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from: 沙羅(Sarah)さん
2013年01月04日 18時23分48秒
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BOOK OFF
去年 実家に帰り、両親に古い本棚の整理をしない?と話をもちかけた。
近所のBOOK OFFが、「うちまで来て
取りにきてくれるらしい」と話してみた。
もう、足の踏み場もない程、古い本に囲まれている。捨てるのはしのびない、、でも、買ってくれるいいなぁぁ、、処分出来るし、、なにしろ、40年以上住んだ家には、70パーセント以上使わないモノが、狭い場所だて占領している。両親にとっては、それが普通の生活なので、狭いとも、モノが落ちて危ないとも思わないらしい。
そんなある日、BOOK
OFFのチラシを見つけたのです。
とりあえず、自分でとって置きたい本を聞いてより分けた。
遠藤周作の本が数冊あった、狐狸庵先生というあだ名で呼ばれていた頃話題性もあり父が購入したんだと思う。
わたしも父の後読んだので父が読んだ遠藤周作の本は読んだ記憶があるけど、あまり内容は覚えていない。
学生の頃読んだ本というのは、人生経験があさく、租借できていないので、心にズシンとこないのだ。それで取って置きたい気持ちにならなかったので、BOOK
OFFにだした。
ただ、2冊だけ、手元に置いときたかった遠藤周作の本があった。わたしは、何故か?わからないけどこの2冊だけ読んでいない。父親が読んだとばかりおもっていたら、「買って読んだのは僕じゃない」と返答したので、驚いた。すると、妹しかいない。
そういえば、妹が読んだ本だったのだ。本には、聖書の
転記がしてある箇所、 例えば、コリントの手紙の第何章と説明されている箇所だけ、鉛筆で全てマークしてある。別に、キリスト教信徒でもなく、ミサに
行く事もないのだけど、10歳代後半の彼女が、そういえば、遠藤周作の本を
読んでいたらしい事を後々から考えると思い当たった。
突然に何故?イエスの生涯という本など読み出したのか?
皆目見当つかなかったのだ。彼女の身の回りにはキリスト教のキの匂いのするものはなかったから、、
本の題は、「イエスの生涯」
と「キリストの誕生 」。
人生、ひと通りの経験や他者との 心の触れ合いをし、人間と付き合い、心を 知り、感じ、、形而上の世界と形而下の世界の
生業がまったく時間軸でいう
逆に現れているという事に納得出来る経験を得て、今になって、彼女の気持ちがやっと分かったりする。
信じるという漢字は、にんべんに
言うと書く。
人が言う事を信じる意識?
やはり違うと思う。目的が先に来た時、救いを求めるというこちら側の身勝手なしがみつきの
意識の姿勢ではないだろうか?
西洋キリスト教の祈祷文には、かなり 神の VOLONTAIRE
自由意志によって、、という祈祷の言葉が、教会やミサに列席すると、気がつかされるではないでしょうか?といつも思う
神は、自由意志を持つからこそ、神としての存在性を普遍化させるのではないか?と思う
誰彼と無く、下界からお願いされれば、毎回手を差し伸べて救ってくれる?という存在でいてもらいたいという形而下の人間の勝手なイメージ作りだったのではないか?と思えてしょうがない。
自由という意味、、自由意志であるからこそ、美しい存在として自然な存在とし普遍化させていけるのではないか?と思う。
何かの不安や恐怖に
牛耳られて、だから、悪い事をするとバチが中るというような 道徳は、 よくないと思う。なぜなら、不安や恐怖心を 生ませることだけに、
形而上の存在を信じさせ、形而上のもの達のバチが中るという、、天罰が下るから、辞めなさいという倫理教育は、人間の
開けた世界観へ向うのではなく、不安や恐怖感に強いられる心を育てるだけだと思う。
心神共に健康的な
人間が描く世界観ってそういう事でしょうかね?
他者達が、祈りや
神との対話をする時、そのような」意識で望むのか?という事もやはり他者を理解する事が、自分自身の理解力を深めると思う。
もっと、奥深い、潜在している意識に、神々は、テレパシーを呼び起こすのであろうと思う。勉強して
得る、知識とか認識とか、そのような表象的な 説明や本に
書かれている事ではなく、もっと、心の奥底に沈んでいて、決して表象化されないのだと思う。それは全く予期出来ないのだ。
10年前に、ミラノにある、ダヴィンチの
最後の晩餐を
母と見に行った時、、、
何故?こんなにハラハラ、涙がこぼれるのか?全くもって分からなかった。、悲しくもないのに、そんなにすごーく見たいと期待していた訳じゃないのに、、訳もなく、ダヴィンチの
最後の晩餐を見た時は、さめざめ、涙がこぼれ落ちた、、、いったい、あれは、何の感情なのだろう?ダヴィンチの絵を見るのは、もちろん初めてではないけど、理由が
見つからなかった。
人は普通、感激してとか。悲しくてうるうるして、涙をこぼすというのは、分かるけど、今まで、何回も、美術館には足を運んでいる。それなりに期待して行った美術館もあるのです。それでもこういうハラハラなんだか、分からないけど、さめざめと涙が落ちるという経験は初めてだった。あの時は、、母がフランスに来るというので、「ミラノでも旅行しようか?」という乗りで、最後の晩餐を
見学コースに組み込んだのだ。
ダヴィンチの命日がわたしの誕生日と同日であった事に気がつかされた、2006年中り、だったけど、、、まさか、、この時、ダヴィンチの眠るお墓がある町、アンボワーズ町と
長野の諏訪市が姉妹都市だったのは、知る由もない。
なにしろ、東北地震は、2011年の事、
4月11日つまり、地震の一ヵ月後に
陸前高田から、諏訪大社大明神のお札が、鹿島神宮がある 砂浜に流れ着いた。お札は、鹿島の氏子さんに 無事に
みつかり、鹿島神宮の神主さんの手で大事に諏訪神社まで、帰されて、陸前高田のどこの
諏訪神社のお札であったか、分かったそうなのです。
こういう一連の事は、地震が起きる年にならないと分からないのだけど、諏訪とダヴィンチの』眠る、アンボワーズ市の関係が、全て
鹿の存在なんですよね。ダヴィンチが眠るアンボワーズ城の中庭にある聖ユベールチャペルは、狩人の守護聖人、聖人ユベール。鹿に宝剣捧げている、聖人ユベールの彫刻が、チャペルに彫られている
聖人ユベールの
記念日は、11月3日だったかな? 日本では文化の日ですね。しかしぃぃ、
不思議な事が多いですね。世の中は、、-
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