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続 哲学〜真理〜探求について

続 哲学〜真理〜探求について>掲示板

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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2012年07月10日 04時26分46秒

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    LOIRE ロアール川の古城の謎解き

    先月、5月9日は、ロアール川沿いの、ダヴィンチのお墓があるアンボワーズ城と シュノンソー城を訪ねた。

    Iさんに 着いて初めて来たのは、2009年なので、3年ぶり。

    前回訪問した時には気がつかなった事があった。

    というのも当たり前なのだけど、 2010年、癌の末期と宣告された Mさんが、突然、6冊、わたしに読んで欲しいというスピリチュエルの本を持って来たのは、2010年8月。

    正直、自分には関係ないと思っていたので、スピリチュエルの話しをされても、「フ〜ン」と、聞いていて、それで、忘れていたのだ。

    佐藤愛子の 本も、その6冊の中の一冊だった。

    この時、M さんが、そのようなスピリチュエルの 話しに興味ある事さえ、驚いて「貴女、このような話、興味あったの?」と聞いたぐらいだった。

    M さんとは今まで、13,4年お付き合いがあったけど、誰か、一人と会って話しをするという 関係ではなく、いつも、皆で、又は 伴侶や彼氏連れで、お食事に招待するという感じなので、個人的な趣味の話しはあまり 話題にならなかったので、読む本の趣味などという話題には、ならなかったのです。

    そして、2010年、、6冊の本の中の一冊が、

    美輪明宏の

    霊ナァンテコワクナイヨー

    という表題の本だった・

    少し説明すると、美輪明宏は、知る人ぞ知る、超能力者ですね・

    この方は、日本中の 霊能者の道場破りにある時
    出かけ、会えるだけ会ったそうで、その経験の中で、99パーセント、日本の霊能者は、偽りです、、と 述べていたのを、Iさんがお客さんの話し、テレビ出演していた美輪明宏の話しを聞いて、知ったと知らせて来た。

    美輪明宏は、日本中、北海道から九州まで、霊能者の道場破りをした中でで、三人は ホンモノの霊能者です。と述べていた;

    東京の 江原浩之と、恐山の木村藤子と、博多のW氏だと言っていた、
    、、と I さんが、私に言って来たのは、わたしが、R子さんのW氏の話しを聞いて同一人物ではないか?
    と聞いてきた。

    わたしは、わたしで、そのような話しは時間軸でいうと、未来なので、霊能者が、どれくらいの能力があるか?ナンテいう事はまったくどうでも良く
    とにかく
    生まれて初めてこのような、霊能者と呼ばれる人に会ってみたいと、探究欲をくすぐられたからだ。

    何しろ、R子は、なんたって、質問してから、答えがくるのが普通なのに、
    W氏は、会って、何も言わないのに、「あ!貴女、コレコレ、こういう 風で、こういう 事なさってて、こういう心配事がありますね、、それは、これこれ、こういう人が すぐ近くに居るはずでしょう、、これこれ、こういう風に 、流れていくと良いと お母さんに お願いされているんじゃないですか?」、、という具合で、全て 何一つ、話さないのに、全て 霊能者の方から、問題を中てて、その原因を探し、話す、、、という。

    それで、30分くらい、霊能者は、一人で、相談者の事について話し、

    一番最後に、 何か?わたしに 聞きたい事はありますか?

    と、霊能者の方から、聞いてくるという。

    しかし、その最後の地点は、聞きたい事は、すべて、答えている、回答している、、、という時間軸になっている、、、、と、R子は言って来た。

    R子の知り合いも4,5人会っていて、皆、同じ事を感心して話していた、、、と話してきた。

    彼女は、顔が広い。とかくこのような事は、秘密主義の 人達の話題になりがちだけど、R子の場合、色々な人と くったくなく、話せる誰彼となく付き合う交友関係があるので、比較的、彼女の 話しの内容には、普遍性があると思っている私がいるのですね。

    そして聞かされた、わたしは、悩みなんかは、ないけど<こんな事書くと、お気楽に判断されると困るけど、実際そうなのだから仕方がない>
    「その人霊能者に会ってみたい!」

    質問と 回答の 順序が時間軸は逆になる、、、、

    先に回答だして、後から、質問はなんですか?と 相談者に 聞く、、、、

    普遍化を目差すのなら、霊能者は、コレくらいの存在の仕方でいて欲しい。

    そして、2006年 R子に電話をしてもらったけど、

    それで「、あさって?駄目よ!一ヶ月以上待たされるのよ〜」と R子は、返事した。

    それで、R子は、W霊能者の連絡先が書かれた 紙だけよこし、ポッケにいれて、わたしは、すっかり忘れていた。

    2,3日、博多に滞在し、京都に途中下車、そして、関東に帰るつもりでいた。京都では、翌日めるろ〜さんと 待ち合わせして、嵐山、に行く予定でいたのだ。
    京都には夕方ついて、フト、ポケットに紙切れを見つけ、R子のくれたW霊能者の番号が書いてある。

    京都にいるのだから、逢うつもりはないはずなのに、何故?電話をしたのかわからない、、、けど、「明日来れますか?」といきなりW氏は返事をされた。

    R子の話しでは一ヶ月以上待たされると言ってたではないか?

    これは、変だ!と思った。

    結局、翌々日 京都を後にし、再度、博多に向って そのW霊能者に 初めて会った。

    この時の話しも コミュに書きましたが、

    わたしは、 2006年の地点では、スピリチュエルの世界に全く興味がなかったのですね。

    しかし、 2010年にM さんが、置いていった本を読む、と、

    霊能者であっても、皆、最初は、そのような霊界の話しを信じていない。

    なんだか、不思議な体験をしても、半信半疑で、信じない。

    自分自身、何かの間違いだと思っているらしい。

    美輪明宏も、江原浩之も、最初、多少の霊感はあっても、霊界や死者の魂の存在などないと思っていた、、、と本には書かれていた

    結局、こういう事なのでしょう。

    経験者が、経験できない人に語っても、わからなかったり、信じてもらえないのは、当たり前なので、

    結局、経験がある人達同士でしか、話しは観えない世界の事らしい。


    話しは飛びましたけど、この三輪明弘がテレビで語っていた、3人の一人が、博多のW氏の 事だったらしい事は、わたしも 後から知ったのだった。

    このような結果は、いつも後からくる。最初から計画して、会ったりするのではなく、全て、後から 「アレ?会いに行ったのは、確かに、電話して私なんだけど、もしかしたら、会わされた?」という 何らかの、第三者の存在を感じないでは、いられない、、、という展開をするのである。

    そして、2010年、今度は、Mさんが、美輪明宏の本を持ってくるのである。

    よくわからないけど、、全て、回りが 頼んだり聞いたりする事なく、色々突然関係づけてくるのです。

    来月は、こんどは、イスラム教徒と関係づけるようになってて、2年後は ユダヤ教かな?ヘブライ語を勉強して、タルムードでも 原書で読むなんて事になるかも知れない。4年後は、アフリカのポトポト語を 聞いて、すごく感慨に浸って、何処かの、親のいない 子供達を預かるセンターで、ボランティアしながら、現地宗教を体験しているかも知れない。

    面白いなァァ、、とか考えながら、地球上を回っている。

    それで、話しは、

    先月 ロアール川沿いのシュノンソー城に行った時、

    アレ?と 意識を 惹かれる 模様に 気がつかされた。

    回廊にあった 上記の王冠の下に記された印

    2010年に読んだ、三輪明弘の本に書かれていた、マリア観世音菩薩について書かれてあッた事を思い出したのだ・

    美輪明宏は、「天草四郎が過去世です、」、、と数人のどの霊能者にも言われているそうなのです。


    そんなに、知らない何人もの霊能者に言われたら、「信じなさい」と、きっと、霊界の何ものかに 言われているんでしょうかね?


    何人もの霊能者に同じ事を言われる、、、と言う事は、かなりインパクトがある。

    会った、霊能者に 霊能者によって全部違う人の名前をあげてほしいけど、どうも、そういう事ではないらしい。

    多分、信じないと、霊界は、しつこく、信じるまでモーションかけるらしいのでしょうか?

    こういうコミュニケートは、個と個の関係が自立しているので、何も、経験のない、大衆や民衆が、 影で、批判して 正誤、虚偽の 判断するのは、辞めた方がいいと思う。

    対峙世界は、とりあえず、同等の能力を持つ人同士、選ぶ 選択する、、、という相手の選択が必要だと思う。とかく、、一般大衆というのは、フランス語での意味は、次元が低い層で、ひしめく、、、という特徴があるとされているのですね。

    次元というのは、大変大事、、、だと思う。
    高い心、神域に近い、、、

    という 心が昇る、層と、普遍性は、一致する、、、という存在の仕方

    つまり、心 が存在しようとする次元を語らなければならない事であり、

    なにか、一つの 信仰の 知識を、述べているだけ、、、というのは、学校の勉強をしているのと変わらないと思う。

    実践は、他者との不思議な体験でしかない、、と思う。

    神々、宇宙との 時間を超える、時空を超える、一体感でしかないと思う。

    それは、哲学という手段でも 同じだと思う。

    イエ、、別に、何か?特別一生懸命、何かひとつに 夢中になってする、、という事ではなく、自分の置かれている 現状、場所、人間関係 ETC と自分の 関係を洞察する事、、だと思う。

    この情報 氾濫時代、ツマラナイ 情報に振り回されないで、自分自身を見つめるという事だと思う。

    そういった事が、普遍性を持たせているのだと思う。そして、この本には、他者に 自分が 思っていない、考えたこともない、過去世を言われた時、他の霊能者にも会わされる。同じ事を言われる。

    何人にも 会う、、、何人にも会って聞いて、数人達に言われる話を、又違う他の他者達の介添えによって確かめてみたくなる、、、という気持ち、良く分かりますね。

    何故なら、自分の中に、信じる為の、エレメントが不在なのですから、、言われた事をただ鵜呑みにしたり、妄信するのはやはり、単純でしょう?たとえ、世に名を連ねている 人達、信用されている 個人であっても、言われたから、ただ信じる、、、という 行為は、あまりにも、自分がなさ過ぎる。わたしにしてはあり得ないです。

    哲学思考は、そのような 自立する、意識<精神>というのを、構築し、絶えず、自分以外の世界との交流を忘れない、、、という

    哲学をする、本当の意味、、、時空を超えての普遍、、
    の意味、、手応え出来ると思うのですね。

    ところが、最近は、哲学、、、する、 本当の意味が、なぜか?

    転倒してしまっている 人が多いと思う。特に、他者の不在が問題だと思う。


    例えば
    例えば、形而上世界、
    霊界から何も、コンタクトがないのに、時々しつこく一人で信じているという、一方通行の信じ方というのも、あるらしいですけど、、

    時々、「わたしは、何々菩薩である」とか、「何々聖人です」とか、「竜樹菩薩生まれ変わりです」、、、、
    「イエスキリストの生まれ変わり」等、、とか、よくおのずと自分から言う人 いらっしゃる。

    病院に行くと、時々そのような事を自分で信じているというのか、確かにいらっしゃる。



    普遍性のある人は、 メディアが色々取り上げるらしい。でも、

    普遍性のない 人だと、例えば、WEBのようなコミュの書き込み広場という場で、類似思考の人達の呼応しあう、、、という 場造りになっているらしい。

    普遍性というのは、例えば、パソコンの GOOGLEで、検索して知る、、という行為、、、とは関係ない、、、アマゾンで、本が売れてるか?
    という次元の事ではなく、言語も超える、時空を超えるのですね。

    もっと、時空を超えた 世界への接近である、、と言う事がどうも、分からないらしいのですね。


    一体 何処が違うのでしょうね?というと、コミュニケート能力なんですよね。

    取りあえず


    世の中も、あの世も うまく行きませんね?

    いったい、どうなっているんでしょうね?

    文献では聖母マリアと 観世音菩薩は、違うと学者は言うらしいのですけど、霊的な仕組みから言うと違うと書かれてあるのですね。
    学者が言っているのが、「違う」という意味らしく、聖母マリアと観世音菩薩が違うといっている事は、違う、、、と言う意味でこの本には書かれているらしい。

    どうも、学者さんというのは、体験がないらしく、文献学にまず、信用や価値を置くらしい。

    そして、人びとは、 体験がなく、 文献学の 方が 正しいと思い込む、、価値があると思い込む、、、という事らしい。

    何に、価値を持つかは、ひとびとの自由なのに、それこそ、世界に出たら、人びとは、美しい、、、という存在の仕方、実践している人には、注目をする。

    意識を惹かれる、、、という この世の常なのですよね。

    文献学 云々は どうでも、良い、、という感じになっている 世界観の流れや センスを感じ取れないと、ドンドン、普遍化できず、孤立化していくと思う。

    そして本に戻ると、

    同じレベルの純度の純粋エネルギーの合体だと書かれています。

    美輪明宏は、何年か前に、数人の霊能者が、「観音様がでている」と言われたそうです。、

    そのもっと前の時期、違う霊能者によって、交霊をした時、天草四郎の霊が降りてきたと言われた

    霊媒に天草四郎の霊が降りて来た時に、天草四郎の前世は誰ですか?

    と聞いたら「儂より、100年ほど前、日本に来た、フランシスコ、ザヴィエルと同じ時代にクルスをたくさんもってやってきた、フランス系の血をひく、アリス様、と呼ばれた宣教師ということ。

    そしてこの交霊では、今度は天草四郎についていた守護神が 誰かを問うと、
    「マリア観音、観世音菩薩が守っている」と 言われたそう。

    霊媒師に今度は、もっとその元、マリア観音のその元を呼び出してもらえるか、、。


    この本に書かれている 交霊や、霊媒師の話しでは、

    聖母マリアと、 観世音菩薩は、同じ霊体なのかしら?

    ま、良く分からないけど、、そのような 書かれているのである。

    そして、マリア観音は、天草四郎の時からずーとわたしを<この場合、美輪明宏と霊媒師との対話>を守っていたらしい。そして、もっと、大元のルーツ、わたし<美輪>の 命のルーツは何なのか?

    と聞いたらしい。

    マリア観音のルーツは 火の神 トロイ、、という 火の神だと 言われたと書かれてある。

    途中でちょっと、切りますね


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コメント: 全6件

from: 沙羅(Sarah)さん

2012年07月23日 05時26分45秒

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「Re:Re:LOIRE ロアール川の古城の謎解き」

ダヴィンチの遺言どおり、アンボワーズ城には、彼のお墓があるアンボワーズ町、、、

ダヴィンチが眠る、サント、ユベールチャペルの入り口の 彫り物です。

鹿に剣を献上し、 忠誠を誓う、ユベール聖人が 彫られている。

いったい、何故?

長野の諏訪市と、フランスのアンボワーズ市が、姉妹都市の関係なのでしょうね?

ニューヨーク 911の、テロ事件の ウサマ、ビンラデンがアメリカ兵との 銃撃戦

で倒れた、、5月2日は、 ダヴィンチの命日と同日になり、 2011年後、つまり、2001年、10年後、十年後、、十字の 10年後に
生じた事なのですね。

2011年に、 3月11日の東北地震で被害にあった陸前高田の 諏訪神社のお札が、 鹿を神様とする、鹿島神社に、何故?漂流するんでしょうね?

そういう事、考えませんか?

不思議ともなんとも思いませんか?

全て、偶然ですか?

そのようにしか、考えられない人生って、、、

人間のしあわせとか、 歓喜を呼ぶ 想像力とであったり、魂の希求運動によって、弾けるほどの、外界との コミュニケート超越や、直観とか、、、、

体験出来るのですか? なんだか、寂しい人生送るのではないかしら?

人間にうまれたのですから、もっと、生き生き毎日、驚きの連続でしょう、、と思いますが、、、

開かれた 世界観を誰でも、持てるでしょう?

もっと、人びとと笑って生きれるでしょう?

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from: 沙羅(Sarah)さん

2012年07月23日 04時50分04秒

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「Re:LOIRE ロアール川の古城の謎解き」

ロアール河沿いのお城を訪ね、ダヴィンチの設計であろう、建築建造物を見、、
シャンボー城は、中心に位置する、螺旋階段、東西南北、四方の 尾翼と呼ばれる 廊下が伸びる、、真上から見ると、、、まるで、お城事体が、アサンシヨン回旋運動そのものに見える、、

ダヴィンチは、体外離脱をしていたのであろう、、、という 予想、、それは同 体験したものだけの 記憶が呼び起こされる、、あるイメージから 湧き起こる、共感だと思う。

人間の DNA 染色体の数は、46本存在するなどと、いう事は 解明出来ない時代に生きた、レオナルド、ダヴィンチ、
デオキシリボ核酸? そうなんですよ、 螺旋階段そのものなんですよ、、、
聖なる血 ?
血(地)なる聖?
フランス語が、 聖<SAINT>サンも 血<SANG>サンも、 同じ音素、サンと呼ばせる意味があるのでしょう、、、。

http://www.youtube.com/watch?v=itRVx35KwuM&feature=related

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from: 沙羅(Sarah)さん

2012年07月21日 17時29分40秒

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「Re:LOIRE ロアール川の古城の謎解き」

フランス人は、夏、果物の最盛期になると、何処の家も、 コンフィーテゥーと呼ばれる

ジャム造りに追われる。

季節の果物が、出回らない 冬や春時期に 朝食のパンにつける ジャムを 造るのです。

手造り、ケーキやタルトに、 ジャムを 利用する 人も多いのです、、

この前、ある知り合いの 家に 訪ねた時も、 ジャムを 造った 後だったらしく、台所には、 造りたての ジャムが沢山 並んでいる。

「 ナンのジャムなの? この 瓶?」 私

「 REINE CLAUDE よ」 アニエス

レーンヌ、 クロード REINE CLAUDE

は、黄緑色の スモモの事

最初、ヨーロッパに来て、 この REINE CLAUDE レーンヌ、クロード
と呼ばれる 西洋スモモを 食べてみて、

「 世の中に、こんなに 美味しい スモモがあるのか〜!」と驚いた事がある。

面白い事に、後から 日本からくる 日本人と知り合いになる人は、

必ず、 わたしが、 最初 感じた、驚きの 体感を、 語る人が 大変多い。

フランスに 在住していなくても、 日本の滞在中に、会う 日本人に、

「 ホラ、!あれ、、なんて いう名前? 緑色の 丸い 果物、、美味しいよねぇぇ、、果物やに行くと、 キロ単位で 売ってるからねぇぇ、、

ソレに安いじゃない? 毎日、飽きずに 食べたんだよね」、、、という 具合で、 ヨーロッパ滞在の 思い出を話す 人が多い。

どうも、 この 黄緑色の、 西洋スモモは、 日本人の 味覚に 気に入られるようである。

フランス人に 聞くと、、「そうねぇぇ、、 でも、わたしは、フランボワーズが好き」
とか、、、、、

「 僕は、 ミルティーユに 目がないんだ」という 返事が返ってきて、

今一、 REINE CLAUDE に対しては フランス人には人気がない、、あまりにも、何処にでもありすぎた、果物だからだろうか?


でも、わたしも、 本当に 美味しいと思う。

アニエスの 台所で、REINE CLAUDEの ジャム造りのお喋りをしていると、

ご主人の、ジョンマリーが、入ってきて、私達の 果物の話に 加わりながら、

「 だって、 君、、ロアール河の お城に 行って来た ばかりじゃないか?」

と ジョンマリーは、私に 言う。

「 何? QUOI?] 私

意味が、観えなくて、、 何を 言い出したのか?

ジョンマリーの 話しの 意図が観えないでいた。

其処ではじめて、

この 日本人が 大好きだという 西洋スモモの、 名前、、命名が、

クロード王女< REINE は、王女 CLAUDEクロードは、人名>、、という 意味は 分かっていたのですが、

そうだった、あの ダヴィンチを、イタリアから 呼び寄せた、 フランス人には 一番人気の高い王様、 フランソワ一世の お妃の名前は、確かに

クロード 王妃である事に、 はじめて 気がつかされた。

何故?

この 西洋スモモの 名前を、 フランス人が、 クロード王女 という 音素で、呼びたかったのか?

クロード王妃の、大好物の 果物だったのかしら?

フランソワ一世は、 ダヴィンチとの因果関係によって、イタリアの ルネッサンス巨匠は、モナリザを ルーブル宮殿へと、 保存させる為と、、

ダヴィンチの 存在性、普遍性は、 すこしづつ 行先<生き先、、つまり、 DESTINATION 運命> 羅針盤の 矛先を、 イタリアから、アンボワーズ城 ロアール川沿いに ゆっくりと向けだすのである。

フランス王妃は、 そうだった、、 クロード王女だったのを、 忘れていた。

人間には、かならず 数え切れない、それまでの、関係した沢山の 人間の 因果が 見え隠れ影響しあっていると思う。
どのような、存在の仕方であろうと、かならず、 何らかの 影響しているのだと思う。自分一人で、決定して自由に 決めていきてると思っている 自分がいるし、 回りの人間も、 知覚できる、 目に見える 行動しか、見えないので、行動、、そして、 結果、、、しか、見ないのであるし、判断しないのである。

一番 大事なのは、

その 行動に 至らしめる、 原因 を 見抜くという 洞察力を 養う、、という実践が 行われず、いつまでも、 個々人に 対象に向けて、感情吐露を 放っていても、、ただの、 不満や愚痴を 放って、いるだけ、、

という存在の仕方で、 何も、 人生は、変わらないのだと思う。

どの時代でも 同じ事が生じていると思う、、世間に存在する

学者や宗教家や哲学者や、科学者が、精神の平等性を説きながら、われわれの独創的方法は、精神的洞察力、たくましさに、きわめて、わずかな 優位しか、認めない、、、云々、、、他者の閃きの洞察を、いつの時代も、根拠のない 事実なのだ、、と 判断したがり、

いつまでも、我田引水説をいかに、 自然に、 導くことに、 推論や考察を重ねる、、、、

結局、 自分の 事しか、考えない、、、

他者の存在が観得ていない、 一種の AUTISME 自閉症の傾向の 学者や 宗教者や、 教育者、が 大変多い、、、と思う、、
しかし、どの時代でも、知識人が、方法について躍起になっている間、または、眞の 普遍性をもつ 科学者や、 物理学者は、自分達の考えの 方法について、 駄弁を 放つ、、というような 存在の仕方などせずに、さまざまの大発見を成し遂げてきているのではないか?と思う。

たとえば、パスカルやガリレオ、、ニュートン、、ボイル などなど、、

方法(思考)は、発見の道具ではない、、、

という事、、、は哲学を身につけるにおいて、認識という分野の 講議内容で話される事ですが

つまり、そのような事が述べられる途中<過程>において
方法は、科学的知識の説明にかんしては、いっそう 必要であるのでしょうけど、、、

良い指導者、又は 教育者、宗教者をつくるのは、知識の 幅広さよりも、むしろ、方法の 質<質を強調>であるのでしょう、、
しかし、、、、です。

この 説明の 方法は、発見を 行う手段と 同様に、習得されるものではない、、と言う事を承知しないとならないでしょう。

時間と 空間の 存在は、 あらゆる 事物を 変化させて 現れるでしょう?過去がそうだから、、といって、 無難で、人びとが 安心しやすい、変化を必要としていない、、、 ありきたり層に 平和を 見出したい 魂や 心の 存在が 大多数化してくる、、と言う事、、、、

そのような、 身の回りの 雰囲気や 風徴も 察知しながら言説もその都度 対象によって変えないとならないでしょう。

そして、最後に観得て来るのは、先天的傾向や知的気質に 依存しているのですよね。
その事はどういう意味なのか?というと、どうも、 努力すれば報われる、、、と、口角泡を飛ばして きた、 努力信望者の 言葉に含むであろう、 真理、価値、、といった納得性が、 逃げてしまうのですよね。<直訳>

平等信望者も 同じ、、、

この次元に たどりついて いる者と、いない者の、言説の 内容というのは、同じ意味の事<言葉>を放っていても、 全く 違う 意味の事を述べたいのであろう、、、という 察知が出来るのですよね。


つまり、最終的には、話す対象の 選択が必要になってくる、、という事かもしれません。

そうしてはいけない事を、重々わかっていながら、、
経験のない事は、わからない、、、

経験のない 事は、 本人に どのようの わからせようとしても、 わからないのである。

心の、発達、、、というのは、 記号 で 計算できる、、という次元の事ではない事、、

心の 進化、 魂の 進化と言う事、、、

これからは、そのような 事が、語られる世界になっていくと思う。

いつまでも、 弱肉強食の時代に 後戻りしててはいけないと思う、、

REINE CLAUDE の 話しから、何だか、変な方に向いましたが、

前にも のべましたけど、 レーンヌ、 REINE は、 トナカイ(鹿)、RENNEと同じ音素で、仙台と姉妹都市である、 RENNESも存在する。

ブルターニュ地方の観光中心地で、 日本人観光客が一番行きたい 場所、モン、サン、ミッシェルへ、行く、 通り道(都市)でもあります。

つまり、 人の流れ、人の 足が向う 方向、、足跡、、を後世代に つける、、という 見えない、道跡の 事を述べたいのであります、
その 歩く 道跡は、必ず、 音によって、無意識に、 人びとは、 導かれているのではないか?、、、音 が 反響(共鳴)しているのではないか?

という意味です。










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from: 沙羅(Sarah)さん

2012年07月12日 08時42分59秒

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「Re:Re:LOIRE ロアール川の古城の謎解き」
msg 819の続き

長野の諏訪市と レオナルド、ダヴィンチのお墓があるアンボワーズ城があるアンボワーズ町と 姉妹都市を結んでいたと分かった時は、驚きましたが、、、

姉妹都市って、ほんとに不思議ですよね。

msg819にも 書きましたが

美輪明宏の本に、ある日本のテレビ局の人を介し、紹介された
日本一の霊媒師とされているらしいズーズー弁の人との交霊が書かれているのです。

このズーズー弁で普段話す人に、標準語話す霊が降りてくると、標準語を話すらしい。
年代の表記、時代の出来事、その場所を説明するあらゆる関係事、近くに天満宮があって、、と 話すのをあとで調べると、確かにその生まれた場所に天満宮があった、、という話になっているのです。

これは、なかなか、面白いですよね
この前、マリア観音の話を書きました。この時火の神トロイが、マリア観音のルーツである事。

ゼウスという神の傍にいる火の神トロイ、、トロイの神は、一万年前に祀られていたらしい。

首から上が馬で、身体が人間の偶像をほって、祀られていたらしい。場所はイタリア南部のソレント近クあたりに祀られていたらしいのです。、、、と書かれてある。

さて、マリア観音の元、火の神の ルーツ、トロイの神、、
が祀られているのが、イタリアのソレント近辺らしい。


ソレントは、イタリア、南西部、ナポリ県の中に位置している、15000人くらいの住民が住んでいる、小さい町。
このイタリア南西部ソレントの姉妹都市は、世界でひとつ、、、なんと、日本の熊野市なんですよねぇぇ、、驚きませんか?


観音浄土で知られる、那智の滝がある、熊野参道です。神武天皇の3本足のヤタガラスが生まれた、熊野です。
そして、イタリアのソレントは、ナポリ県の中の、一つの町ですが、ナポリ市、ナポリ県の県庁、ナポリ市、、、
ご存知ですか?鹿児島薩摩、、とナポリ市は姉妹都市なんですよね。
十字の島津藩の家紋の十字は、ナポリのソレントと関係あるんでしょうかね?
1830年パリ出現の聖母マリアは、たしかに、地球儀の上に十字架立っているものをもって 現れましたね、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88

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from: 沙羅(Sarah)さん

2012年07月10日 08時18分43秒

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「Re:Re:LOIRE ロアール川の古城の謎解き」
なんだか、この書き込みしていて、変な感じがする。
聖母マリアね、、此処まで書けば、これうぃお読みのわたくしの知り合いは、ハっと
思いつくでしょ?

不思議のメダイュ、、1830年パリに出現して、聖母はこのメダイュを配りなさい、、と告知する。そのメダイュの レイアウトにも、M とA
ほぼ、同じ形の記号がかかれているのです。違うのは、今度は、横棒の上に十字を乗っけている。

でも、M の中心は Vで、逆さまにすれば、Aになる。今、色々かんがえると、フランス王家の紋章は、ユリであり、聖母を意味する。このフランスという国が、何故か?一番 聖母マリアの出現の回数が一番おおい、ヴァチカンが公認する回数では一番フランスは多いけど、こういう事なのかしら?

それは、よいのですが、美輪明宏は、ある日コンサートしている時、アルファーミューの記号の話をしたのです。するとある大学教授が、アルファーミューの事が載っている。本を見つけ持って来raられた。ルネ、ゲノンというフランスの思想家が書いた本だったそうです。この世界の 王という本には、AとM だけでなくV
の文字の重なり合いだと書かれているそうです。そして、15世紀カルメル会の修道院の中で使われていたそうです。古代キリスト教は、キリスト表象し、あとで、アベのマリア省略形として使われていたそうなんですね。どうりで、、聖母マリア


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from: 沙羅(Sarah)さん

2012年07月10日 05時43分42秒

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「Re:LOIRE ロアール川の古城の謎解き」
meg818の続き


少し、この三輪明弘の 本に書かれてある 交霊の場文 転記してみます

マリア観音にお尋ねしました。すると

「私達が滅多にお目にかかる事の出来ない<ゼウス>という神の傍にいらっしゃる<トロイ>という火の神であるこt。

ここには、大勢の神がおられる。富を司る神もいれば、病を司る神もいる

<トロイ>というのは、火の神で、人の心を司る。人の心を静め、慰め、励ます神だ」

もともとは、 火 だと 言う事らしい。


此処まで、読んで、思ったのですが、

日本神道の 心の神、心理学に強い神様は、戸隠神社にも祀られている、

天八意思兼命である事。

西洋で、心を図る 魂を量る と言ったら、天使はあのミカエル大天使はの事。魂を 天秤の上において、善悪を観る。

ミカエル大天使の)支配エレメントは、火 である事。

非常に 心=火、、、、という類似エレメントが、どの宗教にも、似たような位置や関係を結んでいると思って読んでいた。

「他の者には、呼ばせてならぬ、だがそなたに 力を貸す言葉がある。

神の言葉だ、他の者が使った場合は、百害あっても、一利はない。

そなただけに 与える言葉だ」


そして、「アルファーミュー」という言葉を、3回、トロイの神と呼ばれる神は霊媒に降りて 述べたらしい。


その後、この本には、アルファー ミューは、

ギリシャ語の A と M で、

美輪明宏の頭文字だと書かれてある。芸名以前の 丸山明宏にしても、同じだそうです。

そして、以前に、天草四郎の 霊が降りてきたときに、<天地左右同形>と、言われ、当時、意味がわからなかったそうです。

そして、アルファーミュー、、A とM の アルファベットを、何度も紙に書いているうちに、その アルファーミューの A と M が偶然重なったそうだ。

そうすると

左右天地どちらから見ても、対照の形なのです

<この本の表紙やカバーにも印刷されています>

と書かれてあるので、表紙を写真に撮って、貼っときますね・

この表紙の赤いマークと、シュノンソー城の部屋あった、王冠の下の マークは良く似ていると 先月、5月9日に訪ねた時に2010年の8月に読んだ本の内容に書かれてあった事を思い出したのだった。



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