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from: yeshangさん
2012年02月23日 00時48分56秒
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いわゆる否定的、悲観的について
否定的はネガティブ(negative)、悲観的はぺシミスティク(pessimistic)。カタカナで書く方が解りよいかもしれませんが、よく似た言葉です。
あまりよい意味では使われません。
ところで自分の生活、身の回り、体調などを考えた場合、否定的・悲観的に見たり、心配するなどの場合がよくあります。
なんとなく体調が悪い、食べ物がおいしくない、やる気が起こらない、何かもの足りない、あれは大丈夫たろうか、〜 あいつが悪い、政治が悪い、経済的に不安だなどなど・・。
こんなことを46時中真剣に考えていると、健康であっても病気に、何でもなくとも何かが起こるようになるのではと思います。
まず、身近なところから、「生きているだけで有難い」、「食事がとれるだけでも、食っていけるだけで有難い」、「ましておいしくいただけるのはなんとも有難い」〜「寒さ・暑さをしのいでいけることは有難い」〜「欲しいものはあるが、何不自由なくしていられるのは有難い」〜「戦争もなく平和なのは有難い」〜・・
と、考えていくと周りは結構有難いものに取り囲まれています。
話で、毎日体のどこかここか悪いといっては愚痴をこぼしていたばあさんが、ある時、孫がひどい病気になって入院してしまった。父母は共稼ぎで子どもの世話ができず、ばあさんはかわいい孫でもありっつきっきりで看病することになった。そして、孫の病気が回復するころ、気がついてみると体の不調も足腰の痛み消えていることに気がついた。ということですが、自分の体の体調にとらわれられて、悲観的に見た生活をしているうちに本当に病気に似た状況になっていたのでしょう。
否定的、悲観的になる場合は、そのものの解決を図ることが先決で、どうにもならなければあきらめて忘れてしまうことも大切でしょう-
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コメント: 全2件
from: 沙羅(Sarah)さん
2012年02月23日 07時36分02秒
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「Re:いわゆる否定的、悲観的について」
こんなことを46時中真剣に考えていると、健康であっても病気に、何でもなくとも何かが起こるようになるのではと思います。 > >
全然文面と関係ない事ですけど、、、、
上記の 46時中真剣の 46時中に 視線を投げなさい、、、
という霊聴がして、、、、
ハット 思ったんだけど、、、
MSG 372の 続き
テロ事件と地震の発生時刻に関連性などある訳はないと思うのですけど、、、、
3件とも46分起きているんですよね。
内容に即した 何か?書こうと思った途端、、、
あちらの不思議な国から、お声がしましたから、
ちょっと 考えたく思います。
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from: 沙羅(Sarah)さん
2012年02月24日 07時33分45秒
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「Re:いわゆる否定的、悲観的について」
> 否定的はネガティブ(negative)、悲観的はぺシミスティク(pessimistic)。カタカナで書く方が解りよいかもしれませんが、よく似た言葉です。 > > あまりよい意味では使われません。 > >
心理学または、精神分析といった分野から述べると、
人間が 何か 言葉を述べる、、、、事は、
も一人の自分に放っているんです。自他同一の想念世界です。
目の前の 対話者に 放っているように 思うけど、
結局は、もひとりの自分に放っているんです。
例えば、目の前の人に、悲観的、否定的な言葉を放つ事は、結局自分自身が、否定的、悲観的感情に共感しているのでしょう。
と言う事は、他者を判断したり、批判する事は、同じ判断基準で他者から判断される事の不安や恐怖を、提示しているのでしょう、、と思います。
そうあって欲しくない<そうしてはいけない>、、という自己の 判断を他者に放って制裁しているだけなど思うのです。
西洋の ミカエル大天使は、JUGERジャッジの天使で、神の前で、秤をもち 善悪の魂を図る、死後の魂の行き先は、大天使ミカエルの役目とされています、つまり、人間が人間を裁く権利がないという意味は、このようなキリスト教からきているのですけど、、
フランスの法曹界の ロゴは、このミカエル大天使の秤です。
同じく、自他、善悪は、裏表ですから、
ミカエル大天使と 墜天使のルシファーは、蛇の形として西洋絵画に描かれますが、自分自身の中にある弱点、悪(惰性や悪習慣や、悲観、否定、妄信、狂信,,等々)に打ち勝つ事でしかないのでしょう、、と思います。
対峙者に 否定したり、批判しても、それは、自分の中の一部を否定したり批判したりしているのですから、結局 自分を苦しめているだけなのだと思います。類は類を呼ぶは、 別に 同類思考を呼ぶというのではなく、同次元の魂を呼ぶと言う事なので、どちらにしても、相反していようが、うまくいっていようが、同じ次元に居る事なので、同じ次元層の呼応運動に思えます。
西洋が 通時態、力動化に着眼するようになったのは、人間が生きる、生かされるという欲望は何処から生まれるのか?というと、やはり、能動的な意識、生きる、ポジティブ意識や 他者を否定しない、肯定する意識を持つ事でしか、この世は開かれない、開かれた世界というのは、やはり、 ポジティブであり、他者を肯定<許容>肯定する、、、という意識を根底の部分で持たないと、稼動しないのだと思うのです。
仏教も、他者をクローズアップしざるをえない、部派から大乗仏教へと変化させないと、存在出来なくなってきた。
西洋も隣人の愛を説く、、
これは やはり人間の進化につれての他者性の 重要性を内観させる事なのだと思うのです。
しかし、此処へきて、心理的精神的な問題が世界中で生じてきました。
結局、物理的なモノを得ても、人間は幸福感を得られない。むしろますます、メディアの購買欲を煽る、扇動運動につかるので、窮乏感に悩まされる。他者は何故か?いつも自分より、新しいモノを持っている錯覚をする。新しいもの、金銭的に裕福なのは、単純に善と思い込む。人と同じレベルのモノを、享受できない生活は、惨めな目で見られると思い込む。
しかし、幸福感は、個々人次第なんですけどね、、
いつも他者と自分を比べないと、自分を自覚出来ないところに問題があるようなんです。依存関係で人間関係や人間社会が出来上がると、
人と違うという、当たり前の事を、認めたくないようなんですね。
自分と同じでないと、気がすまない、、というか、
自立すると言う事は、自分と違う人と一緒に生活したり 愛し合ったり、友人関係を結べるという事ですから、自分にないモノを、他者が補うところで、自他の完全球体を望む開けた意識の途上にあるのでしょう、、と思います。他者への愛は、高次の意識ですから、決して、自分の欠乏感を埋める為の愛や真実をもとめるのではなく、自立した精神で、自分以外の、自分と違う他者と、共同体を造る世界観を求められていると思います。
それは結局、自分を超越する事に繋がるのでしょう。それが未来を予言できたり、先が観えたりという行為に至るのだと思います。
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