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from: 沙羅(Sarah)さん
2012年11月29日 00時47分28秒
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ひさびさの現象学
現象学で語られる 時間上における認識について、、
消化器系の同化と
認識上での 事物との同化<体験>は
違うのですよね。
消化は、大腸消化が先で、小腸消化が後に来る事はないでしょう。
ところが、知られる対象は物質的には元のままで、ただ知る主体のうちに新しいあり方、つまり非物質的な存在を獲得するのですね。
これが、認識の同化ですね。知る主体と知られる対象との関係を
よく
知覚すると、
今度は、同化とは違う、精神とは独立な客観的実在に向けられた精神の態度を指示するのが表象REPRESENTATION
<再現>の場合とがあり、認識は、まず、呈示
から一層、対象に向かいあう行為からはじまる。、、
ついでに、その対象を
表象するとは、つまり、それを再現前させる。心のうちにではなく、心の前である。
すなわち、表象とは、みずから 対象を
現前させることである。
もっとも
ここでの、現前とか表象とは、本来の意味ではなく類比的な意味でなければ、ならない。即ち、
対象への、現前も、精神へのその
再現<表象>つまり認識も、非物質的秩序に属し、物質的秩序に属するのではない。
現象学者は、認識対象に向かうこの精神の態度を 説明するために、
志向性という語をえらび、つまり、意識は、自己とは、はっきり、区別された、対象へとむかい、したがって、認識するとは、事物を所有化したり、自己のうちに貯えたりするのではなく、反対に、自己それらの、事物のうちに、すくなくとも、それらの事物の側に投げ出すことなのである。
認識するとは<~に向って炸裂する。>こと。
胃のじめじめした内容から脱して、自己を超えて彼方へ、自分でないものの方へ、木の側に、それも木の外へと進むことである。なぜなら、木は、わたしから逃れ去って、わたしを拒み、木がわたしのうちで薄まりえないと同様に、わたしも、木のうちに消え去ることができないからだ。即ち、木の外にあり、私の外にある。
J;P
サルトル、フッサール現象学の根本概念、志向性-
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