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続 哲学〜真理〜探求について

続 哲学〜真理〜探求について>掲示板

公開 メンバー数:6人

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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2012年05月31日 17時42分51秒

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    「Re:「タライ・ラマ「死の謎」を説く」 ダライ・ラマ(角川ソフィア文庫)を読んで」
    種や縁のない所に結果はありません。ちなみに縁は自分で作るものでもありましょう。(犬も歩けば棒にあたる) > >  「ただ仏教の教えだからと無条件にしたがうということを厳に戒める」とも言っているように知性と心、主体性を持って実践することの大切さを教えられたと思います。


    縁 想起説として、<犬も歩けば 棒にあたる> は、斬新な考えですね〜

    話しは違いますが、、そういえば、日本語の喩えというのは、言葉をつくる側の心情を現していて、なるほど、、と思わされます。

    例えば「、猿も 木から落ちる 」という喩えは、

    「 弘法も筆のあやまり」 風 に
    解釈したいのでしょう、、、と思いますが、、

    これは、弘法大師自身が、門下に言った、教えとは思えませんから<笑>

    やはり、民衆側でしょう。

    言語が、造られる 途上の 民衆心情(心理)というか、、、

    すでに、弘法大師さんは、私達民衆と 違う、、、という 対象扱いによって、

    「 弘法大師も、 私達<民衆>と 同じなのよ。」

    平等意識をもつと、安心したい<救われる>、、というのでしょうか、、、

    安心するのでしょうね?、、、

    あやまって書いてしまう 事に 対して
    「 誰でも、あやまって書く事は、有り得るから大丈夫」、、みたいな 自己催眠呼応運動しながら、民衆が会話しているんじゃないでしょうかね・、、

    という 意識は、間違ったり、あやまったり、失敗する事の 一種の自己卑下意識、又は罪悪感を持つ 事からの 解放(自由)なんでしょう、、と思うのですね。

    それくらい、 弘法大師は、民衆から、かけ離れた 上の 存在と 化してしまったのでしょう、、と思います。

    それと、 猿も 木から落ちる、、、という喩えが、 本当なのか?

    という事は、 お猿さんに 聞かないと、 その意味するところは、
    分らないのですが、

    前に動物園の 飼育係りや獣医の 話しを、聞いて書かれたある寄稿文を読みました。 現代思想に載っていたと思うのですが、

    猿が、木から落ちる、、というのは、 その猿は、死がまじかい

    という、、一種の 団体生活には ついていけない、、体力が弱っている、、高齢化している、、という暗示です。

    と書かれてありました。つまり、「元気で健康な猿は、木から落ちません。」、、、らしいです)<笑>

    哲学の関連記事ですから、それが、本当なのか?
    という問題ではなく、

    人間が、言葉を、造る時、人間側しか、言葉を造れない、、という事なのでしょう、、、と思います。

    何故なら、その言葉の 意味するところを、前予測しながら、コミュニケートさせてゆく、言葉には、 自分と同じ知点で、

    共感するであろう、、、という 無意識分野の 判断が、なされて、

    言葉を、他者に 放ってコミュニケートを 取っているはずですから、、

    思うに、弘法大師本人に、「 貴方も 時々あやまって書く事ありますか?」と いう質問した人は、誰もいない、、、

    という地点で、大衆は、共感したがってコミュニケートしている、、という世界らしいんですね。

    この比喩とか喩え、、の 意味 構造を知ると、

    やはり 人間 そのもの情動に、密着していますね?



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  • from: yeshangさん

    2012年05月31日 12時35分54秒

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    「タライ・ラマ「死の謎」を説く」 ダライ・ラマ(角川ソフィア文庫)を読んで

     ノンフィクション作家大谷幸三がインドのダラムサラで14世ダライ・ラマに会って取材・口述を筆記したもの。大谷幸三のわかりやすい解説・注釈が添えられています。

     死とは何か?輪廻転生は?を歴代ラマの転生、観世音菩薩の化身といわれるダライ・ラマ自身から直接聞きとったものです。

     日本人の大多数を占める仏教信者・仏教徒であれば、基本的なところは同じくしていると思いますし、さらに述べられているところでは共感するところ、新たに気づかせられるところがあると思います。

     ダライ・ラマの説くところは日本人にとって日本の仏教宗派ほどの違いもないので素直に受け入れられるところは多いと思います。

     200ページ程度の小冊子ですが、あれやこれや考えながら4,5日かけて読みました。仏教を考える上で、ダライ・ラマを知る上でよい本だと思います。
    ―-------------------------
     孔子が「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」と言うように、生を明らめてもいず、死も死後の世界も体験した事のない私にとって死は空想の世界です。本書も半分は死に対してこの世をどう生きるかがが説かれています。

     「人事を尽くして天命を待つ」、何もせずに神のご加護や運勢占いを信じるのは試験勉強をせずに入試に受かるかどうかの心配ばかりしているようなものとも考えています。種や縁のない所に結果はありません。ちなみに縁は自分で作るものでもありましょう。(犬も歩けば棒にあたる)

     「ただ仏教の教えだからと無条件にしたがうということを厳に戒める」とも言っているように知性と心、主体性を持って実践することの大切さを教えられたと思います。人によっては既知の話かもしれませんが、ダライ・ラマの言葉として重く感じました。 

     関連して書きたいことはありますが、まずはここまでとします。

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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2012年05月31日 01時59分46秒

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    「Re:Re:ダヴィンチコード DA VINCHI CODE」
    MSG713の続き


    この神様、諏訪大社の神様です
    タケニナカタの神様です。

    不思議でしょう?神氏の祖神らしいです。

    保科正之は、福島、会津藩主ですが、
    保科氏も含めた、諏訪神道の氏神らしいんですね。神様繫がっていれば、お願いしやすいかも知れませんね。「何がでしょう沙羅さん?」


    「おたのみ 申す〜」沙羅
    「 諏訪大神さまぁぁ〜、、ボルドー産、 アーシャンボーシャトーの1700年代もののワインをお持ちしました〜!」
    ってな、風に 神様のご機嫌取りはいきませんかね?


    それは、良いのだけど、香取神社の氏子さんのI氏と結婚した J子の母方は、武田信玄の叔父の家系だそうで、お墓もあるらしいのですね。ここら辺、不思議だ、、
    戦国時代を潜り抜けてきている私たちの過去の経験は、全て、背負ってきていると思う。

    問題は、どのような 情念や愛情や執念、信頼心の因果が何らかの 人間関係を生ませているのであっても、私たちは、過去には戻れない、未来への 開けた人間関係のより良い、地球人としての進化を 個々人築かなければ、ならないと思う。

    いつまでも 過去の体験に居心地よさを見つけていてはいけないと思う。わたし達は一人、一人、精神的努力をまかされて、次の世代にバトンタッチしなければいけないと思う。

    それは、心や精神の 進化だと思う。昨日、友人のメイルには、東電の社宅に 石を投げ込まれるから、紙をはって隠さないとならなくなっていたり、会社を変える父親も出ているらしい、、というニュースが入ったのです。
    いつまで、そのような次元にいて、仕返し行為のような感情を持たないとならないのでしょうか?

    誰かのみ方につくとかつかないとか、そのようなテリトワール争いでの仲間軍団を作って、自己保存しなくては、いられない、、という意識は、次元が低い世界の生業じゃない?いじめが いつまでも、なくならないような、社会の体質作りに加担しててはいけないのではないでしょうか?

    私たちの家族や子孫を 私たちの、感情吐露行為によって、連鎖されて、来世の血縁を悩ませるような 要因を作ってはいけないと思うのですね。神道が地震によって、クローズアップされるのは、そういう意味もあるのでしょう?未来の社会世相は、今生きるわたし達の手に委ねている。


    建御名方神
    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    (建御名方命から転送)
    移動: 案内, 検索


    幼い建御名方神とその母神・沼河比売の像(糸魚川市海望公園)
    建御名方神(たけみなかたのかみ)は、日本神話に登場する神。『古事記』の葦原中国平定(国譲り)の段において、大国主神の御子神として登場する。『延喜式神名帳』などには南方刀美神の表記も見られる。長野県諏訪市の諏訪大社に祀られ、そこから勧請された分霊も各地に鎮座する。
    神統譜について記紀神話での記述はないものの、大国主神と沼河比売(奴奈川姫)の間の御子神であるという伝承が各地に残る。妃神は八坂刀売神とされている。
    建御名方神は神(じん)氏の祖神とされており、神氏の後裔である諏訪氏はじめ他田氏や保科氏など諏訪神党の氏神でもある。


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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2012年05月31日 00時21分23秒

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    「Re:ダヴィンチコード DA VINCHI CODE」
    しかし、神道というのは、佐藤愛子ではないけど、よくよく考えると人生途上で、周りの人達の言動を観ても、本当に不思議な偶然事が良く見つかるのである。

    このような、書き込みができる掲示板ブログデ、自分の友人関係を述べるのもなんだけど、不思議なのだからしょうがない。

    先々週、旧友達が、「東京駅で、呑んでるから、電話をください」とメイルをもらい、皆と話した中に、三島出身の友達がいるのです。

    A君は、J子の昔のボーイフレンドであるのです。

    このカップルも、結婚には至らなかったけど、わたしが一番親近感を感じるのは 鹿島の Kちゃんより、J子であったので、その辺の内情も一番知っている一人である。中年になるというのは、あるていど人生経験するので、男女間の接触も、当事のウイウイしさは、なくなるけど、変なぎこちなさがなくて、結構見てると面白い。

    昔の男友達の 肩など、容赦なく、バンバン叩いてしまう、中年マダムに 変化するらしい。その点、男性というのは、あまり変わらないような気がする。



    しかし、わたしがフランスに住みだして、7,8年頃、子供を連れて、夏休みに帰国した日に、テレビをつけた経験を皆に話したのだけど、、

    お昼のタモリの「笑っていいとも」の番組を何気なく回す。

    、その時、タモリ氏が「ゲストを紹介します」、、といって、テレビに 出たのは、A君だった。

    もう、これほど、びっくりする事はなかった。A君は、芸能人でもなんでもない。去年聞いたら「、後にも先にも、テレビに出演したのは、あの タモリの笑っていいともだけ、一回だけ」、、と応えていたから、本当に、その一回の出演を、わたしが、日本に行って見たという事らしい。

    目を疑ったけど、タモリの質問に応える、名前は 確かに、A君なのだ。


    この番組が放映されてるのを見たのは、フランス在住のわたしと、鹿島出身のKちゃん夫婦だけだった。

    ところで、J子のご主人は、Kちゃんの結婚式に呼ばれた時の新郎Rさんの旧友なのだ。

    コレが、非常にややこっしい。

    出雲大社は縁結びの神様だけど、Rさんとその外数人と旅行した一人の私がいる。

    恋愛関係には、ならなかった。

    けどそれでも十代の男女が集まれば、それそうとうの引き合いの付き合いがない訳がない。

    Rさんは、Kちゃんと その後仲良くなってご結婚なさった。

    その時結婚式に呼ばれたJ子は、何故か?香取神社の氏子さんであったRさんの一番仲が良かった、Iさんとお付き合いがはじまったというのだ。

    鹿島神宮は、タケミカズチと香取神宮は、フツヌシノミコトどちらも、軍神の神様で、二神同一と見られるらしい。


    茨城と千葉という近距離に位置し、剣の神霊を別々の有力氏族が守護神としているらしい。
    こういう事は、本人達は知らないらしく、わたしが、今頃になって、調べて教えていたりする。「人の出会いって、不思議じゃない?」と10代に逢う仲間で仲良くなったり、結婚したり、何十年後に、全員に再会の 縁起を動かすきっかけになる 別れたカップルわたしたちみたいな存在もいるのである。話すと「本とだ!不思議だわ!」と、返事もらって、全くもう、、と思っている。

    しかし、考えれば、男女が会うきっかけがあって、

    「貴方、何処かの、氏子さんですか?」

    と聞いたり、

    「何処かの、檀家さん?」

    と聞く、男女はいない。

    まるで、相手より、そのような、信仰が大事なのかな?と思われて、相手に、興ざめされるのが、落ちだ。



    ところで、神道の話をすると、どうしても、レイラインの話になるのです。
    5月22日は、高千穂から鹿島までの、レイライン上に 位置する、スカイツリーの公開日だったのだけど、この5月22日に 誕生日なのが、タモリの笑っていいともに、ゲスト出演して、当時、一ヶ月、日本帰国していた、わたしを驚かせた、A君であります。
    大室、三島、富士山、そして諏訪大社までは、レイライン上になっていて、
    鹿島神宮から、諏訪大社までは、この地図でいくと、レイライン上に並んでいる。
    去年、2011年、3月11日の地震の一ヵ月後、鹿島の下津海岸に流れ着いた、諏訪大明神の お札は、いったい、何を意味しているのだろうか?



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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2012年05月30日 17時29分36秒

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    「Re:めるろ〜さん」
    死者が、自分の記念日<日本語では、命日と呼ばれる日>になんらかの、マニフェスタシヨン<恣意運動、表明、デモ>をする事は、別に珍しくないのですね。気がつかない人、沢山いるようですけど、、、例えば、その日に限って、倉庫に ある探し物をする、、同時に、こんなところに 何故?こんなモノがおいてあるのだろう?、、と、気がつかせる、家族の 行為により、出てくる何かがあるとします。


    抽象的な表現だけど、、
    その 出てきた あるモノを、見て、家族が、それは、「20年前くらいに、何処そこに行った時、何とかさんに もらったものじゃない?」という 家族の一人が思い出す。

    そして、よくよく考えたら、その20年前に 逢った その人の命日が、その日<突然、倉庫で見つけたモノ>であったりする、、、というような事を 思い出す、、、
    という途上なんですね。

    こういう事は、よくあります。死者というのは、忘れかけられると、そのような存在の仕方をするらしいのですね。

    つまり、人間の行為の中に、直接目的<何かを探さないとならないと思わせられる>があり、行動に至るんですね。つまり、顕在意識です。

    しかし〜、、、そのような目的には、真実は見えないのですよね?
    義務だとか、責任とか、誰かに 知らせないとならないとか、、
    形而上世界では、どうでも良い理由と云ってはなんですが、、、、直接目的として、人間に行動させているみたいですよ。

    また、世俗倫理も、
    「あの人は、大変多忙な人」という判断がされる人って、、
    多忙に見える、、、、あちこち、移動し仕事をしている姿を見せられる 。
    世間の人も、忙しく動く人、働く人、頑張っている人に、一目置きたがる。
    つまり、真面目に、働いている という イメージは、善人のイメージとして社会を成す俗世界に固定化しだす。

    だから、働かないで、何もしないで、家に いるように見える人は、心の気にしろ 病気でなくても、、なんとなく、社会に 心の居場所が見つからないから、ますます、社会の人達から避けたくなるのである
    。そのような 家族の一員を 抱えている家族は沢山いるでしょう?でも、健康な家族の 道徳、倫理を象る価値観が、そのような 表象に見える、行動のみ、、に価値観置いているのですから、

    自分、あるいは家族が、ニートのような生活を強いられるのは、本人も家族も、同じ価値観で、世間の目を気にしなければならなくなる、、という苦痛を 体験させられるでしょう?

    結局、心 を 観る、、、という事をしてこなかった つけが回りまわっているのではないですか?

    それでも、自分自身を観る事しないから、いつも、自分は外的要因によって、苦しまされているのだ、、と、全て自分以外に原因があると思い込んでいる。


    景気が低迷で回復しない、、とか、会社が解雇に踏み切る、悪条件の 転勤を強いられる、子供の犯行、自然災害、離婚、、次々に 自分が描いた、幸福な生活や幸せな人生とはほぼ 遠い、 地点で、人生を歩んでいるように 思わされているようなのですね。

    このような、書き込みサイトにコメントしたり、何処かの、哲学サイトや、信教サイトに 書き込みして、心の 会話をしたい、、と思っても、、実は、何も もたらさないのである。

    記号を介して、コミュニケートしても、何も自分の生活は 変わらないでしょう?
    何故なら、全て受動態意識で、 コピペ行為を繰り返している行為には、何も もたらさない。せいぜい、一時の、退屈しのぎに、つき合わされ同士達の、其の時だけの自己満足 感情吐露、、といった、行動から抜けないのですね。

    ただ、、それでも、此処、7,8年の書き込み行為を介して、、あれ?と思わせる出会いは、ありました。

    そのような人達との対話形式は、文章全体把握のみの対話に限られましたね。
    ま、めるろ〜さんもその方のお一人なんですが、まさか?、このような形でお亡くなりとは思っていませんでした。

    しかも、最後の出会いは、2010年、10月の、大覚寺の写経という行為が 最後なんですよね。

    「何故?2010年に写経しなければならないのですか?」、、、、とは、時間途上では 聞かないけど、、


    「沙羅ちゃん、大覚寺で、写経しませんか?」と、2010年に突然提案してくる めるろ〜さんなのです。


    どこか?訪ねようという気持ち、発心の気持ちね どこかで落ちあわせするとなると、京都、大阪、奈良地方は、、いくらでも、神域の宝庫なのであるのですが、、、。
    ところが、、2010年は、いきなり、 写経 だった。


    しかもお互いが、写経 をした経験がないときている。

    写経するには、 まず 「日本語が書けなければ、ならない」

    日本語を読める

    日本語が理解出来る、、
    という事と、
    日本語が 書ける、、
    という事は別の事である。

    そんな事、ある訳ないと思っている人は、すでに、かなりお思い込み、自民族中心主義、ヱテュノサンとリズム」の 色眼鏡を 知らない間にかけて物事を観てしまって判断していると思った方がいいのです。

    「沙羅さん?般若心経読めるでしょ?ソラで 読めるじゃないですか?」だから、 写経できるでしょ?

    という 質問があるかも知れないけど、

    般若心経の、お経が書かれている、横には、ひらがなの読み方が書いてあるのです。

    ひらがなの 音素が 記載されているから、声にだして 読めるのと、
    般若心経を、 筆で 書くという 行為は 違うと思う。

    そう、説明すると、今度は、

    「いや、沙羅さん、、写経は、般若心経の 上を なぞって、書くだけです、別に 般若心経、知らなくても、写経できるんですよ」、、、と、ほぼ、こちらが危惧する返事が返ってくる。

    そんな事は、知っている。
    そういう問題ではない、、、、と 思うけど、もちろん、言わない。

    つまり、話そうとする次元が違う、、という表現しかないのですよね。

    写経をする、、、、という意識と
    般若心経の上を なぞる、、という意識は、違う

    めるろ〜さんは、そんな野暮な会話を、わたしとしようとは 思わない方なのは、分かるのですが、
    それでも、突然の 写経の提案 は やはり驚いたのです。

    そして、2010年は写経をしたのです、、そしてその行為が、最後の私たちの出会いになってしまったのだ。

    もし?
    写経するのは、嫌だ!とわたしが 無理に反対したら???

    まだ、生きていらしたかしら?と思ったりする。

    いや、、そうではない、、そのように 導かれる運命だったらしい、、、
    めるろ〜さんの命日は、7月8日なのですが、

    フランス時刻だと、7月7日になるのです。

    去年10月帰国した時、実は、神護寺にも一度、行こうか?
    と思った、2009年にめるろ〜さんと訪ねていて、2009年7月7日の書き込みが、以下のように、神護寺の話題なのだ。

    私が、朱印帳を持って、お寺参りし、めるろ〜さんにも、朱印帳の朱印を 見せて、
    色々、その時の 神社やお寺での 出来事を説明した。

    その時の、体験が、めるろ〜さんに、 「僕も、朱印帳 もとうかな〜』と発心させているのが、書かれている、実際、2010年大覚寺に行った時、紺色の朱印張を、わたしと一緒に窓口に お願いされたので、

    「あぁぁ、、ほんとに、朱印張購入されたのね?」と、一年以上前の 以下の書き込みの 内容の記憶がよみがえったのだ。

    ただ、2009年の7月7日に 記した書き込みの内容は、、2011年、2年後の 命日に中る日に生じる、意味を、読み取る事が出来るかは、私自身の 心に かかっていると思う。

    つまり、哲学で言われる、存在させる、、、と言う意味を、 実践できるか?出来ないか?という事だと思う。

    死が、そこで、何もかも、終わってしまった、、と思い込んで、命日になると、機械的にお墓参りしたり、習慣化した行為を繰り返すという事ではなく、 死者達を存在させるという 行為は、生者達も存在させるという事に繋がるのでしょう。

    この世で、普遍性を持つ存在である、、、という事は、そのような魂の 希求運動に コミットする事だとおもう。

    しかもどの 層で、誰とでも、コミットすればいい、、という事ではなく、ちゃんと、高次の世界での、コミュニケーションだと思う。

    霊感があれば、何処にでも どの人とでも、チャネリングすればいいという問題ではないでしょう。

    憑依と、チャネリングが曖昧な 行為の人達も そのうち、自然淘汰ではないですかね、
    これだけ、訳のわからない、霊感商法や、

    又 見かけ知識人や教育人のようですが、

    明らかに、よくない
    低次の 層での、呼応運動を、影響させて、マイノリティーの 人達と魂の引き合いをしているような、サイトやブログもかなりありますが、、、ネットって、簡単に誰でもコミュニケート出来るけど、ちゃんと、付き合う相手を 選んでコミュニケート取って下さいね。


    知識豊富とか難しい言語を並べるだけの サイトやブログの内容や書き込み仲間と 呼応するのではなく、正直、精神や心を病む人が多い社会になるという事は、そのような人達は簡単に接する事が出来る、、という事なんですね。哲学では、困るのは、日常生活の 普通人との会話のコミュニケートレベルでコミュニケートが出来なくて、いきなり 形而上世界でスパークされて、形而下の世界の 常人に 無理やり、分らせようと、している人、、、結構いますが、、

    コミュニケート能力不足ですと思います、

    誰かさんと、恋愛でも、して 心を 伝える事した経験すり、実践重要に思えます。恋愛経験なくして、肉体と心模様の経験を他者となくて、どうして、この世の性的関係のしがらみを 話せるのでしょうか?
    きれい事ばかりでは、もう世俗人は、誰も信じないと思うのですね。教義ばかりでは、実践にならないと思うのです。それとも、そのような形で、この世に普遍化させてみたいという、結局、、欲、、ですかね?

    、、形而上世界の コミュニケートは出来ていないでしょう???

    空 の、 手応えを、 感じられないのでしょう?

    他者不在でしょう???

    そのような事に繫がるから、他者の存在は、大変重要なんですね。

    別に、他者の存在を語るのは、大乗仏教だから、、大乗がどうの、、、という事ではなく、
    暗中模索していたら、、他者が自分を理解するのに、必要な存在であった、、、だから、大乗なのね?という 途上での、経験における、整理整頓しているだけでしょう。

    最初から、大乗を 提示して、水戸黄門のもつ印籠みたいに 可かげているのではないでしょう、、と思うのですね。どうも、紋きり型表現ばかりする人というのは、時間の断面しか理解できない 自個過剰投影する人が増えましたね、現象学も分かってないんでしょうね。

    ま、それはよいのだけど、、


    心 の 高さ を 観る事です。心 です。

    普遍性は、いくら知識があっても 浸透しないんです。有名な、なんとかとか、本をいっぱい出してる、、なんとかサンだとか、、そのような 唯物的に知覚できる世界ではないのですね。


    普遍性は、形而上世界との 何らかの合意でしょう、形而上でも、 魔や 悪の 意識は 存在するでしょう。

    知らない間に、無意識分野に 入り込むのですから、、そして、そのような本心を隠さないとならなくなるから、表象に見える行為では、偽善行為に徹しながら、真面目な人だと、社会の判断を得たくて、、平衡感覚持とうと、無意識と 意識の 間に存在しようとしているみたいですよ。

    ですから、江原浩之など、「政治家、宗教人、教育人、地獄とされてる幽界の 世界に沢山いるんです。」

    なんて、言ってはいけない事、言っちゃうから、バッシングされるのでしょうね。でも、観えるもの、感じるもの、そのまま言ってはいけない世界に 生きてるのは、ホント、大変ですね。


    でも、同じ 幽界にいるのが 観得てしまう人が同じ人達だったりするのが観える 感性が鋭い人達とのコミュニケートもあるんでしょう、、と思います。

    これからは、そういう人達のコミュニケートが 増えると思うのですね。存在しようと、するという事は、存在しようとする、どの場でも変化するという能動意識なのでしょう、

    時間を後ろから追って、存在しようとしている事ではないんですよね。時間の前、超越 レヴィナスの

    Transcendance トランスサンダンス
    この超越という 意味の アルファベットは、
    先祖という意味の単語の 相対なんですね。

    家系は
    Ascendance アスサンダンス

    ですから、超越の Transcendance トランスサンダンス
    と音素は似てるでしょ?

    ですから、過去に探しにいくのも、
    未来に探しにいくのも、同じですよ、、
    方向だけが、違うのです、、という表現になるのは、そのような事なんです。

    日本語の漢字表記だと意味が見えませんけど、
    これは、漢字表記の 講造世界で、人間がコミュニケートしているという事なので、何もコミュニケート自体には、真理は 観得ないと思います。この事を理解するのは、哲学の分野しかないと思いますね。
    2009年7月7日の 書き込み、再度あげます
    ==============================

    From: めるろ〜001
    沙羅ちゃん

    >
    > めるろ〜さんとご一緒したのは、今回東寺と、神護寺ですから、
    >
    > 神誤寺に行きたいと思ったのは、虚空蔵菩薩が5体あるあの鍵が閉ってた場所なんですけどね、、、
    >
    > いつ公開するんでしょうか?
    >

    公開は何時するんでしょうね。
    愛想の悪いお坊さんに聞いて見ます。
    写真は撮れませんよ。。。

    僕も御朱印帳を持とうかな。
    東寺の朱印を見てそう思いました。
    あれは立派ですね。立派というと失礼かもしれませんが、
    あの方がいないとあの朱印が実現しないんですし、
    不思議ですね。

    あの朱印は、『般若心経』に勝るとも劣らない朱印でござりました。



    • 2009.07.07 13:33:09
    [343] :Re:Re:Re:感想文『仏説 摩訶般若波羅密多 心経』 >> 返信元メッセージを表示

    From: めるろ〜001
    少し開眼した。
    よく文章が浮かぶということです。

    先達との訳の違いが出てきました。
    浮かぶ像が若干違うのですね。

    空海の短い文章に苦労されて居られる方もいらっしゃいますが、
    少し抜け出たように思います。


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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2012年05月29日 16時26分57秒

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    「Re:ダヴィンチコード DA VINCHI CODE」
    音を観る、、、、


    音 とは ????

    福島、、を 会津 と 呼んでいる 心や魂の 存在は???

    逆に

    会津が、 福島 と呼ばれて いる事を知らない 心の存在は?

    こういう コミュニケートに関しての、柔軟な考えにつながりませんか?


    コミュニケートの 本との 意味とは、、

    心と心でしょう?

    記載された、誤字脱字を、 後から 訂正する事に、一生懸命になる、、、という行為は、

    言表行為が、記号でしか、 伝達されないと、 思っていませんか?


    違うでしょう?

    空の世界を、 体感や実践している人というのは、

    郵便局に行って、切手はって、郵便物だしながら、思いや心を伝えているという唯物的な世界とは、無関係の世界でしょう?


    時間や空間が 存在しない、、という世界の 手応え 実感、体感はどういう世界の 事なのでしょう?

    という想像力を、養ってみませんか?

    いつまでも、科学的な 証拠がなければ、価値がない、、などと、

    頑なな態度にしがみ付いて、自己保存ばかりしているのではなく、、

    その 頑なな、態度に させている 自分の 心は、なんですか?

    結局、感じられない他者への恐れや不安でしょう?

    自分が、ドンドン、察知できない他者に襲われて 存在できる 場を失う、、、

    そのうち、誰も、自分に振り向いてくれなくなる

    そのうち、誰の、愛情の意識も、惹く事が出来なくなる

    そのような、孤立の途上でしょう?

    人間(心)と人間(心)の出会いでしか、 心や魂を、進化できないのじゃないですか?

    つまり、この世での 生業でしか? 心や 精神が 高次へと進化させる事の出来る、経験は 積めないのではないのですか?

    そう考えると、この世も、まんざら、悪くないでしょう?(笑)

    死んだら、おしまい、、なんて考えは、持たない方が、 身<心>の為

    だと思うのですけどね〜、、

    何故なら、永遠につづく途上 だったら、 努力せんとあかんでしょ?(何故か?関西弁)

    それで、話しを もとえ、、

    会津は、AIZU という いう音で、昔 存在させていたのですよね?


    FUKUSHIMA なんて、呼ばれても、 昔の人には、通じないでしょう?

    死んだ人達の言葉など、無意味?

    それは、ただ単に、コミュニケートしてないだけでしょ?

    たとえば、未来に、なんらかの 言語を 話す経験をする 魂だったら???

    当然、存在しようとすれば、 未来への経験するであろう、記憶を探しにいきませんか?

    同じでしょう?

    過去も、未来も、、、

    ただ、存在しようとする、SENS 方向 が違うだけでしょう?

    魂が、なんだか、居心地よく 感じる場所って、、どこなんです?

    過去?の方向?
    それとも 未来?

    ですから、霊能者の中には、

    「 過去世 なんて 知っても、しょうがないんですよ!」

    と、言うのでしょうね。<わたしが逢った、霊能者ですけど、、>

    それで、 AIZU=合図 とも、 聞こえる。

    合図という音素の意味は、 昔から あったと思う、、


    でも、 合図=と放ったら、多国籍言語を持つ魂(心)は、、

    SIGNE シーニュ合図、印と訳すと思う。

    SIGNE 英語音素?サインでしょう、、、

    しかし、ラテン語<古フランス語>で聞くと、、

    白鳥 SYGNE シーニュと同じであろうと思う。

    GN の音素は、気をつけないといけませんね。

    Y の 音素も、、

    昔は、王は、ROY ロア げ記されていたんでしょうけど、鳥の意味

    OI オアという母音に重ねて、
    ロアと呼ばす LOI(法) と ROI(王)

    に変化していますね。

    王の権限は、 法
    ですから、、、しょうがないですね? 昔は、、

    しかし、面白いのは、 MOI モワ という音素は、 私自身

    自我とも、 訳されてる、哲学書ありますね。

    同時に、OI オア という音素は、貴方自身 TOI トワ

    つまり、自他<私と貴方>につながる 音素が、 OI と書いて、オアと呼ばす。

    子音の違いだけですね。まるで、マトリックスの 自他世界ですね。

    私、貴方、私 貴方 同じなんでしょう?


    鳥の意味は、 OI の接頭詞の OISEAU オアゾーという音素ですが、
    OIに s<複数のSついてますが、、母音に繫がるリエゾンの役目でしょう>

    EAU = 水の意味で、英語の美しいにも なるでしょう?

    鳥 は、 OISEAU オアゾー なんですね。

    その 代表は、合図とよばす白鳥 SYGNEシーニュでしょう、

    全て、響音しながら、繫がるでしょう?



    http://www.youtube.com/watch?v=RCmKDK1TYmE&feature=related




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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2012年05月29日 06時58分52秒

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    「Re:Re:Re:めるろ〜さん」
    今、23時 30分過ぎているので、もう寝ようかと思ったけど、、今日は、大変勘が働くのだ。ソレも、当たり前なので、昨日、今日と、書き込みの数が多いのは、

    キリスト教国は、Pentecote 聖霊降臨の主日で、祭日です。ペンタコステとか五旬祭と呼ばれます。

    高次元での コミットにチャネリングしやすい人は、 時間超越の メッセージが 降り易いのは、体感出来ると思うし、不思議な事も生じやすいと思う。という事で、最後、

    空海さんとめるろ〜さんとの不思議な話し

    わたしの、めるろ〜さんとの最後の 会話、

    2011年7月5日で、終わっている、、と書きましたね。めるろ〜さんは、真言宗、未決文、会津の徳一菩薩との 問題疑、東寺の官庁さんが書かれている十疑を探さないといけないらしい、、

    前身、哲学〜真理〜探求の サイトに書かれてあります。、

    2011年7月5日に 何を書いているのか?

    というと、又、再度ミカエル大天使の写真を貼っているんですね。

    同日に 書き込みした内容は、めるろ〜さんの書き込みの内容とは違うのだけど、、、
    どちらにしても、はった、モンサンミッシェルの 写真のUPした

    日付は、2011年4月22日に、UP していたらしいんですね。

    そのミカエル大天使の 写真を、めるろ〜さんが、見たであろう、、
    いや観るであろう、、、という、超越のなんらの暗示が隠されているでしょう。

    何故なら、このミカエル大天使のUP した4月22日は、空海さんの命日に中るのですね;

    そして、キリスト教の復活日は、月の満月を計算しますから毎年移動記念日で、違うのですよね。でも、2011年の 4月22日は、キリストの命日と重なった、珍しい年なんですね。

    2011年に、何も起こらない年ではあり得ませんね。でもその分、存在、再生能力が高まるはずですね、、

    愛 の 意識が、ダイナミズム化すれば、、

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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2012年05月29日 05時38分37秒

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    「Re:Re:ダヴィンチコード DA VINCHI CODE」
    365日、一年 毎日あるのだけど、この365日って、毎日、

    毎日、その1日の意味があるんでしょうね。


    誕生日と命日と、分けて発音しない、アルファベット圏の 単語は、

    記念日、 ANNIVERSAIRE アニヴぇッセーと、述べる事

    は述べましたけど、その日は、生死に関係なく、 記念日なんでしょうね、

    記念日ですから、命日と聞くと、心が、フト暗くなるけど、記念日と聞くと、何か、花でも活けたくなる気分になる、

    死者と悲しい気持ちに浸って、まぶたを落とすより、「今日は、おじい様の記念日よ」、、言えば、気分は明るくなると思う。

    何故なら、記念という音素には、記念する楽しい意味が含まれると思う。

    「人が亡くなって 記念日という呼び方はオカシイ」、、と言われても、外国語で話すと、記念日と話す方が、ぴったりするのでしょう、、そんな事言われても、外国人は困るであろう、記念日だからと言って、死者の弔いの日を 呑んで騒いだりするのではなく、死者と一緒に 亡くなった人を思い出す 記念日なんでしょう。それで、フランスでは、記念日が沢山ある。
    毎日の映画は、その俳優や女優が他界した日に放映する、

    実際に起きた事故のドラマが中ったりすると、その事故が起きた日に放映する、、視聴者にいつも、いつも呼びかける。広島、長崎の 原爆が落とされた日も、必ず何か原爆に関連する、ドキュメンタリーをやっている。


    一年で、毎日、毎日何かが起こっていて、毎年 365日を繰り返している。

    そういえば、亡くなったMさんが、わたしに 遺品として 置いていった本の中には、三輪明宏の本があった。

    小さい頃、家のお手伝いさんが、寝ている真夜中に、寝室に入り、美輪氏と弟が、ちゃんと布団をかけているか、見に来て、美輪氏は、その物音で起こされた。、、、と書いてある。

    翌朝、お手伝いさんに、「 真夜中、寝室に来て、起こさないで、」、、と、不平を言うと、、お手伝いさんは、「行ってません」と言う。

    そんな訳ない、、と 信じなかったらしい。そしたら、その後、
    美輪氏の 父親が、「大変だ!お坊さんを呼べ!、、今日は、お母さんの命日だったのを、忘れていた」と、大きな声で、呼びかけてきた、、と

    書かれている。

    寝室に、子供達を見に来たのは、お手伝いさんではなく、亡くなったお母さんだったのだ。

    やはり 死者にとっても、記念日なんだと思う。

    その日には、意味があるのだ。

    2011年、3月11日、、わたしは、何をしていたのでしょうか?

    と思い、書き込みを読んでみた。このブログの 前身の 2011年3月11日、、、、書き込み時間が、記録されてある、朝の9時50分

    まだ、地震が発生していない時刻らしい。なんと、島津の十字家紋など、貼り付けている自分がいる。

    家紋の十字を貼り付けないとならない話題はなんなのかしら?と思って読むと、どうも、3月10日に、ブルガリを、ルイヴィトンが 買ったというニュースを見た Kちゃんによって、

    わたしは、3月11日地震の前に、十字の家紋、、しかも、昔は、丸がないはずなので、十字そのものが、鶴の絵と一緒になっている。

    いったい、2011年3月11日、地震が起きる前に何故?
    島津の家紋を張ったり、話したり、しないと ならない 自分がいるのだろうか?

    地震が起きた時、フランスの ニュースは、直ぐ、霧島連山の新燃岳が、火山爆発していた事をニュースで、述べていた。。

    実際、その火山の事を、メイルで日本の友人達にメイルをしても、「 聞いていない、」、と言われた。むしろ、地震と九州の火山と何か関連あるの?風だった。

    意識は、みな、あの 津波の画像に、心を捕られ、ほとんど、他所の 火山のニュースなどは、全く耳に入らない状態だったらしい。


    しかし、なにか地核の層では繫がっている。

    地震の 予知は出来るのではないか?

    しかも、スレッドは、「地球ひとりあるき」 数字は、92 数秘術だと
    11 になる。


    自分で書いて、自己分析すると、この2011年3月11日に、すでに、このような 行為にでるであろう、青写真が あるのだと思う。

    つまり、スピリチュエル世界の、全ては、必然であり、偶然に 生じる事は、一つもない、、という彼らの 言説なのだ。

    2011年、3月11日は、もう一つ書き込みをしている、時刻は、8時15分、27秒と記録されてる。スレッドは同じく、地球ひとりあるきである。

    貼った 写真は、あのギリシャ神話にでてくるプシケ<心、魂>の 愛の天使の写真。

    8月15日=、8時15分、、あの 広島の原爆が、上空で 炸裂した時刻だ。

    聖母マリア被昇天の 8月15日のワードは随分前から気にしていますが、

    いったい、、2011年3月11日、8時15分に

    わたしは、愛 を、、書き込みしている。

    3月11日に、 愛 の 存在を 訴える わたしは、ナンなんでしょう?

    この二つの書き込みは、 あの地震が、数時間後に列島を襲う事を知る前である、、

    「 愛 」?????

    そんな 呑気な事を 言ってる場合じゃない?????


    違うんじゃない???

    最後に 救えるのは「、 愛 」しか ないのじゃない?


    いつまで、肉体 保持にだけ、アタフタしているのでしょう?


    人間に 愛 する 意識がなければ、 人間の精神的進化は 与えられないと思う、、、


    愛 の意識に 気がつかなければ、 いつまでも、自然は、人間に、

    攻撃を加えるのじゃない?


    AIMER エメ 愛する という動詞です。

    もし、何かの危険を察する予知能力があるとしたら、それは 人類への愛という高次の意識をもたらされるからではないですか?

    愛 の 意識 は、 大変大事でしょう? 2011年3月11日 8.15分の 書き込みに貼ってある、YOUTUBEを再度貼ってみます

    http://www.youtube.com/watch?v=gbo3EuJN10g&feature=related


    写真は、2011年3月11日、9時50分に島津藩の 十字の家紋を、UP してある。、UPした写真が、日付順に保管されてあるページ

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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2012年05月29日 00時05分51秒

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    「Re:ダヴィンチコード DA VINCHI CODE」
    ここでは、佐藤愛子の 本を何度も登場させているのですが、
    わたしは、この本「わたしの遺言」を読まない限り、神道にこれほど 興味を示さなかったと思う。

    この本は、亡くなった、Mさんが、わたしに読んで欲しい、、と云って持って来た本なのです。

    本の内容は、表記上、買った家での、霊障問題に悩まされる、、という粗筋になっている。読者はまず、オカルト現象、、に興味を示し、判断すると思う。

    しかし、意味している事は違うと思う。

    オカルトであるか?ないか?などはどうでもよい判断であるのでしょう。
    読まされた<読んだ>という経験がなんらかの人生のダイナミズム化させる意味なのだと思う

    佐藤愛子は、プロの執筆家であり、世の中に発表できる位置にいる 作家である事。

    同じ現象を経験した
    どこかの、一般者や 霊能者の体験話ではないのである。

    意味論で理解しないと、意味が見えないと思う。

    また書かれた内容が、作家の 造り話? この本に出てくる、関係者は、実際の 生きてる人でしょう?嘘八百は書けないのではないですか?

    それは、良いのだけど、佐藤愛子は、北海道の浦河という処に 夏用の家を買ったらしい。つまり、その土地が、アイヌの土地であり、結局、佐藤愛子の過去世にアイヌの酋長の娘だったか、勇ましいアイヌ族を守った、アイヌ魂を持つ過去世ゆえに、現在あのような 姿の生き様として生まれて来ている、、という事に 気がつかせる、、という内容になっている。

    信じられない、霊障問題が生じたのも、全て 東京住まいでいる 昔の アイヌ酋長の 親分を 呼びたいが為の、過去の人達の 仕業であるらしい。

    ま、それだけではないのですが、土地 に 惹かれる、その土地に住む、その土地に、転勤になる、その土地で、奥さんになる人と初めて逢う、、
    こういう事を、本を読んでいて考えるのですね。

    佐藤愛子の本には、神道研究家の、相曽誠治氏の事が書かれてあり、阪神大震災の一週間前に、「地震が、必ず起きるから注意しなさい」と予告してくる。
    それはよいのですが、神道の世界の複雑さ、そして、分霊によって関係を持つ、地方の神社、、読んでて唸ってしまったのだ。ご先祖は 生きている、、今でも、、、と、いう手応えを感じる内容なのだ。

    この本に書かれている 日本心霊協会の 交霊会では、佐藤愛子は、戸隠中社に、お札を頂く為に 長野に向かう。戸隠の神様は、心霊協会が、信頼をおく神様が祀られてあり、 過去の霊を 降霊する時に無事にうまくいくように、戸隠の神様に お願いするらしい。

    この部分を読んでも、ドッキリしたのだ、
    わたしが、哲学心理学、精神分析に興味があるのは、別に、戸隠で、伴侶となる人と、初めて知りあった訳ではなく、戸隠も、出雲も、伊勢神宮も、わたしにとっては、神社という知識以外なにも 無かった。


    ただ、若い時代戸隠に、仲間と遊びに行ったら、彼がいたのだ!(お化けかな ?)という認識や感じでしかない。

    それなのに、長野、穂高、戸隠の 友人達は、安曇出身だという話も昔 聞いたのだけど、それが、何を意味するのか?全然分からないでいるのだ。

    つまり、去年 日本に一緒に3人で、同じ飛行機で成田に 聖ミカエルの日に着陸する、3人の内の一人が、安曇族の息子さんという事になるようなのだ。
    これは、ほんとに 驚いてしまった。戸隠や、穂高といった、場所に入り浸りし、穂高の 個沢という場所で、キャンプしたりするのも、自分で決めてしていると思っていたのに、穂高が、九州の博多にある 志賀海神社の海人祭神は 安曇磯良から来ているらしい。

    戸隠に住む一人の友人の子供の名前も、 「あずみちゃん」である。お父さんは、こういう神道の歴史を知って、子供に命名しているのだろうか?よくわからない。

    博多に住む R子さんからの家からは海が見える。彼女と知り合ったのは、フランスである。何故?ご主人と 博多に 行ったのか?ご主人が博多に仕事で行ったと思っているのに、違うようなのだ。

    志賀海人、アズミ族は、長野の穂高に 住み着いて、穂高神社を建て、
    サイトには以下のように書かれてある
    ============================

    穂高神社(長野県南安曇郡穂高町)
    祭神&祖神 穂高見命(宇都志日金拆命)、綿津見豊玉彦命(穂高見命の父)、瓊瓊杵尊
    社伝によれば、主祭神穂高見命は、神代の昔に人跡未踏の穂高岳に降臨し、重畳たる中部山岳を開発するとともに、梓川の流域安曇筑摩を沃野とし、神胤をこの地に蕃息したという。古来、諏訪(長野県諏訪市)・生島足島(長野県上田市下之郷)の両社とともに上下の崇敬を集め、延喜の制、名神大社に列した古社である。

    9月27日に行われる「御船祭」では、大人船2艘と子供船3艘の船壇尻(ふねだんじり・山車)が曳き出され、大変な賑わいを見せる。これは船鉾であり、山奥にありながら充分に海人の風習を残している。
    考えすぎかもしれないが、穂高というのは、天孫降臨の地、「高千穂」を連想させる。
    ========================================
    ちなみに、わたしの、母方の祖父母が、眠っている渋谷の 金王八幡神社の祖母の、命日は、9月27日で、わたしが、うまれて初めて、空海の永眠する 高野山、2007年9月27日が、 穂高のお祭りの御船祭 の日と決められているらしい。
    高野山で、見知らぬおばあさんが ちかづいて来て、「ヨットでフランスに 行く夢を見る」と云って、胸には、十字架と空海のお守りを首から下げていた、、おばあさん、
    「お元気ですか?」と声をかけたら、「死にそうです」と答えられた。

    空海さんの密教と、フランスへ行く夢を見るおばあさん、十字架は 確かに首からぶら下がっていたのだから、夢の話は、造り話などではないと思う。

    最初、この事の出会いの意味が見えなかったのだ。実際、その日が、祖母の命日なのも、知らないでいる。

    ある日、突然、スイッチがはいり、いきなり、予定していない、高野山に、真夜中、車を飛ばして 明け方高野山着く様な生き様になっている。

    わたしが、行きたいのではなく、かならず、よく分からない、同伴者が、現れる、、同伴者が、わたしを連れて行く、、という存在の仕方になり、其の場所のつくと、これまた、何処からか、知らないおばあさんが、つ、つ、つと近づいて、「何処から?いらしたのですか?」と聞かれる。

    他に、観光客はいるでしょう?と思うのだけど、しょうがなく、「フランスからです、、」と応えると、相手のおばあさんは、「えぇぇぇ〜と」、のけぞって、驚くのである。、そののけぞり方が異様だから、わたしも、驚くのである。

    そんなに、フランスから日本人が高野山に来るのが、珍しいのかな?と 思う自分がいるけど、その驚き方が尋常でない 理由が、その おばあさんが頻繁に見る、その 夢が理由なのだ。

    用意されてない、準備されてない、人生展開というのは、やはり驚くのである。

    最初から、JRの JTB みどりの窓口に置いてある旅行パンフレッドを沢山持ってきて、色々「ドレが、安くて、ドレが、一番お得かしらん?」という プレメディラネ、の 前持った考察や準備された人生は、それなりに楽しいのだろうけど、安い、お得 といった経済条件は、結局、執着とか、煩悩による行動なのではないか?と思う

    。驚く、不思議な出会いは生じにくいのではないか?と思うけど、どうでしょうか?

    http://homepage2.nifty.com/amanokuni/azumi.htm



    東寺のご朱印 弘法大師 と書かれてあるのですね。

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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2012年05月28日 22時50分37秒

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    「Re:Re:めるろ〜さん」
    MSG700
    の続き、、、

    東北地震が生じ、福島の 原発が、大問題を起こしたのですよね・

    仙台には、原発があるんです。震源地にちかい原発は、福島の ように事故に繫がらなかった。

    こういう事不思議に思いませんか?

    福島は、会津藩、、 津波の津がつきますし、、初代の会津藩主は、

    あの 保科でしょう?

    保科正之といったら、、 徳川秀忠が父親でしょう。長女に、あの千姫がいますし、千姫は、 家康の大の お気に入りの孫だったのでしょう。

    豊臣、徳川幕府、、転覆劇を演じた、立役者でしょう。

    その千姫の 命日が、1666年3月11日ですから、、

    6の数字がこれだけ並ぶのですよね。

    千姫の記事は、4,5年前に随分、このコミュで UPしましたから、覚えているのですよね。

    島津と津軽 が 卍と十字で呼応しているように 感じるといったのも、

    この 津 という音素なんですが、、

    会津藩の保品正之が祭られている、土津神社、、猪苗代に近いけど、

    一度、青森に移転させられていますね。

    徳一菩薩が、この会津出身の菩薩なのは 認識していましたが、

    空海との「真言宗未決文」、これは、空海の世界、即身成仏に、「マッタ!」とかけた、徳一菩薩に、 空海は、 沈黙、、という 態度でしか、 存在出来なかった、

    ま、そういう事w、3,4年前UPして書いたのですが、、

    どうして、めるろ〜さんは、亡くなる数週間前に突然、

    又、会津の徳一菩薩なんでしょう、、と思っていたのですね。


    ============================

    慶応4年(1868年)の戊辰戦争時、母成峠の戦いで会津藩が敗れた後、猪苗代城代高橋権大夫の命で土津神社には火が放たれ、全焼してしまった。その後、会津藩が斗南藩(現・青森県下北半島)に移封されると、土津神社の御神体も斗南藩に遷された。明治4年(1871年)の廃藩置県によって斗南藩が廃されると、御神体は猪苗代へ戻り、磐椅神社に祀られた。この後、明治7年(1874年)から土津神社の再建が始まり、同13年に完成し、御神体が遷されて現在に至っている。

    ==================================

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