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from: 沙羅(Sarah)さん
2012年11月23日 21時56分07秒
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culte カルト?
ときどき 日本語の日常会話を 聞いていて、、なんだか、意味が本来の言葉が出来た起源その意味としている意味と違うのではないか? としばしば、思わされてしまう事があるのですよね。 例えば、「 カルト」という 音素 日本人がカタカナ音素を 放つ時、、多分、英語の意味が強いのでしょう、、と思う。 しかし、英語は、ラテン語であり、本来、ラテン語の意味を 理解しなければ、本当の意味を理解した事にはならないと思うのですね。
音 というのは、本来 そういう意味の存在 を成しているであろうし、そのような存在の仕方を しなければならないのではないか?と思う。時代の変遷に沿って、言葉も変わる、、という意味も分かるけど、、それは、本来の意味をしっかり理解した上でのその時代、その時代に流行った使い方やリンムRIME{押韻}によって、普遍的な言い回しが生まれるのは、自然だと思うけど、、それでも、ただたんにコマーシャルの流行言葉を、日常に安易に使うという行動は、なんだかとても、私自身、心や魂の居心地が悪いので、いくら流行り言葉でも使わない。
若い子達が使っているから使う、、であったり、、私自身、聞いて、汚い虚音やズレた音階の音を 楽器で引きたくないの同様、、汚い音素は、自分の口から音として放ちたくないのだから、仕方ない。どうして、言葉と音楽が同じなのが、分からないのかしら?と思うのだけど、、、ここら辺の感覚は、説明しても、分からないらしいので、述べないのですよね。
ヴィトゲンシュタインの論考には、確か音楽について細かい考察があったと思うけど、、、 音楽というのは、結局、リグ、ヴェーダのように、美しい音の流れだと思う。 意味より、美しい音の流れなのだと思う。美しいと感じる心域と、聞いた音の意味は何か?と思考する事とは、全く違う分野だと思うのですね。
何が?美しいか、、という感覚は、自然で、スーと、鼓膜に、染み渡る、、そして鼓膜の裏には、きっと、心情や感情を呼び起こす、センサーが密着しているのではないか?と思う。それは、学校で習う知識以前の 美を察知できる直観とでも呼んでいいと思うのですよね。音には、そのように、民族の違いを超える、人と人の間、人間として生きる、、という魂や心が存在していく為の、なんらかの センサーがあり、それは、決して、一生懸命勉強して、いい学校に入って、世の中の為になる人になる、、というような 通常の善倫理など超越しているはずだと思う。
何故なら、そのような通常倫理の価値なども、人間の執着や我欲が原因の人間側だけに通じる価値感なんだと思うのですね。大概は、生まれると、しょうがない、、学校に行かされる。それも人間が造った制度でしょう。
制度は管理しやすい人間社会に必要ですから、制度は、 STATE エスというSスの子音に Tテゥという子音が並ぶという意味は、何かの型なんだと思うのですね。ですから、停まる、、駅ステーションという言葉できますし、、、、 S という子音は、エスとは 呼ばないでしょう?便宜上 SLMNは、全て、ヱという音素を前につけて 呼びますけど、、エス、エル、エム、エヌ ですけど、ヱという母音もほんとうな、3つも4つも 発音の違いがあって、でも日本語のカタカナでは、ヱという表記しかないので、仕方なく、そのように書きますが、、つまり、聞こえてくる音と、記号化できる 音って、民族の言語によって違うのですよね。そして、聞こえても、意識出来ない音については、認識出来ないんですね。
聴覚能力に なんらかの問題があるのではなく、音に関しては、聞こえているのに、知覚出来ない音が沢山あるんですよね。20年近くフランスに住んでいて、日本人学生にある特徴があるんです。顕著な特徴は、Rの発音。
フランス語のRの発音は、日本語にはないので、正しい発音を発音するには、訓練がいるのだけど、人によって、すぐ発音出来る人と何度、目の前で 聞かせて、喉に手をあてさせて、喉の動きや 空気の通りを感じさせても、中々、正しい発音にならない人の違いが日本人だけの間に確かに存在するんです。この違いというのを、本当に考えてしまった事があった。
聞こえても、認識出来ない音があるらしいのですよね。それは、聞いた事がない音には、なかなか 発音しようとするまでいかないんですよね。普通発音は、真似から入りますから、真似は、聞こえて分からないと真似出来ませんから、ところが、聞こえているのに、違いがわからないという 事は、正しい発音の真似をする行為に至らないのですよね。聴覚に 問題がなければ、聞こえているはずですから、、正直語学というのは、そこまで 突き詰めないと、言語理解を本当にするのは、無理だと思う。
中途半端にするのは、出来るけど、詰め込む、記憶や認識は、あるていど、必要なのは、わかるけど、、それは、学習能力によって得た知識ですから、実践として身につかないでしょうと思う。特に、言語 というのは、人間を理解する、、という究極な問題が必ず最後に控えているという事を忘れてはいけないと思う。だから、安易に、自分と違う民族の宗教や文化を批判したり、自分の民族意識を過剰に呼応させて優劣判断など出来ないと思う。ヨーロッパでそのような発言を知識人がしたら、頭を横に振り振り、、相手にされないと思うのですね。人格陶治の問題だと思うのですね。
そうそれで、カルト という単語を放っているのを聞くと、あまりいい 意味で使われていない、、「カルト宗教でしょう?」というと、信用できない、インチキ宗教と いう意味で、意味を通しているらしいというのが分かるのですよね。
でも、フランス語で、例えば、新聞に CULTE <仏語の正しい発音はクュルトゥ>とのっていれば、教会のミサの時間の予告が載っている、CULTEという音素は、 カルトという日本語的な意味合いではなく、礼拝や祭式の連絡として 意味を繋いでいく音素であるし、 元々、CULTEは、カルチャーの意味と同義語でつかわれるのですから。CULTURE文化なんですよね。 英語の意味の使われ方はここでは書きませんけど、カルチャーセンターに通う日本人は多いのに、カルトと聞くと、目を三角にしないとならないという音素の意味は、何か、狂っていると思うのですね。何故なら、カルチャーという音素は、耕す、、という意味で、田畑を耕す、栽培するという意味はカルチャーという動詞CULTURE{文化}と同じ意味なんですよね。
広義の意味で、田畑を耕し、栽培するのと、頭脳を耕し、栽培するのと、同じなんでしょう。ですから、教養という日本語も同じく、カルチャーがある、、と表現するのでしょう。 カルトというのは、そういう意味なのですから、あまりカタカナ音素だけに、自己投影して 我田引水論に利用しない方がいいと思う。とくにカタカナは、ラテン語からきているので、ラテン語勉強しないと 本当の意味使いはわからないと思うのですね。-
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