省することにした。
片道430キロ、車で約8~9時間。
単純に……遠い!
が、何度も走っている道なので、
おおよその感じがつかめるから、大変さは多少まぎれはする。
常々、定期便で往復しているトラックドライバーにしたら、
なに言っているもんだか、それくらいで、というところか。
今年は一般道でなく高速をゆくことにしている。
無料化実験も終わり、ETC車でもないので、
NEXCOの割引は享受できないが、
金さえだせば時間が買えるとばかりに、
高速道路の恩恵に浴することにしたい。
N市方面に向かう高速道路は今秋に全面開通する。
それには間に合わないから、
途中、高速をいったん降りて一般道を経由して、
再び開通済みの高速にのり、終点でまた降りて一般道をN市まで走る。
Kインターから乗ってCジャンクションまで10分、そこからD自動車道に入りUインターまで約40分。ここから一旦、一般道に降りて、一時間半走り、再び、Sインターから高速に乗り、今度はHインターまで一時間半。この間、約四時間。
早朝に最初のICに乗れれば、120キロ走って十時のお茶の時間に間に合う。インターを降りて一般道を約200キロ走ると、さらに四時間足らずで最終目的地に着く。
一般道を走った場合の距離、430キロというと、東北の青森から福島あたりまでと同じくらいらしいが、そう考えるとえらく長くてしんどい感じがするのに、この地方はとてもエリアが広いのでまあそんくらいはかかるべね、と思えてしまうのが、いと不思議だ。
さらに高速だと距離が短くかつ信号やら渋滞がまったくないので、
走る距離に比べてのドライバーの疲労感には格段の差がある。
一般道を走るより、高速利用の方が、とうぜん早いのだが、
短縮できるのは約1時間。思ったより早くはない。
制限時速で走っても、交差点や信号機がないのだから、
もっと短縮できてもいいようなものだが、
やはり一般道への途中下車がNeckなのか。
実は、東に向かうその日は、途中のO市で「大花火大会」開催日にあたり、えらい数の見物客が会場周辺に向けてシロアリの大群のごとき列を為すという。
一時間の間に二万発打ち上げられる花火は、この地方でも最大級で、すでに60年の歴史がある。会場の河川敷には「有料観覧席(4,000円くらい)」も設けられる。
今夏は全国的な猛暑に足並みをそろえてこの地方も、実に…暑い。
浴衣すがたで、たそがれの河川敷きにゆるゆるとゲタを鳴らしてでかけるのは雰囲気があるが、こちとらそんなことぁ関係ない。とにかく混雑を避けて東端に向かいたいのだ。
時間もgas代も気にしなくていいなら、
一般道を道草喰いながら、のんびりのったり休み休みゆけばいいが、
できれば疲労少なくなる早で現着したい。
この時期の日の出は四時過ぎ。
五時に家を出ればN市には昼過ぎには着く計算だ。
着いてから昼飯が食べられるのと、お八つの時間にやっとこさ間に合うのとでは、そのあとのゆったり度が格段に違う。
実家で昼飯よばれて昼寝して起きてお八つを食べてまたゴロ寝して、
起きたら早めにひとっ風呂浴びさしてもらい、風呂上りにキリンの一番搾りなどぐいっとやり、そのあと豪華な夕餉のメインイベントに吟醸純米酒付きで向かうのと、着いたらすぐお八つで、寝る間もなく風呂を急かされ、風呂から上がった思いきやあたふたと夕飯のテーブルに張り付くのとでは、江戸時代の将軍と素浪人にくらいの余裕の違いがある。
人間関係や夫婦関係と同様、道路というのはできるだけまっすぐな方が快適だ。猛スピードで峠を攻めたいとか、ヘアピンカーブでタイヤをきぃーきぃー言わせたいドSなtypeの人ならいざ知らず、ノーマルな性癖の人はまっすぐな道をゆっくり走りたいと思うものだ。
変化のないドライブは眠気を誘い事故にもつながる。
運転していて眠らないようにする方法はいくつもある。
すごく辛いガムを噛む、えらくしゃきっとするドリンクを飲む、デカ声で歌を唄う、同乗者とひっきりなしにしゃべりまくる、窓をオープンして風速100キロの風に当たる、目の下にメンタムを塗る、太ももをペンチでつねってもらう、肛門にネギを入れる…etc.
とはいってもいちばんいいのは、眠くなったらPAやSAで休むか、ドライバー交代だが、高速の場合はそうそう眠気に合わせてPA・SAがあるわけでなし、ウォークスルーのクルマでも、運転しながらドライバー交代などという、引田天功みたいな荒業は無理にきまってる。
いくら肛門をしめても屁は待ってくれないのと同じく、
眠気はその攻撃の手をぜったいに緩めてはくれない。
眠っちゃだめだといいながら見逃してしまったえぬえちけーの除夜の鐘や、眠っちゃイヤといわれていたのについつい寝てしまった初夜の日のように、男は何かと眠気を我慢できないものだ。
人は退屈すると脳が眠たくなるように信号を発するようだが、
そうなると、えぬえちけーの大晦日の番組や新妻とのベッドインが脳をつまらなくさせてしまったことになりちょっとまずいことになる。
一般道というのは実に変化に富んでいて、
道はグニャグニャしているし、信号や渋滞や路肩を歩く美女や、トンネル内の地縛霊など、ドライバーを飽きさせないイベントがもりだくさんだ。
それに比べて、高速道路は、きまじめで冗談の通じない童貞男のようだ。変化のすくないコース、見晴らしの良いだけの景色、単調な道路標識、○カの一つ覚えのように追い越しをかける高級車、うるさくてカーラジオが聞こえにくい風切音…など、脳に刺激をもたらすものが少ない。
ただ、
この地方の高速道路はけっこうスリリングでノンフィクションな事態もときたま発生するので、その点は、評価できる。
命知らずの当たり屋のごとき野生動物のいきなりの飛び出し横断、
飼い猫が死んだ悲しみのあまり高速を逆走する独身男、
便利だからと徒歩で高速に侵入してくる自転車や民間人など。
予測不能のイベントに対処するために脳は退屈していられないので、
緊張しっぱなしでハンドルを握ると、かなり疲労する。
家族はみな免許持ちなので適宜交代して走るのだが、
つくづく長距離は大きなクルマで行きたいと思う。
レンタカーでキャンピングカーなど借りるという手もあるが、
先立つものがないときには、できるだけ車中で快適に過ごせるアイデアが必要になる。
普通、人間を快適にさせるには、
いわゆる「五感」を刺激すればいいことになっている。
つまり、「見る・聞く・嗅ぐ・触る・味わう」の各ジャンルで、
的確で楽しい刺激が与えられれば、快適な長時間ドライブが約束される。
「楽しく見る」→遠景から近景まで万遍なく舐めるように見る。
【解説】高速から見下ろす下界の一般道をあくせく走る庶民をちら見しては、ははは庶民は大変だね、このクソ暑いのに信号待ちやら渋滞やらであれあれあんなに汗をかいていて実に見苦しいね、ワシなんかそんなのとは無縁だもんね、とばかりの優越感に浸る。
「楽しいことを聞く」→タダで聴けるラジオなどスイッチを切って、Netオークションで落札しためったに市場には出回らないような洋物のCDばかりをじゃんじゃかかけてでたらめの英語の歌詞をデカ声で唄いちらす。
【解説】ようするにタダというのは心が卑しくけち臭さの権化なわけで、そういうものをやすやすと受け入れてしまっては五感はよろこばない。優越感にひたり自尊心をピきピきいわせながら舶来物を賞味することこそ選ばれし者の特権なのだ。
「楽しいものを嗅ぐ」→標準装備のエアフィルターを通した清浄な空気を吸い込み肺に送り込む。
【解説】一般道を行く庶民は道端の犬の糞やら畑地から流れてくる肥溜めの匂いやら、ダラダラと前方を走るダンプのディーゼル排ガスを嗅がなければなんないが、軽快に疾走するワシのクルマはただでさえ高度のある上空の澄んだ大気を浴びつつ、さらに高性能のエアフィルターとカーショップで贖い求めた森林の香りのするカーコロンにより、香しい車内空間が形成されておるのだぞ。
「楽しいものに触れる」→ドライブ中のメインの〝お触り〟はハンドルだが。考えようによってはそれ以外のいろんな部位をお触りすることで脳が刺激を受けて退屈せずにいられる。
【解説】夏のドライブは足回りのしっかりしたサンダルや風通しのよう軽いshoesがいい。運転しながらでも蚊に刺された脚をもう一方の足指でかじかじする。もしも助手席に美人の若いカミさんやカミさんではないが美人の女子をのせていたら、利き手と逆の手を駆使して〝お触り〟するのも刺激的だ。
「楽しいものを食する」→そのまんまのことだが、ドライブ中でも美味いものを食する。車の運転は体を動かさないが、やけに腹が減るものだ。
【解説】加齢により下の方がゆるくなると、若者と同じペースで飲食すると、そうそう路肩一時停止ができない高速ではアカンことになる。渋滞ドライブ時の簡易トイレなるものも市販されているが、さすがにドライバーが使うのは至難の技だろう。「小」はいざ知らず…「大」なんて(汗)どう使うんだぁ。下の方が元気ハツラツなら、乗車前に食糧をしこたま買い込んで、優雅に風景観賞しつつ食すれば退屈しないし食欲も満たされて一石二鳥だ。
このように、一般道から高速道路にルート変更するだけで、
実にリッチで優越感にあふれたドライブが可能になる。
今年の夏の旅は、ものは試しで高速利用をお勧めする。
※NEXCO東日本の人、なんかくれ。 -
from: 弾き語りストさん
2011年08月03日 11時16分23秒
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明日に向かって弾くべし!
★弾き語りストです。全国のたいていのアマチュアアコギ弾きの、普段の練習場所は…〝悲しい〟。中には、専用の練習ルームを持つプチブルな人もいるかもしれない
★弾き語りストです。
全国のたいていのアマチュアアコギ弾きの、普段の練習場所は…〝悲しい〟。中には、専用の練習ルームを持つプチブルな人もいるかもしれないが、大多数はツマシク、かつもの悲しいに違いない。
最近知り合ったおやぢ弾き語りストの練習場所は
近所の河原か車の中だという。
家の中でのguitar音やsing声が憚られるから、というのがいかにも切ない。
自分とていばれたものではない。
夫婦の寝室の半分が練習場所。
そこに12本のguitarを保管し、モニター用の小アンプ、譜面台、
書き物用の小テーブル、普段使いの楽譜集置き、譜面用のcolorボックス、guitar小物を収めたコロコロ付プラ製物入れ、木製椅子などが
キオスク並みの窮屈さでレイアウトされている。
YouTubeを覗くと、外国の弾き語りスト達の多くは、
暖炉のあるログハウス風の広い家の中でのびのび弾いていたり、
地下室や倉庫のような場所でなにも気兼ねすることなく
デカ声でguitarをかき鳴らしていたりして、なんだかズルい。
経済大国なんてもはや声高に言えなくなった日本だけど、
庶民の住宅事象はあいも変わらず、世知辛い。
生まれ育った田舎の家には部屋が12もあった。
田舎の家はたいてい広くて部屋数も多い。
そんな豪邸でもないただの古い家だけど
農機具用の中くらいの倉屋(くらや=蔵)まであったから、
いま考えれば、なんてぜいたくな家だったのだろう。
いま思えば、あの蔵の中なんて弾き語りするのに最高だったのにな。
小高い丘の上の小さなログハウスに住んで、
誰に気兼ねすることなく思いっきりguitarが弾けたら、と
昔はよく夢精…いや夢想したものだ。
格安のライブハウスやレンタルスペースがあれば
それを活用するのも一手だが、
それは稼ぎの良い高給取りや太い親のすねがかじれる
学びの徒のいうセリフだ。
しがない「小遣い生活者」にそんなことは非現実的だ。
最新の調査によれば、
五十代サラリーマンの小遣いの全国平均は36,000円だとか。
何某かの役職に就いているであろうこの世代にしてこの金額なのだ。
自分はこれよりもずっと少ない。
弁当持ち、タバコ吸わない、外で飲まないのエコ三原則を遵守したとしても、けっこう厳しい状況が長く続いている。
以前にも書いたが、
自宅の練習場所で普通に弾き語りの練習をする場合、
音が外に漏れて隣近所から迷惑がられる。
音が家の中に響いて仮眠中のカミさんからクレームが入る。
自宅弾き語りストのおやぢにとっての難問は、まこんなところだろう。
で、それを忌避して近くの公園に避難したり、
加茂の河原(京都市内の場合)や広瀬川の河原(仙台市内の場合)に
逃げてそこで練習をする…というのは、やはり
おやぢの弾き語りストとしてはやや弱腰といわねばならない。
そんなこといったってよー、とアナタは抗弁するかもしんないが、
いくつか手はあるものだ。
雨の日なら雨音がguitarやsongの音をミュートしてくれる。
(なんかユーミンの歌みたいでむーでぃだな)
ゆえに台風や大嵐の日は絶好の弾き語り日和なのだ。
雨音を突き抜けて隣近所にまでguitar音とsing音が届くなら
それはそれでけっこうな腕前の持ち主といえよう。
音が漏れてまずいな、という自覚は、
弾き語りしている自分もまたその音を聞いていることから起こる。
ならば、headphoneを装着して、自分の弾くguitar音もsing音も、
どれだけの大きさで発せられているか、わからないようにしてしまえば、傍若無人にガンガンとやれる。
恥はかきすて、家族はおろか隣近所であっても、頓着しない。
〝ピアノ殺人事件〟というのは過去の事件簿にもあるが、
〝アコギ弾き語り殺人事件〟というのはまだ聞いたことがない。
あすこのおやぢの弾き語りがうるさくてとうとうそいつを
殺っちまった、という事件はまだないのじゃないか。
だからここはひとつ、腹をくくって自室でミディアムボリュームくらいで心置きなく弾き語りを再開しよう。
急ブレーキを踏んだことのないドライバーは、
とっさの場合に、意外と思い切った踏込みはできないものだ。
実弾発砲する機会に恵まれなければ、
なかなかスクランブル事態に際して、どばぎゅーん、とはぶっ放せない。
Live出演のチャンスを手に入れても、
普段からデカ声で実践してなければ、即応は難しい。
もちろん、浜辺で潮風を受けながら発声し続けるという
演歌的荒業が可能な環境にあるなら、有無を言わずに海に走ろう。
プロやプロを目指す人たちのようにボイストレーニングに
費用を割けない我々にとっての実践練習は、
唯一のホームグランドである自宅・自室・自練習場所にて
デカ声による連続千本弾き語りしかないのではあるまいかするめいか。
明日に向かって、ひたすら〝弾くべし!弾くべし“
不二夫の「べし」はニャロメとケムんパスのお友達。
それじゃ、また! -
from: 弾き語りストさん
2011年08月02日 15時53分27秒
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記憶が消えてゆく…いいしれぬ暗黒の恐怖とともに
★弾き語りストです。ほぼ同い年の、北関東出身の作家が書いた「若年性アルツハイマー」をテーマにした小説を読了。広告代理店勤務で五十になったばかりの男がこ
★弾き語りストです。
ほぼ同い年の、北関東出身の作家が書いた「若年性アルツハイマー」をテーマにした小説を読了。広告代理店勤務で五十になったばかりの男がこの病を発症。
一人語りでgradationのごとく日ごとに消えてゆく自分の記憶との、粘りつくような葛藤を描いていた。
誰にでも、そうオレにでもありうるこのことに、罹患することへの恐怖はもちろん、記憶をなくすることがどれほどどん底な悲劇であるかを、思い知った。
意識がありつつ病に苦しむこととはまったく別物の病の苦しみ。
新しい記憶が脳のメモリーに記録されずに、垂れ流しのごとくだだモレしてゆく。
知己も身内もかかわらずに、顔や名前や自分とのつながりさえも不明になってゆく。
どっちがマシかと問われれば、
新しい記憶より古い記憶を忘れる方がずっといい。
子供のころの同級生のことや、四半世紀前の暮らしのことなど覚えていなくても構わない。
千歩ゆずって、昨日食べた夕飯がなんだったかを覚えていなくても、
一昨日約束したアポをすっぽかしても、大勢大局からすればさほどの痛みもない。
が、ついさっき自分がやったことを忘れ、今まで会話していたカミさんや息子たちの名前がアタマの中から剥落し、一曲前に歌った歌が思い出せなくなったり、自分が今いる場所がどこなのか分からなくなったら……
これは、ハンパな事態でなくなる。
小説の主人公も、自身の苦しみだけでなく、身近にいる者たちの辛さに言及しているが、人は、自分が原因で他者に及ぼす迷惑にひどく自尊心をいたぶられる。
しかも、それが自分のまったく意識できないところで行われるとしたら、それを考えただけでもいたたまれなくなってしまう。
だからどうせい!というのか。
いまここでオレは、この病についてあれこれ語る知識もなければ
そのつもりもさらさらない。
ただ、記憶がなくなるという極限状態のことを考えて、
オレがそうなりそうになったら、どうしたらいいのか、
と堂々巡りの思いを募らせるばかりだ。
いずれ訪れる最期の日を前に、やりたいことをやりたいだけやろうと、
打算的になっても、そうそう毎日の暮らしや金銭事情がそんな蛮行を許さない。
そんなことより、日々、自分が何を考え何をやったのかを、
記録に残してはどうだろう。
小説の主人公もそれを実行した。
初期症状が中期へと進行するにつれ、日記の文字も漢字がひらがな書きになり、同じことを繰り返し書き連ねてゆく。
忘れないためにたくさんのメモ書きを残し、ポケットにあふれさせる。
メモにカットイラストを添えたり、写真を貼付したり、
凡人ができる手立ては、そんなものだろう。
しかし、メモしたことさえ忘れ、何をやったのかさえきれいさっぱりと
失われてしまえば、手立てはドンづまりだ。
もう、ただ、ひとり、部屋に閉じこもって、座っているしかなくなる。
物忘れはよくする方だ。
自分の言ったことなど、記憶していることの方が少ない。
会ったり、一緒にいたことのある人の名前や顔も覚えていない。
とっさに物の名前が浮かばないことも多い。
脳血管障害の予兆かもしれないが、
人間ドックではひっかかってこない。
頭痛も吐き気もしないから、いますぐに急性で病院に行く必要もないようだ。
物覚えが良くて、こっちの記憶に手持ちがないことまで教えてくれる人もいる。
新しい記憶は「海馬」、古い記憶は『大脳皮質」という脳の部分にファイルされるんだとか。
記憶には三種あり、電話番号を覚えて電話し、すぐ忘れるようなものは「ワーキングメモリ」、数分間覚えていればいいものは『短期記憶」、半永久的に覚えているのが「長期記憶」ということらしい。
少しの間覚えたらすぐ忘れてもいいようなものはいいが、
できれば、長く覚えておきたい記憶もある。
門外漢がうまくまとめるのは難しいが、
新しい、短期の記憶を長期保存の部分に固定させるためには、
海馬で受けた刺激が鮮烈であったり、きちんと理解して覚えればよい、という。
でも、本人にとってはとても大事なことであっても、
海馬の働きしだいで軽く扱われて大脳皮質には送られないとしたら、
いったいどうしたらいいんだろう、と考えてしまう。
大事なことだから絶対に忘れてはいけないということを
オレはこれまでいくつもいくつも置き去りにしてきただろう。
脳の中にはたくさんの電気信号が流れていて、
脳に刺激を与えるほど脳細胞は増えて活性化する。
逆に、活発に電気が流れないと細胞をつなぐ線は切れたり消えてしまう。
脳の長期保存のためには、繰り返すこと、反復して復習すること。
音・映像・言葉などに関連付けて覚えること。
手や耳を刺激して記憶させること。
それらが大事らしい。
見たり聞いたりしたものがまったく興味なしならすぐ消滅するが、
興味のあるものもそれをしっかり理解しないと、それもまたほどなく消滅する。
海馬の記憶は大半が9時間くらいで失われ、
1カ月以内には長期保蔵すべきかどうかの選別が行われる。
その間に、繰り返し反復させれば、長期保存が可能になる。
だから、好きなことは毎日、あるいは少なくとも1カ月以内には数回以上、繰り返し繰り返し、反復してやれば身に付くというわけだ。
一夜漬けのテストも、しっかり理解して覚えれば、翌日の試験までは
キープできるというのもうなづける。
いずれにしても、
本当に覚えておきたいもの、永遠の記憶として保持しておきたいものは、毎日毎日繰り返して五感から感じ取り、記憶の貯蔵庫にしまっておくのがよいようだ。
オレが酒好きなのは、毎日毎日、反復して飲んでいるからなんだろうな。