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from: 沙羅(Sarah)さん
2013年01月20日 06時39分31秒
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体験
仙台に住む友人、R子と去年、15年ぶりくらいに会った。
年末の挨拶をいつのまにかしなくなり不義理をして何年も経ったていた。ところが
2011年3月11日の震災は
わたし達を再度 引き合わす縁起が生じたようだった。
わたしは、去年10月北海道の
帰途、仙台に寄って、R子に会ってその時の様子を、彼女の生の声から聞いたのだ。
仙台市内に住むR子の家の800メートル前で、津波は止まった。
地震が起きた時、彼女は、飼い犬と
散歩に出ていたそうだ。
「
OOちゃんねぇぇ、、」とわたしの昔の呼び名で、彼女はゆっくりその時の事を語ってくれた。
地震が起きた時、建物の中に 居る時と言うのは、地震を
2次的に感じているんだよね。
直接じゃない。家の中にいると、まず、棚を押さえたり、頭に落ちてこないように どこかに隠れるとか、
落ちそうなモノを、手で押さえたりとかするじゃない?
それは、2次的で、地震を肌で感じていない状態なんだと思う。つまり、地震と自分の関係に
神(自然)は 自覚出来にくいと思う。
。心のどこかで、助かると思いながらの 切羽つまった状態じゃないんだよね。
でも、
地球の上、つまり 大地に 自分の2本足で、立ってる時に、大地震を
足の裏から感じる体感というのは、とんでもなく、人間の存在が、明らかに、自然に支配されていたんだ、、、という実感なんだよね。あの体感、、、2度と忘れられない。
自分の立っている大地が、波状に
揺れているのが 見え、この世の画像でないんだよね。
うちの 犬は、当たり前だけど、、、4本足であるく、動物なんだよね。
その
4本足で歩く、動物さえも、歩けなくなって、お尻ペタンと、、大地にくっつけて動かなくなってしまったんだわ。、、、この気持ち分かる?
大地が揺れて歩けない、、という事ではなく、犬も明らかに、歩こうという気持ちさえも、失せてしまっているのが、分かるんだよね。明らかに、とてつもない
事が地球に起きているという体感なんだよね。
人間が、どんなに、小さな存在であったか?あの 大地の 大きな揺れに 人間は
立ちすくみ、そして、ひざまつき、、何も、出来ない放心状態だったんだ。
あの体験は、大地に
足をつけていた人間しか、体験出来ないと思う。
建物の中にいては、建物の壊れ方にしか注意がいかないからね、、、、でも、自分の立っている土地が、揺れ、ひびが入り、どんどんひびが延び続け、大地が、大きな口をあけだし、割れていき、不気味な底なしの
割れたクレパスに、立ちすくむ人間達、、現実に目の前の光景 だったんだよね。これが、地球の本との姿だったんだ、、、神を信じる、信じないという問題など、
意味が無くなる問題だったんだわ。そのような問題は、浮ついた問題に思えるんだわ。
人間は、自然の前では、無力だ、、という自覚なんだよね。自覚、、人間が自然の怒りの前で何も出来ないという自覚、、、
と
思わせる、恐ろしい体験だった。」R子
わたしは、ずーと 黙って聞いていた。-
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