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from: 沙羅(Sarah)さん
2012年01月09日 22時48分22秒
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ひとり言
年末の挨拶事のやりとりをしていて、気がついた事。
神社での厄払いについて、、
厄と悪 は母音は同じ AKU という音素の組み立てになっているのだけど、、、
何かの不幸に見舞われる、何か 厄介事に見舞われる、
だから、お祓いしてもらいましょう、、、
という途上の心情は、
厄は、外から 来たモノ、、
だから、払って退けましょう、、、、
という考えなのでしょうね。
何故?
不幸に見舞われるのか?
何故?
厄介事に見舞われるのか?
という原因<因果>を探す事は全く無い。
厄払いをしてもらいに、何処かの神社にそそくさと、お願いする
でも、
自分の中になる何らかの 原因<因果>が引き金になっているのじゃないかしら?
スピリチュエルの世界では、「偶然はなく、全部 必然に起こっています」と言う。
という事が真実だとすると、
神社で、お札を何枚か奮発し お払いしても、あまり意味ないのじゃないかしら? と思う。
厄とか悪という 音素で 断定し、忌み嫌うという行為に至る前に、
自分自身の中の、なんらかのカルマみたいなものだとしたら?
そういう事を考えさせられるのは、スピリチュエルの世界なんだけど、
確かに、そのような世界を信じると 訪れてる不幸や厄介事を、未然に防ぐ手段が無くなって来る。
それでは、神社で、お祓いをして精神的に気持ちを楽にする。、、、
それでも善いのだけど、、
なんというか、心もとなさは、否めないですね。
何しろ、有能な霊能者は、未来に生じる事を予知する、、、
という特技を持っているので、真正面から、「そんなの 信憑性はありません!」と言う事が出来ない、存在化しているのですよね。
佐藤愛子の 「わたしの遺言」に書かれていた、北海道に買った霊障問題を起こす家の問題は、
結局、その土地に眠る霊と、浮かばれない霊や、佐藤愛子のご先祖やアイヌ族の酋長の奥さんだった勇ましい武勇伝を残した、過去世が霊能者達には観得て来るという。
佐藤愛子は、
「何故?
私なんだ!?」と問いかける
「兄さん(サトウハチロウ]に出ないで、何故?モロモロの先祖の霊達は、わたしを悩ますのだ?」と、問う
わたしも、同じ立場にたったら、そう思うかも知れない。
何百年、何千年の歴史を潜ってきた、 DNAの存在、、は、
私だけではなく、いくらでも、同じ立場の人達、兄弟、従兄弟、親戚達がいるはずなのに、、、、という事は、当然思うと思う。
でも、佐藤愛子は、神社に お祓いをしに言って、厄払いをしたのではなく、
心霊科学協会で、霊を降ろしてもらいコミュニケートを取る。
「 何を、そんなに、怒っているのか?何をそこまで、マニフェストをしたがるのか?」
怒りの原因を探る、、
この本に書かれている事がただの作り話と思う事は自由ですけど、
この世の中は、その態度を貫く事はますます難しくなっている。
別に、このような過去の怒りの霊<心>、成仏できない霊<心、浄化出来ない霊<心>の話しは、いくらでも聞くし、
実際、体感できると、なるほど、、、と思わされる納得させられる、認識を得る体験する事ができる。
テレビの精神世界の番組を、YOUTUBEで観ていても、霊能者が、何らかの背後霊と確かに 話している、コミュニケートしながら、目の前の相談者の話す事を 解析しているのが、ハタっと感じてしまう事がある。
「あぁぁ、、本とだ、江原さんは、背後霊とコミュニケートとっている、、しかも、もう一人のコミュニケートされてる、江原氏の背後霊の方は、かなり お喋りだ、、、」と見えない何ものかの存在の 手応えを感じてしまう、、
そんなのあるわけ無い、、と言われても 感じてしまうのだから、、しょうがない。二人の会話がどのような内容なのか?分らないのだけど、、
確かに、もう一人 テレビ画面に写らない、、誰かの存在がいるのだ、、、
数年前は、このような番組に興味を示す事はなかったけど、、
ここまで、目に見えない存在が、マニフェストする。、神域で不思議な体験をさせたり、友人達に生じる体験を聞かされたり、、
同日の誕生日が、2人も3人も、また4人めがハタッ無意識に気つかなかった、うちに出入りしているお隣さんだったというような感じなので、次々に 気つかせて現れる、、というまるで、絵巻物語を観ているような気分になる。、
それで、何を述べたかったのか?
というと、、 お祓いって、、、、
自分の中の自分の何らかの因果や因縁が原因で、引き起こる、厄介事は、自分が原因なのだから、自分で自分を、追いやっているような感じではないか?と思えてしょうがないのですよ。
自分が自分で、苛めて、排他しているような世界をつくっているような気がして、、、、
むしろ、自分の心情は他者にもっと 優しくできるか、無意識に他者を傷つけていたら謝罪してみるか?
とにかく、
話だけでも 聞いてみて、その人を理解しなければいけないのではないか?という気持ちにさせられるんですよね。他者とのコミュニケートです
何を、そんなに怒っているのか? 話してみると、少しは楽になると思うのですね。我慢していたら、心は病気になるでしょう。
病気になった心のままで、あの世に行ったら、誰か?治してくれるのかしら?
いや、治らないでしょ?
あの世は
この世の平行移動らしいですから、、、
今の今、心の病を治療しましょうよ、
そんなに 怒りたい事があれば、不安にされる事があれば、、
とにかく、話してみましょうよ、
何が、自分を苦しませているのか、その苦しみから逃れたくて、
何となく、簡単に交際できる手段に走ってやさしそうな相手を見つけたり、苦しみや孤独感を忘れてみたり、健康の不安を抱えていたり、とにかく、話せる人に話して心を軽くしないとならないでしょう?、、
心は、若い人も高齢の人も赤ちゃんの心も同じなんですよね。
何故なら、あの世にいけば、年齢などないのですから、そのままの心の状対でそのままなのですから、、、
、
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コメント: 全3件
from: 沙羅(Sarah)さん
2012年01月25日 00時20分46秒
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「Re:ひとり言」
去年の10月成田からパリに発つ前日に、成田の近くのホテルに移動した。
離陸当日早朝起きて、成田に向かいそのまま12時間以上のヨーロッパの空の旅を続行する元気はなく、いつも前日に成田近くに一泊する事にしているのです。
かれこれ数年前から
なかなか、体調はいいし、多少飛行機の中で睡眠をとらなくても あまり気にならない。
今年は、離陸前日に鹿島神宮にお参りしようと思って、成田に向かった。
2011年中、これだけ鹿島神宮が関係してくると、一回くらいは お参りに行かないといけないのかも?成田山からは それほど遠くない。
しかし、実際 成田のホテルに着いて、結局、成田山もお参りに行った事がなかった事を 思い出し、あまりの天気のよさに、電車に乗るのはもったい、、という気がし、成田の駅から歩いていける 成田山にお参りしたくなった。
鹿島神宮に実家があるKちゃんは、スカイツリーが、高千穂からのレイライン上(高千穂、高知、伊勢神宮、富士山、スカイツリー>にある事を述べてきたけど、、
どちらにしても、これでゆくと、富士山、明治神宮、鎌ヶ谷、鹿島神宮の下津海岸の直線が、レイライン、直線上に位置するらしいのですよね。
彼女は、鹿島神宮から、結婚後ご主人の 家は相模原なので、レイライン上に動いて、人生を歩んでいる。
不思議ですよね。千葉の鎌ヶ谷は、共通の友人が現在住んでいる。2011年に何十年ぶりというか 仲のよい女性達が、わたしも含めて再会した年が2011年で皮肉にも 地震の起きた年と重なった。
ところで、6人いつも行動を同じにしていたような私達の苗字は皆 苗字の一字に田 がついているのが気になった。苗字という苗は、 田に草冠だから、 田がつく苗字は多いのでしょうけど、、田の書き順は、十字の 十の書き順と違う事も 前から気がついて 気になっていた。
十字の十という漢字にすると、横が先で縦棒が後にくる。
不思議ですよね?
例えば、1 + 2=3の プラスの十は、どっちなんでしょうね?
西洋数学から、+ 記号が入っているのでしょう、 縦棒先に書いて、横棒、、つまり、
十字を切る順番に 十を 書いているのですよね。
それが前から不思議に思う訳なんですね?思いません?無意識にしている行為に、不思議と気がつかないこと、沢山あるでしょ?
数学は、アルファベット記号でしょう、、とすると、やはり + という記号は、西洋人思考が元でしょうし、書き順はそれに添うでしょうし、オリジナルでしょうから、、
そのような事なんですよね。
書けば同じでしょ?とか見た目同じならいいでしょ?という考えにはならないのですよね、
数秘術は、生年月日から1〜9の数字そして 11と22の数字に当てはめる。
どうしてなのか?わからない。
ユダヤ人の思考の複雑さに 追いつかないと カバラ<数秘術>の仕組みはわからない。
ただ、一年が12ヶ月で表記される事と関係するらしい。
数秘術は 1〜9 だけで、 10 は存在しない、、何故なら、10は 1とみなすから。
すると、11は11月の11<この数字は、2<1+1>より強い、、> そして 22は、2+2で、4の数字より強い。でも、12月の12という数字だけみると、1+2=3ですからねぇぇ、、、不思議ですよね
つまり、全て単数に するはずなのが、11と22だけが別格に取り扱われる・
11月1日は、西洋では、万聖節 の日に中る。翌日11月2日が、死者の日になっている。
つまり 11月は、死者や形而上世界の繋がりの強い月であること。2よりは強いのですよね。
フランスでは2月に 霊体<聖母マリア>の出現があるとされている。
あの ルルドである、
2月11日、、ううう〜んなんだか、すごい日に出現しますね?と思ったりします。建国記念日と重なるのは、そういう事なのかなあ?
ルルドの20年近く前の霊体<聖母マリア>の出現が、パリの不思議のメダイュ、、
11月27日<2回目の出現>になっている。
この11と22だけ、別格扱いとする数字は、2と4より強い、つまり+すると、、6
六芒星、ダヴィデの星の 6 で、
11+22=33で、どちらにしても、6という数字になるし、33 は3+3、、、
3 は、三位一体の ピラミッドの 形、、つまり、神道の墓石は、先がピラミッドになっている。
うちの渋谷の奥津城と掘られた墓石が写っていた写真で 目ざとく見つけられ、、「あぁぁ、ホンとだ!神道なんですね?」と云われた時、
何故?墓石に彫られている字など写真に写ってなくてもすぐお分かりなので 聞いたら、墓「石のてっぺんです」、、とおっしゃっられた 渋谷八幡神社の神主さんだった。
この 気つきは、わたしには 抜けていた意識だったので、ハッとさせられた・
その時、
そうだった、、パリのコンコルド広場にルクソール宮殿から運ばれた柱が同じ ピラミッドの先頭をしている、、その柱が重なった。やっぱり、ピラミッドなのかぁぁ、、、
と思って、エジプトに 思いをはせてみた。
11を、漢字で縦に書くと、土 なるほど、、鎌ヶ谷にすむ、友人の苗字が 土田さんという苗字なのも思い出した。、
考えると、わたしが頻繁に連絡する友人の苗字で、土のつく苗字が多いのにも、最近になって気がついた。
パリの聖母マリアは、地球儀に 十字が立っている 地球儀を持って 出現している。
1830年の11月27日、、不思議なのは、1830年に3回出現したとされる、聖母マリアは、地球儀の上に十字が立った、地球儀をもって現れたのは、
11月27日だけとなっている。
Kちゃんのご主人が、くもまっか出血で倒られた日に中っている。
何故?
一回目の出現、7月18日から19日の夜中のは、 そのようなモノは、持たないで、現れているらしい、、
忙しくて、忘れたのかな?<コラ!>
とにかく、このような違いがわたしは不思議に思えてしょうがない。出現をほんとにしたかとかしないか、、とかそんな事はどうでもよいのですよね。
何故なら、その場にいないのですから、、その次元で 真実か虚実かと話し合うほど、唯物論者の次元低さを 返って現しているように回りから観ると観える、、という事が感じられないようなので、よした方がいいですよ。
もっと、自己の外の世界の人達と接触した方が世界の人達はこういう次元で反応する、、という事を体験出来ると思うのですね。ま、とにかくです、、
土と地球の意味は、フランス語は、同じ音素、TERRE テールという音素で、語られる
これも不思議ですね、
、
http://chizuz.com/map/map78187.html
それで、富士山と明治神宮、、スカイツリー、、鹿島の下津海岸?
島津の津や、奥津城の津って、、なんでしょうね?下津ねぇぇぇ、、、、ううう〜ん
何故?このような漢字になるのかしら、、
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from: 沙羅(Sarah)さん
2012年01月11日 00時29分45秒
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「Re:ひとり言」
おみくじで凶を引く、、という友人の言動について、わたしは I子に相談してみた。仮設されたテントにお祓いを申し込む、去年にはない、長蛇の列、、、についてどう思うか?聞いてみた
以下の メイルの返事がきた。
最終的に、わたしと同じ考えのようだ。
厄をお祓いする、、という意識がどうも、?????
彼女の家には 神棚があるし、家はご商売をなさっている。
わたしが育った環境とは違う。色々な他の考えを聞ける、人間のネットワークを広げながら、普遍性を探す、、というのは哲学思考そのものですが、、
、もしかしたら?
凶を引いた 知り合いの情報が 今年、めだった、、という個人<私>の置かれている環境、、、、、
、御祓いを頼む? 参拝客を相手に、今年は特に 凶が多く引かれる様に、おみくじ組み替えていた?
なんて考えは下種の勘ぐり?だわね?心が荒ぶ、、、と 彼女には伝えてみた。
つまり、疑い?というのは、実に 心がうらぶれる。特に神域に対しては、、、、
信じる、信じていないという意識ではなく、、
わたし個人の、 あらゆる 信教に対する、個々人の接し方、尊重したい、、という能動的な意識を 揺さぶられる、、、という感じなんですよね。
懐疑心は、人<個>に向かっているのではなく、事象の原因を知りたいので、人<何々さん>という人はどうでもいいのですよね。
そういう問題解決したいから、
、おみくじ 全部、凶か、全部大吉にしちゃえば、いいんじゃないか?と思う。
要するに、そのような手練手管みたいなツマラナイ事で、一喜一憂などして、時間をもてあそばないで くれ〜、めんどくさい〜、とか言いたいわたしがいる。
もっと、すっきり、分りやすい、純粋な 意識というのがあると思うのですね。シンプル イズ ベスト、、という感じのね、、
そしたら、このような おもちゃ思考に、自分の無意識を 蹂躙させられる事もなかろう、お財布をあけて、ぶつくさ言いながら、お祓いをしてもらう、、、という 自分の行為が、自由意思に反しても、なんとか 善目的に帰属させたい、、という執着を、回りの人に放つ、、、という行為にも、及ばなくなるのではないか?と思ったりする。
ほんとに、この世の信教は遊び意識で、存在しようとしているのか?
いったい、このような人間行為を、神は 喜ばれているのでしょうかね?
今年の お祓いや お守りの売り上げは、近年になく よかった、、なんて、、、
地震の影響から生じた、、人間の弱点が浮き彫りにされた時代その時代を共に生きる、同世代の共同体としての人間達が お金儲けの目的帰属に安易にしないで欲しい。しかし、それでは、
佐藤愛子の「わたしの遺言」に書かれている、阪神淡路地震を予知した神道研究家の 相曽氏などは、どのように、この世の生業を 考えるのだろうか?とも思う
マ!I子に文句を言ってもはじまらないけど、以下の返答だった。
====================================
初詣は毎年家族で欠かさないが、おみくじは一度か二度しかひいたことがない。
OOさんは毎年引くそうで、いつもは小吉の旦那さんが大吉でいつも大吉の彼女と息子は小吉だったそうだ。
私は「凶」も「ありだ」と思っている。
そんな、めったに引けないもの・・・ラッキーではないか?
OOさんとも今年は辰年で「昇り竜で最初に躓いた方が運が良いね」と言い合っている。
ことほどさように、気の持ちようだと思うけど。
アランの幸福論にもあるように「幸福になるのは権利ではない、義務なのだ」と私も思う。
不幸も避けたり除けたり、ましてや祓うものじゃないと思っているのだが。
まぁ、よりどころになるなら、それはそれで良いのではないか?
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ザヴィエル教会にあった イエスの絵画
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from: 沙羅(Sarah)さん
2012年01月31日 07時37分11秒
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「Re:ひとり言」
たまには、音楽の事でも書こうかな?
、
未完成と呼ばれる曲は、色々あるのですが、
今は亡き 黒田恭一氏、音楽評論家です。
黒田氏の音楽を聞く意識というか姿勢というか、感じ方にすごく好感がもて好きで、好きなコメントは保管していたのです。
黒田恭一氏が「一番好きな曲は、シューベルトの未完成」という事を書かれていた記事があり、
その理由というのは、、
、
戦争中 家にあった本やレコードもほとんど全てなくなり、戦争が終わってしばらくたったにもかかわらず、親父はかえってこなかった。
もう駄目かもしれないとあきらめかけていたら、親父は ひょこっと 帰ってきた。
そのころ、僕たは母親と、ともに、農家の馬小屋のようなところを借りてすんでいて。数年して、ぼくらには、疎開先から東京にもどった。
よその家の、台風の時には、倒れそうだった、二階を間借りしての、なんともわびしい住まいであった。
ある日、親父がプレーヤーを買ってきた、鍋カマのたぐいはもとより、食器もろくにないのにというのに、レコード、プレーヤーを買ってくるとは、何と純狂なことをする親父であろうと、子供心にも思った。
当時、僕は、小学校5年生であった。
親父は、レコード、プレーヤーだけでなく、シューベルトの 「未完成」交響曲のレコードも買ってきた。
おそらく、親父はその時、レコードをかけながら、
「どうだ、いい曲だろう」というような事を、いったはずであるが、よくおぼえていない。
親父の言ったことは、ろくに覚えていないが、どのような気持ちで、「未完成」交響曲を聞いたかは、よく覚えている。
世の中には、なんと美しいものがあるのであろうと、大いに 驚きぼくは、言葉も なかった・
僕もまた、当時の日本人のすべてがそうであったように、戦争中、音楽らしい音楽をまったく聴けずにすごしてきた。そういうときにきいた、、シューベルトの「未完成」交響曲であった。
ぼくは、今でも「未完成」交響曲を聞くと、何故か心がさわぐ
それからあと,僕も人並みに、さまざまな音楽を 聞くようになった。
そして、「未完成」交響曲以外にも沢山の素晴らしい音楽がある。
ということを、知った。しかし、それでもなお、「未完成」交響曲がぼくにとっての初恋の音楽であることにはかわりない。
それにしても、よくぞ、親父は、あの段階で、ぼくを「未完成」交響曲に 惹きあわせてくれたと感謝せずにはいられない。
もしも、あれが、「未完成」ではなく、ベートーヴぇンの「運命」であったり、チャイコフスキーの「悲愴」であったり、あるいは ドヴォルザークの 「新世界」であったりしたらおそらく、僕の音楽の楽しみ方は今と、随分ちがったものになっていたと思う。
音楽に飢えている時に、モーツアルトでは、美しすぎる。
ベートーヴェンでは、芸術芸術しすぎる。
シューベルトは、喉の渇いているひとが、一気に飲みほす音楽として、多分ベストである。
親父は、ごく一般的な音楽好きでしかなかったから、多分、特別の考えがあって「未完成」を選んだのではなかった。
親父もまた、長いこと、戦地にいて、音楽に飢えていたのであろう。それでおそらく、たまたま自分の一番好きな曲のレコードを買ってきたという事であった。
しかし、僕は、今自分の初恋の音楽が、「未完成」交響曲であった 幸福を 親父に感謝したい気持ちでいっぱいである。
暮らしの手帖、レコードショップから抜粋
シューベルトの未完成です。
http://www.youtube.com/watch?v=TpwF8cdgfKU
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